2015年8月31日

贖罪をテーマにした連作ミステリ 『刑事のまなざし』


罪を償うとは、どういうことだろうか。

自分の幼子が通り魔に遭って植物状態になった後、主人公の夏目は刑事になる。物語は、そんな夏目を中心にして、犯罪の加害者やその周囲の人々の視点から語られる連作短編集。全編を通じて「贖罪」がテーマであり、それをミステリ小説という入れ物におさめてある。

時に切なさに胸が詰まり、時にトリック明かしに唸らせられる。実に良い小説家をまた一人知ってしまった。

2015年8月27日

偉大なる反戦の書 『風俗ライター、戦場へ行く』

 
失恋したことがきっかけでタイに行き、そこで出会った外国人との会話からカンボジアに行くことに決め、そこで戦争というものに部外者として「ハマって」しまった著者。

風俗ライターという本職(?)を活かした軽い筆致で、戦争の重たい現実が描かれる。時に銃口を突きつけられ、戦車の大砲の向けられたベランダで酒を飲み、爆発に巻き込まれて転がる乳児の足を見て……、そうしたものが筆者ならではの語り口で伝えられる。

筆者は決して義務感や正義感からではなく、あくまでも好奇心で戦地へ行っていると何度となく繰り返す。生々しい戦争の現場が、崇高な目的意識のない人間の目線で描かれる。だからこそ伝わってくるものがある。

これは、偉大なる反戦の書だ。


ちなみに筆者は、スマン、ご主人。 『やってみたら、こうだった 人妻風俗編』の人である。

2015年8月26日

切なくて、切なくて

83歳の寝たきりの父と二人暮らしの46歳男性が、父を放置して死なせた容疑で逮捕された。
寝たきりの父を放置し死なせた容疑 46歳会社員を逮捕

衰弱した父親を病院に連れていくなど適切な処置を取らずに死なせたとして、兵庫県警は25日、神戸市北区南五葉2丁目の会社員、五十川博之容疑者(46)を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕し、発表した。容疑を認めているという。
神戸北署によると五十川容疑者は、父の甫(はじめ)さん(83)が8月15日ごろから寝たきりで衰弱した状態だったにもかかわらず放置し、死なせた疑いがある。「24日朝、仕事に行く前には父は生きていた。夜帰ってきたら息をしていなかった」と話しており、自ら119番通報したという。
五十川容疑者は甫さんと2人暮らし。甫さんが寝たきりになった当初はおかゆやうどんを食べさせていたが、次第にスポーツドリンクなど水分だけになり、おむつも長期間替えていなかったという。

http://www.asahi.com/articles/ASH8T3JWMH8TPIHB00B.html(朝日新聞 2015年8月25日11時21分)
同じような環境の家族はたくさんいる。仕事を休んで病院に連れて行っても、その一日で解決するわけじゃない。仕事もそうそう休めない。休むと給与が減るかもしれない。給与が減れば、自分も父も生活できない。

身も心もくたくたになって、どうしていいかも分からない、判断できない、あるいは福祉に相談したり介護認定を受けたりという知識がない。この男性の逮捕は法律的に仕方がないのかもしれないが、それでも俺はこの男性への同情を禁じ得ない。

40年後、自分が寝たきりの80歳になって、すでに40歳をこえた娘が独り身で俺と二人暮らしをしていて、俺の介護と仕事を両立させてヘトヘトになっているとしたら……、そんなことを想像すると、この逮捕された男性と父親のことが切なくて切なくて仕方がない。

衰弱死したお父ちゃんは可哀そう。それと同じくらい、お父ちゃんを衰弱死させてしまったこの男性も可哀そうだよ。

まったくの想像だけれど、

「お父ちゃん、ごめんな、仕事行ってくるわ。ポカリ置いとくから、ちゃんと飲みぃや。暑いからエアコンも間違って消さんようにな。ようやく明日休みがとれたから、明日は病院に連れてったるわ」

帰宅して……、冷たくなった父のために119番。そして逮捕。

こんな光景を思い浮かべると泣けてくる。


ところで、新聞記事には、「スポーツドリンクなど水分だけになり」と書いてあるが、人は衰弱すると誰でも食欲が落ちる。まして84歳ともなれば、食事が喉を通らなくなるのは珍しいことではない。それから記事をもう少し詳しく読むと、亡くなった父は8月15日に寝たきりになり、24日に死亡している。10日間である。何年もネグレクトしていたわけではない。夏風邪かな、くらいに思っていたかもしれない。水分は摂れるから大丈夫かな、くらいの感覚だったかもしれない。

