2013年1月29日

ちょっとしたマスコミ論、視聴者論

酒呑みながら、だらだらテレビみていてふと気づいた。一頃に比べて、外国人から見た日本の「ここがダメ」「これがおかしい」という番組が極端に減った。かわりに、「日本のここがイイ」を推し出す内容が増えてきた。尖閣や竹島問題からも分かるように、つまりこれが日本の右傾化なのだ、なんて言わないけれど、ほんの10年前には『ここがヘンだよ日本人』みたいに、外国人がよってたかって日本を悪しざまにいう番組が流行っていたのだから、テレビも変わったものだ。

本もラジオもテレビも映画も、あらゆる表現媒体にそれぞれの「意図」があり、真の意味での「客観的」なものなど皆無だ。客観的そうな「アンケート結果」ですら、質問者、解析者、発表者の意図に左右される。そのことは意識しすぎなくらいに意識したほうが良い。もし、「我こそは客観的である」というジャーナリストがいたら、そしてもしそいつが本心からそれを信じきっているのだとしたら、それほど怖いジャーナリストはいない。独善的、という言葉はそういう連中のためにある。

東日本大震災の発生からしばらく、テレビは右に倣えである種の映画やドラマを放送自粛した。あれと同じようなことが、今も実はもっと小さなレベルでひっそり行なわれている。バラエティ番組が日本非難から日本礼讃に変わったのも、あまりにも地味なので皆が気づかないか、気づいてもそれを取沙汰しないだけだ。

大衆がマスコミに洗脳されているのだろうか、それとも、マスコミが大衆に迎合しているのだろうか。これは、きっと両方だ。尖閣・竹島問題、イジメ自殺、尼崎連続殺人、政権交代、体罰自殺……。話題は次から次へとかわり、視聴者は自分の主観的な怒りを客観的な装いで代弁してくれるような、目や耳に心地良い番組を選ぶ。マスコミは視聴率・販売部数を伸ばすために、視聴者の好みそうな題材を次から次へと探し出しては使い捨て、主義主張なく視聴者好みに調理する。こうして大衆とマスコミは、洗脳と迎合の螺旋階段を上へ下へと大騒ぎする。それはまるで、リーダーがいないまま本能的に右往左往する小鳥や小魚の群れのようだ。

基本的に視聴者でしかありえない我々はどうするべきなのか。これは至って簡単な話で、ただひたすら「意識する」、これだけ。テレビでやっていること、週刊誌や新聞で書いていること、それらはすべて、製作者・執筆者、テレビ局・出版社が何らかの「意図」のもとで創っているというのを意識する。たったこれだけとはいえ、今までのように漫然と見て、波に乗って憤慨して、流れに従って批判することと比べると、確かに少し面倒くさい。

ちょっと意識するだけで、この世の中は必ず変わる、わけがない。意識することで変わるのは、世の中ではなく、自分自身なのだ。

2 件のコメント:

  1. こんにちは。自分の周りでは、昔に比べて「テレビで言ってたんだから間違いない!」的な言い方をする人が少なくなったような気がします。
    確かに、自分としてもテレビ番組なんて「所詮、報道側のイデオロギーやスポンサーの意向を反映している等製作物なんだから」
    という姿勢で見ているつもりだったのですが、
    最近のテレビはいわゆる「空気読んでる!?」という感じで、まさにおっしゃるように大衆迎合しているのか、
    もしくは大衆迎合している「ふり」を見せて、どこかにミスリードしようとしてるのか、、、
    日本のメディアの報道自由度は世界の中でも低い方という調査結果もあるようですので、自分としても最近のテレビの流れには戸惑いを感じています。

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    1. >たわしさん
      確かに、大衆迎合していると見せかけて、気づかないところでコッソリとミスリードしたい何かを挟んでいるかもしれませんね。やっぱり、テレビを見る時にはかなり用心しておいた方が良いなぁと、つくづく思います。

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