2014年12月29日

ややこしい「%」 『統計という名のウソ ― 数字の正体、データのたくらみ』

「%」は生活の中で馴染み深いものだが、その扱いや解釈にはちょっとした落とし穴がある。

「ある株価が1990年から2000年の間に50%下がったが、2000年から2010年の間には95%上昇した」
と聞いたとしよう。さて、1990年と2010年の株価は、どちらが高値なのだろう。

1990年の株価を1000円とする。それが2000年までに50%下がれば500円である。そこから2010年までに95%上がれば、「500+500x0.95」で975円となる。1990年の1000円のほうが高いのだ。

いや、そんなこと言われなくても分かっている、という人は良いとして、ちょっとでもアッと思うところがあった人には本書を勧める。

統計という名のウソ ― 数字の正体、データのたくらみ

決して難しい専門書ではなく、統計や数字というものを見る時の心構えのようなものがたくさん示されている。本書を読めば、データを見るのが少し面白くなること請け合いである。

2014年12月26日

英語を学ぶ上で「大切なのはまずReading(読解)、次にWriting(書くこと)、それからSpeaking、最後にListening」「書けること以上のことは喋れない」 英語教育と精神療法

ニューヨーク州立大学を卒業した高校時代の友人(女性)と、英語教育について話す機会があった。我々の高校時代の英語教師は、徹底的に読解重視であり、その次に英作文、音読やリスニングはオマケみたいなもので、まさに受験のための英語という感じだった(当時、リスニング試験は一部の大学でしか行なわれていなかった)。

彼女は高校の英語教師について、
「とても感謝している。あの授業のおかげで、アメリカの大学ではそんなに苦労せずに済んだ」
と語っていた。彼女曰く、NY州立大学に行って最初に言われたのが、
「大切なのはまずReading(読解)、次にWriting(書くこと)、それからSpeaking、最後にListening」
ということだったそうだ。
「そりゃそうだよね。書けること以上のことは喋れないわけだから」(※)

彼女のこの一言が印象的で、ふとこれは精神科の診療においても同じようなことが言えるのではなかろうかと思った。つまりこういうことだ。

ほぼ全ての医師が教科書を読むという段階はそれなりにやっているが、問題はそこから先である。研究論文や症例を発表することで「書く」機会の多い医師でも、一般向けにどれくらい書いているだろうかと考えると、恐らくそう多くはないはずだ。一方、医療の現場で患者や家族に行なう病状説明や精神療法は、医療者同士で共有している「専門用語」を使ってやるわけではない。相手の理解度を無視して専門用語でゴリ押しする人もいるが、普通はなるべく伝わるように工夫する。だから、一般の人、専門外の人が「あぁそうか」と思えるようなことを「書く」練習をするのは、すごく有意義なのではなかろうか。なにしろ、
「書けること以上のことは喋れないわけだから」

学生時代から、
「学んだことを自分の家族(医療者は一人もいない)に分かるよう説明する」
ということを、口頭と文章でやるよう心がけてきた。それは、いずれ医師になったときに出会う患者を意識してのことであった。今もこうやって連日のように文章を書いては公開するということを繰り返しているのは、半分は趣味であるが、実のところ実用的なトレーニングも兼ねているのである(そういう言い訳を発見した)。

最後に、アインシュタインの名言を。

「あなたの祖母に説明できない限り、本当に理解したとは言えない」

※ 彼女が言っているのはあくまでも大学で学ぶことを前提とした話で、日常会話や旅行英会話についてではない。

薔薇盗人


浅田次郎の短編集。可もなく不可もなく、さらっと読んでそれなりに面白いという感じ。

2014年12月24日

中井久夫・神田橋條治の対談の噛み合わなさと凄さ

先日、前病院の副院長であるS先生と飲んだ際、神田橋先生の本を読んだことを話したところ、
「あの先生は凄い。ただし、神田橋先生の本には毒もたくさん入っている。なにも知らない研修医がいきなり読んで鵜呑みにすると危ない」
と仰っていた。

精神科講義

この本には名文がちりばめられていたが、時どき出てくる神田橋先生のオカルト的なところは相変わらずであった。たとえば、
「相手を見ていると、脳梗塞や脳腫瘍の場所や大きさが分かる。子宮筋腫も膵臓腫瘍も分かる。邪気が発されている。歩くCTと名づけている」
なんてことを仰る。もはやトンデモ脳科学であるが、これは本書にもズバリ、黒木俊秀先生が「だんだんトンデモ脳科学の世界に入ってきた」と書いていらっしゃる(笑)

