2017年4月29日

絶対感覚戦隊アルティメット

絶対音感レッド。
彼はメジャーだからリーダー。特記事項なし。 平凡。

絶対重量感イエロー。
物の正確な重さが見ただけで分かる。よく食べる。自分の体重は分からない。

絶対温度感グリーン。
物の温度、外気温などが正確に分かる。摂氏ではなく華氏であらわすことにこだわりがありウザイ。

絶対距離感ピンク。
正確な距離を把握する。物の長さも分かる。人との距離をとれなくて、相手、特に男性を戸惑わせる。

絶対色覚ブルー。
色の正確な波長を認識する。メンバーのコスチュームの色使いへの注文が細かい。

一匹狼のはぐれ戦士、絶対時間感覚ブラック。
戦隊の長時間労働に嫌気がさして抜け出した男。とはいえ正義感は強く、悪、特にブラック企業と戦うことに熱意を燃やす。

絶対時間感覚ブラックは絶対距離感ピンクに惚れていて、口説き文句は常に、
「君と僕とで愛の速度を測ろう!」

2017年4月28日

病院と施設

うちの母は「ボケたら施設に入れてくれ」と言うし、自分もボケたら家族に迷惑かけないよう施設に行こうと思う。でもいざ認知症になると、そんな決意も忘れちゃうだろうし、なんで自分が施設に行かなければいけないのか判断できなくなるだろう。

そんな認知症の高齢者をもてあましている家族にとっての「病院」と「施設」は、病院だと周囲に対して「入院している」(場合によって「医者に入院させられた」と表現する人もいる)と言える。これに対して、施設だと「預けている(入れている)」となり、これは家族が自ら高齢者を施設に連れて行ったような響きがあり(実際その通りのこともあるのだが)、外聞が悪いと思う人たちも多いように感じる。

老人ホームは、かつて「養老院」と呼ばれていた。それが昭和38年に老人福祉法が制定され「老人ホーム」と改称された。当時の「養老院」という言葉には「陰」「暗」のイメージがあったのかもしれない。「ホーム」という言葉に「陽」「明」を期待したのかもしれない。

しかし、それから50年以上経ったいま、「養老院」のほうが「入所」ではなく「入院」という言葉を使えるし、家族にとって心の負担がいくらかは軽いのではないだろうか。

2017年4月27日

プロ野球の名スカウト河西俊雄に学ぶ対人援助職のありかた 『ひとを見抜く 伝説のスカウト河西俊雄の生涯』


まったく知らない人の伝記である。プロ野球にかなり興味があるという人でも、スカウトの名前までは知らないのではなかろうか。

こういう縁もゆかりもない人の伝記を読むと、「読み手を惹きつけるような患者カルテの書きかた」を学ぶことができ、精神科医としてのトレーニングにもなる。というのは、だたの後付けの理由かな。すべての伝記が面白いとは言わないが、評判の高い伝記は読みごたえがあって良いものである。

さて、本書の主役である河西が大切にしていたのは、誠意と直感。これは対人援助職でも重要だ。誠意のほうは敢えて言うまでもない。直感はちょっと厄介だ。対人援助職では直感に頼りすぎて痛い目を見ることがあるし、それと同じくらい、直感を無視して残念な結果になることもある。直感・直観の扱いというのはなかなかに難しいものだ……。

野球選手の名前もたくさん出てきたが、知らない選手が多かった。それでも楽しめた本なので、伝記として上出来だと思う。

2017年4月26日

研修医時代に出会いたかった……、研修医の皆さん、読むなら今ですぞ!! 『救急外来 ただいま診断中!』


当院の当直は、医師一人ですべての科の患者をみる。そして、さらに緊急に専門的な診療が必要と判断したら、各科のオンコールを呼ぶというシステムである。これまで、長年にわたって精神科医は当直免除だった。これは、ずいぶん古い時代に派遣元の精神科医局と当院とで取り決められたものだが、当院と医局との縁は切れて久しい。取り決めは、すでにうやむやである。

昨年末、新医局長から精神科医にも当直をお願いできないかという打診があった。この依頼には、一部の若手医師による「精神科医は当直免除で優遇されている」という不満の他、いろいろな思惑が付随しているのだが、それはまぁここで書くことでもない。

さて、そういう事情があったので、一念発起して救急外来の本を一冊通読してみようと思い立った。ボチボチ進めたので読み終えるのに1ヶ月かかったが、ちゃんと読み通すことができた。研修医時代を思い出して復習しながら、と言いたいところだが、ポンコツ研修医だったので思い出す内容があまりない。いま持っている身体疾患の知識は、ほとんどが研修医を終えてから身につけたものばかりだ。

