2017年9月26日

精神療法とは、まず聴くこと

愚痴は「こぼす」から良いのであって、あふれて「こぼれる」ようではいけない。ストレス発散を「ガス抜き」と言うこともあるが、これも意図して「抜く」うちは良いが、ガス「漏れ」になってしまっては良くない。怒りを爆発「させる」のと怒りで爆発「してしまう」のも、やはり前者のほうがたちが良い。

要するに、こころの中にあるなにかをコントロール範囲内におけているかどうか、ということ。

もちろん、ときにはあふれる想いをぶつけることも必要なことがあり、そのほうが伝わることもある。たとえばラブレターとか。

では、精神科診察室ではどうか。

愚痴はこぼさせ、ガスは抜かせ、怒りは爆発させてあげる。こぼれる前に、漏れる前に、爆発してしまう前に。

「ただ聞いているだけなのに精神療法を請求されるのが納得いかない!」

と怒っている患者をネットでよく見かける。しかし、そんな人たちの身のまわりで、些細な愚痴でも、やり場のない怒りでも、どんな突拍子のない妄想的なことでも、遮らず、ただ黙って耳を傾けてくれる人が、いったいどれくらいいるだろうか。もし、そうやって聴いてくれるような友人が一人でもいるのなら、きっとその人は精神科をあまり必要としないだろう。

精神療法とは、まず聴くことなのだ。

1 件のコメント:

  1. いちはさま

    いちはさま、こんにちは。

    精神科の医師が、うん、うん、う~ん!(わかったよ)と、耳を傾けてくださる診察の場では
    おクスリよりもずーっと「救われた」と感じる時があります。

    聴いていますよ、話してもらえるのを待ってますよ、(とにもかくにも)話を受け止めますよ、
    という医師の姿勢には、いくら仕事とはいえ本当に頭が下がります。
    いつもありがとうございます。

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