S先生は中井久夫と神田橋條治という大御所二人の対談を生でご覧になったことがあるそうだ。そしてS先生いわく、
「二人の会話はまったく噛み合っていない。それなのに、そこから発せられるものが凄い。天才同士が会話すると、ああいうふうになるんだなぁと感じいったよ」
とのこと。両先生を書物でしか存じ上げない俺でも、なんだかよく分かる気がするエピソードである。

大掃除の最中に

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大掃除の分担で風呂をゴシゴシこすっていると、どうやらリビングで転んだらしいサクラが泣きながらやってきた。涙を浮かべて、抱っこをせがむ。泡まみれの手を洗って抱っこしてあげると、

「おへやでころんだの。てって、うったの」

そう説明してくれる。「痛かったの?」と尋ねると、うんと頷く。打ったらしい小さな手のひらを包み込んであげて、

「よーし、それじゃ痛いの痛いの、お外に行っちゃえ!」

そうやって窓の外に投げるふりをするとようやく笑顔が戻った。
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サクラがリビングに戻ったので、改めて風呂をゴシゴシしていると、また走ってやってきた。そして風呂のドアを開けて、

「パパ! なおった!! なおったよ!!」

そう言って手のひらを俺に見せる。

「良かったね~」

「うん!」

そしてまたリビングに走って行った。

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この話を妻にすると、

「リビングで、『てって、なおったから、パパにいってくるね!』って言って駆け出して行ったもん(笑)」

なんて可愛らしいんだ。


写真は平成26年8月10日撮影。

2014年12月22日

DQNネーム、キラキラネームとは何ぞや!?

DQNネーム(読み方はドキュンネーム。バカがつける名前という揶揄を込めてある。最近はキラキラネームというらしい)があれこれ責められているが、ほぼ全ての書類で名前は「よみがな」を書かないといけないし、苗字ですら読めない人も結構いるわけだし、歴史上の人物をみても読み方がさっぱり分からない人が多数いて、今さらDQNだキラキラだと目くじら立てて言うほどのものかなぁと常々疑問なわけである。

だいたいDQNネームならぬ、キラキラ苗字の人はどうすりゃ良いのよ!? 四月一日、小鳥遊という苗字の人もいるわけで。
「いや、それは珍しいから覚えられる」
というのなら、DQNネームも珍しいから覚えろよ。

だいたい、今や全てがスマホかPC管理。名前がDQNで困るのは登録の時くらいだが、それも名乗るほうが生活するうちに「コハクのコに……」とかなんとか、自分の名前の簡単な登録方法は編み出しているだろう。

もっと言うなら、音読みマンセー、訓読みマンセー、みたいなのってどうなんだろう? 音読みはもらいもの、訓読みは日本の独自製法で、ある意味、訓読みこそDQNネームのはしりみたいなものである。例えば子どもから、普通の日常漢字を指さして、「なんでこの漢字をこう読むの?(訓読み)」と聞かれて答えられる人、ほとんどいないでしょ。

では、どういうのがDQNネームかというと、それは「無理な読ませ方」ではなく、「名前の響き」に対して言うべきじゃないかな。たとえば「運子」とか「悪魔」とかね。

読めないからDQNネームというのは、ちょっと時代が古いかな。

「ひらがな」文化を持ちつつ、名前にあえて漢字を使うのは日本人の「粋」であるし、その流れに逆らって平仮名や片仮名の名前をつけるのも「粋」である。そして、そこからさらに一歩踏み出したのがいわゆるDQNネームだ。「イチロー」が「逆に新しい」なんて言われるのと同じで、DQNネームもいずれ「逆に古臭い」ということになるのだろう。

話は少し変わるが、学生時代に小児科をまわった最終日に出したレポートは「名前について」である。大学病院だから数ヶ月後に亡くなる子がたくさんいて、どんな子も、読みにくかろうと、読めなかろうと、ご両親が一生懸命に考えてつけたはずの名前があった。それぞれ一文字ずつ漢字の意味を調べて、ご両親の願いや祈りに想いを馳せた。家族に寄り添うということの第一歩は、そういうことなんじゃないかな。

