2017年9月22日

善悪の判断基準を自らの良心ではなくランプに任せてしまうのは、映画の中に限った話ではなく、現実世界に生きる俺たちの中にもあるじゃないか!! 『エクスペリメント』


被験者らを看守役と囚人役に分け、数日のあいだ生活させると、だんだんと看守役は支配的に、囚人役は被支配的な言動となる。そんな実験の話を聞いたことがないだろうか。この映画は、実際にあったその実験を映画化したもので、『es[エス]』というドイツ映画のハリウッド・リメイク版である。

本物の実験は1971年にスタンフォード大学で行なわれたが、被験者らが禁止されていた暴力行為に及んだため危険として中止された。

本作のストーリーは、大方の予想どおりに進んでいく。いろいろとツッコミどころは多かったものの、非常に面白いシーンがあった。

実験前に、看守役にはいくつか指示がなされる。その中には暴力禁止という項目がある。そして、
「指示に反した者がいれば、あの赤いランプが点灯して実験中止になる。その場合、報酬(日給1000ドル)は一切支払われない」
と念を押される。物語が進むにつれて、看守役の一人が特に支配的行動をエスカレートさせていく。囚人役になった主人公の顔を便器に突っ込んだり、皆で小便をかけたりする。明らかな暴力行為だが、赤ランプはまったく点灯しない。ここで看守役の男が自信満々の表情で言う。

「ランプが点灯していないから、ルール違反じゃないんだ。判断基準は、あのランプなんだ!!」

深い。
なんとも深い言葉だ。
看守にこれを言わせるために、監督はこの映画を創ったんじゃないかと思えるくらいだ。

彼らは「模擬刑務所」という特殊な環境だから、こういう心理状態になったのだろうか?

いや、そうじゃない。

今まさに俺たちが生活している日常にだって、似たようなことがあるじゃないか。バレなきゃ良い、いや、バレても罰されないこともある。「暗黙の了解」で、ここまでは違反してもオッケーというのが実際にある。たとえばスピード違反。50キロ制限を60キロで走っていても普通は捕まらない。では、65キロは? 70キロは? どの時点で赤ランプが光るのか。

「判断基準は、あのランプなんだ!!」

自らの良心ではなく赤ランプに善悪の判断基準を任せてしまった彼の弱さ、愚かさは、多かれ少なかれ、現実世界に生きる自分たちの中にもあるのだ。

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