2012年6月30日

精神科へ強制入院、家族同意不要に……厚労省方針

我が目を疑うようなニュースが飛び込んできた。
精神科へ強制入院、家族同意不要に……厚労省方針
統合失調症や認知症などの人を強制的に精神科に入院させる「医療保護入院」について、厚生労働省は29日、入院時に義務づけられている家族の同意を不要とする方針を決めた。
家族の同意を外すのは、現行制度の原型を定めた1900年の法制定以来初めて。また、入院中も患者の権利を擁護するため、患者が「代弁者」を選べる新たな仕組みの導入などを盛り込んだ、精神保健福祉法改正案を来年の通常国会に提出したい考え。
医療保護入院は、入院治療の必要性を本人が理解できない場合、精神保健指定医の資格を持つ医師1人の診断と、家族(保護者)の同意で入院を強制できる制度。1年間で精神科に入院する約38万人のうち、14万人が同制度で入院している。
(2012年6月29日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120629-OYT1T01128.htm?from=tw
保護者の同意を必要としない措置入院や緊急措置入院という制度がすでにあるのに、医療保護入院 でも保護者の同意を不要とするなんて……、裏にいったいどんな意図があるんだろうか。

この厚労省の方針を良心的な目で解釈すれば、例えば身寄りがなかったり、親族がいても関わろうとしなかったりというような患者で、どうしても入院治療が必要な場合に、家族の同意が不要なら確かに手間は省ける。しかし、これは市町村長同意という代替方法があるので、やっぱり何故同意不要なのかの説明にはならない。

この方針は、簡単に言うと、精神科医が「この人は入院が必要」と判断すれば、もし配偶者や親兄弟が入院に反対しても強制的に入院させられるということだ。まるで警察の逮捕権のようなものを精神科医に与えることになる。これはかなり恐ろしいことだと思う。

現場の精神科医からしてみれば、面倒な手間が一つ省けることにはなる。それでも、とてもじゃないけれどこの制度には賛成できない。精神科医が楽になるのに反対する、それくらいにヤバイということだ。

ツイートまとめ

努力だけで一流になれるわけではない。どんなに頑張ってみても、追いつけない人たちがたくさんいる。しかし、誰かに追いつくためではなく、“君の最高値”に近づくためには、やっぱり君自身が努力するしかない。
似顔絵を描くときの鉄則は「男は2割増し、女は3割増し」。そうしないと満足してもらえない。鏡に映る自分と、隠し撮りされた自分の顔が違うことを思えば当然のことだ。人は鏡の前で無意識に顔を創る。そして普通の人は、鏡の中の「創った自分」の顔しか知らないものなのだ。
ヌイグルミの口元にスマホ持っていったらヌイグルミが喋る、そんなオモチャが紹介されていた。そんなものに慣れた子どもが本物のペットを育てきれるとは思えないし、まして子どもを育てるのは大変だ。言葉の通じないものを相手にして試行錯誤することがペット飼育であり、子育てである。
「貧困」をもう少しきちんと定義しないと、ネット広告では「貧困が原因で4秒に1人死ぬ」と出てくるのに、「貧困ビジネス」なんて言葉もある。どちらも同じ「貧困」とは思えない。日本に4秒で1人死ぬような「貧困」なんてないし。日本の貧困層について熱く語る人は、定義をハッキリさせて欲しい。

寝かしつけ

P6169281
妻は上手い。

2012年6月29日

当たる占い師が流行るわけではない。

どこそこの占い師が当たる、という噂はよく耳にする。飲み会でも、特に女性がそんな話をする。そして、俺は毎回、酔っ払いながらも以下の説明をする。

人が誰かに勧める占い師は、当然ながら当たった占い師だけだ。当たらなかった占い師の話など、ほとんどされない。されても、聞いた方はそれをわざわざ覚えようとはしない。占い師のところに行くときには、多くの人が「当たると教えてもらった」占い師のところへ行く。

