2017年4月29日

絶対感覚戦隊アルティメット

絶対音感レッド。
彼はメジャーだからリーダー。特記事項なし。 平凡。

絶対重量感イエロー。
物の正確な重さが見ただけで分かる。よく食べる。自分の体重は分からない。

絶対温度感グリーン。
物の温度、外気温などが正確に分かる。摂氏ではなく華氏であらわすことにこだわりがありウザイ。

絶対距離感ピンク。
正確な距離を把握する。物の長さも分かる。人との距離をとれなくて、相手、特に男性を戸惑わせる。

絶対色覚ブルー。
色の正確な波長を認識する。メンバーのコスチュームの色使いへの注文が細かい。

一匹狼のはぐれ戦士、絶対時間感覚ブラック。
戦隊の長時間労働に嫌気がさして抜け出した男。とはいえ正義感は強く、悪、特にブラック企業と戦うことに熱意を燃やす。

絶対時間感覚ブラックは絶対距離感ピンクに惚れていて、口説き文句は常に、
「君と僕とで愛の速度を測ろう!」

2017年4月28日

病院と施設

うちの母は「ボケたら施設に入れてくれ」と言うし、自分もボケたら家族に迷惑かけないよう施設に行こうと思う。でもいざ認知症になると、そんな決意も忘れちゃうだろうし、なんで自分が施設に行かなければいけないのか判断できなくなるだろう。

そんな認知症の高齢者をもてあましている家族にとっての「病院」と「施設」は、病院だと周囲に対して「入院している」(場合によって「医者に入院させられた」と表現する人もいる)と言える。これに対して、施設だと「預けている(入れている)」となり、これは家族が自ら高齢者を施設に連れて行ったような響きがあり(実際その通りのこともあるのだが)、外聞が悪いと思う人たちも多いように感じる。

老人ホームは、かつて「養老院」と呼ばれていた。それが昭和38年に老人福祉法が制定され「老人ホーム」と改称された。当時の「養老院」という言葉には「陰」「暗」のイメージがあったのかもしれない。「ホーム」という言葉に「陽」「明」を期待したのかもしれない。

しかし、それから50年以上経ったいま、「養老院」のほうが「入所」ではなく「入院」という言葉を使えるし、家族にとって心の負担がいくらかは軽いのではないだろうか。

2017年4月27日

プロ野球の名スカウト河西俊雄に学ぶ対人援助職のありかた 『ひとを見抜く 伝説のスカウト河西俊雄の生涯』


まったく知らない人の伝記である。プロ野球にかなり興味があるという人でも、スカウトの名前までは知らないのではなかろうか。

こういう縁もゆかりもない人の伝記を読むと、「読み手を惹きつけるような患者カルテの書きかた」を学ぶことができ、精神科医としてのトレーニングにもなる。というのは、だたの後付けの理由かな。すべての伝記が面白いとは言わないが、評判の高い伝記は読みごたえがあって良いものである。

さて、本書の主役である河西が大切にしていたのは、誠意と直感。これは対人援助職でも重要だ。誠意のほうは敢えて言うまでもない。直感はちょっと厄介だ。対人援助職では直感に頼りすぎて痛い目を見ることがあるし、それと同じくらい、直感を無視して残念な結果になることもある。直感・直観の扱いというのはなかなかに難しいものだ……。

野球選手の名前もたくさん出てきたが、知らない選手が多かった。それでも楽しめた本なので、伝記として上出来だと思う。

2017年4月26日

研修医時代に出会いたかった……、研修医の皆さん、読むなら今ですぞ!! 『救急外来 ただいま診断中!』


当院の当直は、医師一人ですべての科の患者をみる。そして、さらに緊急に専門的な診療が必要と判断したら、各科のオンコールを呼ぶというシステムである。これまで、長年にわたって精神科医は当直免除だった。これは、ずいぶん古い時代に派遣元の精神科医局と当院とで取り決められたものだが、当院と医局との縁は切れて久しい。取り決めは、すでにうやむやである。

昨年末、新医局長から精神科医にも当直をお願いできないかという打診があった。この依頼には、一部の若手医師による「精神科医は当直免除で優遇されている」という不満の他、いろいろな思惑が付随しているのだが、それはまぁここで書くことでもない。

さて、そういう事情があったので、一念発起して救急外来の本を一冊通読してみようと思い立った。ボチボチ進めたので読み終えるのに1ヶ月かかったが、ちゃんと読み通すことができた。研修医時代を思い出して復習しながら、と言いたいところだが、ポンコツ研修医だったので思い出す内容があまりない。いま持っている身体疾患の知識は、ほとんどが研修医を終えてから身につけたものばかりだ。

そういうわけで、現場の空気感だけを思い出しつつ、新たな知識を一生懸命に読んだ。読んだだけで身につくことはないが、そのつど本書を見直して、トリアージして、オンコール! という流れになりそうだ。研修医時代に、こういう本を読みながら仕事をしていれば、もう少しまともな医師になれたのかもしれない……、と一人静かに反省と後悔。

どういう本なのか参考になるよう、目次の見出しと副題だけでも記載しておく。

1.意識障害に出会ったら
  原因を見逃さないための10の鉄則
2.湿疹に出会ったら
  心血管性・出血性を否定せよ!
3.痙攣に出会ったら
  目撃者を探せ!
4.ショックに出会ったら
  早期発見・早期治療を心掛けよ!
5.アナフィラキシーショックかな?と思ったら
  アドレナリンを正しく使用せよ!
6.敗血症かな?と思ったら
  早期発見・早期治療を心掛けよ!
7.尿管結石かな?と思ったら
  正しく診断しよう!
8.疼痛患者に出会ったら
  痛みの問診を習得せよ!
9.頭痛患者に出会ったら
  くも膜下出血を見逃すな!
10.胸痛患者に出会ったら
    Pitfallsを知ろう!
11.腹痛患者に出会ったら
    恐い腹痛を除外せよ!
12.吐下血に出会ったら
    緊急内視鏡の適応を理解せよ!
13.高K血症かな?と思ったら
    診断と治療の正しい理解
14.肺炎かな?と思ったら
    重症度を正しく評価しよう!
15.尿路感染症かな?と思ったら
    除外診断と心得よ!
16.髄膜炎かな?と思ったら
    腰椎穿刺の閾値を下げよ!
17.めまいに出会ったら
    歩けなかったら要注意!
18.頭部外傷に出会ったら
    原因検索が最重要
19.低血糖かな?と思ったら
    ブドウ糖投与しておいしまいじゃ困っちゃう
20.脳卒中かな?と思ったら
    病歴聴取が最重要
21.アルコール患者に出会ったら
    お酒にまつわる落とし穴
22.心肺停止に出会ったら
    胸骨圧迫が超重要

それぞれ深すぎないところが良い。不熱心だった研修医時代を終え、精神科医として9年目になる俺でも読んで分かりやすい本だったので、現役研修医の皆さんには強く勧める一冊である。

2017年4月25日

良くも悪くも、現代風でライトな新選組小説 『夢の燈影』


新選組の中でもマイナーな人たちを題材にした短編集。Amazonの内容紹介では「無名の隊士たち」と記載されているが、新選組関係の本を何冊か読んだ後では、井上源三郎や観察方の「山崎丞」は充分に有名な気もする……。いや、それまでまったく知らなかったのだから、やはり「無名」か?