そういうわけで、現場の空気感だけを思い出しつつ、新たな知識を一生懸命に読んだ。読んだだけで身につくことはないが、そのつど本書を見直して、トリアージして、オンコール! という流れになりそうだ。研修医時代に、こういう本を読みながら仕事をしていれば、もう少しまともな医師になれたのかもしれない……、と一人静かに反省と後悔。

どういう本なのか参考になるよう、目次の見出しと副題だけでも記載しておく。

1.意識障害に出会ったら
  原因を見逃さないための10の鉄則
2.湿疹に出会ったら
  心血管性・出血性を否定せよ!
3.痙攣に出会ったら
  目撃者を探せ!
4.ショックに出会ったら
  早期発見・早期治療を心掛けよ!
5.アナフィラキシーショックかな?と思ったら
  アドレナリンを正しく使用せよ!
6.敗血症かな?と思ったら
  早期発見・早期治療を心掛けよ!
7.尿管結石かな?と思ったら
  正しく診断しよう!
8.疼痛患者に出会ったら
  痛みの問診を習得せよ!
9.頭痛患者に出会ったら
  くも膜下出血を見逃すな!
10.胸痛患者に出会ったら
    Pitfallsを知ろう!
11.腹痛患者に出会ったら
    恐い腹痛を除外せよ!
12.吐下血に出会ったら
    緊急内視鏡の適応を理解せよ!
13.高K血症かな?と思ったら
    診断と治療の正しい理解
14.肺炎かな?と思ったら
    重症度を正しく評価しよう!
15.尿路感染症かな?と思ったら
    除外診断と心得よ!
16.髄膜炎かな?と思ったら
    腰椎穿刺の閾値を下げよ!
17.めまいに出会ったら
    歩けなかったら要注意!
18.頭部外傷に出会ったら
    原因検索が最重要
19.低血糖かな?と思ったら
    ブドウ糖投与しておいしまいじゃ困っちゃう
20.脳卒中かな?と思ったら
    病歴聴取が最重要
21.アルコール患者に出会ったら
    お酒にまつわる落とし穴
22.心肺停止に出会ったら
    胸骨圧迫が超重要

それぞれ深すぎないところが良い。不熱心だった研修医時代を終え、精神科医として9年目になる俺でも読んで分かりやすい本だったので、現役研修医の皆さんには強く勧める一冊である。

2017年4月25日

良くも悪くも、現代風でライトな新選組小説 『夢の燈影』


新選組の中でもマイナーな人たちを題材にした短編集。Amazonの内容紹介では「無名の隊士たち」と記載されているが、新選組関係の本を何冊か読んだ後では、井上源三郎や観察方の「山崎丞」は充分に有名な気もする……。いや、それまでまったく知らなかったのだから、やはり「無名」か?

それはともかくとして、内容は非常に現代風である。文章、文体が軽いという意味ではなく、隊員たちの感覚、特に「友」「親友」という言葉が出たところに、現代風な印象を受けた。司馬遼太郎は新選組の小説で「この時代には友情という言葉や感覚はない。友情に近い感情はあったが、それは言うなれば義兄弟といった類いのものであった」というようなことを書いていた。これが頭にあったから、本文中の「友情」にいまいち馴染めなかった。もちろん、司馬遼太郎が絶対に正しいというわけではないのだが。

作者の小松エメルは、主にラノベ(?)を書いている人のようで、読みやすさという点ではさすがであった。その代償として、新選組小説を読む人が期待するような悲哀や悲壮、緊張感や重圧感といったものはいくぶん犠牲になっているように感じた。

2017年4月24日

平成29年の桜

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春を仰ぐ。

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また来年。

2017年4月20日

ハードボイルドな新選組 『黒龍の柩』


新選組副長の土方歳三を主人公にした歴史(伝奇)小説。ラノベほどではないが、わりと会話文が多かった。その会話のやりとりで巧みにキャラづけされていくのは、さすがベテラン小説家。しかし、一部だれとだれの会話か分からなくなるところがあったのも否めない。

カッコに伝奇と入れたのは、明らかに史実ではないと思われる部分、作者の想像力によって描かれた対決もかなり入っていたから。もともと司馬遼太郎の小説のようなものを期待して読んだわけではないので、こういう空想エピソードは大歓迎である。

