2013年2月27日

聖の青春

聖の青春
将棋そのものより、棋士の生きざまや人間ドラマに興味がある。将棋自体はルールを知っていて、やれと言われたらやれる程度である。将棋好きな先輩に言わせると、「将棋はやるもんじゃない、指すもんだ。ちなみに、碁は打つもんだ」ということになるかもしれないが、俺の将棋は指すなんて高尚なものではないしなぁ……。

それはともかくとして、本書は村山聖という棋士がいたという話。あの羽生と五分五分以上に渡り合っていながら、29歳という若さで亡くなっている。子どもの頃から腎臓の病気と戦いながらの将棋だった。何度となく試合を病欠し、将棋の勉強をすることすらできないほどの状態を幾度も経験し、それでも持ち前のセンスとそれ以上の努力と集中力で高みに上った棋士だ。病気がなければ、きっともっと強かったかもしれないし、あるいは病気がなければ棋士などやっていないかもしれない。病気が村山聖を強くした、そういう面も少なからずあるのだろう。しかし、それにしても、哀しい。

挿し絵で将棋の盤面が数ヶ所だけ登場するが、たとえ将棋を知らなくても胸熱くして読める本。

<関連>
将棋の子

2013年2月25日

障害があると分かっている子どもを生むのは親のエゴ?

「障害があると分かっている子どもを生むのは親のエゴだ」

こういう意見はネット上ではよく見かけるし、現実社会でもたまに聞く。ある人が、こんなことを書いていた。

『ある障害者は「自分は生まれたくなかった」と言っていた。彼は親のエゴの犠牲者ではないか』

ちょっと待って。

「障害者本人が生んで欲しくなかったと言うのだから、そんな彼を生んだのは親のエゴだ」

というのは正しいのだろうか?

心身ともに障害がなくても、「生んで欲しくなかった」と言う人はたくさんいる。そういう人が生まれたのも親のエゴなのだろうか。逆に、障害があっても、「生まれてきて良かった」と思う人だってたくさんいる。彼らは親のエゴに打ち勝った人たちなのだろうか。いや、きっとどちらも違う。

生まれてきて良かったか悪かったか、その感想は本人にしか分からないし、感じられないものだ。ただ、考えてみるまでもなく、健常者の親にしろ障害者の親にしろ、全ての親がエゴは持っている。

子どもを授かったと知れば、まず「男の子が良い」「女の子が欲しい」というところから始まる。途中でもし障害があるかもしれない、あるいは早産や流産をするかもしれないとなれば、
「男の子でも女の子でも良い、五体満足で生まれてきて欲しい」
となる。さらに不安が増せば、
「五体満足なんて望まない、元気に泣いて生まれて欲しい」
となるだろうし、そしてついには、
「どんな子でも良い、障害があっても良い、一日でも長く生きて欲しい」
となっていく。親は親なりに、少しずつ、不安の中ですがる希望を変えていく。もちろん、途中で諦めたり、障害のある子なんか要らないと言ったりする親もいるだろう。ただ、こうした親の気持ちのどこからどこまでがエゴで、どこからがエゴじゃないのか、そんなラインはないはずだ。

すべての親が我が子に対して「元気に生まれてきて欲しい」と願う。結果的に、元気な子が生まれたらエゴではなく、障害を持つ子の親になったらエゴだと言われるなんて、どう考えても変だし、なにより悲しいじゃないか。


<関連>
ダウン症児は親を選んで生まれてくる

続・ジャンボ旅客機99の謎

続 ジャンボ旅客機99の謎
先日紹介した本の続編である。今回もなかなか興味深い謎と、それに対する答えを知ることができた。パイロットの帽子の意味なんかのチョットした謎から、もっと専門的なほうの謎まで。まぁ、暇つぶし程度の読書には向いている感じ。

2013年2月23日

ジャンボ旅客機99の謎―ベテラン整備士が明かす意外な事実

ジャンボ旅客機99の謎―ベテラン整備士が明かす意外な事実

飛行機に乗るのはあまり好きじゃない。そこでなんとか飛行機を楽しめないかと思い立ち、本書を読んでみることにした。なるほど、確かに面白い話がいくつかあって(決して全部ではない)、次からは同乗する妻にウンチク披露しようかなと思った。本書で明かしてある、みんなが興味を持ちそうな謎を列挙しておく。

・墜落時に助かる確率の高い座席はどこ?
・着陸よりも離陸のほうが怖いってホント?
・失速すると必ず墜落するのか?
・操縦桿が故障したら、どうなるの?
・もしもエンジンがすべて止まったら?
・飛行中に雷が落ちたら、どうなる?
・機内で発砲! 穴の開いた旅客機は墜落する?
・離着陸時に機内の照明が暗くなる、意外な理由とは?
・客室乗務員が無口になる30秒間って?
・シートベルトが「ジャックナイフ」になる?
・いざというときのための心得とは?

俺の飛行機嫌いを反映してか、いささか縁起でもない質問ばかりであるが、他にも技術的なことや運航プランに関することなども書いてあり、飛行機にちょっと興味がある人にはお勧めできる本。

2013年2月22日

置いてけぼりの梯子

IMG_0766

2013年2月21日

バキューン!!

