2016年11月29日

ポケットに入れて空き時間に読める本 『野村の監督ミーティング』


プロ野球の元監督・野村克也から選手として指導を受け、またコーチになってからは参謀として仕えた橋上秀樹による野村監督論(?)。

落合監督について書かれた『参謀』という本を読んだ時にも感じたが、監督本人ではない人が監督について語る本では、もっと突っ込んで書かないとダメだ。仕えた監督の良いところを徹底的に褒めて、逆に選手をボロクソに書くくらいでないと、読んでいて面白くない。本書でも、監督の良いところが書かれているし、選手の実名をあげて批判的なことも書いてあるが、まだまだ足りず中途半端だ。

現場では監督がトップで、コーチは中間管理職なので、間に入ってとりなすことも多々あるのだろうが、自分の書く本では自分が利益も受け責任も負う。だからもっと奔放で良いはずだ。バリバリ突っ込まないとインパクトが弱くなる。野村監督自身の本には書いていないようなことが、ビシーッと書かれていてこその野村監督論(?)なのだから。

星は3つといったところ。ポケットに入れて空き時間に読める本。

2016年11月28日

乙武さんへ。暗黙の了解と「見て見ぬふり」は違うし、立場の弱い人が「何も言えない」のは決して了解ではないですよ!

乙武洋匡さん、離婚理由を語る 「不倫は暗黙の了解あったが…」「乙武の妻に耐えられなくなったのでは」 フジテレビ系ワイドナショーに出演 

「暗黙の了解」というのは、たいてい片方だけがそうだと思い込んでいるだけのことが多い。

通常、「見て見ぬふり」を「暗黙の了解」とは言わない。たとえば、歩きタバコを注意しないのも、同級生のイジメを止められないのも、それは決して「了解」しているわけではない。もしも、歩きタバコしている人やイジメっ子が「何も言わなかったのは、暗黙の了解があったからだろう」というのは、ただの開き直りである。

だから、ここで乙武氏が用いる言葉は、「妻は、見て見ぬふりをしてくれていたんだと思います」くらいが妥当だったはずだ。それを「妻とは暗黙の了解があった」と言ってしまう、というか、そういうふうに考えてしまうところに、彼の人格が色濃くにじみ出ている気がする。

これは、イジメっ子が、
「イジメじゃないです! 遊んでるんです! アイツだって嫌とは言わなかったし!! 他人にはわからない暗黙の了解があったんですよ!!」
なんて言っているのと、まったく同じ感覚なわけである。

乙武氏は、基本的にはイジメっ子体質なのだろう。

つい最近も、原発避難いじめで大金を奪われていた子どもについて「率先して金を渡していた」と判断した教育者らがいた。ああ、そういえば、乙武氏も教育者であった……。

2016年11月24日

小学5年生の子どもたちがバトル・ロワイアル! 『よいこの君主論』


覇道を目指してバトル・ロワイアルする小学5年生たちを通じて、マキャベリの『君主論』に触れてみよう、という企画の面白さで押し切った感のある本。

冒頭で、挿し絵とともに人物紹介がなされているのだが、この時点でちょいちょい吹き出す。特に主要キャラたちの邪悪そうな表情やポーズはたまらない。また「その他のうぞうむぞう」で10人近くまとめられていて、そういう雑なところも面白い。全体を通じて、思わす笑ってしまいつつ、『君主論』についても理解が深まっ……、いや、さすがにそれはない。単純に、娯楽のための読み物として面白かった。

読み終えて、病棟に寄贈するか迷ったがやめた。手もとに残しておきたかったから、ではない。変な影響を受ける人が出るのを危惧したからである。

2016年11月22日

カメラ好きにはたまらない小説 『ストロボ』


カメラマンが主人公で、第1章が50代、第2章が40代といった具合に、徐々に若い時代の話になっていく連作短編集。カメラ好きにとっては胸が熱くなるような場面が多く、おもわずカメラを持って出かけたくなるような、あるいは家族の写真を撮りまくりたくなるような、そんな小説だった。