それはともかくとして、内容は非常に現代風である。文章、文体が軽いという意味ではなく、隊員たちの感覚、特に「友」「親友」という言葉が出たところに、現代風な印象を受けた。司馬遼太郎は新選組の小説で「この時代には友情という言葉や感覚はない。友情に近い感情はあったが、それは言うなれば義兄弟といった類いのものであった」というようなことを書いていた。これが頭にあったから、本文中の「友情」にいまいち馴染めなかった。もちろん、司馬遼太郎が絶対に正しいというわけではないのだが。

作者の小松エメルは、主にラノベ(?)を書いている人のようで、読みやすさという点ではさすがであった。その代償として、新選組小説を読む人が期待するような悲哀や悲壮、緊張感や重圧感といったものはいくぶん犠牲になっているように感じた。

2017年4月24日

平成29年の桜

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春を仰ぐ。

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また来年。

2017年4月23日

三女ミィの寝返り

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今月中に寝返りするかなぁとは思っていた。でもなかなか寝返りが完成しない。長女サクラや次女ユウの、
「がんばれー! がんばれー!」
という声援を受けながらも、なかなか単独成功が実現しなかった。

ところが、4月18日、プレイマットのちょっとした段差を利用して初成功したかと思うと、あとはもう平地でもコロコロと転がる転がる。そして、そのたびにサクラが俺や妻を呼びに来る。
「パパー! ママー! ミィちゃんががんばってるよ! ほらー! みてみて! はやくやはく! まにあわないよ!!」

我が家の三姉妹は、今日も仲良しです。

2017年4月21日

今日は長女サクラの遠足のため年休をもらったけれど、サクラから「パパは来ないで」と言われてしまった、という話

今日は長女サクラの遠足のため、年休をもらった。昨日、妻からライン。

「遠足にパパ来たらダメ、ママだけ来てって。パパがいると恥ずかしいみたいよ」

家ではルーズで甘えん坊なサクラだが、担任の先生によると幼稚園ではしっかり者で、「みんなのお手本」をやってもらうことも多いと聞いて驚いた。家の中と幼稚園では、やっぱり違うんだねぇ。

ふと思う。これが逆なら、どうだっただろう? 家の中ではしっかり者に見えるのに、幼稚園ではルーズで甘えん坊だったら? 家で甘えきれていないのかな、なんて不安になったかもしれない。そう考えると、家ではルーズ、外ではしっかり者というのは、きっと悪いことではないのだ。と思いたい。

そしてさらに考える。遠足に来て欲しくないというのはなんだろう? そういえば、授業参観に行っても、サクラは俺と目を合わせないよう、わざわざ顔をそむける。家ではパパっ子で、夜に寝るときは俺が腕枕して、さらにもう片方の手で抱きしめないと絶対にダメなくせに(本人いわく「にねんせいになったらやめる」らしい)。

もしかしての、ちょっと希望の混じった考察だが、「パパにはまだ甘えたいから、しっかりした姿を見せたくない」というのが、はっきり意識はしていなくても、なんとなくあるのかな? あったら良いな。

昨夜、お風呂でサクラと話し合った。
「パパも遠足は行って良い?」
「いやだー」
「なんで?」
「ママは恥ずかしくない、ユウちゃんも恥ずかしくない、ミィちゃんも恥ずかしくない。パパとコミヤ先生(担任)は恥ずかしい」
「じゃ、パパはユウちゃんとミィちゃんの子守りして、サクラのことは見ないようにするよ。そうしたら、行っても良いの?」
「いいよ!」
湯煙の中、元気のいい、嬉しそうな声が響いた。

2017年4月20日

ハードボイルドな新選組 『黒龍の柩』


新選組副長の土方歳三を主人公にした歴史(伝奇)小説。ラノベほどではないが、わりと会話文が多かった。その会話のやりとりで巧みにキャラづけされていくのは、さすがベテラン小説家。しかし、一部だれとだれの会話か分からなくなるところがあったのも否めない。

カッコに伝奇と入れたのは、明らかに史実ではないと思われる部分、作者の想像力によって描かれた対決もかなり入っていたから。もともと司馬遼太郎の小説のようなものを期待して読んだわけではないので、こういう空想エピソードは大歓迎である。

最後の将軍・徳川慶喜の人物描写は好意的だった。これは、慶喜びいきの読者には嬉しい。近藤勇については若干手厳しい。主人公の土方歳三は、他書ほど才気走った描かれかたはされていない。土方ファンとしては、ちょっと物足りないようにも感じられた。

結末の評価は人それぞれかもしれないが、読後感は良かった。ただ、ハードボイルド作家だからか、全体的にドライである。浅田次郎が描くようなジメジメとしていてこころにグッとくる新選組を期待していると肩透かしをくらうだろう。

2017年4月19日

楽天的なハイディ・古賀の、波瀾万丈な野球人生! 『二軍監督』


プロ野球には興味がない、と言い続けている。先日、川崎宗則がメジャーから古巣のSBホークスに戻ってくるというニュースを見ていたら、妻から「川崎ってどこ出身?」と尋ねられた。「鹿児島」と即答した俺に、妻はあきれ顔で「野球に興味あるでしょ?」と言う。

「いや、野球には興味がないよ。興味があるのは、野球選手や監督なの」

俺にとっての野球は、観るものではなく、読むものである。

今回はハイディ・古賀という野球人についてのノンフィクション。本名は古賀英彦。読売ジャイアンツを3年で解雇され、単身アメリカに乗り込んでマイナーリーグで活躍し、3Aに上がるかもしれないというところで交通事故を起こし……、国際スカウトマンをやったり、アメリカのマイナーリーグで初の日本人監督をやったり、日本のプロ野球チームで通訳の仕事をやったり、二軍監督をやったり……。とにかく波瀾万丈という言葉がピッタリで、それを持ち前の楽天的な性格で乗り越えていく、というか、高い壁に自ら臆せず突っ込んでいく姿に勇気をもらえる。