IMG_6952
お気に入りの居酒屋にて。

2013年2月20日

無免許運転で検挙された者には厳罰を

純無免許運転(一度も免許を取得したことがない者の運転。以後、無免許運転と記載)で検挙された者には厳罰が必要だ。ここでいう厳罰とは、なにも死刑にしろとか、懲役20年にしろとかそういう話ではない。もっとシンプルに、『検挙後、10年間は免許取得禁止』で良い。可能であれば生涯にわたって免許取得禁止でも良いくらいだ。さらにかなり高額の罰金刑を科す。払えなければ、もちろん懲役である。

考えてもみよう。免許が必要で、かつ人の生死を左右できるものの一つに猟銃がある。猟銃を無免許で所持し、さらには無謀な取り扱いをし、時には人を死に至らせる。そんな連中が検挙されて刑に服した後、正規の手続きを踏めば猟銃を所持できるなんて、そんなことが許されるだろうか? 俺は許されないと思う。

自動車免許も同様で、無免許運転で検挙される連中が後日正規に免許を取得することは絶対にあってはならない。無免許運転で検挙される者の大半は、いわゆる暴走族である。今のままだと、猟銃の例えがまさにピタリと当てはまるような連中が、運転免許を取得して凶器を乗り回すのだ。

死刑には凶悪犯罪の抑止力がないという説がある。しかし、無免許運転の厳罰化は、充分に抑止力があると考える。
「それでも乗る奴は乗る」
確かにそうなのだが、毎回のように高額の罰金刑を受けたり懲役になったりしても懲りないような奴まで想定するのは、とりあえずここではやめておこう。

現時点で無免許運転後には、『純無免の場合、運転免許試験の受験資格を喪失するわけではないが、一定期間、運転免許試験に合格しても免許の拒否または保留の対象となる』。この「一定期間」については、茨城県警のホームページで見つけた。
道路交通法施行令改正の概要(運転免許証の欠格期間)
どうやら、

純無免許運転は違反点数19点
欠格期間はなんとたったの1年間

これは甘い。甘すぎる。
亀岡10人死傷、少年に懲役5~8年の不定期刑
(2013年2月19日 読売新聞)
京都府亀岡市で2012年4月、集団登校中の児童らが軽乗用車にはねられ、10人が死傷した事故で、車を運転し、自動車運転過失致死傷罪、道交法違反(無免許運転)に問われた同市の無職少年(19)の判決が19日、京都地裁であった。
市川太志裁判長は懲役5年以上8年以下の不定期刑(求刑・懲役5年以上10年以下)を言い渡した。
起訴状では、少年は昨年4月23日朝、軽乗用車を無免許運転し、通学路を集団登校中の同市立安詳小の児童9人と付き添いの母親(当時26歳)の列に突っ込み、母親と児童計3人を死亡させ、7人に重軽傷を負わせたとされる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130219-OYT1T00856.htm?from=ylist

逃げろ、ボクサー

逃げろ、ボクサー

『スローカーブを、もう一球』と比べると、だいぶ見劣りしてしまった。山際独特の癖のある散漫さが『スローカーブ~』ではいい具合にはまっていたが、本書では散漫すぎるきらいがあって、読み疲れてしまった。

2013年2月19日

喫茶店の喫煙席のPM2.5濃度は、中国の大気とほぼ同等!?


このツイートが、とんでもないリツイート数を記録し、今もその数はちょこちょこと増えている。ここで若干の補足説明をしておこうと思う。とはいえ、あくまでも実際に参加した友人の説明をなぞるだけなのだが。

この講習会で講師が伝えたかったことを友人が完全に把握しているかどうかは分からないが、友人としては、
『同じ2.5マイクロメートル以下の粒子でも、物質内容が違うので、一概に健康被害のリスクが同等と言うものではない。だから、一つの基準の上下だけで大騒ぎしてはならない。また、タバコの害悪を印象づけるという狙いでは、非常に面白い事実だと思った』
とのこと。

みんなは、講師の言葉、それからこの友人の解釈をどのように受け取るだろうか。喫煙者なら「なんだPM2.5なんてその程度か」と思えるのかもしれないし、嫌煙家にとっては死活問題のような感じがするのかもしれない。

俺はどう思ったかというと、現実問題としてこれからずっと外出時にはマスクをつけるなんて生活は無理だし、SPRINTARSを日々チェックして、洗濯物を干すのに気をつけるくらいが身の丈に合っているかなといった程度。

ダブル・ジョーカー

ダブル・ジョーカー
ジョーカー・ゲーム』の続編。といっても、どちらも短編集なので、さきに『ジョーカー・ゲーム』を読んでおいた方が分かりやすいだろうという程度のつながり。いやー、面白い。戦争スパイものというと取っつきにくい印象を受けるかもしれないが、実際には短編なので読みやすいし、最後のひっくり返す感じも気持ち良い。読む本がなくて困っている人がいれば、前作含めてとりあえず読んでみたらと勧めてみたくなるレベル。

2013年2月18日

残穢

ジワジワくる怖い話が好きな人にはお勧め!!

