2012年4月30日

てんかんに関する誤解について

ネットでのやり取りを通じて明らかになった「てんかんに関する誤解」には以下のようなものがある。
(1)てんかん患者は、すべて意識消失して痙攣する。
(2)てんかんは、薬を飲んでも治らない。
(3)てんかん患者は、すべて小児・思春期に起こり、大人になってから起こるものはない。

最も多くて根深い誤解が、(1)の「てんかんはすべて意識消失や痙攣を伴う」というものである。てんかんの分類は非常にややこしく、専門家の間でももっとシンプルにすべきだという議論がある。ここでは一般の人を対象にするので、ごく大雑把に説明する。意識障害を伴うものを全般発作というが、これに対して部分発作というものがある。中でも意識消失のないものを単純部分発作という。単純部分発作には例えば、聴覚発作や嗅覚発作といったものや、急に声が出せなくなったり、逆に意志に反して声が出たりする音声発作というものもある。単純部分発作に対して、複雑部分発作というのもあるが、こちらは意識障害がある。発作型の頻度に関しては調べても載っていないが、少なくとも(1)が間違っていることは確かである。これで誤解が一つとけたはずだ。

次に、薬を飲んでも治らないというのは、誤解というより「治るとはなにか」というところの認識のずれがあると思う。薬を飲んでいれば発作が起こらないというのを「治る」と考えて良いと思うが、人によっては「薬を飲み続けている限り、発作が起きなくても治ったことにならない」とやや厳しく評価する人もいる。大切なのは運転中に発作が起こるかどうかのはずで、薬を飲んで発作が起きなければそれで良いじゃないかと思うのだが、てんかん患者からは一律に全員から運転免許を剥奪すべしという極論者の中にはこの部分にこだわる人が結構いる。そこにこだわってしまうと、例えば不整脈がある人は意識消失する危険性があるが運転免許はどうするのか、といった話にまで広がってしまうのだが、極論者にそれを尋ねても答えてもらったことはない。内服治療による発作完全消失率は、発作型によっても違い、予後の良いタイプは70%~80%に達する。「病気が治る」というのはどういうことなのか、そういうことを各人で考えてみるのも良いと思う。

「てんかん患者は、すべて小児・思春期に起こり、大人になってから起こるものはない」という誤解についてだが、これはまったくの誤りで、成人してからてんかんになる人はたくさんいる。実際、今回の京都で起きた事故の加害者は数年前に交通事故に遭ってからてんかん発作が起こるようになったそうだ。てんかんの頻度は1000人に8人くらいと言われていて、日本の人口を1億2千万人とすると、100万人弱のてんかん患者がいることになる。発病年齢について2000人に対して行なわれた調査では、18歳までに85%が発病しているとしている。残りの15%はそれ以降の発病で、15万人くらいいる。つまり、明日、あなたや、あなたの恋人や、あなたの家族や友人が、突然てんかん発作を起こして、てんかん患者になることだってあり得るということだ。

以上、過去に書いたもののうち、てんかんに関する誤解のみを改めて取り上げた。今でも、てんかんを知らずにてんかんを語る人がたくさんいる。せめて誤解だけでも取り除いておいてあげたい。てんかん患者のためだけでなく、無意識に偏見を持っている人たちのためにも。

実習にきていた女子学生の無神経さ

先日、実習に来ている女子学生の不用意な発言に関して書いた。

今回も、半ば愚痴である。

ある日の朝、医局の勉強会があり、発表者が俺だった。テーマは何にするか悩んだが、南三陸町での支援活動報告をメインにした。ついつい熱が入ってしまい、普通は15分程度で終わる発表が30分にも及んだ。発表で用いた資料に、南三陸町で撮った写真を使った。ピアノ、おもちゃ、ランドセルといった写真も織り交ぜた。そして、
「マスコミでは“瓦礫”という一言で、撤去とか除去とか言われています。今はゴミとして扱わなければいけないものも、もともとは誰かの大切なものだったはずで、そういうことを考えると、瓦礫という言葉を聞くと心苦しい感じがします」
といったことを話した。また、現地のテレビ番組の写真を見せて、
「こちらでは、すでにテロップは流れていませんが、被災地近辺ではまだ“入浴支援”などのテロップが流れています。テレビなどでは“復興の兆し”など良い言葉が出始めていますが、現実には、まだ電気も水道もない生活を余儀なくされている人たちがたくさんいます」
ということも話題にした。