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「陽翔」「莉琉」「惺梛」「心愛凜」 「赤ちゃん名づけ」年間ランキング

統計はこうしてウソをつく-だまされないための統計学入門


同じ人が書いた続編にあたる『統計という名のウソ』のほうが読みやすくて面白かったが、本書も充分すぎるくらいの良書だと思う。

もっともっと読みやすくして、たとえば小学校高学年や中学生くらいでも読み通せるような本ができれば、ぜひとも我が子らに読ませたい。今のところ、そういう本を知らないので自分で教えていくしかないかなぁ、なんてだいぶ先のことを想像している俺であった。

夜泣きの始まり!?

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昨夜のユウは強烈に泣きまくっていた。俺にどうにかできそうでもなかったので妻まかせにしてしまったが……。サクラが夜泣きした時期はわりと温暖だったので良かったが、この季節は抱っこして寝室から連れ出すというわけにもいかず難しい。

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今夜また泣くようなら、明日は休日なのでリビングを暖かくして俺が抱っこでやってみるか。

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ユウさん、お手柔らかにお願いします。

平成26年8月16日撮影。

2014年12月19日

色のない島へ-脳神経科医のミクロネシア探訪記


神経内科医のオリヴァー・サックスによる旅行記だが、その旅行はただの観光ではなく病気の調査を兼ねている。

最初は先天性の全盲が人口の5%にも達する島のあるマルケサス諸島へ行き、次は筋萎縮性側索硬化症(ALS。つい最近、アイス・バケツ・チャレンジで有名になった)やパーキンソンと似た症状を示すリティコ-ボディグと呼ばれる病気に関して意見を求められてグアムへ。

旅行記が6割、3割が病気の話、1割がソテツの話(リティコ-ボディグの原因という仮説がある)といった感じ。

ユウ50日(もう4ヶ月も前)

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ユウはサクラお姉ちゃんのことが好きなようだ。

というのも、泣いているユウをあやすのはサクラが一番上手なのだ。どうやっても泣きやまないのに、サクラが、ユウちゃーん、と呼びかけて、

「ブーッ!! ブーッ!!」

と唇から音を出すと、ユウはそれだけで泣きやんで笑顔になる。これからも仲良し姉妹でいてもらいたい。

写真は平成26年8月11日。

2014年12月18日

働かないアリに意義がある

アリの群れの中には仕事をしない個体が必ず2割いて、その2割だけを取り出してみると、やっぱりその中の2割が仕事をしない。

そんな話を聞いたことがないだろうか。その逆もある。つまり、働き者の8割だけを取り出しても、全員が働き者になるわけではなく、その中の8割だけが仕事をする集団になる、といったものだ。

2割、8割といった数字は正確ではないにせよ、確かにアリの世界では働き者と怠け者が必ずいるようだ。ではなぜそういうことが起こるのか。どういう仕組みになっているのか。それを本書が教えてくれる。


働き者の代名詞にもなることがあるアリだが、なんと驚いたことに、実は7割のアリは巣の中にいて何もしていないそうだ(働かないアリは2割どころではない!)。また生まれてから死ぬまで働かないアリもいるのだとか。なぜそんな働かないアリがいるのかということの説明として、『反応閾値モデル』というのがある。

アリには刺激に対する反応閾値(これ以上の刺激があったら反応する)があり、その閾値が個体ごとに少しずつ違う。これを筆者は人間集団と部屋の散らかり方で説明している。きれい好きな人を10人集めれば、ちょっとでもゴミがあったら拾わないと気が済まない人と、少しくらいのホコリなら平気という人がいる。その結果、超キレイ好きな人がサッと部屋を片づけるので、多少のホコリには目をつぶる人たちの出番がない。そんな出番のない人たちを10人集めたら、やっぱりその中でキレイ好きのレベルが違うので、出番のない人たちが出てくる。

アリの世界も同様に、「働かないアリ」というよりは「出番がないアリ」が一定数いるということである。

この話以外にも、アリの群れがエサ場までたどり着く最短経路を見つけ出す方法の話も面白かった。発見者の出したフェロモンを正確に辿るより、道を間違う個体がいるほうが、何往復もするうちに徐々に最短経路に近づいていくのだ。間違える者がいるから正解に近づけるというのは、精神科診療でも活かせる場面がありそうな気がする。