今後も「プロ野球に興味はない」と言い続けるが、やはり選手・監督に関する本は面白い。

2017年4月18日

みんなに伝えるための被災映像の撮りかた

一年前、地震直後の緊急ニュースを生放送で観ていた。テレビカメラマンが、落ちているものばかりをクローズアップで撮っていてセンスないなぁと思った。視聴者としては、落ちたのがタイルなのか、それともレンガなのかなんてことはどうでもよく、どこから落ちたのか、その建物はどうなっているのか、あるいは広角映像で「どういう場所が危険なのか」を知りたいはずだ。

ボーリング場のでかいピンのオブジェが落ちていた生映像はインパクトがあったが、肝心の「それは元々どこにあったのか」が映されなかった(実は6階建ての屋上から落ちている)。「ないはずの場所にある巨大物」はインパクトが大きく、その反対に「あるべき場所に何もない」映像は一見すると地味だが、実はすごく大切な情報である。震災や事故を撮るとき、カメラマンにはクローズアップだけでなく広角映像もたくさん映して欲しい。崩れた石垣のドアップは衝撃的だが、俯瞰した映像を見ないと全体像がつかめない。イメージがわかない。

放射線科医に関するこんな話がある。胸部レントゲンを読影すると、ほぼ全員が腫瘍を見落とすことはなかった。しかし、片方の鎖骨がないのを見落とされることが多かった。つまり、「ないはずのものがある」は見落とされにくいが、「あるべきものがない」は見過ごされやすいということだ。

目立つところにフォーカスしすぎない、全体像を把握する。これは医療では当たり前。刃物で腹を刺されて腸がはみ出している人をみても、まずは呼吸や意識を確認する。腹に刺さった刃物や出ている腸(「ないはずのものがある」)に気をとられて、「あるはずのもの(呼吸や意識)がない」ことを見落としてはいけない。

それから、報道番組で、九州の地図を熊本中心に切り取って何町がどうのこうのとやっていた。それは確かに近隣住民にとっては大切な情報だが、九州全域や日本地図も適宜出さないと、どの辺りでどんなことが起きているのか全くイメージの湧かない人たちがいるはずだ。被災地域の人や関係者に情報を伝えるのと同時に、被災地には縁もゆかりもない人たちに「他人事ではない」と感じてもらえるような放送を目指して欲しい。そのためには、クローズアップして切り取られた地図だけでなく、広域の地図も出さないといけない。

全体的にクローズアップしすぎな報道と映像を見ながら、これを医療現場でやると患者を救えないな……、と感じたのだった。

2017年4月17日

流行りものを観た、読んだ 『シン・ゴジラ』『この世界の片隅に』


全体的な雰囲気は嫌いじゃないが、いかんせん演技がどうしようもない。ひとまず主な俳優陣の良し悪しは置いておいて、エキストラ(?)とか、レポーターとか、よくこの演技でオーケー出したなぁと苦笑してしまい、まったくもって現実味をもって観られなかった。現実ではありえない話なだけに、逆にそういう細部のリアルさにこだわることで、グッと引き込まれると思うんだけどなぁ。

それから辟易したのはセリフの聞き取りにくさ。うちの子どもたちがうるさいので、セリフがちゃんと聞こえず字幕設定にして観た。しかし、途中で子どもたちが静かになった時でも、あまりきれいには聞き取れないことが多かった。俺が歳をとったからというのもあるかもしれないが、一緒に観た妻もちょっと聞き取りにくいことがあったようだ。現実での会話は演劇のようにハキハキとは喋らないが、だからといってリアルさを追求してボソボソ喋られても、観るほうにはたまらない。「リアルさ」と「聞き取りやすさ」を両立できる人が「名優」なのだろう、きっと。

エヴァンゲリオンのファンであり、ナウシカも好きな俺としては、庵野監督らしい場面や音楽が出たときには、思わず口もとがほころんでしまった。とはいえ、何回も観なおしたい映画ではなかった。



こちらは映画ではなくマンガ。一気読みして、決して面白くなかったわけでもないのだが、正直、映画がこれほどまでにヒットしている理由はいまいち分からない。

2017年4月15日

「安倍内閣を支持しますか?」 政治的なアンケートでは、起案者がニュートラルなことは少なく、それぞれ立場や意図、引き出したい結果がある

ネットで、
「安倍内閣を支持しますか?」
というアンケートがあり、選択肢は、

支持する
支持しない
分からない
政治に興味がない

の四つだった。

一般にアンケートは、質問のしかたや選択肢提示の順番も結果に影響を与える。また、ネットでのアンケートなら、回答者は起案者のプロフィール、政治的な立ち位置、直近の発言からも少なからず何らかの影響を受ける(「起案者は「支持しない」優勢を期待してそうだから、逆張りしてやる」のように)。

このアンケートは集計をリアルタイムで見ることができた。ちなみに、起案者は安倍内閣を支持していない。起案当初は同じ立ち位置側にいる人たちによって「支持しない」が圧倒的に優勢だった。しかし、アンケートの存在が広く認知され出すと、今度は起案者の立場に対する反作用のような形で「支持する」が急伸した。結果そのものより、この流れの観察が興味深かった。

アンケートの質問や選択肢、結果の解釈について、少し書き加えておく。例えば質問を、

安倍内閣を支持できますか?

こういう聞き方に変える。これだけでも結果に少し影響が出るはずだ。また、選択肢を、

全面的に支持できる
全面的には支持できない
まったく支持できない

にしてみる。こういうの「無作為に抽出して電話しました」というテレビアンケートでもやりそうでしょ?