「おむつも長期間替えていなかった」とも書いてあるが、息子一人で仕事もしながらの介護・看護である。1日2回、多くて3回が限度ではなかろうか。疲れきって1日1回、あるいは「今日はもう勘弁して」となる日だってあったかもしれない。上記したように、父は寝たきりになって10日後に死亡している。ということは、オムツを最後に替えてから、どんなに日にちが経っていたとしても10日である。読んだ人が「長期間」でイメージするのはどれくらいか分からないが、新聞記者は具体的日数まで調べて書いても良かったんじゃなかろうか。

2015年8月25日

俺には分からない「お医者さま」の感覚

またしても内科の後輩医師とバトルになってしまった。

常々、外来クラークさんからは、外来にしろ病棟にしろ、いろいろな出来事に対して、
「先生、よく怒らずにいられますね」
と感心される。今日の場合、そのクラークさんも流れをよく知っていて、
「先生、よく激怒せずにいられましたね」
と言われた(笑)

ある内科医から俺あてへの紹介状があり、こんな返事をした。
「入院主治医が指揮をとって、ケアマネらと連携してケア会議や退院調整をしてはどうでしょうか」
これに対して、もの凄い勢いで電話がかかってきて、
「入院主治医とか関係ない! そっちは精神科の外来主治医だろ! ケア会議なんかもそっちがやるべきでしょ! こっちは器質疾患をみるんだ!! 体をみるんだ!!」
おいおい……、人をみろ、人を……。

俺の感覚では、
「入院主治医は、その人の入院と退院に関して責任を持つ」
ということ。それは「病気をみる」のではなく「人をみる」ということにつながる。入院中の患者に関して、自分の科でやることはやったのだから、あとは他科が責任を持つべきだという感覚は、少なくとも俺の医療観にはない。

最大の疑問は、なぜ同科の諸先輩が彼に厳しく指導しないのかということ。俺は今日、彼と電話していて、年上かつ経験年数も上かつ他科医師である俺に対する彼の言葉遣いのあまりのひどさに、彼のいる場所を確認してビンタを張りに行こうかと思ったくらいだ。では、どういう会話だったのかというと……。

先週、内科から精神科への転棟を断って、今週、同じ患者で紹介状があった。最後の文章はこうだ。
「精神科の介入する余地はないのでしょうか?」
これに対し、
「精神科介入は外来フォローで充分です」
と回答したら、それがどうも彼の気に入らないらしい。まわりまわって聞いた話では、薬の調整を希望(本当は転棟が第一希望みたいなんだけれどね)していたらしい。そこで直接電話した。

向こうはやたらに興奮していて、こちらの話が入っていかない。
「うん、ちょっと聞いて。ねぇ、ちょっと聞けるかな? おーい、ちょっとこちらの話も聞いてねー」
このフレーズを何度も繰り返した。彼に対して、「薬の調整が希望なら、紹介状にそう書くべきなんじゃないの」と伝えると、
「先生、子どもじゃないんだから分かるでしょ? 過去のカルテみました? 患者みました?」
うん、ビンタしようか?(笑) ちなみに彼はカルテはほとんど書いていない。というか、患者が入院した日を除いて、その後の3週間、患者にも家族にも一度も会っていない。

紹介状は小説でも詩でもない。ビジネス文書であり、行間を読むということは要求されない。事前に電話相談でもしていない限り、書かれていないことは書いていないことと同義だ。そして、院内紹介状をもらった医師が、その患者の過去カルテを読むかどうかは任意である。過去カルテを読まなくても、いまの状態と困っていることが具体的にきちんと伝わるように書くのが紹介状である。ザザッと紹介状を書いて「あとは過去カルテを読め」というような姿勢は、俺の医療観および社会人としての常識とは大いに異なるし、そんな雑なパスは受けかねる。

紆余曲折のやり取りの結果、彼はカルテにこう記した。
「長年みている精神科医がなにもしてくれない方針らしい」
そこで改めて電話して聞いてみた。
「この人の精神科の初診、いつか知っているの?」
「知りませんよ!」
おいおい……、「長年」はどこへ行った? 正解は去年の6月である。さすが、過去カルテを読まない医師。ちなみに電子カルテで、今年の4月にさかのぼるだけで精神科に関しては全て分かる。

地雷医師を踏まない、ということは医療ユーザーにとっては大切な情報、というか、名医を探すよりも切実かもしれない。相談される医師としても、自信をもって名医と言うのは難しいけれど、地雷はしっかり指摘できる。そういう意味で、医師と仲が良いとあれこれ教えてくれますよ。

2015年8月24日

ツッコミどころはあったけれど、充分に面白かった! 『インターステラー』


世界観、ストーリー、映像ともに大満足。ただし、ツッコミどころは多かった。

以下、ネタバレ。

2015年8月21日

小学生ならきっと楽しめるはず 『幽落町おばけ駄菓子屋』


うーむ、褒めきれぬ……。
Amazonレビューの星2つの意見に賛同といったところ。まだ読書体験の少ない小学生なら多少は面白いかもしれないが、ちょっと読書経験のある中学生なら楽しめないだろう。

