2016年7月22日

金も手間もかからない所見から、何らかの異常があるかもしれないと疑える医師になりたい

バセドウ病の中年女性が精神科に紹介されてきた。主訴は「とにかく落ち着かない」。

バセドウ病とは、甲状腺機能が亢進する病気で、過剰な甲状腺ホルモンのせいでいろいろな症状が出る。甲状腺ホルモンは何をしているかというと、幼児期には成長と成熟を促進し(※)、また糖や蛋白質、脂質などの代謝を促進したり熱産生を促したりする。

この甲状腺ホルモンが出過ぎると、基礎代謝が異常に促進され、動悸がしたり汗かきになったり、体重が減少したりする。バセドウ病の眼球突出は有名だが、全例で見られるわけではない。一般に活動的で多弁になり、軽躁状態になることも多い。感情が不安定になり、興奮しやすく怒りっぽい。不安や不眠といった症状が出ることもある。時には妄想、錯乱、せん妄、昏睡といった状態になることもある。甲状腺機能の低下では、概ねこれらと逆の症状を呈し、一見するとうつ状態のようになる。だから、精神科医は初診で甲状腺機能をチェックすることが多い。

さて、紹介されてきた女性はバセドウ病と診断されたばかりで未治療であった。「落ち着かない」というのも当然で、これはバセドウ病治療が進めばすんなり改善するだろうと思われた。とはいえ、その時点での本人の苦痛が大きかったので、セルシンという安定剤を肩に注射し、20分ほどすると落ち着いた。その後も安定剤の内服をしてもらい、このエピソードは大過なく解決した。

敢えて話題として取り上げたのは、彼女のカルテを8ヶ月ほどさかのぼると見えてくるものがあったからだ。実は彼女は8ヶ月前に胃もたれで受診しており、その時には1分間に111回という頻脈であった。翌日に胃カメラを受けており、その直前には141回。その2ヶ月後、今度はピロリ菌検査のための呼気試験を受けに来ているが、その時にも95回と頻脈であった。また、BMIも16台と痩せていた。

こうした病歴と今回のバセドウ病の診断を合わせて考えると、胃もたれの受診時点ですでにバセドウ病を発症していたのかもしれない。3回の受診は、それぞれ異なる医師が対応しており、ここで彼らの見落としを指摘したいわけではない。むしろ、そこでバセドウ病を疑えたらスーパーファインプレーだと思う。なぜなら、主訴は胃もたれであり、胃カメラ直前や検査前の頻脈だからだ。胃もたれのキツさ、胃カメラや検査直前の緊張などで、それなりの説明はつく。あくまでもレトロスペクティブ(後見的)にチェックしてみると、8ヶ月前には発症していたかもしれないと推測できるだけだ。

ただし、自分のこととして、バイタルサインやBMIといった「金も手間もかからない所見」から、「もしかすると……」と甲状腺機能異常を疑うファインプレーができるような医師になりたいな、とは思う。

ちなみに、咳喘息で定期受診している母は、最近手が震えるとか、ちょっと痩せたとかいったことを何気なく主治医に話したところ、甲状腺機能をチェックすることとなりバセドウ病が発見された。そういう医師に憧れる。

以上、甲状腺機能の話も含めて、前回の新患カンファで語った内容である。当科の新患カンファには看護助手、作業療法士、心理士も参加してもらっているので、こういう生理学の基礎的なこともレクチャーすることがある。


※ 幼児期に甲状腺機能が低下していると、発育・知能の遅れが見られ「クレチン症」と診断される。早期に発見されて甲状腺ホルモンを補充されれば、こうした遅れは予防される。

2016年7月21日

ただのハウツー本ではない 『被災ママ812人が作った 子連れ防災手帖』


ただのハウツー本ではない。というより、被災時サバイバルのハウツー本として見るなら、中身はやや貧弱とさえ言える。

本書の醍醐味は、被災ママたちの体験談である。「こういうことに困った」「ああいうことで悩んだ」という実体験を読むことで、被災時サバイバルをイメージしやすくなる。

単なるハウツー本だと、きっと頭に残らないだろうなということでも、実体験をたくさん読むことで記憶に定着する割合は高まる。たった一つの知識で「生死を分ける」まではいかなくとも、些細なストレスから大きなトラブルに発展することを防ぐことができるかもしれない。