残穢
子どもの頃から怖い話が好きで、読んだり聴いたりしては覚えておいて、キャンプや合宿の時などに語って聞かせて怖がらせるのが楽しみだった。そういうわけで、稲川淳二ほどではないにしても、それなりに年季が入っているわけで、俺の語る怖い話は結構こわい、という評判だ。

ブックオフで副店長をやっていた時代の深夜0時過ぎ。店を閉めて薄暗い休憩室で、バイトの子らを相手にそんな怖い話を聞かせていた。すると、ある一人の男の子が怯えたようにこう言った。
「すんません、副店長、時どきふっと視線そらすでしょ。それもわざとか知らないけど、俺の後ろのほうに」
彼はそう言って、誰も座っていない折りたたみイスを顎でさした。
「そういうのマジ気になるんで怖いからやめてくださいよぉ……」
そうだっけなぁ、あんまり意識していなかったけどと思いつつ、怖い話を語る者として、こういう状況を利用しない手はない。
「いや……、だってさ……、自分でも感じてるでしょ。ていうか、たぶんみんなも。ほら……、そこ」
そう言って、また目線を彼の後ろ、誰も座っていない折りたたみイスへ。
「うわぁぁぁっ」
と肩をすくませて声をあげる彼。すると、
「なんか私も感じるんですけどぅ……」
と影響されやすい女の子が泣きそうな顔で呟く。
「あ、俺も」
「実は私も」
その場にいたバイト達がみんなして、僕も、自分も、そこに何かありそうな、いや、誰かが座っていそうな感じがすると言う。そんな声を聴きながら、俺は思う。
「え……、ちょ……、マジで……?」
内心の怯えを隠して、俺は言う。
「ま、冗談だけどね」
「なんだぁ」
「マジッすかぁ」
「いや、変だと思ったんですよ」
「ビックリしたぁ」
ひとしきり皆で安心すると、誰ともなく帰り支度を始めた。
「じゃ、副店長、お疲れさまでーす」
そうして俺は店閉めをするべく一人取り残される。戸締りを確認し、電気を消して、裏口の灯りをたよりに休憩室から暗い廊下へ出ようとした時、
---キィ
振り返って真っ先に、そして無意識に目をやったのが、さっき話題になっていた、イス。誰かが片づけたのだろうか、折りたたまれて壁に立てかけてある。いや、最初から折りたたまれていたんだったかな? あれ、どっちだったっけ……? 

たしか、誰か座っていたような……。

2013年2月14日

知的障害者をダーツの的に……

知的障害者をダーツの的の前に座らせ、千枚通しを投げ付けたという男が逮捕された。この加害者に対して怒りを感じている人の中にも、たとえば精神障害者が重大犯罪を起こした場合には、
「精神障害者は強制的に入院させるべき」
と……、実際にはもっと直接的に、
「キチガイは檻に入れておけ」
なんて言う人が、いや実際に口に出したり書いたりしないまでも、心の中でそう思う人が少なからずいるだろう。

そして、その感覚は、この加害者と根っこの部分でつながっている。

考えることは自由だし、思うだけでは罪にならないし、言いたいことは言って良い。それを、実際に暴行をした加害者なんかと一緒にするな、と怒られるかもしれないので、一応書いておく。

仰るとおり、確かに同一ではない。

同類なのだ。
ダーツ的前に障害者、千枚通し投げた施設元次長
知的障害者をダーツの的の前に座らせ、千枚通しを投げ付けたとして、福岡県警小郡署は13日、同県小郡市三沢の障害者就労支援施設「ひまわり」の元支援次長坂本静治容疑者(48)(小郡市小郡)を暴行容疑で逮捕した。
調べに対し、容疑を否認しているという。同署は、坂本容疑者が日常的に施設利用者を虐待していた可能性もあるとみて調べている。
発表によると、坂本容疑者は昨年5月、施設の作業場で、知的障害がある男性通所者(56)を壁際の椅子に座らせ、ダーツの的を描いた段ボールを頭上約30センチの壁に掛け、約3メートル離れた場所から千枚通しを投げた疑い。男性には当たらず、けがはなかった。
県障害者福祉課によると、昨年10月、福岡法務局から虐待の情報提供を受け、立ち入り調査を実施。今回の男性を含め、施設を利用する男性4人が2010年夏頃から、坂本容疑者から、暴行を受けたり、エアガンで撃たれたりしていたことが判明した。県は今年1月、施設を運営する同県小郡市のNPO法人「リブロ」(坂本勉理事長)に改善勧告。坂本容疑者は2月10日付で、懲戒解雇されたという。
(2013年2月13日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130213-OYT1T01151.htm?from=ylist

2013年2月12日

将棋の子

将棋は祖父に教わった。小学校の何年生の頃だったろうか。帰省していた正叔父と祖父が、大きな木の台の上に木のオモチャを並べて向かい合っているのを見たのが、俺と将棋との出会いだ。それからルールを教わり、祖父らと何度か対戦して流れを覚えた。