2015年8月20日

なぜ人は人と戦い殺すのか。そして、なぜ人は人を殺さないのか。 『戦争における「人殺し」の心理学』

なぜ人は人と戦い殺すのか。この問いと同じくらい重要なことは、なぜ人は人を殺さないのかということである。

本書では、実際に戦闘した兵士たちへのインタビューや過去の記録などから、戦争における殺人や殺人拒否、指揮官と部下、殺す側と殺される側、その他の戦争にまつわるあれこれについて数多くのエピソードが記載されている。いくつか印象深かったものを紹介する。

第二次大戦で部下とともに全滅する道を選んだアメリカ軍の指揮官がいる。デヴェール少佐は日本軍と戦い、とうとう制圧される前に打電した最後の通信文には、ただ一文、こうあった。
SEND MORE JAPS (もっと日本人を送りこめ)

第一次大戦では、ホイットルシー少佐の指揮する部隊がドイツ軍に包囲された。この部隊は決して精鋭ぞろいではなく、寄せ集めの民兵集団にすぎなかったが、少佐は降伏を拒み、救出されるまでの5日間、次第に減っていく生存者を絶えず激励し戦わせ続けた。軍事史に残るほどの偉業を残せたのは、少佐の常人離れした不屈の精神のおかげだと生存者は口をそろえた。少佐は軍人に与えられる最高の勲章を授与された。そして、戦後まもなく、ホイットルシー少佐は自殺した。

同じく第一次大戦中のクリスマスには、戦争状態にあったイギリスとドイツの前線兵士たちが非公式に停戦し、防衛区域で平和的に会い、プレゼントを交換し、写真を撮りあい、サッカーの試合さえしたそうだ。

こうした悲劇的な話、勇気を与えられる逸話、考えさせられるエピソードなど具体例を丁寧にたどりながら、なぜ人は人を殺すのか、そして、なぜ人は人を殺さないのかということが考察してある。

安保法案がらみで戦争についての意見がかわされている今だからこそ、こういう本を読んでみるのも良いのではなかろうか。

2015年8月19日

旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。


いわゆる終末世界もので、舞台は「喪失症」という謎の奇病(?)に世界が襲われた後の日本。この病気は、まず名前が消える。誰もその人の名前を思い出せなくなり、あらゆる書物や電子情報からも記述が消え失せる。次にその人を撮った写真などから顔が消え、色が消え、影が消え、最後には存在そのものが消えてしまう。

映画も小説もマンガも、終末世界を描いた物語が好きで、ゾンビ系とか『マッド・マックス』とか、そういうのには目がない。だから本書を見つけたときにはすぐにクリック&購入。

普通の小説を読み慣れた者にとって、ラノベ(ライトノベル)のもつ独特の雰囲気と文章は少々読み疲れてしまう。Amazonレビューでは大絶賛だが、俺は星2つ。投げ出しはしないが、スキップ読書(ところどころ飛ばす)でなんとか最後まで読み通せるレベル。

似たような世界観で、同じように恋愛が絡む小説で、もう少ししっかりした作品として有川浩の『塩の街』がある。こちらは断然お勧めできるので、終末世界が好きな人はぜひどうぞ。

2015年8月18日

子どもが高校生になったら読ませたい 『未来を発明するためにいまできること スタンフォード大学 集中講義II 』


目からウロコ、という表現がある。本書を読むことで目からウロコがとれるわけではないが、視力に合ったメガネを手に入れた気分にはなる。というのも、本書は思い込みを取っ払ったり既成概念をひっくり返したりという類いのものではなく、誰でも身につけることができる思考の「技術」を教えてくれるからだ。

例えば名札についての話。もっと良い名札を考案できないかと学生たちに提案する。名前だけでなく出身地、趣味などが書いてあるようなのはどうだろう。他には? どうしてネームプレートにする必要がある? そうか、だったらTシャツに顔写真や名前などをプリントしても良いじゃん。といった具合にアイデアをどんどんと出させる。

分量は多くないが値段はやや高め。それでも読んで良かったと思う。我が子が高校生くらいになったら読ませたい一冊。

2015年8月11日

スマン、ご主人。 『やってみたら、こうだった 人妻風俗編』


スマン、ご主人。

随所に出てくるこの一行に、思わずプッと吹き出してしまう(妻を持つ身としては笑ってばかりもいられないのだが……)。

人妻ホテトル(ホテルに呼び出して本番の性行為をする)を実際に体験し、取材した13人分の話がおさめられている。筆致は軽妙で、女性らの発言や自らの行為に対する心のツッコミ、その他の感想も冴えている。たとえば、きれいな人妻ホテトルと話していて、
「こんなきれいな女性に何人もの男が乗っかったのかと考えると、憤慨してしまう」
同じ男として何となくよく分かる、そんな素直な感想に思わずニヤリとしてしまう。