シンプルなハウツー本は文庫サイズのものを買って読んで、被災時サバイバルに必要な物を揃えたら、その本と一緒に防災バッグに入れるというのが良い気がする。

2016年7月20日

愛すべきバカ、アメリカ! 『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか』


「リアル・アメリカの伝道師」である町山智浩による「日本人が知らないアメリカを伝える」エッセイ。

あとがきで著者は、こんなことを書いている。
僕が書いているようなヘンテコな話を読んで「アメリカに住んだことがあるが、こんなバカな話は聞いたことがない」などと言う日本人がいたりします。
でも、アメリカに住んで日本に向けて情報を発信する人々は、みんなエリートです。
(中略)
でも僕の周囲にいるのは、(中略)、要するに僕と同類のボンクラなわけです。
だから、テレビで紹介されるような「先進国」「超大国」「オシャレ」「カッコいい」「自由の国」なアメリカではなく、保守的で、根深い差別が存在していて、度を超したバカがいて、科学よりも宗教を優先してしまう風潮が残っている、そんなアメリカが紹介されている。

この人の映画評論も面白いけれど、リアル・アメリカの話も良い。アメリカ幻想を打ち砕きながらも、町山氏自身はアメリカのことが好きなんだろうな。そりゃそうだ、なんだかんだ言いながらも、町山氏はずっとアメリカに住んでいるのだから。アメリカのおバカな側面を伝えながらも、アメリカへの愛情が感じられる一冊。

2016年7月19日

ぼくたちは、自分がいまいるところにいるのだ。動きつづければ、どこか別の場所に行く。それがどこかは、着いたときにわかるのだ。 『いつも上を向いて 超楽観主義者の冒険』


30歳という若さでパーキンソン病を発症したマイケル・J・フォックスの自伝、第2弾。今回は、各章に仕事、政治、信仰、家族というタイトルをつけて、それぞれのテーマに沿った話となっている。

マイケルの症状は進行しているが、ユーモアは健在。フォックス一家の仲良しぶりも微笑ましく、同じ家族を持つ男としては負けていられないぞという気持ちにもなる。

家族の章で、すごく印象的だった話がある。

マイケルが7歳のころ、陸軍軍曹だった父の転勤のために、フォックス一家はカナダの西側にあるブリティッシュ・コロンビアから、東側のオンタリオまで車で旅をすることになった。マイケルの両親、兄、3人の姉、それに大量の荷物を乗せて、3000キロにおよぶ長距離移動だ。途中でホテルに泊まる経済的余裕はなく、毎日キャンプ。マイケルの父は厳しい人だったようで、特に子どもから「まだ着かないの?」と聞かれようものなら、怒りもあらわに、ありとあらゆる罵詈雑言で答えたようだ。

それから30年後の1997年、36歳のマイケルは、8歳の息子サムとアメリカ横断の旅に出た。そして、その途中、ワイオミングの草原を走っている時にサムから「まだ着かないの?」と質問されたのだ。マイケルはどう答えようかと悩む。

怒鳴るべきか? 脅すか? 命令? 地図を出して丁寧に説明する? 

そのどれでもなく、マイケルはこうした。
「パパにもわからないんだよ、サム」
そういいながら、サムがシートからがらんとした高速とは反対側の路肩に降りる手助けをした。
「調べてみよう。もう着いているのかもしれないよ」
マイケルは自分自身について、もともとこんな問いを持っていた。
「パーキンソン病が人生の条件を決定する、そんな引き返せない地点「そこ」にはまだ着かないのだろうか?」
そして旅の途中、「まだ着かないの?」と尋ねる息子に対し、特に意図することなく返した言葉がマイケル自身にも答えを与えてくれた。
ぼくたちは、自分がいまいるところにいるのだ。動きつづければ、どこか別の場所に行く。それがどこかは、着いたときにわかるのだ。
2冊目の自伝ということで、1作目『ラッキーマン』とかぶる話が多いのではないかと思ったが、まったくそんなことはなかった。手抜きせず、真摯に、そしてユーモラスに、自分の身の周りを描いてみせるマイケルに、またしても惚れてしまったのであった。

2016年7月15日

空耳、空目、思い込み

統合失調症の薬「インヴェガ」が発売されて半年か1年ほどの間、一般名「パリペリドン」のことを「バリペリドン」だと思っていた。「パ」を「バ」、つまり半濁音を濁音だと勘違いしていたことになる。製薬会社からもらう資料で何度も目にし、また説明会でも何回となく聞いたはずなのに、俺の目も耳も、そして脳も、「バ」リペリドンを修正することなく日々が過ぎていった。思い込みとは恐ろしいものである。