そして、その翌日。ふと女子学生の机の上を見ると、俺の配った資料写真が置いてある。そして、そのプリントを、彼女は国試勉強のための雑用紙として使っていた。人の机の上のものを勝手に見るのは悪いとは思ったが、見過ごせなかった。

彼女は医学部6年生である。まだ学生の立場であり、実習先の医師は、たとえ母校が違っても、例外なく全員が先輩だ。その先輩が時間をかけて用意したプリントを雑用紙に使う、のは良いとしても、せめて俺の目には触れないくらいの配慮はあってしかるべきだ。なんといっても、彼女の席は俺のすぐ隣なのだから。

百歩譲って、彼女が言う「働かない精神科医」である俺が作ったプリントなんて、ぞんざいに扱っても構わないし、雑用紙として活用する方が資源節約で良いとして、南三陸町のランドセルやピアノなどの写真を、雑用紙として使うのはどうだろう。それは、あまりに無神経じゃないだろうか。その無神経さで、いつか彼女は損をするだろうが、そんなこと別にどうでも良い。しかし、その無神経さは、いつか患者をひどく傷つける。

俺から注意すべきか否か。無神経さは、注意されたくらいでは直らないだろう。口うるさい人だなぁで終わるのが目に見えている。大学の後輩でもなく、精神科志望でもなく、むしろ精神科医を蔑んでいる、そんな彼女と関わって神経すり減らすくらいなら、放っておくのが自分にとっては一番良い。そう考えて放置した。

明々後日に会える!

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ツイートまとめ

タバコは薬剤代謝酵素を誘導するので、薬の効果が弱まってしまう。いろいろな薬を飲んでいる人が、ある日突然に禁煙を思い立って実行したら、薬の効果が強く出過ぎるということもある。
アルコールは「抑圧系を抑圧する」。普段いろいろな場面でフタをして抑えているとして、そのフタを取るというイメージ。酒を飲んで攻撃的になる人は、おそらく根元に攻撃性が潜んでいる。まれに安定剤を飲んで興奮する人がいるのが、これも同じ機序だと思う。
どのブログも閲覧は簡単かつ無料だが、作り上げるのにはそれなりに労力が要る。「読む価値なし」とスルーしてもらう分には構わないが、「読んで損した」と思われるのは心苦しい。息抜きでも良いから、何らかのプラスでありたい。
解剖学には「破格」という表現がある。平常人の平均と違うという意味で、動静脈の走行や筋肉の付き方など、いろいろな破格がある。面白かったのは、性器についてだったかで「60パーセントに破格が見られる」という記述を読んだとき。もはや正常がなんだか分からないレベル。
てんかんもそうだけど、自分がいつなるか分からないのに、よくみんな平気な顔で精神疾患患者を罵倒できるよね。精神疾患になる確率なんて、宝くじに当たるより断然高い。前も書いたけれど、中高生時代に作業所に通う精神科患者を「クズ」と罵倒していた子が、今は統合失調症で作業所に通っているよ。
精神科医になって改めて聴きなおして、なんて優しい曲なんだと感銘を受けた。文句言っても不平こぼしても良い、舌打ちしながらでも良い。それでもとにかく生きていくしかないんですよ、俺たちみんな。 http://www.youtube.com/watch?v=sehTpxlne_0