この著者、なかなか良いゾ。

2015年8月10日

安保法案にまつわるニュースが多いので、そのからみで視点をかえて民間軍事会社に関するルポを読んでみてはどうでしょうか? 『戦場の掟』


安保法案にまつわるニュースが多いので、そのからみで視点をかえてPMC(Private Military Company 民間軍事会社)のことを読んでみようと思った。本書はイラクで活動するPMCに迫ったルポで、同国に展開するアメリカ軍をはじめとする多国籍軍との関係なども分かる。

その中で驚くのは、PMCが正規軍の警護もしているということだ。一体どういうことだと思ったが、本書を読んでみるとギスギスした現実が見えてくる。正規軍に被害者が出ると正式な数字として発表されるが、PMCの被害者は表に出にくい。イラクでPMCのアメリカ人が何人も殺されるような戦闘が繰り広げられていても、アメリカ本土の人たちはそのことを知らず、「米軍の被害がこれくらいで済んでいるのだから、きっとイラクでの活動はうまくいっているのだろう」と思う。政府は正規軍に被害が出ると困るから、PMCに多額の金を出して警護させるのだ。

正規軍の給与が月額日本円で30万円くらいなのに対し、PMCの傭兵の給与は70万円から80万円以上。そんな大金を国家が負担して雇っているのだから、このねじれた構造には皮肉な笑いさえ漏れてしまう。ちなみに、PMCの傭兵の給与は当初は月額数百万円だったようだが、しばらくすると戦争に参加したい民間人(退役軍人含む)は無尽蔵にいることが分かり値下がりしていったそうだ。今や、各企業としても傭兵より装甲車両のほうが遙かに高価で失うと痛いという様相である。

日本が、理由はどうあれ自衛隊を海外展開する場合にも、このPMCにはかなり依存すること必至である。安保法案に賛成の人も反対の人も、知っておいて損はない事実と現実が書いてある。

2015年8月9日

くだらないクレームにディズニー謝るなよ……

こういうことに食いつくのは、沖縄県民でもないくせに「ヘノコハンターイ!」とか言っている連中と同レベルなんだよ。

だいたいね、まず、原爆の直接被爆者はディズニー公式のツイッターなんて見ないの、ていうか、ツイッターやっている人が少ないわけ。こんなこと言い出したら、このツイートを出せる日なんて一日もないんじゃないの? 

俺の義祖父母は被爆一世で、死ぬまで聡明だった義祖父は数年前に他界して、生きている義祖母も未だボケていないが、このツイートを見せても恐らく何も思わないだろう。義祖父が生きていたとしても、きっと問題視しない。むしろ、こんなくだらないことにワーワー言っている世代を心配すると思う。

妻は被爆3世ということになるし、娘らは被爆4世、俺は被爆4世の父ということになるんだけど、ディズニー公式ツイッターのこんなことに食いつく奴らの頭の中のほうがよほど怖いよ。

で、ディズニーも謝ってんじゃねぇよ。そもそも、

「なんでもない日おめでとう」

これってすごく素敵な言葉じゃないの? 敢えて原爆記念日に呟くだけの価値がある言葉だと思うんだけど。

それに、

「なんでもない日おめでとう」

被爆犠牲者の本当の気持ちは分かりようがないけれど、いまの平和な日本人に向けて、こう思っている人は決して少なくないと思うよ。

<参考>
ディズニー公式が「なんでもない日おめでとう」を謝罪 「不適切な表現がありました」


※くだらないニュースすぎて、休日だけれど臨時更新。

2015年8月7日

読んで良かった。心からそう思う「文章を書くための本」 『いますぐ書け、の文章法』


読んで良かった。心からそう思う。

これは「文章を書くための本」である。

著者の最大の主張は、
「文章を書く人は、読み手の気持ちになれ」
というもの。このブログも自分なりに読者視点に気をつけて書いてきたつもりだったが、本書を読んで意識も心がけもまったく足りなかったと気づかされた。

ところで本書は、「これから何か書こう」と思っている人が手始めにと読んでも、きっとあまり役に立たない。そういう人は「書くこと」に対する意識のハードルが高いので、作者の「書くこと」に関する考えにはついていけない、あるいは反発するだろう。

本書は、今すでに何か書いているが、どうにも読み手のハートをつかみきれないと悩んでいる俺みたいなアマチュア・ライターこそが読むべき本である。

さぁ書き手の皆さん、買って読みましょう。