2016年4月27日

旅行好き、人間観察好き(それもかなり本格的な)、ユーモア好きにはお勧め! 『裸の眼 マン・ウォッチングの旅』


著者の『裸の猿』が面白かったので、本書を購入。

驚いたのは、世界的に大ベストセラーになった『裸の猿』が、なんとわずか一ヶ月で書かれていたということ。著者はそうして得た大金をちまちま使うのは良くないと考え、妻子を連れて本国イギリスを飛び出し、マルタ島に家を買い、そこに6年ほど滞在する。なんと破天荒で、なんとカッコ良い生き方!!

本書はデズモンド・モリスによる滞在記・旅行記であると同時に、動物学者としての彼の人間観察や考察がチラホラと入る。世界中あちこちの話の中に、日本で3週間を過ごした時のことも一章を用いて書いてある。

全体を通してイギリス風のユーモアに満ちており、何度となくプッと吹き出した。旅行好き、人間観察好き(それもかなり本格的な)、ユーモア好きにはお勧めの本である。

2016年4月26日

これは書評というより、本の取扱いに関する愚痴と考察 『仕事は6倍速で回せ!』


朝の1時間ちょっとで斜め読み。

賛同できるところもあれば、そうでないところもあった。また、参考になるところもあったが、どうでもいいようなところもあった。

それはさておき、古本で手に入れた本書で面白かったのが、中盤で読書術について、
「参考になるページの端を折っておけば、あとで見直す時に探しやすい」
というアドバイスがあり、それ以降から時々ページが折ってあったこと。元の持ち主はすごく素直な性格の人だったようだ。

ただし、古本として売るのならば、そうやってページを折り曲げるような行為はやめて欲しい。以前、古本の小説でほぼ全てのページの端が折ってあり、元の持ち主はなんて細切れに読む人だったのだと呆れてしまったことがある。

書物を愛し、書物そのものに敬意を抱く俺としては、ページを曲げたり汚したりするような粗雑な扱いをしておいて、それを売るなんてとんでもないことだと思う。ただ、ふと想像すると、もしかして元の持ち主は売るつもりなどなかったのに、病気や事故で他界して、遺族が一括で古本屋へ持ち込むということもあるのかもしれない。そういえば、ブックオフ社員時代には、確かにそういう様子の人たちを接客した記憶もある。

たかが本、されど本。

一冊の本には、内容ではなく本そのものが持つ独自の物語があるのだろう。

2016年4月22日

泣いて笑ってホームレス

ホームレスのゲンさんと過ごしたのは一ヶ月くらいだったろうか。

当時、俺は福岡の大学に通う学生だった。一眼レフのカメラにはまっていて、フォトジャーナリストを目指していた。アフガニスタンなどの写真を撮って活躍していたカメラマンの長倉洋海に憧れていた時期でもある。フォトジャーナリストへの第一歩として、まずはホームレスの生活に密着し、写真を撮らせてもらおう。そんな、軽い考えだった。

正直に言おう。ホームレス生活など、一週間ももたない。俺がホームレス生活をしたのは、せいぜい三日。あとは自分の家に帰り、シャワーを浴び、暖かい布団で眠った。冬だったのだ。寒くてたまらなかった。フォトジャーナリストを目指すとは言ったものの、段ボールで生活するほどの気概もない、半端者だったのだ。なるべく密着、それで一ヶ月間。それが、俺の限界だった。

ゲンさんは、愛想が良かった。酒の飲めないゲンさんは、酒なんか飲まなくても表情が柔らかな人だった。だから、俺はまず取っ掛かりとしてゲンさんを選んだ。ゲンさんは二つ返事で肩を組んでくれた。俺の服は汚れた。

ゲンさんは、犬を飼っていた。薄黄色の短い毛並みの子犬だった。近くで拾ってきたらしい。ケンと名付けられた仔犬は、人なつこかった。ゲンさんの犬がケン。ネーミングセンスには苦笑した。

