2013年3月8日

被災直後の南三陸町で見てきたもの

東日本大震災から1ヶ月半後の4月末、俺は病院スタッフ4名とともに南三陸町へ派遣された。まだ余震も多かった頃だ。本当は怖くて行きたくなかった。でも、どうせ行くのなら実際の被害の様子をしっかり見よう、そして伝えよう、それもテレビとは違う自分なりの視点で。そう思って移動中や空いた時間に写真を撮りまくった。それらはほぼすべて、以前のブログに掲載した。多くが被災「地」を撮ったものになってしまったが、被災「者」を思わせる写真が何枚かある。震災から2年が経った今、そうした写真をピックアップして当時を振り返ってみたい。

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派遣初日に見たのがこの光景。

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ランドセルもバッグも翌々日にはなくなっていた。持ち主が元気だと嬉しい。

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『マリンパル夕涼み会』と書いてある。ここは、海と暮らしてきた町なのだ。これは回収して、然るべき所に届けるべきだったかもしれない。だが当時は、誰かが探しに来るかもしれないと考えたのと、医療派遣されていながら何をやっているんだと言われそうなのとで、臆してそのままにしてしまった。誰かが拾って、うまく復元できていたらと思えてならない。

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『海といっしょに。浜といっしょに。元気に暮らそう』
その海が、たくさんの人の命を奪ってしまった。

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誰かが拾って置いたのだろう。その眼は、なんだか寂しげだ。

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オモチャ。この子は、元気だろうか。自分に娘ができた今、改めて見ると当時とはまったく違った胸の痛みを感じる。

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派遣された村の近くで。この村に家は多くはなかったが、それでも母子数名が流されたそうだ。

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誰が弾き、誰が聴いていたのか。

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飛べない飛行機。

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持ち主の趣味を想像させる。

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生活が根こそぎ持っていかれる。それが津波だ。

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拾い集められたアルバム。

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家族や生活を奪われた人にとって、思い出の持つ力は大きい。俺が写真を今までに増して多く撮るようになったのは、南三陸町への派遣がきっかけだ。

<関連>
被災地への医療派遣を振り返る(1)
被災地への医療派遣を振り返る(2) ~ センスを問う ~
三陸海岸大津波 記憶を風化させないために
遺体 震災、津波の果てに

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