占い師に言われたことが、ズバリ当たる人もいれば、ハズれる人もいる。そして当たった人は広めまわり、ハズれた人はこんなものかと思うだけ。こうして、「当たる」という話題はどんどん広まり、「ハズれた」という話はすぐ消える。流行る占い師の所へは多くの人が訪れるから、必然的に当たる人の絶対数が増える。つまり、一度「当たる」という評判さえ作ってしまえば、その占い師は「当たる占い師」として食べていけるのだ。

そういう感じの説明をした後に、

「だから、占い師の言うことなんて信じるな」

そんなことを言う。そうすると、相手は少し感心したような顔をしてこう言う。


「ねぇねぇ、先生ってA型でしょ?」

……。


そうそう。


血液型占いというのはね……。


そしてまた、俺の長説法が始まる。

<関連>
血液型占いなんて信じない、でも……
断言しよう、血液型占いは当たるのだ。

毎日メロメロ

IMG_2835

IMG_2836

IMG_2837

IMG_2839

IMG_2843

IMG_2844

IMG_2846

IMG_2847

2012年6月28日

マッチ・ポイント

第三セット14対12。
一本落とせば、負ける。
第一セット15対3で取られ、開き直った第二セット。
ひたすら粘り15対13で取り返した。
彼はラケットでふくらはぎを叩き、震える足の感覚を取り戻そうとした。
グリップを強く握る。
シャトルを打つ力は残っている。
相手がサーブの構えに入る。
彼はシャトルに集中しつつ、ネット越しに相手の動きを注視した。
ロングか、ショートか。
来た! 
ロング。
フォア奥に来たシャトルを、彼はストレートのクリアで返そうとしたが、
右足親指に痛みが走り、体がぶれた。
シャトルはまっすぐ飛んだが、距離が伸びない。
相手がシャトル下に入り込んだ。
何が来る? 
彼は全身をバネにして相手のショットを待った。
ほんの一瞬、時間も空気も止まったような緊張感。
クロスカット。
彼は冷静にシャトルに追いつき、フェイントを入れて、ヘアピン。
きれいな軌道。
相手が勢いよく前に出て、バック奥に大きく返してきた。
取る! 
ひたすら足を運び、ストレートのクリアを打った。
相手の動きを追う。
相手もストレートのクリア。
また、バック奥。
右足親指が気になり、シャトル下に入り遅れた。
手打ちのシャトルは、中途半端なクリアになった。
それはつまり、相手にとってのチャンスボール。
来る! 
彼は身構えた。
スマッシュレシーブは得意だ。
レシーブから巧く切り崩して、逆にチャンスを作ってやる。
案の定、スマッシュが来た。
フォア側、ライン一杯。
右手を思い切り伸ばしながら、グリップを端一杯に持ち替える。
届け! 
シャトルがフレームに当たった。
ギリギリ。
汗が落ちた。
シャトルはネットすれすれを越えた。
相手が体勢を崩しながら追いつき、シャトルを上げてきた。
しかし、中途半端だ。
跳びつけ! 
彼は、右足に力を入れた。右足がフロアを蹴る。
しかし、右足に伝わってきたのは、大きく滑る感覚。
汗。
汗で滑った。
左手をフロアにつき、左足を蹴りだす。
追いつける! 
なんとか追いつきバックハンドで打ったシャトルは、緩く、相手正面へ飛んだ。
シャトルが、彼の足下に叩きつけられた。
足の力が抜け、フロアに両膝をついた。
両手をつくと、相手もネットも見えなくなり、フロアがにじんで見えた。
そしてそこに、ぽたり、ぽたりと、しずくが落ちた。
ゆるゆると立ち上がり振り返ると、仲間たちが目に入った。
仲の良い後輩が遠慮がちにタオルを渡してくれた。
タオルで顔を覆った。
ちくしょう、汗が止まんねぇ。
軽い調子で出したはずの声が、かすれて、震えた。

デレク・シヴァーズ  「変? それとも違うだけ?」 TED

こういう感覚は常に持っていたい。

オムツ交換中!!