ケンはカメラが好きだった。というより、シャッター音がケンのツボにはまったのだろう。ゲンさんの写真を撮ると、ケンがカメラに飛びつく。笑いながらゲンさんがケンを抱きかかえる。シャッターを切ると、ケンが嬉しそうにゲンさんの腕を飛び出して、俺のカメラに飛び掛ってくる。ゲンさんが歯の欠けた笑顔で言う。
「家なしのケンを、弟子にしてあげてよ」
ケンは、汚い舌で俺とカメラを舐めまくっていた。

俺がケンにお菓子を買っていくと、
「ダメばい、人間も犬も、甘やかしたらダメになっけん」
そう言って、ゲンさんは俺からお菓子を取り上げた。そして、次のセリフは決まってこうだ。
「ばってん、甘えることを知らんちゅうとも、可哀そかけんね」
そして嬉しそうにケンにお菓子を与えるのだった。俺は、ゲンさんセコい、と何度も思った。

ところで、ホームレス生活者には、犬を飼う人が多い。猫を飼う人はあまりいない。路上で生きる寂しさは、猫では紛れないのかもしれない。たくましく生きているように見えても、寂しさを抱えていない人は、皆無だ。

いや、そういえば、一人だけ、ツヤ子さんがいた。ツヤさんはホームレス生活にまったく寂しさを感じていないように見えた。ツヤさんにとっては、道行く人全員が親戚のようなものだった。目の前を通り過ぎていく人たちに、「行ってらっしゃい」と声をかけ、「お帰りなさい」と一日を労う。そんなツヤさんは、博多駅では『挨拶バァサン』として気味悪がられてはいた。それと同時に、通行人の表情、特に帰宅時間帯の彼らの顔には、うっすらと安心感のようなものが漂っていた。都会に住む人は誰だって、ほんの少しの孤独を抱えている。薄気味悪い挨拶だって、毎日続けば、灯台の明かりのようなものになるのかもしれない。自分は今日も、無事に帰ってきた、と。

ツヤさんとゲンさんは、仲が悪かった。七十歳近いツヤさんと、五十歳前後のゲンさん。仲の悪さの原因は分からない。長年の確執というやつだろうか。とにかく、ツヤさんはゲンさんにだけは挨拶をしないし、ゲンさんも、ツヤさんの前を通る時だけは表情が固かった。

ゲンさんからは色々なことを教わった。美味しい残飯のある場所。高級料理店のエビマヨ、の残飯。フグの刺身、の残り。柔らかいらしい、牛肉ステーキのかけら。もちろん、俺は食べなかったけれど。目の前でカップルがセックスする公園の茂み。当然、俺は目を皿のようにした。いかな寒空の下でも、そういう場では人間は寒さを忘れてしまうようだ。行為に及ぶ者たちはもちろん、行為を覗き見る者たちも。

それから、ゲンさんが連れて行ってくれたのは、博多駅から出てすぐの、隅の隅。駅ビルのゴミが集められる場所。そこで、ゲンさんは言った。
「おぃはさぁ、赤ん坊の時、ここに捨てられとぉたとよ」
明るい声で、軽い調子で、ゲンさんは言った。
「おいはね、どげんこつあっても泣かんとよ。泣いたら負けやもん。乞食やらこげんなっても、泣き顔みせん。そぃが、博多もんっちゅう気持ちはあるたいな」
目で笑い続けるゲンさんの欠けた歯の隙間から、寂しさと哀しさがこぼれてくるような気がした。