ある日、指導医Y先生と話していて自らの誤りに気づき、最初に思ったのは、
「なんだか、気の抜けた名前だなぁ」
ということだった。「バリ」と「パリ」では、絶対に「バリ」のほうが強い。二つの言葉を繰り返した「バリバリ」と「パリパリ」を比べてみるとよく分かる。どうして「パリペリドン」なんて気の抜けた名前をつけたのだろうか。自分の勘違いを棚に上げて、薬の一般名にケチをつけようとする。自己正当化とは恐ろしいものである。

人というのは、自分を正当化する生き物である。なぜなら、そうしないと自分の中の何かが崩れそうだったり、胸がザワついたりするからだ。思い込み、勘違い、空耳、空目、幻視、幻聴といったものも正当化されるし、その正当化が非常に頑固・強固になると「妄想」になる。このようにして、パリペリドンとバリペリドンの勘違い話から、強引に妄想の話に持っていこうとする。精神科医ブロガー根性とは、恐ろしいものである。

2016年7月14日

Appleファンが羨ましい 『ジョブズ・ウェイ 世界を変えるリーダーシップ』


アップル・ユーザーでない俺でも、スティーブ・ジョブズについての評判(良いも悪いも含めて)はあちこちで見聞きしている。いくら良い話であっても、アップル製品に心惹かれることなんてなかったのに、この本を読んで、6年以上使っている我が家のノートパソコンを買い換えるならアップルにしようかなぁ……、なんて思うようになった。スマホはXperiaを使っているが、これもiPhoneに少しだけ惹かれてしまう。

そんな気持ちになったのは、アップル・ユーザーにとっては「今さら!?」かもしれないが、ジョブズがハードとOSを同じ会社で作ることにこだわったというのを知ったからだ。俺のXperia Z3 compactは、買った当初から不具合続きで、買って1ヶ月くらいでバイブが作動しなくなり、修理に出したが原因不明。結局、「フロントパネル、基板、バックパネルの交換」となった(それって本体全部じゃね!?)。それから半年もしないうちに、今度は異常発熱する不具合で修理に出し、やはり原因不明で「フロントパネル、基板、バックパネルの交換」になった(それって本体ぜんぶじゃね?って二度言わせんなよ)。

ハードとOSの両方をアップルで開発しているiPhoneならこんなことは起こらないはずだ、なんて理想化するつもりはない。きっとiPhoneの不具合に泣かされたり憤ったりしている人も多いだろう。それに、デザインはともかく、俺にとってわりと大切なボタン配置についてはXperiaのほうに軍配が上がると思っている。

なんだかんだと書いたが、アップルのファンを羨ましく感じるのも事実。ある一つのブランド、それも決して安い商品ではないブランドを愛し、応援し、支える気持ちを持つということは、現代社会において幸せなことなのではなかろうか。一時は俺もソニーが好きだったが、最近では「たとえ完全にはほど遠くても、安くて良いものなら何でもOK」というチープな消費者路線まっしぐらである。俺にとってのアップルみたいな会社、見つからないかなぁ……。

2016年7月13日

残酷な描写が多いので、子ども心に返ったつもりの大人が読むのが吉! 『やせっぽちの死刑執行人』


主人公はワディという町に住む少年ジェベル(具体的には書いていないが15歳くらいかな?)。彼の父は死刑執行人で、毎日のように斧で罪人の首を切り落としている。とはいえ、罪はほとんどが微罪。ワディには刑務所がなく、奴隷が主人に逆らったというだけで死刑になってしまうし、みんなそれが当然だと思っているのだ。

ワディでは死刑執行人は町長の次に崇拝される名誉ある職業で、そして彼の父はカリスマ的な人気を誇っている。その一方で、教師や商人といった職業は見下されている。またワディでは、奴隷には人格も尊厳もないと考えられている。そんな環境で育ったジェベルは、環境にきちんと適応した(つまり現代の感覚からすればゲスな)考えを持つ少年である。

そんな彼が、どのような冒険をして、どういう人間になっていくのか。あくまでも児童書なので大雑把な結論は見えているのだけれど、それでも飽きさせないのはさすがダレン・シャン。

『ダレン・シャン』で一躍有名になったダレン・シャンは、9・11テロからインスパイアされて本書を書いたそうだ……、って、あれ? 本書に出てくる悪者に、ブッシュとブレアという二人組がいるんだけれど、つまりそういうこと……!?