父に将棋を教えたのは俺だった。通算で何局くらい指したか覚えていないが、成績としては父の方が勝ち星が多いと思う。純粋な力量の差ではない。本気で勝ちを狙えば、五分五分以上の成績だっただろう。だが、明らかに見えている良筋にも、俺は駒を進めきれなかった。それで勝ちを逃したことが何度となくあった。父の顔をたてたというような感覚ではない。もっと自分自身の内面の問題だ。勝負に勝つということに、喜びよりも戸惑いを覚える、俺はそういう子どもだったのだ。

その後、なぜか小学校でも将棋が流行した。やはり俺は勝つことに貪欲になれず、その結果、負けることにも悔しさを感じることができず、だんだんと将棋からは離れていった。勝ち負けにこだわらない、と言うと良い意味にも聞こえるが、実際には「こだわれない」というほうが実情に近い。勉強も勝って嬉しかったり負けて悔しかったりを感じたことはあまりなく、その性格はそのまま今に至り、だからプロ野球をはじめとしたスポーツ観戦で自分を投影して、勝った負けたで盛り上がるということもない。

精神科医になると、周囲に将棋好きな先輩が多かった。その影響を受けて、俺も改めて将棋をやってみたのだが、やはり勝負ごとに対して及び腰になる性格は相変わらずだった。先輩たちには勝てないことが分かりきっていたので、これは負けないように逃げているというのが本当のところかもしれない。先輩からはハム将棋を勧められてやってみたのだが、これはコンピュータ相手に良いところなしで負けるので嫌気がさした。

将棋の子
本書は、将棋のプロになる前の段階である奨励会で、ふるいに掛けられ落とされてしまった若者たちを断片的に追いかけたノンフィクション。文章を通して知る彼らの勝ち負けを競う姿には眩しさを感じた。決して将棋の専門的な話は出てこない。棋譜も一つもない。ただただひたすら人間の話だ。そしてその方が俺は面白いと感じる。やはり俺は勝負そのものより、その後ろに見え隠れする人間ドラマの方が好きなようだ。

2013年2月11日

我が家のオーディオシステム

うちのオーディオ・システムは以下の通りである。

まずは一番大事(?)なスピーカー。
BOSE 301V スピーカーシステム

次に大事な(?)アンプ。
marantz プリメインアンプ ブラック PM-5004/FB

最後に、プレイヤー。
marantz CDプレーヤー ブラック CD-5004/FB

スピーカーはヤフオクで落としたので、トータル8万円くらいで揃えた。オーディオ趣味の人にとっては鼻で笑われるようなセットだと思うが、まったくもって不満なし。アンプのほうでビデオにも接続していて、映画を観る時にはスピーカーを使っている。ホームシアターとしても充分だと思う。

妻なんかは、普通の録画したドラマもスピーカーを使って観ている。曰く、
「言葉が聞き取りやすい」
とのこと。確かに、スピーカーだと音量を大して上げなくてもセリフが明瞭だ。

2013年2月9日

ゲートボール場の脇にあった缶の中

IMG_0767

車の窓から田舎の冬空

IMG_1628

IMG_1630

2013年2月8日

内柴レイプ事件、もし俺が内柴を弁護するなら……

内柴に対しては良いも悪いも思い入れはないものの、男として同情してしまう部分がなきにしもあらずである。これまでは内柴の「合意がある」という主張が無意味だと、どちらかと言えば検察側の論点でいくつか記事を書いたが、今回は逆に、もし俺が内柴を弁護するとしたらどのような方法を取るかを考えてみたい。ただし、あくまでも「弁護の方法」であり、彼を擁護するものではない。

さて、準強姦で訴えられた直後に内柴自身が「合意があった」と反論した。これが弁護する側としては痛いとろこだ。被告本人がセックスしたことを認めてしまったからである。これまで何度も取り上げてきたように、内柴が推定無罪を勝ち取るのに合意の有無はあまり有効ではない、というよりほぼ無効だ。それよりは、「本当にセックスしたのかどうか」を争うほうがまだ勝ち目がある。

具体的には、
「当時、自分も大量に飲酒しており、あまり覚えていない。セックスしたと言われればそうなのかもしれないが、自分の記憶ではしていないと思う」
と主張しなおす。こうすれば、密室内で二人きりで起きたことであり、「セックスしたかもしれないし、していないかもしれない」となり、疑わしきは罰せず、つまり推定無罪にかなり近づく。

しかし今さら、「合意があった」と言ってしまったことは取り消せない。そこで今度は、何故あの時そう言ってしまったのかの理由をつけなければいけない。そこで、
「あの時は訴えられたことで動揺してしまい、慌てて“合意があった”と言ってしまったし、その後はそう主張し続けるしかないと思っていた。しかし、冷静になってよく考えてみると、実際にはセックスした憶えがない」
と主張する。当然、心証はかなり悪くなるかもしれないが、少なくともこれで土俵は「性交の有無」を問う、すなわち推定無罪を争う場となる。それに、この部分に関しては痴漢の冤罪と同じで、実際にはセックスしていないのに初期段階で動揺して認めてしまうというのはあり得る話だ。当然巻き起こるであろう男らしくないという非難は承知の上で、無罪を勝ち取って刑務所行きを免れることを最優先する。