犬のケンが死んだ。いや、死んだのではなく、蹴り殺されたのだ。酔っ払いの若者だった。俺はその現場を、目の前で見ていた。五人組の若者のうちの一人が、何か叫びながら、ケンを蹴った。俺はちょうどカメラの手入れをしていた。ケンは本当に、キャインキャインと鳴いて、それから少し吐いた。蹴った男の仲間たちは、
「お前、なんしよぅとや」
と、口々に蹴った男を諌めていた。蹴った男は、酔った口調で、
「こいつが、チョロチョロしとぅけん、あっち行けぇて言うただけたぃ」
と言っていた。俺は、そいつを殴りたかったけれど、ただ震えて座っていた。顔を赤くしたゲンさんが段ボールテントから出てきた。修羅場になるところだったが、五人組は素早く帰っていた。あとには、俺と、傷ついた仔犬と、ゲンさんしかいなかった。翌日、俺はケンに牛乳とお菓子を買って行った。でも、ケンは埋葬されていた。ゲンさんは、どういうわけか、俺につかみ掛かって、
「お前やろがっ、お前やろぅがぁ」
怒った表情でそう言った。俺は言葉が出なかった。ゲンさんはすぐに正気になって、俺に謝った。

俺は、ゲンさんのところに行きにくくなった。博多駅近辺を歩いていてゲンさんに会うと挨拶くらいはする。しかし、それだけ。なんとも言えない、気持ちの悪い薄い膜が、俺とゲンさんの間にあった。

俺は半分は仕方なく、半分は自然の成り行きでツヤさんと仲良くなった。それで、ツヤさんと一緒に通行人に「行ってらっしゃい」と笑い、毎夕、「お帰りなさい」と声をかけてみた。俺の形だけの挨拶に比べて、ツヤさんの言葉には暖かさがあった。心がこもっている、という言い方はありきたりだけれど、ツヤさんに「行ってらっしゃい」と言われた人は心もち背筋が伸びていたし、「お帰りなさい」と言われた人はネクタイを緩めていた。

ゲンさんと離れ、ツヤさんの挨拶に暖かさを感じ、俺は、ホームレス密着が嫌になった。

俺が、ホームレス密着をやめるとツヤさんに告げた日。ツヤさんが、ぽつりぽつりと話してくれた。それは、彼女がまだ若い頃の話だった。ツヤさんは、子どもを捨てていた。正確には、物心のついた男の子を、置き去りにしたらしい。
「ちょっと待っとき、母ちゃん、すぐ戻るけん。そげん言うて、逃げたとさぁ」
ツヤさんは、脂ぎった髪の毛を撫でながら、そう言って笑った。
「あんちゃんは、絶対にそげんことしたらいかんよ。一生、一生」
ツヤさんは言葉を詰まらせ、押し出すように言った。
「そげんことしたらね、一生、泣けんよ。一生、泣かれんよ。泣く資格のあるもんかい」
ツヤさんは、また、笑った。

実はゲンさんとツヤさんは生き別れた……、なんて、そんなドラマチックなエンディングはない。ゲンさんとツヤさんは、決して親子ではないだろう。ゲンさんは赤ん坊の時に捨てられたのだし、ツヤさんは物心ついた男の子を置き去りにしたのだから。だけれどもきっと、二人は互いに知っていたのだ。彼は捨てられた側、彼女は捨てた側、ということを。だから、仲が悪かったのだろう。いや、仲が悪かったということではなく、互いにかける言葉がなかったのだ。だって、そうじゃないか。捨てられた子から、捨てた母へ、捨てた母から、捨てられた子へ。いったいどんな言葉がかけられるっていうのだ。

ツヤさんは、俺が大学を卒業する前に亡くなった。彼女には俺の電話番号を渡していた。それを見た役所の人が連絡をくれた。それで俺も葬式に出席した。ちっぽけな、みすぼらしい葬式で、出席者も少なかった。

火葬場で、懐かしい顔を見た。ほとんど誰も泣いていない中で、号泣しているゲンさんだった。どんなことがあっても泣かないと笑って話したゲンさんが、人目もはばからずに、鼻水まで垂らしてわぁわぁと泣いていた。そんなゲンさんを見ながら俺は、自分に泣く資格なんかあるもんかと言った、そんなツヤさんの笑顔を思い出していた。

よかったね、ツヤさん。ようやく、ツヤさんも泣けるよ。思いっきり、泣いて良いんだよ。

俺は、泣きながら、笑った。

2016年4月20日

生物が誕生してから30億年の記憶を受け継ぎ続ける少女エマノンの物語 『ゆきずりエマノン』


今回も楽しく読ませてもらった。

生物が誕生してから30億年の記憶を受け継ぎ続ける少女エマノンを中心とした物語。エマノンというのは「No Name」を逆から読んだもので、名前になんて意味はないという感じだ。