宗教、国家、民族、死刑制度、男女など、多くの要素をちりばめて考えさせられるような本だったが、自分の子どもに読ませたいかと言われると……、ちょっと残酷な描写が多すぎてダメ。大人が子ども心に返ったつもりで読むのが吉。

2016年7月12日

これが9・11後のアメリカにおけるセキュリティの現実なのか…… 『プロファイリング・ビジネス 米国「諜報産業」の最強戦略』


これはSFではない。現実の話である。

2001年9月11日、誰も想像しなかったようなアメリカでの大規模テロが起こった。その日を境に、アメリカはコンピュータによる監視社会への道を突き進む。

セキュリティを高めるために人物を確認する技術はどんどん進歩した。その中でも顔の画像や体の動きで人を認識するような技術は、空港や街中にある監視カメラに応用され、不審人物がいないか常にチェックしている。

ところが、たとえこの技術が完璧であったとしても、照会されるデータベースが不完全では意味がない。それどころか、データの間違いで無実の人がテロリストや重罪犯として誤認逮捕されたり、無用の尋問や取り調べを受けたり、空港で足止めを食らったりする事例が実際に少なからず起こった。こうした状況について、
「テロや犯罪に巻き込まれる恐怖より、政府から監視される安全のほうが良い」
そう考えるアメリカ国民も多いようだ。もちろん、監視体制に反対する人たちも多い。本書は10年ほど前の本だが、おそらく現在も監視強化の賛成派と反対派は火花を散らしているだろう。

本書が著された10年前でさえ、これほどの技術が、こんなにも幅広く用いられているのかと驚くほどなので、今現在は凄いことになっているのではなかろうか。そして、それほどに強まった監視体制があってさえ、先日のフロリダ銃乱射事件が防げなかったことを思うと、この殺伐としたイタチごっこには寒々としたものを感じてしまう。

このような状況に陥るのに、9・11のテロが少しでも影響を与えたのだとしたら、それは「アメリカ人を少しでも不幸にしてやる」というテロリストの思惑が成功したと言えるのではなかろうか……。

2016年7月11日

面白みのない食育なんかより効果的! 『おいしいハンバーガーのこわい話』


『ファストフードが世界を食いつくす』の著者が、前著をよりシンプルにして、10代の若者向けに書き直した本。とはいえ、内容は決して薄くなっておらず、我が子が10代であれば迷わず勧めて読ませたいと思うものだった。

世界的な大企業マクドナルドだが、最近の日本ではやや低迷している。キッカケは中国産のナゲット事件だった。そこから中国産食品の気持ち悪くなるような実態が、テレビやネットで一気に取り上げられた。当時はニュースを見ながら、中国の衛生観念のなさに呆れかえったものだが、前著と本書を読めば、あのナゲット事件の根っこには、中国の衛生観念のなさ以外にも、「精肉加工労働者の重労働と低賃金」という問題があるのだと分かる(ただし、中国の場合、それだけではないような気もするが……)。

肉の不衛生さは、なにも中国に限った話ではない。特にアメリカでは、肉の消費量がトンデモなく多いので、それに間に合うように、もの凄く多くの牛や鶏を殺し、そして解体・精肉しなければならない。牛の解体は流れ作業で役割が決まっており、1日1万回も同じ動きでナイフを振るう人もいるそうだ。当然、関節の故障も多いし、刃物によるケガも多い。死亡事故もある。そうした危険と常に隣り合わせで働いているにもかかわらず、低賃金。そりゃ「やってられねぇ」という気持ちにもなるというものだ。

こうした実情をちょっと刺激的に分かりやすく解説してくれる本書のほうが、あまり面白みのない食育なんかより効果的なんじゃないのかな。

2016年7月8日

「津波てんでんこ」と同じように、アルコール依存症には「アルコールてんでんこ」

アルコール依存の治療は、厳格な断酒からソフトな節酒に移行しているという話があるが、果たしてそれは患者にとって「優しい」治療だろうか。

アルコール依存症の人は「もともと酒が上手でない人」。そんなことを中井久夫先生が書いていた。そういう人に「適切に飲む」ことを期待するのは酷であり、断酒以上に本人と治療者への負担が大きいのではなかろうか。