さて、例えばこの結果を上から40%、20%、40%としてみよう。すると、テレビの結果発表はこうなる。

『「全面的には支持できない」「まったく支持できない」が「全面的に支持できる」を20ポイントも上回りました』
と、あたかも不支持が多い印象だ。

しかし、真ん中の選択肢は「一部は支持できる」と言い換えることができる。そういう選択肢に変えた場合、
『「全面的に支持できる」「一部は支持できる」が「まったく支持できない」を20ポイントも上回りました』
さっきと結果の印象が真逆になる。また、「全面的に」や「まったく」を付けたり外したりするのも、結果に影響するだろう。

マスコミのアンケートは、結果そのものより質問内容と選択肢を吟味するほうが、「起案者はどんなん結果を引き出したかったのか」が透けて見えて面白いと思う。

2017年4月14日

看取りについて考えさせられる、そして読む人の死生観や終末期医療観を変えるような良書 『看取り先生の遺言』

精神科医としてターミナルケアに関わらせてもらった経験が数回ある。いずれも癌患者であった。たった数回なので、未熟の域から出ることなく今に至るが、それぞれで考えたこと、得られたことは自分なりにある。ただ、現段階では、それをうまく言語化する自信がない。


終末期患者の在宅医療に尽力した岡部医師が、自ら末期の癌患者となった後、どんなことを考え、どう活動し最期を迎えたのか。ノンフィクション作家の奥野修司が密着し、聞き取ったものを、岡野先生が一人称で語るという形式でまとめてある。

本書を読みながら、知らず知らずのうち、5年前に亡くなった祖父のことを思い出していた。とはいえ、祖父は脳出血でポックリ逝ったので、在宅医療とは無縁だった。それなのに、どうして祖父のことを思い出すのかというと、「死の直前にある人でも、耳だけは最期まで聞こえる」という話があったからだ。祖父は、俺が病院に駆けつけて、呼びかけて、手を握って、30分足らずでスッと逝ってしまった。
「ああ、俺の声が聞こえたんだ、じぃちゃんは安心したんだ」
あの瞬間、深い喪失感が襲ってくる中で、そんな穏やかな気持ちにもなれたのだった。

看取りは、「逝く人」と「遺される人たち」の間における最後の交流である。その交流を、逝く人も家族も穏やかに、恐れや不安なく過ごすことができるためには、どうすれば良いのか。自ら病魔に冒された後も考え、関わり続けた岡部医師による歯に衣着せぬ『遺言』は、読む人の死生観、終末期医療観を変えるはずだ。

2017年4月13日

春を歩く二人

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おそろいのジャンパーを着て、桜の木の下を歩く長女と次女。階段を上ると遊具がある。田舎なので、遊具の数は少なく、都会と比べて中身も大したことないのだが、まだ5歳と2歳の二人にとっては無限大の可能性をもった遊び場所。

このまま、仲良しでいつづけて欲しいなぁ。

平成29年4月10日撮影。

2017年4月12日

単純明快なストーリー、チープなCG、イマイチなキャラデザイン。でも嫌いじゃないぜ! 『GAMBA ガンバと仲間たち』


中学生のころ、BSでの再放送を見てずっと好きだった『ガンバの冒険』。映画化されたので、ずっとDVDになるのを待っていた。

アニメ版はDVD全集を持っていて、長女サクラも大好き。今回の映画版、サクラは、
「絵がちがうね」
なんて言いながらも楽しそうだった。

ストーリーは単純明快。CGは、ディズニーなどアメリカ版に見慣れた目にはチープで残念。サイコロを手放さない賭博師キャラのイカサマがやたらイカツかったり、詩人であるシジンがいなくなっていたり。アニメではいなかったマンプクというキャラがいるのは、実は原作に忠実なのだが、マンプクとボーボとはキャラがかぶるので、やっぱりアニメのほうが洗練されていたように思う。それにキャラクターデザインもイマイチ。

さんざん酷評した形になってしまったが、もともとガンバファンなのでわりと面白かった。


7年前に1万円ちょっとで買ったDVD版は今や3万5千円くらいになっていて、むしろブルーレイ版のほうが安い。でも、いかに名作とはいえ、3万円を超えているのでは手が出しにくい。

こちらは原作。長女サクラはガンバ大好きだし、買って読み聞かせしてみようかな。

2017年4月11日

主体が真逆になる珍しい同音異義語

ツイッターで「ミスリードだ!」といってからまれた時に、どうも相手と話が噛み合わないと思ったら、こちらは「mislead」、向こうは「misread」を意図していたことがある。

日本で「ミスリード」といえば「mislead」、日本語にすれば「誤導」だが、「誤導」はあまりメジャーな単語ではない。いっぽう「misread」は「誤読」を用いることが多いはずで、「誤読」はわりとメジャーだと思う。

「mislead」は発信する側に問題があり、「misread」は読み手の問題である(そもそも文章が悪いケースもあるが……)。

同じ「ミスリード」なのに主体が真逆になるという、珍しくて面白い同音異義語の例。

2017年4月10日

家族でお花見 第2弾

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今年2回目の花見。ほぼ満開の桜の木の下で、まさかの貸し切り状態。

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日向はぽかぽか、日陰は肌寒い、そんな一日だった。

ちなみに、三女は写真枠ギリギリのところに停まっている車の中で昼寝(もちろん、マメにチェック)。

2017年4月7日

ノンフィクションとしての精神科カルテに想いをはせつつ、プロ野球選手の人生を読む 『ドラフト外 這い上がった十一人の栄光』


プロ野球にはまったく興味がないのに、どうしてこういう本を読み続けるのだろうか?

ふと、精神科医もノンフィクション作家みたいなものだよな、と思う。特に初診時サマリ、入院時記録、退院サマリでは、出身地や兄弟姉妹の有無、学歴、職歴、病歴その他について情報を得て、それらをまとめて記載する。

このとき、淡々と無機質なほうが良いのか、それとも読み手が引き込まれるようなものが望ましいのか。カルテに面白みを持たせる必要はないと思うが、かといって、全員が同じような内容になるテンプレート型のカルテだと、読むほうも退屈だ。このあたりはバランスが必要だろう。面白さを追求するあまり脚色してしまうのは論外だが、患者の人生における「キラリとした部分」を少しでも盛り込めれば、読み手の見方や考え方に良い影響を与えられるかもしれない。

カルテには事実のみを記すべきであり、「カルテで読み手に影響を与える」なんて考えは邪道だ、という意見もあるだろう。だが、多角的な治療のために「カルテを介した良い影響」を手段として用いるのは許容されるのではなかろうか。自分がそこまでの域に達しているとは言い難いけれど……。

本書に出てくる選手たちも、精神科で出会う患者と同じように、それぞれ起伏ある人生をおくっており、そこにひきつけられた。面白い本だった。

2017年4月6日

異世界描写の名手・恒川光太郎による伝奇時代小説 『金色機械』


恒川光太郎が描く異世界は非常に魅力的である。しかも、語り口が三人称からいつの間にか一人称へ移るという独特の文章展開が、読むほうには心地よく感じられる。世界観、ストーリー、そして文章の操りかたの巧さという三拍子がそろった作家である。短編はいずれも読後感がよく、どれもお勧めだ。