P6169272

P6169261

P6169265

P6169273

2012年6月27日

頭の中での思考は、言葉に出す50倍から80倍の速さで流れる

医学生時代にコーチングの本を読んでいたら、
「頭の中での思考は、言葉に出す50倍から80倍の速さで流れる」
といったことが書いてあった。だから、言葉で表現しない考えは、そのあまりの速さに、本人が「考えている」ということさえ意識できないままに、頭の中を一瞬にして過ぎ去っていく。コーチングでは、質問することでそれらをうまくすくいあげて言葉にさせ、本人がきちんと意識できるようにする。そして、これだけで色々な問題が解決に向かうことが多いのだ。

こんな話がある。テニスのコーチが、友人に代理コーチを依頼した。この友人は実はテニスの初心者だったが、スキーのプロコーチだった。さて、その代理コーチのテニスレッスンはうまくいったのだろうか。ふたを開けてみると、実に評判が良かった。代理コーチはどのような指導をしたのかというと、実はほとんど指導などしておらず(しようと思ってもできない)、ただ初診者として素直にたくさんの質問をしたのである。例えば、「ミスショットするボールって、打つ前にどんなふうに回転しているのか教えてくれないかい?」と聞かれた生徒は、普段は意識せずにボールを打っていたが、質問に応えるためにボールをよく見るようになってミスが減った。コーチングが上手い人というのは、適切なアドバイスをたくさんする人ではなく、適切な質問で相手から考えを引き出すのが上手な人のことという一例である。

ところで精神科の診察室を考えてみると、患者に限らず一般の人の多くが、
「精神科にかかれば適切なアドバイスがもらえる」
と思っているようだ。上記したように、アドバイスするよりも質問して引き出す方が非常に効果的なことが多い(そのかわり難しくもあるが)。ありきたりな助言や説教なんて、言われた方の頭にはほとんど残らないものだ。そもそも「説教がそんなに効果的なら自分にしろよ」と、これは学生時代に愛読したコーチングの本に書いてあったセリフである。アドバイスをするよりは、質問することで、患者の頭の中を高速で通り過ぎてしまっている「考えや感情の素」のようなものを意識の網に引っ掛けてあげるほうが、問題解決に近づきやすい。逆に、いくら質問しても考えや感情をうまく言語化できずに、あるいは言葉で表現しようとせずに、こちらに答えだけを求めて「先生はどう思いますか?」といった質問を繰り返すような人はなかなか改善しない。


<参考>
学生時代に感銘を受けたコーチングの本を紹介しておく。この記事を書きながら、改めて読みなおそうかなと思った。名著である。

もしもウサギにコーチがいたら―「視点」を変える53の方法

生後4ヶ月!!

IMG_3060
昨日、6月26日でサクラは生後4ヶ月。というわけで、先月に引き続き今月も妻がケーキを作って文字入れ。前回よりも文字入れが上手くなっている。

バイブを買いに

バイブを買いに
タイトルと表紙が過激だ。しかし、中身は案外繊細で、嫌いじゃないけれど、かといって俺はこういう小説は好きではない。男女のドロドロした部分を女性目線で描いてあって、本の中で「セックス」という言葉をこう何回も目にするのはエロ本以外ではそうないかもしれない。官能小説ほどエロではないけれど、爽やか恋愛小説でもなく……。

電車の中なんかで堂々とは読みづらい本かな。

2012年6月26日

確かに可能性は無限大、でも個々人の能力には限界がある

世の中には、
「可能性は無限大だ!!」
と能天気に主張したり他人を応援したりする人がいる。確かに可能性は無限大だということは認めるが、可能性を実現させるための「能力」は無限ではない。人によって大きく違う。努力では埋められない部分というのは確実にある。