とまぁ、そういうことが書いてある前半は読みやすかったが、遺伝の話なども出てくる後半はちょっと取っつきにくかった。

それでも金を払う価値はある本だと思う。

2014年12月17日

涙のテレフォン人生相談

先日、出張の送迎車の中で聴いたテレフォン人生相談はグッときた。

老母を介護する独身52歳女性。80歳を過ぎた母は認知症がひどい。しかし施設には預けたくない、近くにいてあげたい。
母と二人暮らしで、頼れるのは離れたところに住む腹違いの姉だけ。そんな姉に、自分が倒れたら母の面倒をみて欲しいと話すと、
「わたしは施設に預けて、年に4回くらい会いに行く」
と言われた。そんな不憫な最期にはさせたくないから、母が亡くなるまでは自分もしっかりしないといけないと考えている。

「あなたは優しいね……」
女性回答者からそう声をかけられた彼女は、涙声で、
「……、優しくなんかないんです!」
と強く否定した。

夜に寝ない、時には興奮する。そんな母の問題行動に、思わず手をあげてしまうこともあるという。
わたし叩いてしまうんです、母をね、叩くんですよ。それでアザができたことだってあるんです。でもは母それを人には言いません。アザを指摘されても、ニコニコして黙っているんです。わたしに叩かれたなんて言わないんです。わたし、優しくなんかないんです、ぜんぜん優しくなんかないんです……。

これに対して、回答者、鼻をすすりあげ、声を震わせながら、
「これが答えになるか分からないけれどね……、私があなたの親だったら……、私はね……叩かれても……、あなたに介護してもらいたいっ……!」

ラジオから流れる、涙と涙のぶつかり合い。

相談された時って、大切なのは何を語るかじゃないんだね。言葉の中身より、一緒に泣いてくれたり怒ってくれたり、そういうことが大事な時があるよなぁって、しみじみ感じた。

運転手さんと二人して、もらい泣きしそうになったわ。

テレフォン人生相談は、精神科医としても勉強になる。

2014年12月16日

達人が語る短い診察時間 神田橋先生の『精神科講義』より

俺の診療時間は短い。理由はいつくかあるが、最大のものは精神科医になりたてのころに先輩のS先生から、
「精神科の診察室に長居したい患者さんなんて、そう多くない。お前が患者だったらどう? 医者から長々あれこれ聞かれたらイヤだろ」
と言われたこと。あとは診療時間と外来患者数との兼ね合いで、特に昨年度は一人で診ていたので、どうしても短時間にならざるを得なかった。その時期に、井原裕先生の本を2冊読んで感銘を受け、短時間診療のツボみたいなものを学んだ。

神田橋先生は、このことについて達人らしく語っている。
外来に来ている、維持投薬だけをしているような患者さんがいますよね。ある程度の社会生活はできている。そういう患者さんに、一番サポーティブな接し方は、
「今日は質問することが何も思いつかないけれど」
と言うのが、一番サポーティブです。
「あなたのほうで何か質問があったらどうぞ。特に変わりがなければ、いつもの通り、薬をあげるのでいい?」
と言ってあげるのがサポーティブ。
無理やり、「近ごろどうしてるね?」とか「仕事は順調ね?」とかそういうようなことを思いついて、必要があって聞くならいいけど、何か聞かにゃいくまいと思って聞くと、有害この上もないし、順調かどうかなんて聞かないでもパッと見たら分かるんだから。(中略)
何も聞き出されないし、聞きたいことにはきちんと答えてもらえるというのが、統合失調症に限らずね、患者さんにいいです。(中略)
「あそこに行くとなんか話をさせられる」というのはいかんでしょ。
こうやって書いてみると、S先生の言っていたこととかなり似ている。なんだかS先生が凄い人のように思えてきた。ちなみにこのS先生、ちょっと前に大学の医局長になられて、あれこれご苦労が多いみたいだ。

精神科講義

2014年12月15日

症状と自然治癒力 神田橋先生の『精神科講義』より

身体の症状というのは、多くは「自然治癒」あるいは「自己防御」の一つである。

たとえば怪我したり骨を折ったりすると痛い、だからその部分はあまり使わず、全身でかばうような動きになる。そうすることで、そこに外的刺激が加わらずに傷の治りが早くなる。「怪我したから痛い」というより、怪我した場所を使わせないために痛い。痛くなかったら、怪我した場所に気づかずに動かしたり汚したりして治りが悪くなる。