エマノンが子どもを生むとどうなるか。それは本書ではなく、別のエマノンシリーズの中にあるのだが……、ここで書くとネタバレになるのでやめておこう。

とにかくエマノンシリーズは面白く、そしてまだちょっとずつ新作が出ている。今のところ単行本しかないので、文庫化されるまで楽しみに待とうと思う。

2016年4月19日

「今この瞬間を大切にして愛そう」 そんな気持ちを呼び起こしてくれる 『死ぬまでに知っておきたい 人生の5つの秘密』


すごくシンプルで、5つの秘密はどこかで聞いたことがあるようなものばかり。それは著者も認めている。しかし、それでも何故か魅力を感じてしまう内容だった。おそらく、著者自身が考え出した「秘密」ではなく、200人以上の「尊敬される高齢者」へのインタビューから得られた結果をまとめたものだからだろう。

本書を読んで、一番強く感じたのは「今この瞬間を大切にして愛そう」ということ。なんだそんなことか、と思われそうだが、「そんなこと」を実際にやれている人がどれくらいいるだろう。仕事している時、子どもと遊んでいる時、妻と会話している時。すべての「今この瞬間」を大切にしているか、愛せているか。

そういう気持ちを呼び起こしてくれた本書に感謝。

いつかまた読めるように、手もとに置いておくことにした。

2016年4月18日

我が家のリビングに梁を利用してブランコを設置した

リビングの梁を利用してブランコ設置。長女サクラも次女ユウも大喜び。ところが取り合いのケンカが勃発。特に次女は他の遊びをしていても、長女がブランコを始めると自分も乗りたがる。今朝も長女からブランコを奪おうとして長女をツネり、二人して泣き出した。見るに見かねて次女を引き離した。

「ユウちゃんのほうが後だったでしょ。お姉ちゃんが先に遊んでいたんだよ」

そう諭すもグズってダメ。それを見ていた長女サクラ、

「ユウちゃんブランコしていいよ」

「いいよいいよ、サクラが先に遊んでいたんだから、サクラが使って良いんだよ」

「いいよユウちゃん、サクラね、バイクのほうが楽しいと思って」

そう言って室内用の三輪車にまたがった。ついさっきまでの泣き顔の片鱗も見せず笑顔。あまりのけなげさに、朝から愛しさ全開。これからの人生の荒波を、この優しさで切り抜けていけるのだろうかと不安になったり、この優しささえあれば回りに助けてくれる人が集まるはずだと考えたり。

我が家では、たとえケンカになっても同じオモチャは買わないという方針で、取り合いも譲り合いも兄弟姉妹がいるからこその教育だと考えている。

しかし、実はブランコについてはもう一つ設置予定。これは取り合いを避ける目的ではなく、単にブランコの高さ設定の問題と、二人でブランコに乗る姿を見たいから。

ブランコを設置したいとアイデアを出した妻にも感謝。

我が家は今日も順風満帆!


買ったブランコはこれ。
近所のホームセンターでロープを買い足しての設置となった。

原書は面白そうだが、翻訳がちょっと残念…… 『日常生活に潜むゲーム理論』


ゲーム理論といっても、テレビゲームではなく、「囚人のジレンマ」とか「共有地の悲劇」とか、そういう類いのものである。と書いてみたものの、これらにしても見たことも聞いたこともないという人は多いだろう。どちらもWikipediaにあったので、それを貼っておく。
囚人のジレンマ
共有地の悲劇

本書の著者はユーモアセンスにあふれていて、ちょいちょいプッと吹き出すようなところがあった。きっと原書はすごく面白いのだろうと思う。しかし、邦訳が残念。すごく残念。この翻訳家の名前をググってみたら、翻訳に難点が多いというコメントがチラホラ。近年、洋書の翻訳版を読むことが増えて、翻訳家によってこちらの理解はぜんぜん違ってくるということを実感することが多い。