生来の能力の限界を無視しがちな人は、
「努力が足りない」「根性がない」「甘えだ」
といったことを平気で口にする。その根底には、
「自分ができることは、他人もできて当たり前」
という勘違いがある。この勘違いをさらに突き詰めていくと、それはその人の謙虚さ、すなわち、
「こんな自分だってやればできたんだから、他の人ができないはずがない」
といった気持ちに起因するのかもしれない。しかし、努力不足、根性なし、甘えるなと言われた方はたまらない。ストレスを感じて落ち込むか、逆に荒れ狂うか、いずれにしても良い結果は期待できない。

精神科的には、感情的な表現の激しい家族を『High EE Family』という。EEとは、Expressed Emotionの略で、表出される感情とでも訳しておこう。このHigh EEの家族内の精神科患者は再発や増悪をしやすい。日常的なストレスが精神疾患に悪影響を与えるからだろう。そして、こういう家族にいるのが前述した、「能力の限界を、努力や甘えのせいにしてしまう人」である。確かに、家族の能力の限界を認めてしまうのは、ともすれば冷淡と感じられるかもしれないが、逆に、「やればできる、できないのは甘えだ」と責めるのは、優しいようで実は非常に残酷なことである。

あなたがイチローやマツイ、あるいはナカタやカズのようになれないのは、決してあなたの努力が足りないわけでも根性がないわけでもない。それと同じで、あなたが甘えだと責めているその人も、あなたのようには上手くできないだけなのだ。こんな単純なことを、ただ知ってもらうだけなら簡単なのだが、自分や家族にあてはめて理解して、穏やかな環境を築いてもらうというのが難しい。

KISS

IMG_2874

IMG_2879

IMG_2878

P6169249

P6169250

P6169251

P6169252

P6169253

P6169254

P6169257

P6169260

極私的メディア論

極私的メディア論

相変わらず森達也がああでもないこうでもないとウジウジとしたことを語っているが、人や物や事象を多面体としてとらえ、かつ自分が見ているのはあくまでも一視点からであることに自覚的であるべきだという、その姿勢が精神科医にも通じるものがあり、森の本はなんだかんだでもう何冊目かになる。

何が正しくて何が間違っているのか、そういうことを議論するのではなく、「あなたが正しいと思っている考えは否定されるべきものではないが、だからといって、あなたが立っている場所に関して無自覚でいることは良くない。立ち位置によって見え方は違う。そして、そこから見えるものは決して間違いではない。でも自分がどこに立っているかは自覚しておこう」というようなことをしつこいくらいに書いている本である。

2012年6月25日

ヒヨコ3兄弟

IMG_2939
近所の量販店で安かったので買ったのだが、いざ風呂に浮かべてみるとバランスが悪くてまともに浮かびやしない。ちくしょうこのメイドインチャイナめ、というわけで風呂からは撤退して、カメラ撮影用の小道具になった。

へき地保育所を発見

IMG_2927


IMG_2926
お巡りさん、不審者です!!w

いや、保育所のフェンス際に植えられたヒマワリを写真撮影している嫁でした。


IMG_2934
保育所のフェンスには、ヒマワリが良く似合う。

2012年6月24日

コウちゃんのあおい空

小学生のとき、会話のテンポが僕たちより少し遅くて、国語の教科書を読むのもつっかえつっかえで、算数の足し算、引き算が苦手で、そのうえ運動も下手な子がいた。彼の名はコウジ、みんなからはコウちゃんと呼ばれていた。勉強も運動もからっきしダメなコウちゃんは、絵だけはとても上手だった。低学年のころはそうでもなかったはずなんだけれど。コウちゃんは、図工のときによく空の絵を描いた。抜けるような空の色は、あお、アオ、青、蒼、碧。僕は、子ども心に凄いなと思っていた。