最後の将軍・徳川慶喜の人物描写は好意的だった。これは、慶喜びいきの読者には嬉しい。近藤勇については若干手厳しい。主人公の土方歳三は、他書ほど才気走った描かれかたはされていない。土方ファンとしては、ちょっと物足りないようにも感じられた。

結末の評価は人それぞれかもしれないが、読後感は良かった。ただ、ハードボイルド作家だからか、全体的にドライである。浅田次郎が描くようなジメジメとしていてこころにグッとくる新選組を期待していると肩透かしをくらうだろう。

2017年4月19日

楽天的なハイディ・古賀の、波瀾万丈な野球人生! 『二軍監督』


プロ野球には興味がない、と言い続けている。先日、川崎宗則がメジャーから古巣のSBホークスに戻ってくるというニュースを見ていたら、妻から「川崎ってどこ出身?」と尋ねられた。「鹿児島」と即答した俺に、妻はあきれ顔で「野球に興味あるでしょ?」と言う。

「いや、野球には興味がないよ。興味があるのは、野球選手や監督なの」

俺にとっての野球は、観るものではなく、読むものである。

今回はハイディ・古賀という野球人についてのノンフィクション。本名は古賀英彦。読売ジャイアンツを3年で解雇され、単身アメリカに乗り込んでマイナーリーグで活躍し、3Aに上がるかもしれないというところで交通事故を起こし……、国際スカウトマンをやったり、アメリカのマイナーリーグで初の日本人監督をやったり、日本のプロ野球チームで通訳の仕事をやったり、二軍監督をやったり……。とにかく波瀾万丈という言葉がピッタリで、それを持ち前の楽天的な性格で乗り越えていく、というか、高い壁に自ら臆せず突っ込んでいく姿に勇気をもらえる。

今後も「プロ野球に興味はない」と言い続けるが、やはり選手・監督に関する本は面白い。

2017年4月18日

みんなに伝えるための被災映像の撮りかた

一年前、地震直後の緊急ニュースを生放送で観ていた。テレビカメラマンが、落ちているものばかりをクローズアップで撮っていてセンスないなぁと思った。視聴者としては、落ちたのがタイルなのか、それともレンガなのかなんてことはどうでもよく、どこから落ちたのか、その建物はどうなっているのか、あるいは広角映像で「どういう場所が危険なのか」を知りたいはずだ。

ボーリング場のでかいピンのオブジェが落ちていた生映像はインパクトがあったが、肝心の「それは元々どこにあったのか」が映されなかった(実は6階建ての屋上から落ちている)。「ないはずの場所にある巨大物」はインパクトが大きく、その反対に「あるべき場所に何もない」映像は一見すると地味だが、実はすごく大切な情報である。震災や事故を撮るとき、カメラマンにはクローズアップだけでなく広角映像もたくさん映して欲しい。崩れた石垣のドアップは衝撃的だが、俯瞰した映像を見ないと全体像がつかめない。イメージがわかない。

放射線科医に関するこんな話がある。胸部レントゲンを読影すると、ほぼ全員が腫瘍を見落とすことはなかった。しかし、片方の鎖骨がないのを見落とされることが多かった。つまり、「ないはずのものがある」は見落とされにくいが、「あるべきものがない」は見過ごされやすいということだ。

目立つところにフォーカスしすぎない、全体像を把握する。これは医療では当たり前。刃物で腹を刺されて腸がはみ出している人をみても、まずは呼吸や意識を確認する。腹に刺さった刃物や出ている腸(「ないはずのものがある」)に気をとられて、「あるはずのもの(呼吸や意識)がない」ことを見落としてはいけない。

それから、報道番組で、九州の地図を熊本中心に切り取って何町がどうのこうのとやっていた。それは確かに近隣住民にとっては大切な情報だが、九州全域や日本地図も適宜出さないと、どの辺りでどんなことが起きているのか全くイメージの湧かない人たちがいるはずだ。被災地域の人や関係者に情報を伝えるのと同時に、被災地には縁もゆかりもない人たちに「他人事ではない」と感じてもらえるような放送を目指して欲しい。そのためには、クローズアップして切り取られた地図だけでなく、広域の地図も出さないといけない。