発熱は、体温を普段より高めることで体内の免疫を高めて外敵に対抗する。下痢や嘔吐も、外敵や異物を早めに排除する機構だ。「倦怠感」は病気の結果に見えるが、「動かないようにして体を休ませるため」とも考えられる。「食欲低下」も、「エサを求めてウロウロする必要がなくなり、ただ休むことのみに集中できる」という機能があるとも言われている。

精神症状も似たようなところがあるはずだ。徹夜してナチュラルハイになった経験のある人は多いと思う。うつ病のときの不眠も、憂うつに対抗するためのナチュラルハイを「体が求めて創り出している」という部分があるのかもしれない。「朝がだるくて夕方が元気」という典型的な日内変動も、多くの精神・身体的な活動を要求される日中に療養させるという説明が一応成り立つ。これはもう完全に空想でしかないけれど、そういうようなことが多少はある気がする。

さて、神田橋先生が似たようなことを書いていたので抜粋・引用する。
悪い作用に対して、自然治癒力は反応という形で抵抗する。出てきている状態象というものはこの反応だから、悪い力とそれに抵抗している自然治癒力とのカクテル。
たとえば子どもが独立した。あるいは夫婦別れした。そして独りぼっちになって、寂しくなって、酒を飲んで、アル中になっちゃった。その経過をこういうふうに考えるの。
独りぼっちになった、寂しい。その寂しいのを治療するために、薬として酒を飲む。「寂しい」と、ずっと寝とってもいいけれども、酒でも飲んで、仕事も行って、「何とか酒の力を借りてやっていこう」ということにした。その結果、アル中になっちゃった。
アル中になって人にからむ。からむのは、酒を飲んでもなお癒されない寂しさから、人との関係の中にもう一度戻ろうとしていると考えれば、これもまた一つの自然治癒力で、“人にからむ”という自然治癒力の働きがそこにあるんじゃないか。寂しさを、なんとか癒していこうとする本人の無意識の工夫があるんじゃないか。
以前に紹介した『人はなぜ依存症になるのか』にも通じる言葉である。

2014年12月12日

正常な反応としての不安や不眠 神田橋先生の『精神科講義』より

統合失調症の人に限らず、薬はなるべく少ないに越したことはない。ただ、薬で治療して良くなって、元の生活に戻ったから少しずつ薬を減らしていこうとすると、日常のあれこれで不安になったり動揺したりする。
「だから薬は減らさないで欲しい」
という患者は多い。むしろ薬を追加するよう求められることもある。

ある統合失調症の患者で、
「時どき親と大ゲンカしてイライラしたり眠れなくなったりする」
という人がいて、その不眠やイライラを鎮めるために薬が欲しいと言う。こういう時、はいそうですかと薬を追加するようなことはあまりしない、したくない。それよりは、
「親とケンカして、イライラするのは当然だし、それで眠れなくなるのも不思議ではない」
ということを伝えた後、どうして親とケンカになるのか、どうやったらケンカせずに済みそうか、そういったことを手短かに話し合って、それでもどうしても欲しいとか必要とか、そういうことであれば頓服で処方する。

こうして今までやってきたことを後押ししてくれるような文章に出会った。
ひとりで生活できるようになると、どういうことが起こるかというと、周りのいろんな出来事に対して不安になってきます。動揺したり、迷ったりするわね。それをよく見て、周りの起こっている出来事とその人の不安がちゃんとつながっていたら、これは正常です。生きているということだね。
「そんなときはこうしたらいいかもね、ああしたらいいかもね」
と、コーピングを教えてあげれば、どんどん生活のレベルが上がります。
薬がたくさん入っていると、そういう周りの出来事に対して起こってくる些細な心の揺れとか、ご飯が食べられなくなったり、眠れなくなったりすることが一切起こらない。もう死んだように平穏だ。そして毎日「変わりません。よく眠れています」。そりゃ平穏でいいけどね。
不安になったからこそ嬉しいこともある、生きているわけだから。統合失調症の人がただ静かに日が暮らせるようにすればいい、ということじゃないんだ。
精神科講義