もし女性側が精液の入ったコンドームなどを保存していれば、これは動かぬ証拠となってしまうため、「セックスしていない」と主張するのは難しくなる。しかし、それならそれで良い。というのも、これだと女性側がやけに冷静に対処しているような印象を受けるし、女性側の「泥酔していて正常な判断ができない状態でセックスされた」という主張にミソをつけることができるからだ。

また、部屋に送る途中で、あるいは部屋に入ってから内柴も酔っ払って吐いた、と主張しても良い。女性側が「絶対にそんなことはない」と反論すれば、やはり女性の意識や記憶がやけにはっきりしていて、裁判官に「合意は正常判断と考えても良いのではないか」と、少しでもそんな疑問を感じさせることができる。要は、女性側の「重度の酩酊状態であり正常ではなかった」という訴えにケチをつける、それも内柴側からではなく、女性側が反論すればするほどケチがつくように持っていくのだ。

無罪を期待して大逆転を狙うには、こういう方法しかない気がする。ただ、罪を認めたうえで、少しでも心証を良くしたり、被害者の処罰感情を和らげたりすることを目的とするなら、
「被害女性のことが、実は心の底から好きで好きでたまらなかった。教え子というより一人の女性として接してきたし、妻との離婚も考えいた。そういう自分の態度が受け容れられていると思っていた」
といった主張をするのもありかもしれない。ただ、どちらにして「罰から逃れるために、のらりくらりと主張を変える」と反発心だけを招く恐れもある、もろ刃の剣か……。

2013年2月7日

酒を飲んで運転して、なにが悪い!? ~準強姦問題を考える~

さて質問。
酒を飲んで運転するのはどうしていけないのか?
「飲酒運転になるから」
というのは答えになっていない。飲酒運転はなぜ悪いのかに対して、「酒を飲んで運転してはいけないから」と答えているようなものだからだ。

なぜ酒を飲んで運転してはいけないのか。それは、飲酒酩酊が正常な認知・判断・操作を妨げるからである。だから、飲酒後の運転は厳しく取り締まられるし、運転すると分かっている人に酒を飲ませることも同様に取り締まられるのだ。

では、ここで違う質問。
飲酒して酔っ払っている教え子とセックスし、準強姦だと訴えられ、「合意があった」と主張しているのに有罪となるのはなぜか? ここまで読んだ人ならもう分かるだろう。それは、「その合意が“正常な認知・判断”で行なわれたとはみなされないから」だ。

準強姦問題で反論する人の多くが、「女子学生は確かに酒を飲んだかもしれないが、判断力を失うほどには醉っていなかった」といったことを言う。どれくらいの飲酒で正常な認知・判断ができなくなると皆が考えているか、それは飲酒運転を非難する時のことを想像してみれば良い。焼酎一杯で運転はOK? ビール一杯は? サワー数杯は? 梅酒ちょっとは? どれもアウトと言われそうだが、ならばどうして準強姦を訴えた女子学生は「酔いつぶれてはいなかったのだから判断できるはず」「醉っていたとはいっても正常な判断ができないほどじゃない」という風に非難され、被告の「醉ってはいたが正常な判断に基づく合意だ」という主張が支持されるのだろう。

「醉っていたけれど正常だった」は、飲酒運転にしても、準強姦にしても、通じない。この手の話を書くと、「じゃ、醉った女とセックスしたら、男は全員が準強姦で訴えられるのか?」「それが通るなら、怖くて女も口説けない」などと言い出す人がいるので敢えて書いておく。それくらい自分の常識と良識に照らして考えろ。そういうことをいちいち他人に聞かないと判断できないようなら、そして寝た後に訴えられる恐れのある男女関係しか築けないのならば、女を醉わせてベッドインしようなんて考えないことだ。

ここまで書いたことに対して、
『“運転で求められる正常な認知・判断”と“セックスの合意に求められる正常な認知・判断”は違うのではないか。運転での認知・判断には完全が求められるが、セックスの合意は不完全ではあっても正常と認められるのではないか』
という凄くもっともな指摘をする人も出るだろう。そこでそれについても書いてみる。

確かに、運転に求められるのは「完全な認知・判断」であり、性交の合意は「不完全な認知・判断」で良しとするというのは常識的だ。そもそも、完全な正常判断で始まる恋愛関係・男女関係なんて今の日本ではかなり少ないだろう。

となると、不完全さの中のどこに正常・非正常の境界線を引くかが問題になる。そこで、その線引きのためにはある程度の客観的指標が必要で、それは表出する態度などではなく、やはり飲酒量で決めるのが妥当であろう。外から見える態度で決めるなら、女性側が泥酔を装うこともできるし、指標の曖昧さは女性にとってはもとより、訴えられる側の男性にとっても危険である。