著者が後書きで述べているように、ちょっとしたミステリ要素もあり、カメラにあまり興味がなくても充分に楽しめる内容でもある。

2016年11月18日

本そのものが統合失調症のメタファー! 発症前の功績で、発症から数十年後にノーベル賞をとった数学者ナッシュを描いたノンフィクション 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』


前半は数学の専門用語が頻出して、少々難解に感じられることがある。数学の本ではないので、それらの用語が詳しく解説されることはほとんどなく、ナッシュがそういう「専門外にはチンプンカンプン」という高度な数学にのめりこんで研究していたことが強く印象に残る。ところが、発症してからは、ナッシュの日常生活を中心に描写され、前半とは一転して専門用語がほとんど出なくなり、圧倒的に読みやすくなる。ナッシュ自身の人生としては、超高度を飛んでいたジャンボ機が、緊急着陸して地面をノタノタと進んでいるような、そんなイメージである。

本書は、まるで本そのものが統合失調症のメタファーになっているかのようだ。これはおそらく作者が意図したものではなく、統合失調症を発症した人の一代記を丁寧に書けば、どれも統合失調症のメタファーのようになるのだろう。

例えば、ナッシュほどの天才ではないにしても、精神科医をしていると、統合失調症を発症した秀才たちと出会うことがある。たとえば、国立大学の医学部に現役で入学したものの、在学中に発症して国試には受からず、障害者年金で生活している初老男性。現在の彼はあまり外出しないのだが、家では英語の医学テキストを読みながら生活している。また、元プロのピアニストという人もいた。彼の演奏力はほぼ無に帰していたが、病棟のピアノの前に座ると、人差し指一本で鍵盤一つだけを楽しそうに押している姿が印象的であった。それから、旧帝国大学の一つに現役合格したが1年で退学し、さらにまた同じ大学の別の学部を受けて合格・卒業したという人もいる。彼は障害年金をもらいながら、タバコ代のために塩ごはんや砂糖水で生活している。

本書は、数学の知識がなくても充分に興味深く読めるが、統合失調症の知識があるほうがより深い感動を受けると思う。また、躁うつ病や発達障害についても知っていれば、ナッシュの診断が正しいのかどうかも考えながら読める。さらに、統合失調症治療の歴史という点でも、インシュリン療法や発熱療法、電気ショック療法という話も出てくる。

ラッセル・クロウ主演の映画も素晴らしかったが、本はさらに濃密で面白かった。非常に良い、心に残る一冊だった。

2016年11月17日

警察官になれる年齢の人は読んじゃダメ! 『警官の血』


警察小説を読むようになったのは、30代も半ばを過ぎてからだった。キッカケは横山秀夫の小説だった。そして、警察小説を何冊も読んだ結果、
「10代や20歳前後で読まなくて良かった……」
という思いに至っている。もし若くして警察小説に出会っていたら、影響されて警察官を目指したかもしれない。それほどに、これまで読んできた警察小説はどれも面白く、カッコ良かった。実際の警察官の仕事は、きっともっと大変だろうし、小説のようなことは滅多に、いや、現実には皆無と言って良いのかもしれないけれど。

本書を読みながら、ある患者さんの話を思い出した。その患者さんの息子さんが警視庁に採用されたのだが、警察学校の規則がとにかく厳しいらしいのだ。入学時には、寸法と個数の決まった段ボールに、中身もきっちり決められた物だけを過不足なく詰めて学校に送らなければならない。到着日も厳密に定められている。盆の帰省では、きちんと帰省した証拠として写メを撮って教官に送信しなければならない。もちろん、学校から実家に「帰省確認」の電話もある。同期生は団体行動が原則で、休日には床屋も昼食も一緒の場所に行って並ぶ。その他の細かいことまで決められており、徹底的に個人の自由を剥奪し、それと同時に集団への帰属意識を高めるようなシステムになっているのだ。警視庁の警察学校は全国的にも厳しいので、入学者の3分の1位くらいが辞めるようだが、それは訓練の厳しさだけでなく、こうした束縛を嫌ってということもあるらしい。

こういう訓練と振り落としがあってこその団結心であろうし、「あの厳しい訓練に耐えて、ようやく手に入れた立場だ」という感覚は、配属後の不祥事予防にも貢献している気がする。