わくらば追慕抄

わくらば追慕抄

安定して面白いんだけれど、伏線が多すぎて、これで続編が出なかったら肩すかし。短編の中に、心臓の悪い赤ちゃんのが出てくるのだが、娘が生まれてから、この手の赤ちゃんがらみの話には涙腺が弱くなった気がする。

2012年4月29日

二人の夕焼け

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「きれいな夕日ね」
女が言う。
「そうだね」
男は、夕焼けに見とれるような感性なんぞ持ち合わせてはいなかったが、隣りに立つ女のオレンジ色に染まる顔の美しさには胸が締めつけられた。
波が静かに音を立てる。
二人の手首を縛ったスカーフが、風に静かに揺れていた。

もうすぐ同居開始!!

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コロッケに似ている、と妻から来たメール。
いや、どう考えてもコロッケより可愛いからw

精神科関連ツイートまとめ

自分の周囲の環境が良くなればなるほど精神的に不安定になる人がいる。「こんな良い日々が続くわけがない」と不安になるようだ。
リストカットやODを繰り返す人に、その人が望む環境を提供しても、結局のところ「こんな良い環境が続くわけない」と不安になって、「それならいっそ自分で壊してやれ」となってしまう。大切なのは、環境を整えてあげることではなく、どんな状況でもブレずに接してあげること。
リストカットするあなたが、切っても責めない、でも切らなくても褒めない。俺はどっちでも良い。あなたが定期的に受診してくれるということが大切。それはすなわち、あなたの中で「今の自分から何か変えたい」と思っていることの顕われだから。大丈夫、絶対変わるから。それも、良いほうに。
人生は結局なにごとも、真面目にやるかどうか、に尽きると思う。不真面目はもちろんダメだけど、生真面目も良くない。真剣に向き合って、でも深刻には受け止めない。そんなスタンスが理想じゃないかな。
精神科について語るなら、本を一冊二冊読んでから、ではなくて、作業所とかデイケアとか、そういうところで一日二日ボランティアをしてから言うほうが良い。本はセンセーショナルなのが売れるだけで、作業所やデイケアで日々を着実に送る人やその手助けをしている人は注目されないから。
新しい薬を飲み始めて、なんとなく気持ち悪い、吐き気がする、眠い、などなどいろいろな副作用を感じつつ、処方した医師に言うのをためらう人たちが結構多い。しかし、自分の体に合う合わないを訴えるのは患者の権利、ではなく、患者の義務。治療に参加するとはそういうことだ。
精神科の薬を「嫌だなぁ、怖いなぁ」と思って飲むと、体が拒絶する。酔ってはいけない場面で酒を飲んでも酔わないのと似ている。だから俺は時どき患者に「嫌々飲むくらいなら、飲まないほうがマシだからやめましょう」と言う。

2012年4月28日

ツイート

このタグで、ブログ記事にするまでもないけれどツイッターでわりと評価の高かったツイートを載せてみる。ブログは見ているけれどツイッターはやっていないという人も意外に多そうなので。

意外に良いツイートしてるんです。 ←自画自賛

『28日後』 『28週後』

もう4回くらい観た。「続編は前作を超えられない」という法則(?)が微妙に当てはまる。『28週後』も決して悪くはないのだが、『28日後』のほうがまとまりが良かった。続編はやや冗長かなぁ。

それはそうと、これは厳密にはゾンビ映画ではないが、人から人へ、しかも攻撃(の結果の血液・体液)を介して感染することと、全体的に世界終末的な雰囲気を醸し出していることから、ゾンビ映画というカテゴリに入れることは決して間違いではないはず。

ゾンビ映画の難点は、死体が歩き回るという非現実さにある。このての映画の鉄則として、頭を破壊すればゾンビは死ぬというものがある。観ていていつも不思議なのだが、仮に脳から出る何らかの電気刺激で体が動くとして、心臓まで動いていたら、それは生きているということだから死体じゃない。では心臓は止まっているとして、ゾンビが発する声はどこから出ているんだろう。ゾンビは呼吸しているのだろうか? 呼吸は、体に必要な酸素を取り込み、不必要な二酸化炭素を排出するためにするわけで、ゾンビが酸素を必要とするというのは、どう考えてもおかしい。時どき、肺のないゾンビが声を出す映画がある(『バタリアン』など)。エンタテイメントとしてこだわらずに観ればいいようなものだが、細かいところが気になってしまう、そんな自分は悲しいゾンビファンなのである。