内柴事件での飲酒量に関しては具体的にどのくらいか知らないが、裁判では当然に重要視され検証がなされているはずである。女性と内柴以外にも複数の人間が飲酒の場にいたのだから、捜査の過程でわりと正確な飲酒量が分かっているだろう。もしその検証がないままに「女性は酔っていた、だから準強姦だ」という短絡的な判決であるのなら、この裁判はかなり不当である。ただ、ここまで注目された事件でそこまで杜撰な裁判はしないだろうから、有罪が出るということは、飲酒量からみて「仮に女性が合意していたとしても、認知・判断の不完全さは許容範囲を超えており、到底正常な判断とは認められない」と認定されたのであろう。

さらにここまで読んだところで、
『飲酒量ではなく酩酊の度合いで判断するべきではないのか。飲んだあとの酔い方には個人差があるじゃないか』
と思う人もいるだろう。上記したように、酩酊の度合いという曖昧なものを判断根拠にすると、女性側が、
「酔っていないように見えたかもしれないが、自分としては泥酔だった」
という主張も受け容れなければならなくなるし、逆に男性側が、
「女性はフラフラしていたが、意識はしっかりしていて正常だった」
という主張も認められるようになる。これは男女双方にとって危険なので、客観的な指標が必要なのだ。飲酒量を強調するのは、それによってアルコールの血中濃度が推測できるからである。

アルコールがらみの事件の場合、精神鑑定では飲酒量からアルコール血中濃度を推測する式を用いる。また、血中アルコール濃度が脳の判断能力にどの程度影響を与えるかは、長い歴史の中でしっかり調べられている。どういう式で計算し、また血中アルコール濃度と脳の関係がどうなっているか、それらを分かりやすく紹介しているページが、なんとキリンビールのホームページにあった。ビール会社らしい実に素晴らしい配慮だと思う。
血中アルコール濃度と酔いの症状

蛇足ながら、女子学生も未成年で飲酒したのは悪い。しかし、本来であれば指導者が飲酒を止める立場にある。とはいえ、今の日本、高校卒業したら飲酒するのが普通なので、「被告は飲酒を止めるべき指導者だったのに」という批判はきれいごと過ぎると思う。それに、そういうことはほとんど枝葉に近いので、そこで熱く議論してもあまり益がない。個人的には高校生は卒業してから、中卒者は18歳から飲酒して良いのではないかと考えているし、そういうふうに法律を変えたほうが現実的だと思う。

<関連>
内柴レイプ事件、疑わしきは罰せず?
内柴問題は、擁護派も糾弾派も、もっと落ち着け、冷静になれ
内柴正人の準強姦問題について
実は、内柴は女子学生に陥れられたのだ
日本人と飲酒 内柴問題を題材として
「一種の人権侵害 東京・石原慎太郎知事」 価値観の相違……なのか?
飲酒運転:「免職重すぎる」神奈川県教育委、処分見直し
毎日新聞 2013年02月05日
神奈川県教育委員会が飲酒運転をした教職員に行った4件の懲戒免職処分うち、3件が県人事委員会の採決や裁判所の判決で「重すぎる」などと処分を覆されていた。県教委は処分指針の運用を見直し「個別の状況で判断する」方針に改めた。兵庫県加西市職員の免職取り消しが確定した09年の最高裁決定以降「飲酒運転したら懲戒免職」という基準を見直す自治体が相次いでいるが、いまだに明確な判断基準はなく、処分に苦慮するケースが出そうだ。【松倉佑輔】
全国の自治体で飲酒運転の厳罰化が進んだのは、06年8月に飲酒運転の福岡市職員(当時)に追突され、幼児3人が死亡した事故がきっかけ。神奈川県教委も同年9月に懲戒処分の指針を改定し、二日酔い以外の飲酒運転は免職とした。以前は酒気帯びで事故を伴わなければ停職だった。
これまでに県教委が改定指針に基づき免職処分にしたのは4人。しかし昨年9月、酒気帯び運転した茅ケ崎市立中の教諭の処分を「懲戒免職」から「停職6カ月」に軽減した。
この教諭は11年7月、飲食店でビールを2杯飲んで別の飲食店に車で向かっていたところで検問を受け、翌月懲戒免職となった。教諭の不服申し立てに県人事委は▽事故を起こしていない▽生徒らから復帰嘆願書が出ている−−などとして「免職は重すぎる」と判断。県教委の処分を初めて修正する裁決を出した。
この教諭のほかにも、免職処分になった2人が免職処分取り消しを求めて提訴。いずれも県教委側の敗訴が確定した。09年の最高裁決定以降「飲酒運転による免職は過酷」との司法判断が相次いでおり、県教委は「飲酒運転は引き続き厳しく処分するが、判決や裁決も参考に、個別の状況で判断したい」と従来の方針を改めた。
横浜市も07年10月、市営バス運転手の乗務前検査で呼気1リットル当たりのアルコール量が▽0.15ミリグラム以上なら懲戒免職▽0.10〜0.15ミリグラムは戒告−−などの基準を設けた。大阪市は0.15ミリグラム以上で停職1〜3カ月、名古屋市は1回目の検知は停職としているのに比べ、異例の厳しさだ。
市内部でも「厳しすぎる」との声が上がり、市は基準導入時から乗務前検査の前に運転手が自主検査できる仕組みを採用。全営業所に同じ検知器を2台用意し、自主検査での検知は0.15ミリグラム以上で戒告とした。
http://mainichi.jp/select/news/20130205k0000e040174000c.html