本書は、そんな恒川光太郎の長編小説である。時代設定は1700年半ばの江戸時代。これまで読んだ恒川作品とは違い、「人外の異世界」というのは出てこないが、「人外の存在」は出てくる。それがタイトル直球の「金色機械」だ。金色機械どういう類いのものかは早々に明かされるが、ここでは触れないでおく。

決して面白くなかったわけではないが、これまでの恒川ワールドを期待して読むと肩すかしをくらうだろう。敢えて厳しく言えば、見劣りがするという評価すらあり得る。恒川作品は初めてという人なら違和感も落胆もないかもしれないが、どうせなら彼の短編集、それも初期のものを何冊か読んでみて欲しい。きっと本書とは比べものにならないワクワク感を体験できるだろう。

2017年4月5日

家族で花見

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今後の天気を考慮して、急きょ家族で花見に行くことにした。仕事を定時で切り上げて、ダッシュで帰宅。

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スーパーでお弁当とオヤツ、それから二人分のノンアルコールビールを買って出発。

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気持ちの良い肌寒さは、日が暮れると本当の寒さになった。

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それでも、「寒いね」なんて言いながら家族で食べる弁当は美味しかった。

2017年4月4日

大好きな坂道くだり

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特に長女サクラが大好きな坂道くだり。かなり緩やかな坂道だが、三輪車だと体感速度はわりと速いかもしれない。

2017年4月3日

二人でパズル

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慣れも関係するとは思うが、我が家の娘二人はなかなかパズルが上達しない。俺も苦手だったなぁ……。

2017年4月1日

ビックリした話

ザラメがこぼれたので、サイクロン式の掃除機で吸い込んだら綿菓子ができた。


4月1日。

2017年3月31日

「適度に」合わせることの難しさ

無意識に相手の動作をマネる「ミラーリング」「反響動作」は、どの文化・国でも見られる。また、どの文化・国にも、その構成員で共有される一定の仕草がある。これらの反響・共有が不足したり強すぎたりすると、相手に奇異な印象を与える。「発達障害」といわれる人たちのコミュニケーションでは、こうした反響・共有の過不足があるのではなかろうか。

統合失調症の患者でも、「おはよう」と挨拶しているのに「こんにちは」と返ってくるなど、ミラーリング不足を思わせる場合がある。「発達障害」の概念がなかった時代に、発達障害の人たちが統合失調症として治療されていたことを考えると、両者のミラーリング能力には似ているところがあるのだろう。

「一緒にいて居心地が悪くなる人」というのは、このミラーリングや文化的仕草の共有を適度にできない人なのかもしれない。ここで「適度に」と書いたのは、ミラーリングや仕草の共有は、「皆無」も「過剰」も相手の居心地悪さを引き起こすからである。

あるアメリカ人がテレビで、「日本人が『ハーイ! ハワユー!!』みたいなノリで挨拶してくると戸惑う」と言っていた。テレビや映画で見て想像している「アメリカ流」に日本人が過剰に合わせようとした結果、相手の居心地が悪くなってしまうのだ。

どの分野においても、「適度に」という曖昧な基準を達成するのはわりと難しく、精神科患者や小児を対象としたSST(社会技能訓練)でも教えるのに苦労する部分ではないだろうか。これは単なる予想なので、近いうちに心理士に確認してみようと思う。

2017年3月30日

次女ユウの喉に魚の小骨が刺さって、救外を受診した話

昨日の15時すぎ、妻から次女ユウの調子が変だという連絡があった。食べたものを吐きだしたり、咳をしたりするが、それが続くわけでもない。ユウは時々こういう演技めいたことをするので、今回もそんな感じなのかと考えていた。

帰宅してみても、ユウは元気そのもの。ただ、唾を飲みこまずに、溜めてペッと吐きだす。これも時々やる遊びである。妻に聞くと、
「昼ごはんで、手作りのオニギリを食べた時に急に泣き出して、その後はまた機嫌が良くなって遊んでいた」
とのこと。

長女サクラと次女ユウを風呂に入れながら、サクラに聞いてみた。
「ユウちゃん、お昼ごはんの時に泣いたの?」
「うん、泣いたよ」
「吐いた?」
「はいてないよ」
「なんのオニギリだったの?」
「シャケ」
……シャケ? 骨か?

風呂からあがって懐中電灯で喉を照らすと、軟口蓋に一ヶ所、小さな赤い点がある。これか? これだけにしては様子がおかしい。舌圧子はないので、妻と二人で体を抑えながらスプーンで確認。でもなにも見えない。次女のキツそうな様子に、だんだん「これは骨だ」という確信が強まり、21時を少し過ぎたころに勤務先病院の救外を受診することにした。

その日の当直はベテラン内科医のK先生だった。喉の奥に白いものがチラッと見えたものの、きちんとは確認できず、K先生が若手小児科の女医H先生に応援を要請。やってきたK先生も目視はできなかった。そこで、エスクレという座薬を用いて眠らせた後、耳鼻科用の細いファイバーを使って確認。

処置にあたって、三女を抱いた妻と長女サクラは外に出された。寝ているとはいえ、泣き叫ぶことがあるかもしれないし、辛い姿を見せるのは酷だという看護師の心遣いだった。

ファイバーで、喉のかなり奥に小骨が見えた。これをとるには……、
「ブロンコしなきゃだね」
ブロンコとは、気管支鏡である。

エスクレより深く寝せるため、ドルミカムという点滴を用いることとなった。小児科H先生が点滴をとり、ドルミカムで寝せて、K先生によるブロンコ開始。骨が扁桃の奥に、しかもとりにくい角度で刺さっているのが見えた。それを苦戦しながらも、決して時間をかけることなく、みごとに抜去! その瞬間、K先生、H先生、当直の看護師さん2名が、
「ワーッ!」
と歓声をあげた。それに重なって、俺も、
「あーっ! ありがとうございます!!」
と思わず大きな声が出た。

とれた骨は2センチ弱。オニギリを作るときに、妻はかなりたんねんに骨を除去しているので、昼間の時点ではまさか骨とは思わなかったとのこと。普段の食事でも、俺より丁寧に魚を処理して子どもにあげているので、今回の件で妻に落ち度はなく、敢えて言えば次女の不運だろう。もともとなんでも食べる良い子だが、咀嚼が足りなかったり、口に詰め込み過ぎたりと、食べかたに関しては毎回注意される子でもある。