全体的にクローズアップしすぎな報道と映像を見ながら、これを医療現場でやると患者を救えないな……、と感じたのだった。

2017年4月17日

流行りものを観た、読んだ 『シン・ゴジラ』『この世界の片隅に』


全体的な雰囲気は嫌いじゃないが、いかんせん演技がどうしようもない。ひとまず主な俳優陣の良し悪しは置いておいて、エキストラ(?)とか、レポーターとか、よくこの演技でオーケー出したなぁと苦笑してしまい、まったくもって現実味をもって観られなかった。現実ではありえない話なだけに、逆にそういう細部のリアルさにこだわることで、グッと引き込まれると思うんだけどなぁ。

それから辟易したのはセリフの聞き取りにくさ。うちの子どもたちがうるさいので、セリフがちゃんと聞こえず字幕設定にして観た。しかし、途中で子どもたちが静かになった時でも、あまりきれいには聞き取れないことが多かった。俺が歳をとったからというのもあるかもしれないが、一緒に観た妻もちょっと聞き取りにくいことがあったようだ。現実での会話は演劇のようにハキハキとは喋らないが、だからといってリアルさを追求してボソボソ喋られても、観るほうにはたまらない。「リアルさ」と「聞き取りやすさ」を両立できる人が「名優」なのだろう、きっと。

エヴァンゲリオンのファンであり、ナウシカも好きな俺としては、庵野監督らしい場面や音楽が出たときには、思わず口もとがほころんでしまった。とはいえ、何回も観なおしたい映画ではなかった。



こちらは映画ではなくマンガ。一気読みして、決して面白くなかったわけでもないのだが、正直、映画がこれほどまでにヒットしている理由はいまいち分からない。

2017年4月15日

「安倍内閣を支持しますか?」 政治的なアンケートでは、起案者がニュートラルなことは少なく、それぞれ立場や意図、引き出したい結果がある

ネットで、
「安倍内閣を支持しますか?」
というアンケートがあり、選択肢は、

支持する
支持しない
分からない
政治に興味がない

の四つだった。

一般にアンケートは、質問のしかたや選択肢提示の順番も結果に影響を与える。また、ネットでのアンケートなら、回答者は起案者のプロフィール、政治的な立ち位置、直近の発言からも少なからず何らかの影響を受ける(「起案者は「支持しない」優勢を期待してそうだから、逆張りしてやる」のように)。

このアンケートは集計をリアルタイムで見ることができた。ちなみに、起案者は安倍内閣を支持していない。起案当初は同じ立ち位置側にいる人たちによって「支持しない」が圧倒的に優勢だった。しかし、アンケートの存在が広く認知され出すと、今度は起案者の立場に対する反作用のような形で「支持する」が急伸した。結果そのものより、この流れの観察が興味深かった。

アンケートの質問や選択肢、結果の解釈について、少し書き加えておく。例えば質問を、

安倍内閣を支持できますか?

こういう聞き方に変える。これだけでも結果に少し影響が出るはずだ。また、選択肢を、

全面的に支持できる
全面的には支持できない
まったく支持できない

にしてみる。こういうの「無作為に抽出して電話しました」というテレビアンケートでもやりそうでしょ?

さて、例えばこの結果を上から40%、20%、40%としてみよう。すると、テレビの結果発表はこうなる。

『「全面的には支持できない」「まったく支持できない」が「全面的に支持できる」を20ポイントも上回りました』
と、あたかも不支持が多い印象だ。

しかし、真ん中の選択肢は「一部は支持できる」と言い換えることができる。そういう選択肢に変えた場合、
『「全面的に支持できる」「一部は支持できる」が「まったく支持できない」を20ポイントも上回りました』
さっきと結果の印象が真逆になる。また、「全面的に」や「まったく」を付けたり外したりするのも、結果に影響するだろう。

マスコミのアンケートは、結果そのものより質問内容と選択肢を吟味するほうが、「起案者はどんなん結果を引き出したかったのか」が透けて見えて面白いと思う。

2017年4月14日

看取りについて考えさせられる、そして読む人の死生観や終末期医療観を変えるような良書 『看取り先生の遺言』

精神科医としてターミナルケアに関わらせてもらった経験が数回ある。いずれも癌患者であった。たった数回なので、未熟の域から出ることなく今に至るが、それぞれで考えたこと、得られたことは自分なりにある。ただ、現段階では、それをうまく言語化する自信がない。


終末期患者の在宅医療に尽力した岡部医師が、自ら末期の癌患者となった後、どんなことを考え、どう活動し最期を迎えたのか。ノンフィクション作家の奥野修司が密着し、聞き取ったものを、岡野先生が一人称で語るという形式でまとめてある。