本書は、昭和23年に警察官になった安城(あんじょう)清二、その子どもである民雄、そして孫にあたる和也という3代続く警察官一家を描いたミステリ・ドラマである。これまでの警察小説の例に漏れず、やはり面白かった。そして思う。警察小説は、まだ警察官になれる年齢の人たちには勧められない。俺みたいに影響されやすい人が、うっかり警察官になってしまわないように。


<参考>
これが「教場」だ!警察学校に“潜入”…「3歩以上は走れ」「携帯は休日のみ」壮絶な規律と訓練の日々

2016年11月16日

米原万里のエッセイ集 『心臓に毛が生えている理由』

 
それぞれの初出は新聞、文芸誌、広報紙など多岐にわたり、それはつまり全体のまとまりとしては散漫ということである。だから、これ一冊だけと腰を据えて向き合うと、ちょっと疲れてしまう。こういうエッセイ集は、文庫で買って、バッグや上着のポケットに入れて、出先やトイレなどの空き時間でパラッと読むのが良い。

可もなく不可もないといった内容で、米原万里というブランドに期待しすぎたぶん、ちょっと肩すかしだった。

2016年11月14日

たとえ勝てなくても、決して負けない、そんな戦うオヤジに振り回される子どもたちの悲喜劇 『サウスバウンド』


ものすごく評判が良かったので、内容は知らないままに期待して読み始めた。第一部(文庫ではおそらく上巻)は非常に面白かった。第二部も決してつまらなくはないのだが、最後の最後で大墜落。

トンデモないオヤジに振り回される子どもたちが可哀そうではあるが、このオヤジの言うことには、時どきナルホド一理あるとは思わせられる。まぁ、あくまでも時どきではあるが。

前半が面白く、後半も損切りするほどのものではなかっただけに、ラストで大いに裏切られたのが非常に残念。

あまり、お勧めしない。

2016年11月10日

一流の神経内科医は、患者のどこを見て、何を学ぶのか 『ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか 神経内科医が語る病と「生」のドラマ』


『ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか』という邦題は、本書がニュートンの伝記なのかと思わせるものである。洋書では、原題と大幅に異なる邦題をつけられることがあり、そのせいで読者が大いに迷惑をこうむる場合もある。本書もそうなのかと思ったが、原題は『Newton’s Madness』。うむ、あまりに直球すぎである。副題の『神経内科医が語る病と「生」のドラマ』のほうが、まだ内容に即しているか。

神経内科疾患の臨床エピソードを語りながら、各疾患についての学習にもつなげようという内容で、医療系の学生であれば楽しく読みながら勉強になるだろう。また、医療の専門知識がなくても、基本事項から書いてあるので6-8割くらいは分かるだろう。それに、クローアンズ先生はアメリカで一定の評価を得ている小説家でもあるので、知的好奇心を満たす読書の楽しみを味わえると思う。

全部で22章あり、それぞれで取り上げられている疾患・症状は以下の通り(本書の記載順)。

脳梗塞による半側空間無視
ウィルソン病
水銀中毒
てんかん(複雑部分発作)
パーキンソン病
てんかん(若年ミオクロニーてんかん)
てんかん(自動症)
クロイツフェルト・ヤコブ病
群発性頭痛
書痙
進行麻痺(梅毒)
多発性硬化症
脳の老化
住血吸虫症
ハンチントン舞踏病
アカシジア
せん妄
神経芽腫
コカイン依存症(特にシャーロック・ホームズを症例として病跡学的アプローチで)
ウェルニッケ・コルサコフ症候群
片頭痛
失語・失認
進行性核上性麻痺

神経系に興味のある人にとっては、どれもワクワクするようなものばかりではなかろうか。お勧めの一冊である。

2016年11月8日

二軍はプロ野球選手ではない! 一軍に養われているに過ぎないのだ!! 『二軍』


本書の中に、『二軍は決して「プロ野球選手」ではない。一軍選手の扶養家族のようなものである』という厳しい言葉がある。一軍選手が活躍することで観客からの収入が増え、二軍選手はその金で「食わせてもらっている」ということだ。一軍が華やかであればあるほど、二軍という影の部分は濃くなる。そこから這い上がらない限り、いつまでも扶養家族のままである。