不幸中の幸いは、当直のK先生が呼吸器専門で、気管支鏡の腕が良かったことと、当直看護師が普段は内視鏡室で勤務していて気管支鏡介助に慣れていたこと。

今回、身体科の先生は本当に凄いと実感した。点滴にしろ気管支鏡にしろ、患者の親であり同僚医師でもある俺が患者の抑え係という「医師としてはやりにくい状況」で、それぞれビシッと一発で決めた二人の姿は、ひたすらカッコよかった。

余談ではあるが、ユウがキツそうにしているのを見て、5歳のサクラが、
「ユウちゃんしぬの!?」
と明るく朗らかに尋ねてきたので、カチンときて、
「死なないよ!」
と強く答えてしまった。5歳だと、まだ分からないよなぁ……。でも、あの状況では「死」という単語を冷静に聞き流せなかった。ただ、その後のサクラはひたすら優しくて、次女がジュースを欲しいと言えば、妻と一緒に買いに行き、そこでは自分のジュースを欲しがることなく、
「あっ、ママ! ユウちゃんの好きなジュースあったよ!」
と飛び跳ね、その後はグズりだした三女をあやすなど大活躍。処置中には、外に漏れ聞こえるユウの泣き叫ぶ声に、
「ユウちゃん、かわいそう」
「もうユウちゃんと遊べなくなるの?」
そんなことを言って涙を流していたそうだ。もちろん、妻も泣いていたとのこと。

帰宅したのは12時過ぎだが、サクラは病院でも一切うたた寝せず、最後は寝る前の絵本読み聞かせまで求める通常運転。

そして今朝。

次女ユウはまだ寝ているが、昨日の夕ご飯を食べていないので、早朝からお腹がぐぅぐぅ鳴っている。微笑ましくて、愛おしい。妻も三人の娘たちも、まだ寝ている。こんな平和な朝が、これからもずっと続きますように。


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2017年3月29日

身体は一つ、心は二つ。奇妙な主人公の転落人生をユーモラスに描く 『バルタザールの遍歴』


日本ファンタジーノベル大賞をとった小説である。すごく珍妙な出だしで、これはもしかして損切りするのかもしれない、と危ぶんだが、結果としては満足のいく読書タイムであった。決してグイグイ引っ張るタイプではないが、なぜか惹きつけられて読み進めてしまう感じ。

主人公は、一人ぶんの身体にメルヒオールとバルタザールという二人の精神が宿った貴族の子。これは二重人格ではなく、二人で対等に会話するという不思議な状態である。そんな主人公(たち?)の、じわじわと転げ落ちていく人生模様を、決して悲劇的にならずに、かといってギャグ小説にもならず、主人公の回想録(主にメルヒオールが語るが、時どきバルタザールのツッコミが入る)という形式でユーモラスに描いている。

この作家は初めて読んだが、他のも買って読んでみようと思うくらい面白かった。

2017年3月28日

Mr.Childrenの『花 Memento-Mori』を初めて聴いたときのことを思い出す、藤原新也の対談・小文集 『沈思彷徨』


Mr.Childrenのボーカル・桜井和寿の、
「なんのことわりもなくシングルのサブタイトルにして、すみません」
という謝罪から始まる対談が掲載されている。

藤原新也といえば写真家である、と俺は思っているが、わりと多くの文章を書いている人でもある。本書は、そんな彼の対談や雑誌に載ったような短文を集めたもので、対談相手の一人がMr.Childrenの桜井和寿だ。

藤原新也の写真集『メメント・モリ』を初めて読んだのは、ミスチルの『花 Memento-Mori』がリリースされる1年ほど前だった。『花』を初めて聴いた時、
「あれ、これはどこかで……?」
とデジャブに襲われた。歌のタイトルを見ると「Memento-Mori」とあり、合点がいった。

桜井の謝罪に対し、藤原は「この言葉は僕が作ったものではないですから」と答えている。そう、「Memento-Mori」は藤原が生み出した言葉ではなく、古代ローマでも使われていた警句のようなものだという。その意味は「死を想え」あるいは「死を忘れるな」。

藤原の同タイトル写真集には、インドの川べりで犬が人間の死体を食べている写真がおさめられている。

「人間は犬に食われるほど自由だ」

という一文が添えられたその写真は、20歳そこそこの俺には衝撃的だった。この写真集は、何度も何度も読み直した。

その後、藤原新也の『東京漂流』も買ってみたが、これはなんだか面倒くさいことをこねくり回して書いているような印象で、あまり記憶に残らなかった。いま読むと、もしかしたら違う感想を抱くのかもしれないが。

Mr.Childrenの『花』が好きな人は、一度は写真集『Memento-Mori』も読んでみることをお勧めする。

ところで、この写真集を初めて読んでから15年後、手もとになかったので買い直した。そして、それから5年後、すでに手もとにない。いったいどこに、誰のもとに行ったのだろう?

必要な時に、必要な人のところに現れ、ふっといなくなる。

『メメント・モリ』は、そんな本なのかもしれない。

2017年3月27日

日航機墜落事故で遺された男性・男児たちの、当時とその後 『尾根のかなたに』


日航機が御巣鷹山に墜落したのは、小学校4年生のときだった。生まれて初めての飛行機、それも一人で乗った日である。

本書を読んで知ったのだが、当時、子どもだけで飛行機に乗るという「ちびっこVIP」というJALの企画が始まったようだ。もしかすると、俺が一人で飛行機に乗ったのも、このちびっこVIPを利用してのことだったのかもしれない。ちなみに、現在は「キッズおでかけサポート」という名前に変わっている。

墜落した飛行機には、俺と同じ小学4年生の男の子が乗っていたそうだ。生まれて初めての飛行機というのも同じだ。筑波万博を目指した俺に対し、野球が大好きだった彼はPL学園を応援するため甲子園に行くのが目的だった。俺が羽田に到着して、数時間後に123便は出発している。だから、俺はこの同級生や他の犠牲者とは羽田空港ですれ違っていた可能性がある。

この事故に関する本を読むのは4冊目。どれも涙なくしては読めないものばかりである。本書は特に、「遺された男性」に焦点を絞ってある。事故当時、それぞれ小学生だったり高校生だったり社会人だったりだが、こころに受けた衝撃が計り知れないという点ではみな同じだ。

家族ができてから、単身での出張が嫌になった。怖くなったというほうが近いかもしれない。もし自分の身に何かあったら、妻や三人の娘らはどうなるのだろう。そんなことが頭をよぎってしまうからだ。