さて、この『28シリーズ』は、ウイルス感染による病気であり、感染者はあくまでも生きている人間で、燃やしたり体を銃で撃ったりすれば死ぬようだ。これだと、「死体が歩く」という非現実さを克服できる。しかも、感染者はしばらくすると餓死するというのだから救い(?)がある。

この映画、というか『28日後』のもっとも素晴らしい場面は、最初の方の、主人公ジムが目覚めてからしばらく街をさまようところだ。静かな音楽が、ゆっくりゆっくりとエレキギターの暴力的な感じに変わるのだが、そんな激しい音楽にも関わらず、街は沈黙し、ジムも困惑しながら歩くだけ。観ているこちらは、なんだなんだ、何か出るのか、と緊張してしまう。あのシーンは怖い。

怖いと言えば、ゾンビ映画(特にロメロ作)は、ゾンビ数体ならなんとか対応できるのに、数の暴力というか、圧倒的な戦力差で押し切られてしまうところに絶望を伴う恐怖を感じる。しかし、この映画の感染者は動きが活発過ぎて、タイマンでも勝てる気がしない。そういえばリメイク版の『ドーン・オブ・ザ・デッド』のゾンビも人間離れしていた。やっぱりゾンビ映画はノロノロタイプに追いつめられるパターンが一番だ。

子どもの頃、初めて観たゾンビ映画は『バタリアン』だったと思う。その次がロメロの『ゾンビ』で、こちらは非常に衝撃的だった。どうやったら、こういう事態の時に生き残れるかを考えるのが楽しかった。まず武器になるのはなんだろう、包丁かな、とか。近辺で逃げるなら、やっぱり学校が一番か、とか。そんな根暗な妄想をする少年時代を送ったことを、ゾンビ映画を観るたびに思い出す。

話のまとまりがなくなってしまったが、最近、こんな本を見つけた。

ゾンビ解体新書―ゾンビハザード究極マニュアル

同じようなこと考える人たちがいたんだなぁと思って、ちょっと親近感もった。

緊張病性昏迷の治療

統合失調症の症状の一つに、緊張病性昏迷というものがある。まったく動かず、呼びかけにも応じない。しかし、自分の周りで何が起こっているかは理解している。緊張病性昏迷の症状を呈している患者の治療のために読んだこと、考えたことを覚え書きする。

ハエを叩き損ねると、死んだように固まるハエがいる。やっつけたかなと安心して、ティッシュを探してつかもうとすると、ふっと動き出して逃げる。同様のことは、いろいろな昆虫や動物で観察される。生命の危険を感じて全機能を一時停止させることで、外敵の注意を一旦そらして、生存確率を上げるのだろう。

これを人間にも当てはめて考える。統合失調症の緊張病性昏迷は、彼らなりの生命危機に対して起きたものだと仮定する。(その危機が、患者以外の者には些細で無意味なものであったとしても)そうすると回復のためには、その危機が去ったことを感じてもらう必要がある。最初に書いてあるように、まったく動かず呼びかけにも応じないが、自分の周りで何が起こっているかは理解しているのだ。だから、ひたすら安心感を与え続ける。手を握る、さする、肩をもむ、そしてやわらかく語りかける。
「緊張を解いても大丈夫だよ、戻ってきても安全だよ」
というメッセージを、ただひたすら、反応がなくても虚しく感じることなく続ける。

時どき、昏迷状態の患者は外部刺激も受けていないと思い込んで、患者の目の前で軽口をたたく医師や看護師、家族らがいる。これは上記のことからすると、とんでもなく反治療的である。