2014年12月11日

質問の工夫 神田橋先生の『精神科講義』より

神田橋先生の『精神科講義』に、質問をする時の工夫についての話がある。その中でも一番面白くて、もの凄く腑に落ちる感じがしたのが、四文字熟語とカタカナ言葉について。
こういう言葉は、分かってないことを分かったみたいにまとめてしまうために使われているからね。
多くの場合、こちらが「えっ?」と思うくらいに、こっちの考えていることと違うことを言います。
「夫婦関係は大事にしています」
とまぁ、ある人が言う。
「そう、あなたは夫婦関係を大事にしているの。で、どんな風に大事にしているのかちょっと教えて?」
「残業のときは、寿司を買って帰るようにしています」
「で、いつも寿司?」
「はい、いつも寿司です」
「あなた、それじゃ夫婦関係を大事にされとるというふうに、相手の人は思わんじゃろう」
というような、そういうふうにびっくりするようなことがあります。
「この人は夫婦の間がズレているんだな。本人は寿司を買っていくということで調整している気になっているけど、何にも調整されていない。夫婦関係を大事にしとるどころか夫婦関係をむちゃくちゃにしてるんだなぁ」
ということが分かって、その人の話がよく分かってくる。そして、そうやっているその人の哀しさが伝わってきて、ジーンとしたりする。共感だ。
精神科講義

2014年12月5日

「共感」にいたるプロセス 神田橋先生の『精神科講義』より

共感について、神田橋先生は、
「思いやり」や「思い入れ」→「思い込み」→「洞察」→「共感」
という流れで進むと言う。このことについて、神田橋先生の言葉を使ってもう少し詳しく書く。
最初は「患者を助けたい、支えになりたい」と考える。その思いやり、思い入れの熱心さが昂じて思い込みになってしまう。
「分かる分かる、あんたの言うことはよく分かる」
みたいな。しかし、そこで立ち止まって、
「いやいや、他人のことなんてそう簡単には分からないぞ」
と考えると、ズレが見えてくる。これが洞察。そうすると、異質な部分が見えながら、ある部分については思い込みのときとは異なった「ジーンとする感じ」が出てくる。これが共感。
本章の中で、この「洞察」が生じるような質問の工夫の仕方が紹介してある。

まずは会話の中の「重要な言葉」に着目する。
「私がこうなったのは、結局母のせいだ」
と言われたら、「せいだ」が重要な言葉であり、
「母のせいって、どういうこと? もう少しそのあたりを話してみて」
と問いを返す。
「母は分かってくれない、だから私はこうなった」
ときたら、
「お母さんが分かってくれる、分かってくれない、というのをもうちょっと詳しく」
と返す。
次に頻度の多い言葉に注目する。
「私は古い人間だから」「私のこういうところが古いんですかね」
というように「古い」の頻度が多い人には、
「あなたの言う『古い』とはどういうこと?」
と尋ねてみる。
精神科講義

名著ときどき迷著。精神科を数年やってから読むほうが良いと思う。

根性むすめ

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ユウの泣き声には根性が入っている。これは長女サクラの時には感じなかったことだ。生後6ヶ月に満たない今現在、ママが料理をしているとかで視界にないと不機嫌になり、そのときの泣き方といったら凄まじい。

そんなユウに向かって、サクラが言う。

「ユウちゃーん、ママりょうりつくってるから、ちょっとまっててね」

このやりとりが面白い(笑)

2014年12月4日

「アクション」と「イメージ」 神田橋先生の『精神科講義』より

診察室での会話においては、「アクション」(行動)には「イメージ」「言葉」「感じる」といった内省的なものを、逆に「イメージ」「言葉」「感じる」といったものには「アクション」を添えてやると良い。