実力さえあれば一軍に上がれるのかというと、現実はそう単純でもないようだ。というのも「実力」というのはあくまでも相対的なもので、人材に乏しいA球団では一軍レベルでも、人材豊富なB球団なら一軍半という人もいるからだ。運良くA球団にトレードしてもらえれば一軍として活躍できるのかもしれないが、B球団としては二軍選手がケガで休場したときのために、一軍半くらいの選手は確保しておきたい。そういうチーム事情から、二軍でくすぶり続ける人もいるようだ。

また、監督やコーチへの自己アピールも大切だ。監督やコーチも人間である以上、起用する選手に対する好き嫌い、合う合わないといったことは少なからず影響する。私的感情を一切まじえずに「チームを一つにまとめる」というのは、おそらく不可能である。それに、こうした好みを徹底的に排除できるのが「名将」かというと、きっとそういうわけでもない。たとえ実力主義に徹しているように見えていても、実際のところはそうではないはずだ。そう考えると、「実力主義に徹しているように見せるのが上手い」というのは、「名将」の条件なのかもしれない。

二軍は、一軍で活躍するための選手を鍛えて用意する場であるが、それと同時にイースタン・リーグとウエスタン・リーグに分かれて試合をしているチームでもある。通常、実力のある選手は二軍監督が一軍に推薦するのだが、二軍チームとしてもリーグ戦で好成績をおさめたい。だから、「良い選手を二軍チームに留めておきたい」という心理から、つい推薦を遅らせてしまう二軍監督もいるらしい。「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは言うものの、一軍で並みの選手として生きるより、二軍の大黒柱として重宝されるほうが良いなんてことは絶対にない。なぜなら、「二軍は一軍に養われているにすぎないから」である。

そんな二軍について、選手らを取材したルポ。選手の置かれたシビアな現実が、著者の温かい視線でもって描かれている一冊であった。

2016年11月2日

数学をまったく知らなくても楽しく読めるし、天才たちの生き方に興味がある人にもお勧め 『天才の栄光と挫折』


数学といっても高校数学までしか知らないし、それ以上を知ってみよう学んでみようという気持ちはまったくない。ただ、数学者と呼ばれる人たちの生き方には興味がある。特に世間から天才といわれる人たちは、いったいどういう育ち方、生き方をしたのだろう。そういうところにこそ面白さを感じる俺は、やはり文系なのだろう。

9人の天才数学者の光と影について描かれた本書の著者は、日本の数学者でありエッセイストでもある藤原正彦だ。

本書は数学をまったく知らなくても楽しく読めるし、天才たちの生き方に興味がある人にはお勧めである。ちなみに、本書で取り上げられた偉人は最初から順に、アイザック・ニュートン、関孝和、エヴァリスト・ガロワ、ウィリアム・ハミルトン、ソーニャ・コワレフスカヤ、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン、アラン・チューリング、ヘルマン・ワイル、アンドリュー・ワイルズである。サイモン・シンの『暗号解読』『フェルマーの最終定理』に登場した人たちも含まれていて、この2冊に面白さを感じた人なら本書もきっと気に入るはずだ。

2016年11月1日

落合監督に仕えたコーチが伝えるリーダー論 『参謀 落合監督を支えた右腕の「見守る力」』


落合監督のもと、中日でコーチをつとめた森繁和の本。これまで野村克也、落合博満による監督としてのリーダー論は読んできた。今回は「参謀」という位置づけの人の本である。森自身のリーダー論、参謀論もあるが、落合監督の動きをそばで見てきた人による「落合リーダー論」でもあった。

野球コーチの本なので、当然、野球選手の名前が出てくるが、ほとんどが知らない人であった。野球そのものには大して興味がないので問題なし。全体としては、ナルホドと思えることも多かったが、ときどき文章が散漫になることがあった。

マスコミに対してもキャッチーな言葉を駆使するなどして選手をうまく乗せる野村克也に対して、落合博満はマスコミに対してポーカーフェイスで口数も少ない。リーダーとしてどちらが名将ということではなく、タイプの違いだろう。自分はどちらかというと野村克也の本に波長が合うが、だからこそ落合タイプのリーダー論も勉強になった。