ある昏迷患者に対して、薬物療法と同時に、この声かけ療法を行なった。ベッドのそばへ行き、やわらかく手をさすり、
「大変だね、怖いね、でも大丈夫だよ、治してあげるからね、安心して戻っておいで」
そう声をかけ続けるのだ。反応はまったくない。その後、一週間の出張へ行くこととなり、帰ってみると患者はあいかわらず昏迷状態であった。患者のベッドサイドに行き、手を握って、
「いま帰ったよ~、ただいま~」
と大きくやわらかく声をかけると、小さく、
「はい」
と返ってきた。
その後はまた昏迷状態に陥ったが、回復に向けての一筋の光明を見た気がしたものだ。

この患者はその後しっかり回復するのだが、それについてはまた後日書く。

<追記>
以前のブログで「電気けいれん療法をやるべきだ」というご意見をいただいた。これは確かにその通りで、俺もそうしたかったのだが、この島には機械が置いていない。

2012年4月27日

リフレックスと高齢者

抗うつ薬リフレックス(レメロンと同じ)と高齢者は相性が良い。

これを書いている時点で、リフレックスは比較的新しい抗うつ薬だ。この薬は、副作用として他の抗うつ薬より強めの眠気がある。そこを逆手にとって、不眠が強いうつ病の患者に用いると良いと製薬会社の人は紹介する。自分が使用してみた印象として、リフレックスは高齢者と相性が良い。

ある日、80歳を過ぎた高度認知症で食事を摂らなくなった寝たきりの人を紹介された。寝たきりだと必要カロリーも相当少ない。年齢的には、いつお迎えが来てもおかしくない。食欲がないのは、ゆっくりと死の準備しているんじゃないか。そんな人に無理に食べてもらう必要があるのかどうか疑問に思っていたが、指導医が、
「意外に抗うつ薬でご飯食べるようになる人いるよ」
と言っていたことを思い出して、それなら試しにリフレックスを使ってみようと思い処方してみた。これが劇的に効果ありで、その患者は数日後から食事を摂るようになった。この一件だけだと、たまたまそうだったのだろうと思うところだが、その後に何回か同じようなケースでリフレックスを使ってみると、やはりうまくいった。離れた病院にいる同期の外科医から電話で、認知症で摂食拒否の人に関する相談を受けて、リフレックス試したら、とアドバイスしたところ、一週間後くらいに「あれ、効くねぇ」という高評価を得ていた。

実は、リフレックスには食欲増進という副作用があるのだ。抗うつ効果と同時に、この副作用も良い影響を与えているのかもしれない。リフレックスを飲んで過食になった、太った、だから飲みたくないという若い女性も何人かいる。

一件だけ、リフレックスを中止した人がいる。それは、リフレックスを投与し始めて二日後くらいから、いきなり躁状態になった老人である。初診の時点では食事も摂らないし、何度も死にたいとこぼしていたような人にリフレックスを投与したら、その二日後には大声で歌い、すれ違う人たち皆に手を振って挨拶をし、上機嫌かと思えば、急に娘の名前を叫びながら泣きだすというような状態になってしまった。思い当たるのはリフレックスしかなかったので、すぐにリフレックスを中止したところ、その翌日から落ち着きを取り戻して、翌々日には普通の高齢者になった。しかも面白いことに、元々のうつ状態は治ってしまっていた。これも、リフレックスが高齢者には効きやすいという印象を強くした出来事である。

爆笑ネタ

今日は良いネタに出会えた一日だった。
とにかくもう、最高に笑えたので、ぜひここで紹介したい。

アンパンマンの記憶
絵とコマ割りが天才的だと思う。プロ?