東北には「津波てんでんこ」という標語がある。これは「津波が来たら、取るものも取りあえず、肉親にもかまわずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」という意味らしい。また「自分は助かり、他人を助けられなかったとしても、決してそれを非難しない」という不文律でもあるそうだ。

そこで、アルコール依存症の当事者、家族、治療者には「アルコールてんでんこ」という標語を推したい。当事者は、とにかくアルコールから逃げる。同時に家族も、「当事者による生活破壊・破綻」から逃げる。当事者にいわゆる「底つき体験」を味わわせたとしても、家族が罪悪感を抱く必要はないし、治療者は家族に罪の意識を抱かせないよう配慮する。

酒というモンスターから逃げる時には、「一目散に脇目も振らず」に限る。ソフトな節酒というのは、時どき振り返りながら逃げるようなもので、その姿には「追いつかれてヤられるフラグ」がビンビンと立っている。

2016年7月7日

戦争は過去形ではなく、いつも現在進行形 『ぼくの村は戦場だった。』


2012年、シリアでの取材中に政府軍の銃撃によって命を落としたジャーナリスト、山本美香によるルポタージュ。

女性で戦場取材に出かけるのは凄いことだと思う。男女差別というわけではなく、たいていの軍隊は男性中心で、まして前線ともなるとほとんど男である。そこに飛び込む女性には、トイレや入浴、着替え、性被害など、いろいろな面で不安がつきまとう。そういう不安に加えて、常に命の危険があるわけで、神経がすり減ってしまいそうだ。

そんな心身の疲労が蓄積して、あと少し早くリタイアしていれば死なずに済んだのかも……、というのは部外者が考えるだけで、きっと本人には知りたいこと、伝えたいことがまだまだたくさんあって、リタイアなんてとんでもないという感じだったのかもしれない……。

山本さん、あなたが亡くなってから、シリアはますますひどいことになっているようです。いや、シリアだけでなく、どこもかしこも内戦・内紛だらけ。また、あなたがイラクで見て記録したアメリカ軍の横暴は、日本人があまり知らない事実ですが、そんなアメリカでは大統領選でドナルド・トランプという仰天候補が人気を集めています。こんな現在の世界を、あなたがどう捉えて、どう発信するのか、読んでみたかった。あなたが亡くなった当時、あまりあなたのことを知らず、大して気にも留めなかったけれど、今こうして本を読んでみて、日本にとって惜しい報道人を喪ったのだなと実感しています。

2016年7月6日

亡くなった人の見送りかただけでなく、自分の見送られかたまで考えさせられる 『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』


泣きながら読んだ。

通夜や葬式、火葬場の様子が簡潔ではあるが巧みに描かれていて、
「そうそう、じいちゃんが亡くなった時もこんな感じだったよなぁ」
なんて思い出して、泣けてしまった。

著者は母の遺骨を食べたいと思うのだが、実は俺も遺骨を食ってやろうかとチラッと考えたのだった。祖父には文字通り「目に入れても痛くない」くらいに可愛がられたのだから、きっと俺から食われても痛くなかろう、みたいな。

さすがに周囲がドン引きするだろうから食べなかったけれど。

俺の母も妻の母も、年齢的には体に多少の不具合があるのは当然で、病院で働く俺から見れば今のところ元気ぴんぴんだ。でも、今後は分からない。人の病気や死は、突然にやってくる。それは、祖父の脳出血によるポックリ逝去で痛いほど身にしみている。

そして、今はまだ「見送る側」としてばかり考えてしまうけれど、いつか「見送られる側」にもなる。その時に、家族から「遺骨を食べたい」と思ってもらえるような生き方をしよう。そんな変なことを考えてしまった。