もともと担任だったヨウコ先生が妊娠してお腹が大きくなったから休むことになり、4年生の二学期から担任になったヒサダ先生は、30歳くらいの男の先生だった。ヒサダ先生は僕たちには優しかったけれど、コウちゃんには厳しかった。国語の教科書は、コウちゃんがどんなにどもってもつっかえても、途中で読めなくて止まっても、ヒサダ先生はむっつりと黙ったまま、絶対に許すことなく最後まで読み上げさせた。算数の時間には、コウちゃんには無理そうな問題でも容赦なく当てる。立ったコウちゃんは指を使って、
「ええと、ええと」
と言いながら、答えを出そうとする。そんなコウちゃんの姿を、教科書で顔を隠しながら笑う子もいた。ヒサダ先生は、コウちゃんが正しい答えを言うまで、しつこくしつこく、何度も言わせた。僕もそんなコウちゃんを見て笑いながら、だけど、そんなことをさせるヒサダ先生が大嫌いだった。

5年生になっても担任はヒサダ先生のままで、ヒサダ先生のコウちゃんイジメは5年生の終業式まで続いたが、ヨウコ先生が6年生から戻ることになって、ヒサダ先生は違う学校への転任が決まった。終業式で、各クラス代表が転任する担任の先生に挨拶をすることになった。うちのクラスの代表を決める話し合いで、クラスのリーダーのダイちゃんが、
「先生に一番世話をかけたんだから、コウちゃんにしようぜ」
と言い出した。コウちゃんは顔を真っ赤にして、それでも嫌とは言わなかった。男子は笑いながら、女子は我関せずという素振りで、コウちゃんが挨拶係に決まった。お別れ会で一人立たされて、「ええと、ええと」と、どもる姿は、きっと誰もが思い浮かべていたはずだ。

終業式の日。いよいよヒサダ先生が壇上に立った。まずは、僕たちからの贈る言葉だ。放送委員から名前を呼ばれたコウちゃんが立った。コウちゃんは、顔を真っ赤にして、だけど、ヒサダ先生をまっすぐに見ながら口を開いた。
「ヒサダ先生」
思いのほか大きな声だったので、それまで下を向いていた人たちまでコウちゃんを見た。コウちゃんは、そのままいつもより断然大きな声で続けた。
「ぼくを、普通の子と、いっしょに勉強、さ、させてくれて」
そこで、コウちゃんはひときわ声を振り絞って、
「ありがとうございました」
そう言った。コウちゃんの、つっかえながら、どもりながらの贈る言葉は続いた。水彩絵の具の色の選び方を、一生懸命に教えてくれたこと。国語でも算数でも、言葉や答えにつまったコウちゃんに、決して他の先生みたいに、「はい、もう良いですよ。次の人」そう言わずに、ただ黙って待ってくれていたこと。放課後、コウちゃんにつきっきりで算数を教えてくれたこと。僕たちが知らなかったヒサダ先生の優しさ、僕たちが見たことのないコウちゃんの姿。ヒサダ先生はコウちゃんから目をそらさず、ぶるぶる震えていた。コウちゃんの贈る言葉が終わり、ヒサダ先生のサヨナラの挨拶の番となった。体育館に響いたのは、ヒサダ先生のくいしばったような嗚咽だけだった。



カフェにて撮影会もどき

IMG_2962
近くのカフェで、ちょっと撮影会もどきをやってみた。

小人

IMG_1246



IMG_1243-2

IMG_1092



IMG_1095
花の名前を覚えきれない。

道ばたの花

IMG_1077
仏の座、というんだったかな。

2012年6月23日

久しぶりに指導医と飲んだ

昨夜は指導医の家で酒を飲んでいるうちに、いつのまにやらいつものように飲み過ぎて、2時ころに妻から電話がかかってきた。そういえば前日に飲みに行くとは伝えていたが、こんなに遅くなるなら連絡しとかなきゃだった。怒られそうでちょっと怖かったので、すぐに指導医にかわってもらった。