次は動画。
よくまぁ、こんなの思いついたなw

金色の獣、彼方に向かう

金色の獣、彼方に向かう
恒川光太郎の短編集。今回、第25回山本周五郎賞の候補になっているようだ。
山本周五郎賞候補になった

でも多分、ちょっと厳しいかな……。恒川はデビュー作『夜市』で日本ホラー小説大賞を獲ってから、これまで第134回直木賞、第20回と第22回の山本周五郎賞、第29回吉川英治文学新人賞の候補に挙がりつつ、最終的にはいずれも賞を獲れていない。

まして本作は、これまでの作品と比べるとパワーダウン、ちょっと見劣りするレベル。決して面白くないわけではないのだが……。

それから、手元にあるのは初版なのだが、誤植が多すぎる。一作目の『異神千夜』において、「鈴華」(リンホア)という女性が出てくるのだが、これが何度も何度も「鈴鹿」と表記されているのだ。これにはちょっとガッカリ。人名にはこだわろうよ、校正さん。

2012年4月26日

「本当の自分」症候群

「本当の自分」なんてものはいない。 いるのは、今そこにいる自分である。

たとえば、いじられキャラを演じている自分がいるとする。それは、そういうキャラを演じることで、何らかの利益を得ようとしている自分であって、その希望が叶おうが叶うまいが、その行為に疲れようが疲れまいが、そういうことをしている自分が、まぎれもない「自分」なのだ。

どういうわけか、「本当の自分」という言葉やそれに類するものは人気がある。○○占いというものが毎年流行るが、中身を見るとあれは占いではなく、分析もどきだ。誕生日、名前、血液型から、「あなたは○○な人です」と書いてあるだけだ。そして、その中で自分が考えている「こうありたい」という部分を見つけて、「当たっている」と感激し、「本当の自分はこれなんだ」という自己満足にひたる。

「自分探し」もそうだ。そんなもの、探すまでもなく、鏡を見る必要もなく、息をしてみればそこで空気を感じているのが自分である。それが信じられない人がいたら、その人にはぜひともうちの科の受診を勧めて欲しい。

心理テストがもてはやされるのも似たようなもので、自分で自分の深層心理を探ってみたり、知人友人に試してみたり、そこまでして「本当の自分」(と本人が思っているもの)を知りたいものなのか。あえて「本当の自分」という言葉を使うとしたら、キャラ作りをしているのも本当の自分だし、それに疲れているのも本当の自分。


だから、本当の自分を見失うなんてことはないんだよ。

若者に広がる「キャラ疲れ」とは?~『キャラクター精神分析』

「『私、キャラ変えしたいんです。このままじゃ、自分が馬鹿になりそう』。山陰地方のある中学校に設けられた相談室。夏の初め、臨床心理士の岩宮恵子さんのもとを制服姿の女子生徒が訪れた」

これは昨年11月20日付の朝日新聞朝刊に掲載された「キャラ 演じ疲れた」という記事の抜粋です。この女子生徒は友だちからツッコまれるのを防ぐために"天然キャラの不思議ちゃん"を演じていたそうなのですが、あまりに「本当の自分」とかけ離れたキャラ設定だったため、それに疲れてしまったというのです。

他にも同記事では、"いじられキャラ"を演じてクラスの居場所を確保したり、"毒舌キャラ"と呼ばれていた女子が、実は「まわりに毒舌を期待されて疲れる」と悩んでいるエピソードが紹介されています。しかし、こうした若者たちの多くは他人のキャラに関しては饒舌に説明できるのですが、いざ自分自身のこととなると「よくわからない」と答えるだけだったそうです。

この「わからない」の意味について、精神科医の斎藤環さんは「みんなからどういうキャラとして認知されているかはわかるが、それが自分の性格と言われてもピンとこない」ということだと指摘します。つまり、"いじられキャラ""おたくキャラ""天然キャラ""毒舌キャラ"など、他人から認知されているこうした「キャラ設定」と、自分が「本当は」こうだと思っている人格との間に「ズレ」が生じているというのです。

