2016年6月10日

精神科診療における笑いについて

統合失調症で入院中の女性がいつも浮かない顔をしている。先日、調子はどうかと聞いたところ、
「良かったり悪かったり……」
と顔を曇らせた。そこで、
「悪かったり悪かったりじゃなくて良かった」
と返すと少し笑った。

こんなふうに、精神科診療の中でのユーモア、笑いを大切に考えて実践している。

ユーモアや笑いが大切とはいえ、それぞれの治療者のキャラ、患者の性格、場の雰囲気などは毎回ちがう。これらの要素をバランスよく、それも短時間で把握・吟味(というより瞬間的な感覚かもしれない)するのが大事である。そうしないと、ただの「空気の読めない言動」になってしまう。

毎朝の病棟ミーティングで一笑いとることを目指しているが、わりとウケた後でも、外来診察室に戻ってから「あのジョークは不謹慎だったかもしれない」と心配になることがある。こんなことにならないよう、なるべく自分自身をネタにするか、誰かをかばう方向性での笑いになるよう気をつけている。

笑いについては、九大経済学部の学生だった頃に、文学部の「笑いとユーモア」に関する講義を受けたことを思い出す。なぜ文学部の授業をとったのかというと、ほとんど大学に行っていなかった(まともな出席は4年間で200日くらいだろうか……)ので、4年生になっても一般教養の単位が足りなかったからだ。そこで「笑いについて」のレポートを求められ、たしか『ビートたけしと明石家さんまとタモリの笑いについて』というタイトルで書いて提出した。

内容の多くは忘れたが、「明石家さんまは自分自身がよく笑う」という一文は確かに書いた。それから「さんまが笑うからゲストも笑う」といったことも述べた。これは今から思えば、相手の動作を無意識に真似る「ミラーリング」のことを指摘していたわけだ。また「さんまが笑うから、ゲストはどんどん話しやすくなる」といったことにも触れた。これらはすべて、当時は想像すらしなかったが、底のほうで今の自分の精神科診療につながっている。

動物学者デズモンド・モリスが人間観察した『裸のサル』では、「笑い」「笑顔」について考察されていた。歯を見せる笑い顔は、動物が威嚇している顔に近い。ではどうして、威嚇の顔が親しみや喜びを表すようになったのか。それは以下のように説明されていた。

大人は小さな子どもをくすぐったり、高い高いをしたりして遊ぶ。最初のうち子どもは少し不安を感じるが、遊んでいるうち徐々にそれが本物の恐怖ではないと悟る。この不安(緊張)から安心(緩和)へ移行する途中の「威嚇の表情」が笑顔として定着した、らしい。

「緊張と緩和」
ここに人が笑顔になるポイント、笑いのツボのようなものがあるらしい。ジョークの多くも、緊張感をグッと高めておいて、オチで緩和させるからこそ笑いが生まれる。そう考えると、緊張と緩和のない一発屋芸人がすぐに飽きられるのは、多くの人が面白いと感じるポイントを掴めていないからかもしれない。

話を精神科に戻す。

統合失調症患者の中には、月に1回の診察日しか外出しないという人も多い。そんな彼らが外来診察室での軽い冗談で半笑いにでもなってくれたら嬉しい。どんな不器用な笑い方であっても、それは彼らにとって「月に1回の笑顔」なのかもしれない。だから、そのささやかな笑顔体験は大切にしてあげたい。

こんなふうに、精神科診療における笑いについては、考えたり工夫したりする余地がまだまだありそうだ。

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