巻末の原注なども充実した良書であるだけに、ちょっと勿体ない気がした。この翻訳家は他にも目をひくタイトルの本を出しているだけに、今後の地雷として気をつけておこうと思う。

2016年4月14日

高校生の姉を強姦殺人されるという辛すぎる設定がキツイ 『悪党』


主人公の修二が中学3年生の時、17歳の姉のゆかりが強姦殺人の被害者になる。3人の加害者はいずれも未成年であった。

薬丸岳の小説では定番と言って良いような設定である。読み進めながら、なんだかデジャブを感じたので調べたら、タッキー主演でテレビドラマ化されていて、それを妻と二人で観たのだった。そういうわけで、ドラマの筋をなぞる感じでの読書となり、少々シラケてしまった。

小説としては充分に良かったと思う。薬丸岳の小説を読むたびに、自分の家族がくれぐれも犯罪被害者になりませんようにと願ってしまう。辛い小説が多すぎる。

2016年4月13日

韓国や中国のトンデモ話に飽きたら、たまには大国アメリカの噴飯話をどうぞ! 『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』


タイトルの通り、ニューヨークの場所を知らないアメリカ人は多いらしい。日本で言えば東京の場所を知らないようなものだろうか。そんな人、日本にどれくらいいるのだろう? 日本に原爆を落としたのがアメリカだということを知らない人たちもいるらしい。ベトナム戦争でアメリカは勝ったと思っている人たちも多いそうだ。

アメリカには「反知性主義」とか「科学よりも宗教」とか、そういう考えを根強く持っている人たちがいるようだ。現在の大統領候補の一人であるドナルド・トランプ氏がやたら人気なのも、こういうアメリカの負の部分、愚かな面が如実に出ているからなのかもしれない。

韓国や中国のトンデモ話に飽きた人たち、たまには大国アメリカの噴飯話もどうぞ。

2016年4月12日

生き残る確率を少しでも上げたければ読みなさい。そう勧められた時に、実際に読むかどうか。それもまた、「生き残る判断、生き残れない行動」の試金石である 『生き残る判断 生き残れない行動』


タイトルはサバイバルのハウツー本みたいだが、中身はまったくそんなことはない。多くの被災者、専門家へのインタビューを重ね、また著者自らもいろいろな訓練体験を受けて、被災時の人間心理や行動を読み解こうとする、非常に啓蒙的で素晴らしい本。

いざ被災した時には、もちろんハウツー本の知識は有効である。それは本書でも繰り返し語られている。「知っているかどうか」の差は、平時においては些細でも、緊急時にはとんでもなく大きくなる。それこそ生死を分けるほどに。

自分も以前は、飛行機に乗る時には安全のしおりを読んで脱出口を確認し、またホテルに泊まる時も非常口を確認するようにしていたのだが、ここ最近は怠けていた。本書を読んで、改めてそういう備えをきちんとしておこうと思わされた。

何も起こっていない段階で「こころの備え」をしておくことを説く本書は、緊急時のハウツー本ではなく、平時のハウツー本と言えるかもしれない。分かりやすくてためになるので、多くの人が読んでおくべきであろう。

こうやって勧められた時に、実際に読むかどうか。

それもまた、「生き残る判断、生き残れない行動」の試金石である。

2016年4月11日

動物学者の目で観察された人間の行動をまとめた本を読んだ精神科医が見た乙武騒動 『マン・ウォッチング』

『五体不満足』で有名な乙武氏が不倫していた。

乙武氏の不倫を知り批難したくなる気持ちは、ひ弱な人類が生存競争で勝ち抜くために身につけた「社会性」が根源にある。人類が生き残るため、本能的に容認されない行動を批難することは至って自然なことである。こうした「批難される行動」は、宗教や文化に根づくうちに「倫理」と名付けられた。そしてそれ故に、乙武氏を責める人たちに対して、
「お前はそんなに倫理的で高尚な人間なのか!?」
といった妙なかばい方をする人も出ることになった。だが、上記したように、乙武氏を批難したくなるのは自らが倫理的で高尚だからではなく、それがヒトの本能なのだ。