墜落した日本航空123便は、異常をきたしてから墜落までに30分ほどかかっている。その間に乗客らが感じた恐怖や怒り、遺すことになる家族への惜別の念に想いをはせる時、事故から30年を経て父親にもなった俺の胸は、痛く強く締めつけられてどうしようもなくなる。

多くの人に勧めたい一冊。


<関連>
涙と、ショッキングと、そして恐怖 『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』

2017年3月24日

地図は現地ではない。精神科医療において、「地図」と「現地」を結びつける役割をもつ訪問スタッフのための実践書かつ哲学書 『 精神保健と福祉のための50か条』


「地図は現地ではない」という言葉がある。

いくら地図に詳しくても、現地の空気感までは分からないということだ。同じように、精神科医が患者の情報にひたすら詳しくなっても、その患者の家の中、周囲の環境、そういったものを実際に見ないことには、「現地」としての患者を感じることはできない。

ところが、往診を積極的にやる病院でない限り、医師が病院外に出る機会は少ない。ほとんどないと言って良い。そういうなかで、「地図」と「現地」を結びつける大切な役割をもつのが、訪問看護や保健師の訪問である。そして、本書はそういう業務に携わる人たち向けの実践書であり、また精神保健に従事するための哲学書でもある。

『精神科看護のための50ヵ条』と同じく、素晴らしい内容だった。ただ、病院が活動拠点の精神科医である自分にとっては看護のほうが身近なので、『看護のために』が実践的で役立つものであるのに対し、本書のほうは「気構え・心構えとして非常に参考になる」という感じだった。

訪問をメインにしている看護師や作業療法士、保健師、保健所職員にとっては実践的でためになる話が多いのではなかろうか。

2017年3月23日

精神科患者からスタッフが暴力を受けたときに、医師がとるべき態度

俺の不在時に、病棟の女性看護師が患者から抱きつかれたそうだ。

女性看護師にとっては、何歳になろうと、もちろんどんな体型であろうと、男性患者から突然に抱きつかれるのは恐怖である。こういうことが起きたら、医師はその看護師へのケアを第一優先にして、「怖かったでしょう」「あなたは悪くない」といったメッセージをしつこいくらいに伝えるべきである。

精神科患者からスタッフが暴力や理不尽な暴言を受けた場合、いくら加害者が患者であっても、医師は「喧嘩両成敗」や「中立」的な態度はしないほうが良い。むしろ、瞬間最大風速としては完全にスタッフの味方になるくらいの心構えが必要だ。中立になるのは、スタッフのケアをやってからでも遅くはない。

ここで、中立になろうとしたり、煮え切らない態度をとったりすると、スタッフは安心して仕事ができず、それは結局のところ患者のためにならない。こういう場合の「中立」は、患者の味方をしているようでいて、実は単に自分の身を安全圏に留めておきたいだけなのである。そして、そういう気持ちはスタッフにもよく伝わる。また、自分が被害にあったわけではないスタッフも、その時に医師がどういう態度・対応をするかはしっかり見ている。

患者ファーストを常日頃から心がけていても、スタッフファーストになるべき事態は稀ならず起こる。この時にとるべき態度を誤ると、スタッフからの信頼は得られない、あるいは得てきた信頼も失ってしまう。


下の2冊は、自分が病棟での対応に失敗した時に読んで大いに参考になり、また反省につながったもの。

 

2017年3月16日

複数の視点で語られる新選組が活き活きしていて面白い 『新選組 幕末の青嵐』


新選組を題材にした小説である。物語は、土方歳三がまだ薬売りをしていた思春期時代から時系列で進んでいくが、約10ページごとに章が変わり、同時に主人公も交代する。近藤勇、土方歳三、沖田総司といった有名どころだけでなく、永倉新八、斉藤一といった歴史通が好みそうな人たち、原田左之助、山南敬助、井上源三郎、それから芹沢鴨、武田観柳斎、伊藤甲子太郎といった人たちも語り手になる章がある。

非常にきれいにまとまった小説で、読みながらまったく退屈することがなかった。あとがきによると、これを2ヶ月半で書き終えたというのだから凄い。

新選組に詳しい人が読むと、あれこれ欠点が目につくのかもしれないが、史実に拘泥せず面白い小説が読めれば良いという人にはお勧めできる。

2017年3月15日

「てんかん臨床エッセイ」なんて初めて読んだ! 『モンタナ神経科クリニック物語』


アメリカの医学部を卒業し、アメリカで勤務する日本人医師、それも「てんかん専門医」の診療エッセイである。

これまで医療エッセイは数多く読んできたが、「てんかん臨床」を主題にしたエッセイは初めてだ。もしかすると、出版されている中で「てんかん臨床エッセイ」と呼べるのは本書だけかもしれない。ほぼすべての章が、患者や家族とのやりとりをはじめとした臨床エピソードで成り立っている。

ある女性は、てんかんの男性を長らく献身的に支えてきたのに、彼がてんかん手術を受けて発作が改善すると、なぜか家を出て行ってしまう。この話を読んで、日本人もアメリカ人も「こころの機微」は同じだなぁとしみじみ。しかし、このあたりのこころの動きについて本書では触れられないままであった。というより、むしろ著者の感想は「なんでだろうねぇ」というものだった。

てんかん発作の専門用語や薬の名前はほとんど出てこないので、一般の人が読んでも難しいところはほとんどなく面白いと思う。医師としては、著者のてんかん患者に対する愛情に好感が持てて、自らの診療を見直すきっかけにもなった。「てんかん臨床エッセイ」に興味のある方にはぜひともお勧めである。

類似の本で、お勧めのものをご存じの方は教えてください。

2017年3月14日

プロ世界の厳しさと優しさを知る 『プロ野球 二軍監督 男たちの誇り』


しつこいようだが、俺はプロ野球にも高校野球にも一切興味がない。一試合をまともに観たこともないし、ソフトボールは経験があっても、いわゆる「上投げ」での野球をやったことがない。バッティングセンター経験は10回にも満たない。

それなのに、なぜ野球ものの本を読み続けるのか、自分でもよく分からない。

ただ、野球ものの本で描かれるプロとしての姿勢、考え方、生き様、人間模様、その他もろもろが、精神科医として、あるいは病棟医長としての自分にとって参考になる気がするのは確かだ。

選手のことは、よほど有名でもない限り知らないので、こういう本を読んでも、聞いたことのない選手名がたくさん出てくる。当然、面白さも減るし、感情移入もそうできない。そんなわけで、一時は野球ものを断とうとも思ったが、きっと、これからも読むのだと思う。野球に興味を持てないままに……。