ちなみに、この作者の本を読んでみようと思ったキッカケはこちら。
【漫画】情熱大陸への執拗な情熱

2016年7月5日

お尻に乾電池を入れた人の話がツボにはまるエッセイ集 『のはなし』


一人暮らしをしている若い男性。暇を持てあました時に目についたのが乾電池。
「これ、お尻に入るかな?」
ズボンとパンツを脱いで実際にやってみると、なかなかにフィットする、と思った瞬間、シュッとお尻の中に入ってしまった。焦った青年は、手を変え品を変え電池を出そうとした。
そうこうするうちに、片足を机に乗せてリラックスすると電池が降りてくることが分かった。ただ手で掴もうとすると、スルリとお尻の中に逃げていく。
こうなれば持久戦だとばかりに、机に片足を乗せて目を閉じて全身脱力していると、ようやく電池がコロンと出てきた。ホッとした青年が目を開けると、そこには青ざめた彼女が立っていた。ドン引きした彼女に対し、青年は精一杯の言い訳。

「……今まで黙ってたけど、俺……、本当はロボットなんだ」


本書は伊集院光によるエッセイ。各エッセイのタイトルが「あいうえお」順になっており、『「あそこが痒い」の話』で始まり、「い」では『「命懸け」の話』といった具合になっている。

いずれも短い文章で、それぞれ数分で読み終わる。中でも、本気で腹を抱えて笑った話が冒頭のもの。もとは谷村新司が持ちネタにしていたものらしいが、そんなくだらない話がオンパレードな、肩の力の抜けたエッセイ集。息抜きにどうぞ。

2016年7月1日

日本と隣国との関係に限らず、あらゆることに応用のきく考え方を教えてくれる 『つきあい方の科学 バクテリアから国際関係まで』

「囚人のジレンマ」をご存じだろうか?

2人の共犯者が囚われているとする。検察が、それぞれの囚人に対して別々に、
「仲間を売って罪を認めれば、お前の刑を軽くしよう」
という取り引きをもちかる。ただし、条件は以下のとおり。

1.2人とも黙秘を貫けば、それぞれ懲役2年ずつ。
2.2人とも裏切って自白すれば、懲役はともに5年。
3.1人だけが裏切り、もう1人が黙秘したら、裏切ったほうは釈放、黙秘したほうは懲役8年。

さて、あなたが囚人だった場合、どうするだろう?

相手が黙秘すると考えれば、こちらは自白するのが一番得だ。でも、きっと相手も同じことを考えているだろうし、そうなると「2人とも自白」になるから懲役5年か……。それなら、こちらが黙秘を貫いたらどうだろう? 相手も黙秘してくれたら2年ずつで済むが、もし相手が自白を選んだら自分だけ8年も懲役になってしまう……。だったら、いっそのこと「2人とも自白」の懲役5年を受けるほうがマシか……。

客観的に、2人の懲役年数を合計すれば、2人とも黙秘だと4年、片方が自白で8年、両方自白で10年になる。ということは、2人で黙秘するのが一番良いはずだ。ところが当事者になると、そうは考えられなくなる。


この囚人のジレンマを、互いに高得点を狙うゲームにして、コンピュータにシミュレーションさせたのが著者の画期的な業績である。このゲームは、例えば「両者が協力」で5点ずつ、「裏切りと協調」では裏切りに7点、協調に1点、「裏切りと裏切り」で1点ずつといった具合に設定される。そして、専門家が「協調と裏切りを一定のパターンでとる」プログラムを持ち寄って、プログラム同士を総当たりのリーグ戦で競わせ、合計点数で勝敗を決めるのだ。

その結果、「しっぺ返し」というプログラムが最も好成績だった。これは、
「相手が裏切るまでは協調する。相手が裏切ったら、こちらも裏切ることで報復する。ただし、報復は1回だけ」
というプログラムである。

勝負の結果が面白い。

「しっぺ返し」のプログラムは、それぞれの試合では一度も勝てなかったのに、全試合での合計得点では1位になったのだ。「裏切り続ける」あるいは「協調に重点を置きすぎる」プログラムは、勝負ごとに見れば勝ったり負けたりだが、全体としては良い成績を残せなかった。

副題に「バクテリアから国際関係まで」とあるが、確かにこれは日本と隣国たちにも当てはまりそうだ。裏切りばかりを繰り返す国に対して、日本は協調を重視しすぎてはいないか? きっちりと報復したほうが良いのではないか? ただし、1回だけ。

そして、裏切る国のほうとしても、この本をしっかり読むべきではないか? たとえ日本との勝負に勝てたとしても、身についた裏切り路線は総合得点によって淘汰される運命にあるのだから。

初版は1998年。古典とまではいかないにしても、やや古い時代に書かれた本である。にも関わらず、まったく古さを感じさせない中身であった。非常に考えることの多い、お勧めの本である。