例えばリストカットは典型的な「アクション」である。これに対して神田橋先生は、
多少カミソリに似たようなプラスチックの定規みたいなものを持って、患者さんに手首を切ったときの動作をどういう姿勢でしたのか、そのとき、どういう気持ちが流れていって、どういうふうになったのかを思い出させるんです。思い出させたら、それ以上なにも解釈する必要はないの。ただ「ああ、そういうことだったんだね」と言っとけば、だいたいリストカットはしなくなります。
実際に自分がやってみたとして、こんなに上手く行く気はしないが、そこは達人と凡人の差であろう。ただ、この考え方はすごく参考になるし、そして、根底にある優しさを感じた。神田橋先生はこうも言う。
家庭内暴力の患者さんに、「家庭内暴力をしてはいけません」とか言わんでね。そうではなくて、「あなたが棒で叩く気持ちと、その叩いた棒が当たった瞬間の気持をぜひ知りたいんだけど。あなたは研究してないだろうから、この次、棒を振りまわしたときに、叩くときの気持ちと当たったときの気持をよく観察しといて、治療の時に報告してね。そうすれば一緒に考えられるから」と言っておくといいです。
これもまた達人の技ではあるが、やはり内側にある優しさが感じられる。そして先生は上記二つについて、こうまとめる。
「アクション」というものは、傍らに「内省」が置かれると、興奮が一定以上にかきたてられず、むしろ基本的な「雰囲気」というものに目覚める。
ではこの逆、イメージにアクションを添えるにはどうやるか。
たとえば「あいつをぶん殴ってやりたかったんだ」と患者さんが言うとします。どのぐらいの強さでぶん殴ってやりたいかが分かるとずいぶんいいので、昔よくやってたのは、枕を持ってきて「殴ってやりたいっていう気持ちぐらい枕を殴ってみて」と言って、「ああ、そのぐらいなの」と言うようにするんです。
「落ち込んじゃう」と患者が言ったら、「落ち込んじゃう、という格好をして」というふうに言うと、アクションを通して本人のなかに無意識が明確化されるのです。アクションと言葉の相互作用が重要です。
この本の紹介はしばらく続く。

精神科講義

いろいろ喋る & 寝返り

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些細なところに子どもの成長を感じる今日この頃。

俺が洗面所で歯磨きをしていると、リビングで妻に歯磨きの仕上げをやってもらったサクラがやって来た。そして歯ブラシを俺に差し出してこう言うのだ。

「ねぇねぇ、グチュグチュしたいんだけど」

語尾に「んだけど」をつけるという、たったそれだけのことではあるが、じわじわと言葉の領域を広げていっているんだなぁと感心した。さらに、俺がイタズラで、

「じゃ、パパは先に戻るね」

と立ち去ろうとすると、

「手って、つないどこう」

と手を出してくる。今までは「つなごう」だけだったのが、「つないどこう」になった。手をつないでおけば離れられないと分かっている言い方だ。

子どもの観察は面白い。

そうそう、次女ユウは数日前に寝返りができるようになり、それから寝返りからの仰向けもあっという間に身につけて、今はグルングルンまわるのが楽しいようである。

2014年12月3日

コットの意味は?

ある日、看護師からの指示伺いで「コットが3日ありません、下剤の処方をお願いします」というのがあった。文脈でコットは大便のことだろうと分かったのだが、大便のことをコットというのを初めて聞いたので驚いた。

他の看護師を何人かつかまえて、
「コットって何のことか知ってます?」
と尋ねたら、みんな当たり前のような顔をして、
「便でしょ」
と言う。

医学部の学生時代に、
「何の略か知らずに略語を使うな。元の言葉を知らずに外来語を使うな」
という指導があったので、こういう時はまず調べる。すると、ドイツ語「kot」のことだった。

医師の使う言葉も英語・ドイツ語・日本語のチャンポンだが、看護師も似たようなものらしい。

認知症ケアについて 神田橋先生の『精神科講義』より

認知症への対応は、子どもの発達を頭に入れておくと役に立つ。

1.介護される。
2.意見を言う、イヤと言う。
3.自分で自分のことが分かる。 
4.お手伝いができる。
5.能力を自分でも認め、人にも認められるようになる。 
6.他人を介護する、教える。

認知症はこれを逆に進んでいく。そして、できるだけ成長した段階をあせてあげることが相手を大切にしていることになるし、看護にもやりがいがある。例えば、重度の認知症だと受身の介護だけであるが、ここでたとえばオムツを替える時に嫌がるそぶりがあれば、
「イヤだよね、イヤだったらイヤって言ってみましょう」
と声をかけてみる。これは1を2へ誘導しているということ。オムツを替える時、
「着物のすそをちょっと持っていてね」
とやるのは、4の段階であるし、終わって「ありがとうね」と声をかけてあげれば5の段階に近い。
また、余談ではあるが、女性は姓が変わっていることが多いから、名前で呼んであげるほうが良い。