本書を読みながら、知らず知らずのうち、5年前に亡くなった祖父のことを思い出していた。とはいえ、祖父は脳出血でポックリ逝ったので、在宅医療とは無縁だった。それなのに、どうして祖父のことを思い出すのかというと、「死の直前にある人でも、耳だけは最期まで聞こえる」という話があったからだ。祖父は、俺が病院に駆けつけて、呼びかけて、手を握って、30分足らずでスッと逝ってしまった。
「ああ、俺の声が聞こえたんだ、じぃちゃんは安心したんだ」
あの瞬間、深い喪失感が襲ってくる中で、そんな穏やかな気持ちにもなれたのだった。

看取りは、「逝く人」と「遺される人たち」の間における最後の交流である。その交流を、逝く人も家族も穏やかに、恐れや不安なく過ごすことができるためには、どうすれば良いのか。自ら病魔に冒された後も考え、関わり続けた岡部医師による歯に衣着せぬ『遺言』は、読む人の死生観、終末期医療観を変えるはずだ。

2017年4月11日

主体が真逆になる珍しい同音異義語

ツイッターで「ミスリードだ!」といってからまれた時に、どうも相手と話が噛み合わないと思ったら、こちらは「mislead」、向こうは「misread」を意図していたことがある。

日本で「ミスリード」といえば「mislead」、日本語にすれば「誤導」だが、「誤導」はあまりメジャーな単語ではない。いっぽう「misread」は「誤読」を用いることが多いはずで、「誤読」はわりとメジャーだと思う。

「mislead」は発信する側に問題があり、「misread」は読み手の問題である(そもそも文章が悪いケースもあるが……)。

同じ「ミスリード」なのに主体が真逆になるという、珍しくて面白い同音異義語の例。

2017年4月7日

ノンフィクションとしての精神科カルテに想いをはせつつ、プロ野球選手の人生を読む 『ドラフト外 這い上がった十一人の栄光』


プロ野球にはまったく興味がないのに、どうしてこういう本を読み続けるのだろうか?

ふと、精神科医もノンフィクション作家みたいなものだよな、と思う。特に初診時サマリ、入院時記録、退院サマリでは、出身地や兄弟姉妹の有無、学歴、職歴、病歴その他について情報を得て、それらをまとめて記載する。

このとき、淡々と無機質なほうが良いのか、それとも読み手が引き込まれるようなものが望ましいのか。カルテに面白みを持たせる必要はないと思うが、かといって、全員が同じような内容になるテンプレート型のカルテだと、読むほうも退屈だ。このあたりはバランスが必要だろう。面白さを追求するあまり脚色してしまうのは論外だが、患者の人生における「キラリとした部分」を少しでも盛り込めれば、読み手の見方や考え方に良い影響を与えられるかもしれない。

カルテには事実のみを記すべきであり、「カルテで読み手に影響を与える」なんて考えは邪道だ、という意見もあるだろう。だが、多角的な治療のために「カルテを介した良い影響」を手段として用いるのは許容されるのではなかろうか。自分がそこまでの域に達しているとは言い難いけれど……。

本書に出てくる選手たちも、精神科で出会う患者と同じように、それぞれ起伏ある人生をおくっており、そこにひきつけられた。面白い本だった。

2017年4月6日

異世界描写の名手・恒川光太郎による伝奇時代小説 『金色機械』


恒川光太郎が描く異世界は非常に魅力的である。しかも、語り口が三人称からいつの間にか一人称へ移るという独特の文章展開が、読むほうには心地よく感じられる。世界観、ストーリー、そして文章の操りかたの巧さという三拍子がそろった作家である。短編はいずれも読後感がよく、どれもお勧めだ。

本書は、そんな恒川光太郎の長編小説である。時代設定は1700年半ばの江戸時代。これまで読んだ恒川作品とは違い、「人外の異世界」というのは出てこないが、「人外の存在」は出てくる。それがタイトル直球の「金色機械」だ。金色機械どういう類いのものかは早々に明かされるが、ここでは触れないでおく。

決して面白くなかったわけではないが、これまでの恒川ワールドを期待して読むと肩すかしをくらうだろう。敢えて厳しく言えば、見劣りがするという評価すらあり得る。恒川作品は初めてという人なら違和感も落胆もないかもしれないが、どうせなら彼の短編集、それも初期のものを何冊か読んでみて欲しい。きっと本書とは比べものにならないワクワク感を体験できるだろう。

2017年4月1日

ビックリした話

ザラメがこぼれたので、サイクロン式の掃除機で吸い込んだら綿菓子ができた。


4月1日。