しかし、どうして彼ら・彼女らはこのような「ズレ」を受け入れてしまうのか。斎藤さんは「キャラを演じているにすぎないという自覚が、かえってキャラの背後にある『本当の自分』の存在を信じさせ、また保護さえしてくれる」からだと言います。要するに、若者たちにとって「キャラ」とは、自分を偽るものではなく、あくまで守るものとして機能しているのです。そして、あまりにそのギャップが大き過ぎると、「本当の自分」がわからなくなってしまい、演じ続けることに疲れてしまうというわけです。

しかし、彼ら・彼女らは「キャラ」を演じてまで守ろうとする肝心の「本当の自分」について、「よくわからない」としか答えられません。何とも皮肉な話ですが、今の若者たちは自分自身を守ろうとすればするほどそこから遠ざかり、ますます「本当の自分」を見失ってしまうのです。


キャラクター精神分析

「左利きには天才が多いって本当?」 本当だった時代はあったかもしれない。

今でも左利きを矯正させる人がどれくらいいるか分からないけれど、少なくとも、ちょっと前までは矯正されることが多かった。何はともあれ、箸だけは右手で持ちなさい、とか。

そんな時代に矯正されずに大人になった人というのは、のびのび育てられたか、あるいは矯正に従わない意志の強さや頑固さがあったか。どちらにしても、大人になってから独自性を発揮する可能性は高い。

だから、矯正が一般的だったころに子ども時代を過ごした人で考えれば、左利きの人のほうが「天才」「天才的」と言われることは多かったかもしれない。矯正が少なくなった現在では、上記のようなことはなくなっただろうし、純粋に右利きと左利きと比較したら、あんまり大差ないんじゃないかと思う。

また、今は右利きだけど子ども時代にサクッと矯正に適応したという左利きの人は、それはそれで素晴らしい能力だと思うし、より社会順応性が高いのではないだろうか。

野球選手のプロフィールに「右投げ右打ち」などと表記されるように、人には必ず利き手というものがある。一般的には右利きが多数派とされるだけに、左で文字を書いたり箸を持ったりする人がいると、妙に目に留まるものである。

かくいう筆者は純然たる右利き。巷でよくいわれる「左利きには天才が多い」という説を耳にするたびに、少々残念な思いがしてならないのだが…。これは本当なのだろうか? 池袋スカイクリニックの須田隆興先生に聞いてみた。

「生物学的な根拠を求めるのは難しいかもしれませんが、これはあり得ると私は思いますよ。いわゆる天才とはちょっと異なるかもしれませんが、左利きの人が後天的に才能を鍛えられる要素はあるのではないでしょうか。世の中にある道具の大半は右利きの人向けに作られているため、左利きの人は必然的にトレーニングの頻度が多くなるからです」

確かに、駅の自動改札は右手に切符を持つことを前提とした作りになっているし、ハサミだって右手で使う構造の物が主流だ。多くの道具が右利き用に作られているといっても過言ではないだろう。

なお、「利き手」を医学的にひもとくと、「右利きの人は言語機能の優位半球が左脳にあり、左利きの人は右脳にある、というのが定説」と須田先生は解説する。つまり、利き手によって脳の使い方が変わるともいえそうだ。左利きに天才が多いといわれる理由のヒントも、この点にある。

「そもそも指先というのは、運動機能の面でも神経学の観点でも、緻密極まりないものです。そのため、手を使うという行為自体、良い意味で脳に大きな負荷を強いています。たとえば左利きの人が右利き用の道具を使う際には、“どう対応すべきか”という思考や検証が発生します。つまり、先天的に左利きの人は、幼い頃から自然に脳がトレーニングされてきたと考えられるでしょう」

幼少期から鍛錬された脳が、常人とは違ったポテンシャルを発揮する…というのはいかにもありそう。そういえばあるスポーツ選手が、脳を鍛えるために利き手ではない方の手で携帯メールを打つ鍛錬をしていたという、有名なエピソードもある。

日常生活であまり利き手ばかりに頼りすぎず、脳トレを意識してみるのもいいかもしれない。
(友清 哲)
(R25編集部)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120110-00000000-rnijugo-ent

2012年4月25日

「医者らしくない」とは?