いっぽう、乙武氏が世間に向かって謝ることは自然なのかどうか。これはヒトとしてではなく、ヒトも含めた「動物」として自然なことである。動物が同種同士で争う場合、不利な立場、負けが確実な状況になると、それ以上の攻撃を受けないようなシグナルを発する。ヒトの場合、それが言葉や表情での謝罪になる。また、動物の多くは敗者のシグナルを受けると、勝者はそれ以上の攻撃性を発揮しなくなる。

改めてまとめる。

不倫した個体を集団で攻撃するのは動物の中でもヒトくらいだが、それはヒトが身につけた生存のための武器である「社会性」が根源にある。また、負けを感じた側が敗者のポーズをとること、負けのシグナルを受けた勝者側が攻撃をやめたくなることは、多くの動物で共通していることである。

これらは、デズモンド・モリスの『裸のサル』と『マン・ウォッチング』を読んで得た着想(というほど大げさでもないが)である。

デズモンド・モリスが1ヶ月で書いた世界的なベストセラー『裸のサル』は確かに面白かった。本書は人間の行動をもっと学問的に詳細に観察・分類・考察したもので、『裸のサル』に比べるとエンタテイメント性が低く、難解でこそないものの、より学術的な仕上がりになっている。

よくぞここまで観察・分類したものだと感心するくらい、人間の行動を多岐にわたって記述してある。精神科医として患者を(そして時にスタッフをも)観察するのが仕事である自分にとって、本書は良い刺激になった。

先に述べたように、エンタテイメント性はかなり低いので、息抜き読書としてはあまり勧められない。よほど興味のある人向け。

2016年4月8日

絆創膏を貼ると、傷の治る過程が目に見えない。これは身体の場合だけでなく、心の場合でも似たようなところがあるはずだ 『心の絆創膏‏とアンパンマン』

絆創膏を貼ると、傷の治る過程が目に見えない。これは身体だけでなく、心でも似たようなところがあるはずだ。

ある日、長女サクラが転んで膝にケガをした。サクラは臆病なので、ちょっとしたケガでも絆創膏を貼りたがる。アンパンマンの絆創膏を貼って数日もすると、その絆創膏は端っこがめくれ始めた。風呂に入るたびにどんどんはがれていく。それでも、サクラは絆創膏をはがしたがらない。結局、途中で数回の貼り替えをしながら2週間以上は貼っていた。

ある日、絆創膏がポロリとはがれてしまい、サクラは恐慌状態に陥ってしまった。膝に傷跡はなく、3歳児の健康な皮膚が光っていた。触ろうとするとサクラが嫌がるので、半ば強引にさすって、
「ほら、痛くないでしょ?」
と元気づけるが、
「痛いーっ! 痛い!」
と泣き叫ぶ。

何度となく「治っているよ、見てごらん」と諭すのだが、見ることすら「イヤだイヤだ」の連呼で拒否してどうしようもない。ふと思いついて、
「もしかして、ケガが見えちゃうのが怖いのかな?」
と聞いてみると、少し落ち着いて、うん、と頷いた。そこで油性ペンを持ってきて、
「ここにアンパンマンを描いてあげようか」
そう言うと、安堵しつつ嬉しそうに膝を差し出してきた。当然、痛がることもない。

膝に描いたアンパンマンは日に日に薄れていく。そんな薄れたアンパンマンを見せながら、サクラは得意げにこう言うのだ。
「ほらなおった! なおっていってるよ! もういたくないよ!」
その姿に愛おしさを感じると同時に、精神科で出会う人たちの心の痛みもこんなものなのかもしれないと思った。