3時過ぎてタクシーを呼ぼうとしたら、会社が閉まった直後だった。しかし、その会社の人が良い人で、無料で家まで送ってくれた。普通に乗ったら4000円以上はするのに……。あの優しさはいったいなんなんだ。

今朝は9時半に起きた。リビングに降りて妻の顔を見るのが怖かったが、「週に一回くらいは疲れるくらいに遊ばなきゃだよ」だって。感謝である。

田舎の風

IMG_2910
蛙の鳴き声を聞きながら夜道を急いだ。タクシーのテールランプが遠ざかる。暗さに目が慣れたころ、ホタルが一匹、目の前を横切った。蛙もホタルも、ずいぶんと久しぶりな気がする。
かぁちゃん、もうちょっとだけ待っとってくれ。
ずっと住んできた家で逝きたいという母の気持ちを、育ててもらった家で看とりたいという弟夫婦が支えてくれた。見よう見まねの看病は、する方もされる方も決して楽ではなかっただろう。そして、そんな日々は、もうすぐ終わる。
「かえる、なぜ鳴くの、かえるは田んぼに、かわいいたくさんの子があるからよ」
子どものころに母の作った替え歌を口ずさむと、目の前がにじんだ。家の灯りが見え始めると、蛙が一斉に鳴き声を強めた。振り返っても、さっきのホタルはもう見えなくなっていた。涼しくて哀しい、田舎の風が吹く。

セラピストの技法

セラピストの技法
面白かったし、ためになった。こういう心理療法ができたら良いなぁと思いながら読んだ。ただし、本書にも書かれているが「生兵法はケガのもと」。付け焼刃であれこれやろうとすることがないよう気をつけたい。ケガをするのは患者だから。

2012年6月22日

アルコール摂取量や違法薬物の問診のとり方

このへき地病院に赴任して、すでに何人もの患者から違法薬物使用歴を告白された。シンナーや覚せい剤や麻薬の使用歴を聞き出す時の自分なりのコツは、いかにも麻薬が「当然で」「普通のことで」「こちらは聞いても驚かない」という雰囲気で尋ねることだ。

「東京に何年か住んでいたんなら、麻薬なんかの誘いも多かったでしょ?」
こちらが、非常に軽く、あっさりと、さも当然かのようにそう聞くと、相手も、
「そうですねぇ、結構ありました」
と答えることが多い。
「覚せい剤とか? マリファナとか? それか別のやつ?」
その後も、これまでの態度を変えずに聴き続ける。

アルコールで問題を抱えている人への問診でも似たような方法を使う。
「お酒は一日にどれくらい……、焼酎一升とかですか?」
大げさな数字で、あくまでも「それくらい普通に飲みますよね」という雰囲気で聞くと、
「いやいや、そんなには飲みません、5合くらいです」
という答えが返ってくる。アルコールの問題がある人は、その人なりに罪悪感を持っていることが多いので、飲酒量に関しては実際の量より少なめに答える人が多い。しかし、こちらがいきなり大げさな数字で質問すると、相手も少し安心するのか、事実に近い量を答えることが多い。

精神科医は精神科診察室に慣れ切ってしまっているが、患者からしたら、白衣を着て威圧感さえ感じる人に、自らが罪悪感を抱いていることについて尋ねられるのだから、教師や警官の前にいるのと同じくらい居心地が悪いのが当然だろう。

あっさり聞く、というのは、日ごろから心がけている方法である。

カタツムリの季節

IMG_2859
写真を撮る間ひたすら、♪でーんでんむしむし、と歌っていた俺。

IMG_2860

IMG_2861

IMG_2863

IMG_2866

IMG_2867

IMG_2868

IMG_2870
ついでに、アジサイの写真を。

ドラゴンフライ アースシーの五つの物語―ゲド戦記〈5〉

ドラゴンフライ アースシーの五つの物語―ゲド戦記〈5〉
蛇足、という言葉があるが、まさにそれ。途中で何度も読むのが苦痛になった。でも最後の一冊だったから頑張った。ゲド戦記は全体を通してみたら、★3つ。