異国トーキョー漂流記

異国トーキョー漂流記
高野秀行のファンになって日が浅い。まだ半年くらいか? 去年の秋にワセダ三畳青春記を読んだのがきっかけで、すでに何冊読んだだろうか。肩のこらない文章と、意外に奥の深い見方や考えに魅かれる。本書もやはり良い本で、これからも高野を応援していきたい。

2013年2月6日

脱衣所にて

IMG_4997
家の中でなにか面白い写真が撮れないか、ふと思い立ってうろうろしてみた。水回りのほうがいろいろありそうだなぁと脱衣所に行くと、窓から差し込む光が洗剤たちの色つきボトルを透過して良い感じ。

妻の撮った写真

PC012710
写真素人だった妻がちょっと本腰を入れて撮りはじめて2年近く。オリンパスのカメラだと、ドラマチック・トーンでぐっと引き締まった写真が撮れて、ますます撮影が好きになるみたい。

OLYMPUS  PEN Lite E-PL3 レンズキット

凄く値下がりしていて、3万円以下。お勧めのカメラではあるが、できればキットレンズ以外にパンケーキレンズと呼ばれる下記レンズを買って撮るのが楽しい。
Panasonic   マイクロフォーサーズ


実家近くの畑にて

IMG_1090

2013年2月5日

小論文的思考と作文的思考

このブログではこれまで、てんかん、胎児診断、安楽死などをキーワードとした色々なニュースについての意見をネットで見たうえで、それらの意見に対するアンチテーゼのようなものを書いてきた。こういう記事を書くとき、いつも疑問に思っているのが、どうしてこうも想像力に欠けた意見が多いのだろうかということ。言っていることは論理的であったり感情的であったり、それは人によって様々ではあるが、どっちにしても想像力の欠けたものには反論したくなるのだ。もしかしたら、彼らは敢えて想像力を排除しているのかもしれないが。

先日、「本人が望むなら良い」という単純な話では終わらないというエントリについてフェイスブックで友人らや高校時代の先生と話し合っているうちに、ふと『小論文的思考』と『作文的思考』という言葉を思いついた。

情報過多の社会では、ニュースのキーワードは、それぞれが記号のようなものになってしまっているのではないだろうか。現代用語辞典の見出しと大雑把な解説がありさえすれば、小論文でそれなりのものは書けるようになる。でも、決して、現実の自分や家族のこととしては考えない。そこに想像力を交えることをしない。これを小論文的思考とする。

一方で、「お父さんの仕事」とか「お姉ちゃんの妊娠」とか「お母さんの入院」とか、そういうタイトルで語るように、自分や家族の身近な問題として捉える。たとえ言葉づかいが高尚でなくても想像力を駆使して考える。これを作文的思考とする。作文的思考では、てんかんや胎児診断、安楽死については、ごく簡単な具体例として以下のようになる。

「お父さんはてんかんで薬を飲んでいますが、ぼくが生まれる前からずっと発作は起きていません。でも免許が取れなくなってしまって、そのせいでタクシー運転手ができなくなりました」
この人に、てんかん患者からは一律で免許を取り上げて当然だ、という言葉を投げつけることができるだろうか。

「お姉ちゃんが妊娠して、ぼくにも甥っ子、もしかしたら姪っ子ができるかもしれないと嬉しく思っていました。でも採血で検査したら、ダウン症が見つかりました。お姉ちゃんは、お義兄さんと何日も話し合っています」
このお姉ちゃん夫婦に、ダウン症と分かっているのなら生むべきではない、などと言えるだろうか。

「お母さんが事故に遭って、目と耳が不自由になりました。お母さんは、こんなことなら安楽死させてもらったほうが良いといつも泣いています。ぼくはお母さんが死んでしまうのは嫌です」
この子に、お母さん本人が望むなら安楽死も認めるべき、と簡単に主張できるだろうか。

もちろん、感情論混じりな作文的思考で全ての話がまとまるわけがないのだが、想像力を欠いた小論文的思考だけが優先されて行きつく先は、「間違いの少ない世界」ではあるかもしれないけれど、「楽しい世界」ではないように思えるのだ。

<関連>
てんかん患者には運転免許を持たせるな!?
ある未来を選ぶことは、別の未来を捨てること
「本人が望むなら良い」という単純な話では終わらない

デフレ化するセックス

デフレ化するセックス
脱げば金になる。そんな時代は終わったのだ。今や、顔もスタイルも、さらには性格や家柄、学歴などが良くないと、裸になってもセックスしても大した金は稼げない。AVプロダクションに100人募集があったら、70人は書類審査(要するに顔写真)で落選。風俗店も、顔面偏差値が50くらい(クラスの女子20人で10番くらい)だと、一生懸命フェラチオしても手にする金は予想をはるかに下回る。そんな割に合わない仕事なうえに、ヤクザが関わってくるのがほぼ確実で、リスクとリターンのバランスが取れていない。

ではなぜ性風俗の世界に足を踏み入れるのか。人によっていろいろな理由があるのは当然だが、娘を持つ親には知っておいて欲しいことがたくさん書いてある。大切な娘を性風俗なんかで働かせたくない父親にこそ読んで欲しい一冊。

<関連>
職業としてのAV女優
セックスレスキュー
封印されたアダルトビデオ
セックス障害者たち

2013年2月2日

内柴レイプ事件、疑わしきは罰せず?