ひどく傷ついた心には、誰かが絆創膏を貼ってあげる必要がある。ただ、それだけだと、治っていく過程が見えない。うちの長女サクラのように、とっくに治っているのに痛く感じたり、そこに目を向けることさえ怖いと感じたり、そういうことがあるかもしれない。だから、適切な時期に絆創膏をはがしてあげるのが大切で、もし絆創膏なしだと不安だというなら、そこに自然と消えていくようなアンパンマンを描いてあげる。そんな治療を目指したい。

すごく抽象的だが、そんなことを考えた。

2016年4月7日

ハーバード大学教授であり一流ライターでもあるグループマン先生の本を、あの近藤誠が監訳した、いわくつき(?)の一冊 『セカンド・オピニオン 患者よ、一人の医者で安心するな!』


ハーバード大学の医学部教授であり、『ニューヨーカー』紙のスタッフ・ライターでもあるジェローム・グループマン。彼の本はいずれも面白いうえに、素晴らしく示唆に富んでいる。

本書も例に漏れず面白いだろうと期待して買ったのだが、よく見ると監訳者があの有名な医師・近藤誠である。彼の悪評はあちらこちらで見聞きするが、実際に彼の本を読んだことはないし、テレビで見たこともないし、今後も本を読む予定がないので、評価のしようはない。

ただ、自著がいかにトンデモであっても、さすがに翻訳をねじ曲げることはしないだろう。そして翻訳という点で見れば、充分以上に読みやすい日本語になっており高評価である。とはいえ、翻訳そのものは平岡諦医師が行なっているようで、近藤氏の監訳がどこまで及んでいるのかは不明である。

ところで本書の内容であるが、やはり素晴らしかった。アメリカのいろいろな医療問題にも触れてある。それを読んでつくづく思うが、日本の医療制度は、少なくとも患者サイドにとってはアメリカより断然良い。医師にとっても、アメリカより日本のほうが、「自分なりに思い描く医療をやる」という点でば働きやすいんじゃないだろうか。

ちなみに、副題の「患者よ、一人の医者で安心するな!」は、邦訳版で独自につけられたものである。邦訳では、タイトルを変えたり、こういう目をひく副題をつけたりするが、どうにも好きになれない。

2016年4月6日

ドンデン返しの気持ち良さ 『ポーカー・レッスン』


リンカーン・ライムシリーズで何度も興奮させてくれるジェフリー・ディーバーによる短編集。本書の16作品すべてにラストのドンデン返しがあるのだが、作品の出来という点では『クリスマス・プレゼント』のほうが断然良かった。決して面白くないというわけではないのだが、著者がディーバーなのでどうしても評価が厳しくなる。

ディーバー未経験者であれば、長編はけっこう分量があって手に取るのにちょっとビビってしまうので、本書か『クリスマス・プレゼント』でドンデン返しの気持ち良さを味わってみるのがお勧めである。

2016年4月5日

超一流の神経内科医が、患者の病気というミステリを解き明かす 『失語の国のオペラ指揮者 神経科医が明かす脳の不思議な働き』


神経内科医(※)のハロルド・クローアンズ先生による臨床医学エッセイで、実際に出会った患者のストーリーと、医学的な考察や雑学、ちょっとしたジョークで織り成される。全部で13章から成り、邦題『失語の国のオペラ指揮者』はそのうちの一章「音楽は続く、いつまでも」に出てくる失語症の指揮者からとったものである。

クローアンズ先生の本は初めて読んだが、こんな面白い本が絶版となって世の中に埋もれているのかと、驚くやら嘆かわしいやら……、これは「もったいない」の一言では済まされない。読書家にとってだけでなく、すべての臨床家にとっても大きな損失である。というのも、本書には臨床に携わる者にとって示唆に富む言葉が多かったからだ。
不安というのは思考に奇妙な作用をする。医者はそれを心得ていたほうがいい。患者は医者の言う言葉どおりに聞いていないかもしれない。医者はつい、可能性のある病気を長々と数えあげてしまうが、そのなかには確率がきわめて低く、正しい診断がつけば捨ててしまうべきものが含まれている。
これなどは、まさに現代のすべての臨床家が心に留めておかなければいけないことだろう。鑑別診断をたくさん挙げられるのは研修医として知識のある証拠ではあるが、それは指導医に対してや医局の症例検討会で披露すれば良く、いたずらに患者や家族に並べ立てるものではない。