以上、神田橋先生の『精神科講義』から抜粋したものを文語体に直してある。

精神科講義

名著であり、一部迷著である(笑) 今後、数回に分けて本書の紹介をしようと思う。

雨あがりの朝に

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蜘蛛と雲によって織りなされたコラボレーション作品。

早朝、その見事な作品を見て、すぐに家からカメラを取り出して撮影。

2014年12月2日

慢性疾患では、維持期にこそ医師の力量が問われる

慢性疾患をあつかう医師の力量の差は、穏やかな維持期をどれだけ良好に長く保たせるかにこそあらわれる。たいがいの慢性疾患において、急に悪くなった時の治療というのはある程度パターン化されていて、一定レベル以上の医師であれば誰がやっても治療成績にそう大差はない。

例えば、精神科での慢性疾患の代表である統合失調症の場合、ある程度の経験さえあれば急性期の治療はそう難しくはない。精神科医の腕の見せ所は、急性期から回復し退院した後に、どれだけ長く穏やかな日々を保たせるかにある。通常、新人がいきなり外来を任されることがないのは、「維持期の維持」が一見漫然としているようで、実は高度な診療であることの証左であろう。

テレビやマンガで扱われるのは、どちらかというと救命救急のような急性期を見事に切り抜ける医師たちの姿である。しかし、多くの医療現場ではむしろ、「維持期をいかに長く保つことができるか」が大切になる。医師と患者の信頼関係を基底にして、生活指導、処方の調整、短期入院などの適切な介入を絶え間なく行ない続けるのだ。

ただ、こういう日々のコツコツした積み重ねというのはドラマチックではないので、あまり表に出ることはない。医療というのは、患者や家族には見えない水面下で驚くほど足をバタバタさせているものなのである。

シャボン玉、空へ

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子どもの時、大人になってから、そして親になってからとで、自らのシャボン玉を見つめる眼差しというか、想いというか、そういうものが少し変化していることに気づく。

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シャボン玉は、ため息も祈りも、脆く優しく包み込んで、空へとのぼる。
日常に少し疲れたら、シャボン玉を買って飛ばしてみると良いかもしれない。

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シャボン玉の行く末を見届けたなら、さぁ、とりあえず一歩。

降霊会の夜


浅田次郎の長編小説、というより主人公がふとしたことから参加することになった降霊会を中心にした中編を二つ組み合わせたような感じ。

降霊会ということでオバケものかと思わせ、確かにオバケが出てくるのだが、中身はホラーでもなければオカルトでもなく、人間による人間くさい話。

読み耽ってしまい、あっという間に読み終えた。

単行本のレビューも参考に。

2014年12月1日

漢方薬が美味しい2歳半!?

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鼻炎もちの妻が、先日ここで紹介した漢方薬の小青竜湯を飲んでいると、それを見たサクラが、

「サクラも、おすくりのむ!」(まだ「おすくり」である。言葉の練習「おくすり」参照

と言う。これは苦いんだよ、と説明しても飲みたいと言いはるので、袋に残った漢方薬を数粒、手に出してあげた。それをぺろっと舐めたサクラ、

「おいしい!」

おいおい、マジかよ……、と妻と二人して苦笑。その後、漢方の袋を切り開いてあげたら、その袋を舐めるほどのハマりよう。

また別の日、今度は俺が風邪で葛根湯を飲んでいると、やはりサクラが欲しがる。そこでまた数粒だけ手の平に乗せてあげると、それを舐めたサクラ、

「んーっ! おいしい!」

そして続けて、

「あまーい!」

えっ!! あまい!? と、妻と俺とで顔を見合わせた瞬間、さらに続けて、

「さいこーっ!!」

これには俺も妻も吹き出してしまって、しばらく笑いが止まらなかった。


そんな言葉、いったいどこで覚えたんだ!?

3分間コーチ ひとりでも部下のいる人のための世界一シンプルなマネジメント術


診察室で患者と、あるいは病棟でスタッフと、家で妻や子どもと、何げない会話からその人の可能性を伸ばすことができる、そのためのヒント集のような感じ。シンプルだし、あっという間に読み終わるが、実行できるかどうかはその人次第。

心がけようっと。