内柴レイプ事件で、疑わしきは罰せずとか被告人の利益にとか言っている人は、実はまったく事実を認識できていない。
「酒を飲んで酔った教え子とセックスした」
これは内柴自身が認めていることで、なんら疑わしくないのだから。

では、どうして「疑わしきは罰せず」などという言葉を思いつくのか。それは内柴の心理と同じで、「合意があった」ということにこだわるからだ。内柴は「合意があった」と主張する。被害者は「強姦だ」と訴える。
「なんだ、互いに正反対のことを言っているじゃないか。だったら疑わしきは被告人の利益にが原則だろう」
ちょっと待て。これは裁判なのだ。被告と原告の主張が正反対なのは当然だ。それをもって「疑わしきは罰せず」という言葉を持ち出すなんて、まったくもってナンセンス。それが通れば、ほとんどの被告が無罪だ。

互いの主張ではなく、起こった事実を重ねていき、内柴に非があったかどうかを検証するのがこの裁判だ。合意の有無は、この際あまり重要ではない。一番大切なのは、「相手が酔っていた」という一点に尽きる。そしてそれは内柴も認めていることなのだ。

内柴レイプ事件を痴漢冤罪と並べて論じる人も結構多いが、それもまた変な話で、こういう人はちょっと痴漢冤罪事件に引きずられて被害妄想的になっているんじゃないだろうか。敢えて痴漢冤罪と同列に語るなら、内柴は、
「痴漢したことは認める。しかし、相手は酔っていたとはいえ合意があった」
と言っているようなものだ。そしてその主張が滑稽なのは、誰が見ても分かるはず。

控訴は被告の権利だから、内柴憎しの人たちが勢い余って、彼の控訴に対してどうこう言うのも変だけどね。

<関連>
内柴問題は、擁護派も糾弾派も、もっと落ち着け、冷静になれ
内柴正人の準強姦問題について
実は、内柴は女子学生に陥れられたのだ
日本人と飲酒 内柴問題を題材として
「一種の人権侵害 東京・石原慎太郎知事」 価値観の相違……なのか?
内柴被告実刑:不満げな表情「控訴させてもらう」
毎日新聞 2013年02月01日 

酒に酔って熟睡していた10代の女子柔道部員に性的暴行をしたとして準強姦(ごうかん)罪に問われた九州看護福祉大(熊本県玉名市)元コーチでアテネ・北京両五輪の柔道男子66キロ級金メダリスト、内柴正人被告(34)に対し、東京地裁は1日、求刑通り懲役5年の実刑判決を言い渡した。内柴被告側は即日控訴した。

この日の法廷に白いシャツと黒のカーディガン姿で出廷した内柴被告は実刑判決を言い渡された瞬間、握った拳をかすかに震わせた。両手で顔を覆い、動揺を隠さなかった。

公判では一貫して「(性行為は)合意の上だった」と無罪を主張。判決を読み上げる裁判長が「明らかなうそ」「虚言をろうして」などと厳しい言葉を重ねると、腕組みをして不満げな表情を見せた。いすに何度も座り直すなど、落ち着かない様子も見せた。

言い渡し後、裁判長が控訴できることを説明すると、被告はすぐさま「させてもらいます」と発言した。

一方、女子部員は代理人の弁護士を通じてコメントを出した。「これまでのことが、やっと報われたと思います。事件そのものによるつらさに加えて、法廷でも証言をし、被告人のうその弁解を聞かされることによって、つらい思いをしてきました。でも、私は間違ってなかった、勇気をもって告訴してよかったと思います。ただ、正しい判決がされても、私が受けた苦しみは完全に癒えることはありません」などと記している。【鈴木一生】

◇内柴被告の弁護団が会見

内柴被告の弁護団は東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見。内柴被告は弁護団を通じ「応援してくれている人にとっては残念な結果になってしまいましたが、まだ僕には頑張る気持ちがあるので、もう少し待っていてください。僕は無実です」とコメントした。

閉廷後に約1時間接見した弁護団によると、内柴被告は大変ショックを受けた様子だったという。弁護団は「極めて情緒的で不当な判決」と話した。
http://mainichi.jp/select/news/20130201k0000e040176000c.html

人の殺され方

人の殺され方
グロい!! 遺体の写真がたくさんあるので、苦手な人は読まないほうが良い。文章量もけっこう多く法医学的な内容がてんこ盛り。ただ、医学的にはちょっと間違いがあるということだが、法医学のテキストでもないし、そこまで厳密さを求めて読むわけでもないので問題なし。