また症例の中には、その背景も含めて推理小説も真っ青というような、「事実は小説よりも奇なり」を現実にしたような、そんなどんでん返しのあるストーリーもある。これなど読んでいて思わず鳥肌が立ってしまったほどで、実際、クローアンズ医師は小説も書いているようだ。

オリヴァー・サックス先生は先日他界したが、実はクローアンズ先生と同世代であり、また友人でもあったようだ。本書にも『オリヴァー・サックスとのランチ』という題のエッセイがあり、サックスファンにとっても興味深いのではなかろうか。

※神経内科は、よく精神神経科と誤解される。かかりつけ内科の主治医から「神経内科を受診してみたほうが良い」とアドバイスされて精神科を受診する患者がけっこう多い。これはまだ良いほうで、病院の受付けで患者から「神経内科にかかったほうが良いと勧められて来た」と言われた事務員が、そのまま精神科にまわすということがある。

クローアンズ先生の言い回しを借りるなら、医療関係者に必要なものは3つ。

教育、教育、そして教育である。

2016年4月4日

患者・家族が読んでも非常に分かりやすい専門書 『「てんかん」のことがよくわかる本』


「患者向けの本みたいだし、あまりに情報が少なかったら買い損だなぁ……」

正直そんな不安を抱きながらも、その時には患者教育用として使えば良いかと考えて購入。

ところが、そんな不安など取り越し苦労に過ぎなかった。これは、患者・家族向けの本というよりは、患者・家族が読んでも非常に分かりやすい専門書というほうがピッタリくる。てんかん専門ではない医師にとって、まさに「痒いところに手が届いている」本である。発作の種類や前兆について、ここまで分かりやすく書かれれば確実に理解できる。元看護師の妻、医療関係の資格を持たない医療事務にも見せたが、二人とも「これ分かりやすい!」という反応であった。

だから、日常業務に忙しく、「てんかんを学ぶ」ことに手がまわらないという医療従事者にこそ手にとって読んで欲しい。そこから、てんかん治療や看護への興味・関心が強くなれば、もう少し詳しい本に手を伸ばしてみる。その際にお勧めなのが、本書監修をされている中里教授の『ねころんで読めるてんかん診療』である。きっと、てんかん診療への構えが大きく変わだろう。

さて、てんかんの女子高生を3ヶ月ほど入院させた。
「てんかんで3ヶ月も入院!?」
と驚く人もいるだろうが、てんかん以外にも彼女自身と親と学校との間に諸事情・諸問題があって、不本意ながらも長期入院になってしまった。でもそのおかげで、いつもよりてんかんのことを学ぶ機会が増えて、知識も経験も少しだけ身についた。

てんかんについても、その他のことについても、学びたいことは多いのに、時間は限られている。

患者も医師も、人生とはなかなか難しい。

<関連>
「てんかん診療には自信がありません!」と、自信を持って言えるようになる不思議な本 『ねころんで読めるてんかん診療::発作ゼロ・副作用ゼロ・不安ゼロ!』

2016年4月1日

副院長にならないか、という打診があった

副院長にならないか、と話があったのが数ヶ月前。

現在、当院には副院長が二名いるが、病床数が増えたことでもう一名増やす方針らしく、中でもメンタル系の副院長を配置することがトレンド(?)というのと、それからいわゆる大人の思惑などが絡まって、新年度からの副院長職(あくまでも肩書きだけ)を打診された。

俺にだって名声欲はある。

だから凄く悩んだけれど、結局は断ることにした。理由はいろいろある。あくまでも肩書きだけだからということで、給料がほとんど変わらないこと、そのわりに変な仕事を押しつけられそうなこと、その他にも言い出したらキリがないくらい理由だらけ。

ただ、最大の理由は、今日が4月1日だということ。

お粗末さまでした。

今日から精神科医3人チームの医長。

新年度の抱負は「教育」!