2012年6月21日

あいつ、医学部に受かってたんだぁ、という話

旧ブログ(エキサイト)を運営していた研修医時代、夏休みを利用して東京に行った。そこで、ブログ内で「東京でオフ会しませんか」と呼びかけたことがある。結果は惨憺たるもので、20代の男性が参加したいという連絡をくれただけだった。彼は名前をアキラといって、『外科医への道』だったか、そんな名前のブログを運営している浪人生で、再受験で医師となった俺とのオフ会に興味があるようだった。

ちょっと色気がないなぁとガッカリしつつ、中止するのもためらわれて、俺とアキラは確か新橋で落ち合った。アキラが外科医志望ということだったので、せっかくだからと手土産に、研修医室に放置してあった手術に使う本物の針と糸、それから外科研修の時にコピーした手術手順の教科書(イラストが凄く分かりやすい)を持って行った。

新橋のさびれた小さな居酒屋で、二人して酒を飲んだ。どんな話をして、どれくらい支払ったのかは覚えていない。さすがにおごったのは確かなはずだ。しっかり勉強しろよ、くらいは言ったと思う。お互いに連絡先を交換したような気もする。わりと話の合う奴で、いつか同じ立場で再会しよう、とそんなことも言ったような言わなかったような……。

さて、アキラはその年の医学受験に失敗した、ようだ。というのも結果報告がブログに書かれなかったので、こちらはそう判断せざるを得なかったのだ。それまでブログには様々な応援コメントがあったのだが、アキラが結果報告しないことで批難がいくつか書き込まれた。中には心ない言葉もあり、直接に知っている俺としてはちょっと心苦しかった。その反面、せめてご馳走してやった俺に対してくらいは、やっぱり報告は欲しいよなぁとも思った。

あれからもう3年以上が過ぎた今、ホットメールにフェイスブックから「参加しませんか?」というメールが来ていた。それを送ってきた人の名前に見覚えがあって、「あれ、これはもしかしたら」と携帯電話をチェックしたが入っていなかった。元から入れていなかったのか、どこかで削除したのかは分からない。

悶々としていてもつまらないと思っていたところ、ツイッターでも似たような名前を発見した。どうやら医学生をしているようだ。内容からは一年生か二年生だ。プロフィールにサッカー好きだと書いてある。そういえば、あのアキラもサッカーが好きと言っていたような……。フォローしてみた。すると返信が来て、「ER兄さんご無沙汰しています。ドキドキしています」というようなことが書いてあった。俺のことをこの呼び名で、しかも「兄さん」つける奴なんて一人しか思いつかない。「新橋で飲んだアキラか?」と聞くと、「針と糸をもらったアキラです」という返事。

これは嬉しい再会だった。夢をあきらめて、きっと普通のサラリーマンになっているんだろうと、そんな風に思っていたのだが、まさか頑張り続けて医学生になっていたとは。合格していたんなら、ブログにでもちょっと報告くれても良かったんじゃないのかと恨み節の一つも言いたくなるが、こうやってブログのネタにしても構わないということだったので良しとしよう。

いま、医学部に入るために一生懸命に勉強をしている人たちへ。人生はどこかで踏ん切りをつけて諦めないといけないという時は確かにある。けれど、諦めなければ道が拓くということだってある。このアキラのように。浪人も、再受験も、その他のいろいろな回り道も、医師になってしまえば大切な財産。いや、志し半ばで断念して医師にならなかったとしても、努力したという事実は決して負の遺産にはならない。健闘を祈ります。

そして、アキラは、数年後に医師国家試験に合格したら、今度は俺にご馳走し返す番だと思う。


以上、この文章を、夢かなえたアキラに捧ぐ。

家族ドライブで見つけた夕日

IMG_2900
田んぼには、まだ水が張られただけだった。

IMG_2890