野球を読む。

そういう読書、そういう野球とのかかわり方もありなのだ、たぶん。

2017年3月10日

精神科の診察室における「言葉の波長合わせ」について

たとえば、統合失調症の患者が外来で、「霊感的なものが強まった」とか「神の声が聞こえる」とか言ったとする。同席した家族はウンザリ顔で、
「お前がおかしいんだよ! 何も聞こえないんだ! ありえないこと、変なことばかり言って……」
と声を荒げたり苦笑したりする。患者と家族は、いがみ合うような雰囲気になりかける。そこで、診察医として、
「聴こえるのは本当だと思いますよ。ただ、それは僕にも聞こえませんけど。でも、嘘を言われているわわけではないはずです」
と間に入ると、患者は、
「先生だけですよ、分かってくれるのは……」
と言って、時に涙する人もいる。

このままでは治療が進まないので、
「ところで、その霊感的なものが強すぎると、生活がしにくくないですか?」
そう尋ねて、
「まぁ……、そうですねぇ」
と返ってくるようなら、
「その霊感的なものを薬で少し弱めるくらいがちょうど良いかもしれませんよ」
そう声かけすると、わりと納得してもらえる。

「霊感的なものが強いほうが良い」と答えられる場合もある。こういう時は、
「でも、家族に分かってもらえずに、こんな感じで家族とピリピリした感じになってしまうのは辛くないですか?」
ちょっとだけ家族に手伝ってもらうような気持ちで、患者自身と家族に「その人の生きづらさ」みたいなものに目を向けてもらう。

さてここで、患者とのやり取りにおける「言葉の波長合わせ」についてである。患者が「霊感的なもの」と表現した時には、こちらも「霊感的なもの」という言葉を使う。患者が「神の声」と言うなら、こちらも「神の声」、「四次元パワー」なら「四次元パワー」。すごく些細なことだが、面と向かってやり取りする時のこういう「言葉の波長合わせ」は大切である。

この「言葉の波長合わせ」だが、子育てではみんな自然とやっていることである。
「パパ、お星さまがキレイだよ!」
と言われたら、
「ほんとだ、お星さまいっぱいだねぇ」
と返すだろう。普段は「お星さま」なんて言葉は使わないのに、自然と「お星さま」という言葉が出る。まさか「おお、満天の星だね」とは言わないはずだ。
「パパ、お月さまだよ!」
と指さす子には、
「うん、きれいなお月さまだねぇ」
と答え、それから少し新しい言葉を教えようと思ったら、
「ああいう形のお月さまを、三日月、というんだよ」
こんな感じになる。

診察室での「言葉の波長合わせ」とは決して大それたことではなく、上記のような「日常にありふれていること」を、幻覚や妄想や自殺願望など「日常であまり接しないこと」に対してやっているだけなのである。

2017年3月8日

計見初心者は読むべからず! 『現代精神医学批判』


決して読みやすい本ではない。難度の高い内容と、わりと理解しやすい話とが入り混じっている。よほど精神科医療に興味がある人でないと読み通せないだろう。それどころか、精神科医の中にさえ途中で放り出す人がいるかもしれない。なんとなくそんな気がする。

また、読み終えた人の中からも賛否両論が出そうだ。それは本全体に対する賛否ではなく、「ここは賛成だが、この部分には納得いかない」とか「先生のこの考えは好きだが、こういう意見は受け容れられない」とか、そういう形での両論である。

計見先生の本を初めて読むという人にはお勧めしない。

まずは読みやすくて実践的な『急場のリアリティ』から、どうぞ。

2017年3月7日

司馬遼太郎による新選組短編集 『新選組血風録』


『壬生義士伝』の著者・浅田次郎のおかげで(せいで?)、新選組への毛嫌いや食わず嫌いがなおった。しかし、こうなると他の新選組関係の本も読みたくなってしまうのが、俺の読書パターン。そこで、ひとまず安定の(?)司馬遼太郎、それも短編集を読むことにした。内容は、さすが司馬遼太郎、という感じ。ポイントをはずさず飽きさせず、史実と小説を巧みに混ぜ合わせて、面白い読み物に仕上がっている。若者たちの不器用さにクスッと笑えてしまうような場面もあるが、舞台は幕末、新選組、ということで、どの短編でも誰かが死ぬ。悲壮な時代だったということがじわじわ伝わってくる。

新選組についてあれこれ言うほどの知識はないが、きっと人それぞれで好みの人物が違うだろうと思う。俺はというと、実直そうな近藤勇も、飄々とした沖田総司も好きになれず、やたら目端の鋭い土方歳三に魅力を感じる。近藤勇のような上司のもとで、土方歳三のような役割を果たせたらカッコ良いなぁ、なんて憧れてしまうのだ。


<関連>
新選組アレルギーを治療してくれた小説 『壬生義士伝』

2017年3月6日

冬の日のオヤツ遠足

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最後に記念撮影。


※平成29年1月2日撮影。

2017年3月3日

研修医の誤診と、その診療を見逃したことにヒヤリとした話

もともと大酒家の60歳男性が、酒をやめた数日後からボーっとなったということで総合外来を受診。診察した研修医は採血や頭部CTで異常がないことを確認し、「若年性アルツハイマー病」と診断して、治療薬アリセプトを開始した。

これはおそらく誤診で、正確な診断は「アルコール離脱せん妄」だったはずだ。

この患者は、それから半年後に精神科を受診し、そこでこの誤診発覚となった(認知症はなく、重いアルコール依存症だった)。当時の研修医記録と検査結果をみると、頭部CTで脳の委縮はほとんどなく、また研修医はHDS-R(簡易認知症検査)も、箱や時計の描画検査もしていなかった。もしかすると「検査は行なったがカルテ記載をしていなかった」のかもしれないが、カルテに記載していない検査は行なっていないのと同じである。

さて、研修医が誤診したとしても、それは責められるべき話ではない。最大の問題は、この研修医のカルテを「誰もチェックしていなかった」ということだ。通常、研修医の診察の後には、指導医がチェックして「上記カルテを承認した」と書くのだが、今回はそれがなされていなかった。

この原因が「研修医の独断専行」だったのか、「指導医の怠慢」だったのか分からないが、同じ病院で勤務する精神科医としては、ヒヤリとするケースであった。

2017年3月2日

砂場遊び

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たいてい「お店屋さん」をやっている。