平成23年4月末に、南三陸町へ医療派遣された時のこと。最終日の業務を終えて、岩手県でチームメンバーと飲んでいると、
「いちは先生は医者らしくない」
という話になった。良い意味なのか、それとも……、と思っていると、
「もちろん、良い意味で」
と言われホッとした。そこで、どういうところが医者らしくないのか聞いてみた。

派遣先での診察の時、
「うーん、なんだろ、分かんないなぁ」
と言いながら、患者の目の前で本を調べる。それで患者が不安になるかというとそうでもなく、こちらがニコニコしながら「分からない」とあっさり言うものだから、言われた方も「案外たいした病気じゃないのかな」という気になるらしい。それから、例えば小児の診察の時には、救急外来もこなしている看護師に、
「普段、この薬って子どもにはこれくらいの量で出すものですか?」
と聞いたり、腰や肩が痛いという高齢の患者には、
「今日は理学療法士の先生が来てるので、僕よりその先生のほうが分かるかな」
と言って大まかな診察や治療方針を理学療法士に任せたりした。分からない部分で見栄を張ったり背伸びをしたりせず、患者にも、周りのスタッフにも「分からない」と明言してしまうところが、(少なくとも彼らが知っている)医者のイメージとは違うらしい。
「だって分からないものは分からないですもん」
と苦笑いすると、
「そう言いきってしまうところが良いんですよ」
褒められているはずなのだが、それが良いのかどうか複雑な気持ちにはなった。

医局内で、俺が他科の先生と話す時には皆さん良い人そうに感じるのだが、他職種の人には結構みんな冷ややかだったり厳しかったりするみたいで、親しみやすさという点では非常に好印象を持ってもらったようだ。手前味噌になってしまうが、確かに親しみやすさにはそこそこ自信がある。とはいえ、医療派遣ではチームメンバーが非常に良かったというのもある。メンバー皆に助けられた感は大きい。

春が来た!!

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春と言えばタンポポ。



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天切り松 闇がたり 4 昭和侠盗伝

天切り松 闇がたり 4 昭和侠盗伝
前3作と衰えることなく面白かったのだが、刑法39条に触れたあたりの記述にはちょっと納得のいかない部分があった。まぁそんなところを突っ込んだって仕方がないか。
全4巻、いずれも面白かったのでお勧め。

2012年4月24日

サクラ写真

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妻から「やっと寝ついた!」とメール。



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そのすぐ後に来た写真w



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この手の形はッ!!
パンクだ~w

とある事件の精神鑑定

被疑者は精神科に通院歴があり、その主治医が俺だった。この被疑者、というか患者、というか、やっぱり被疑者かな……、小学校に数回にわたって脅迫電話をかけ、逆探知と録音をされて逮捕されるに至った。精神鑑定するにあたって、その録音したテープを聞いて欲しいということで、検察から捜査官(?)が携帯用のカセットプレイヤーを持って来たのだが……。

再生すると、

「むぉぅしむぉうし、くぉちぃらぁはぁ……」

と、明らかにテープの回転数遅いだろという会話が流れ始めた。捜査官も「あれ?」という感じで、何度もプレイヤーを確認。ピッチを上げたり、いろいろ試した挙句、

「あぁあぁあぁあぁ……」

そう言って、捜査官、苦笑。

「すいません、電池買ってきます」

をいっ!!
電池切れかよw


<関連>
ドキュメント 精神鑑定
彼女は、なぜ人を殺したのか
正解はないが、無知偏見による間違いはある 『精神障害者をどう裁くか』
福祉の網目は疎にして漏らす大雑把、こぼれた人たち 『累犯障害者』

2012年4月23日

放送禁止歌

きっかけはこの歌だった。

『手紙』 岡林信康

差別を受けた女性の悲しみを歌ったもの。この女性は岡林に手紙を出したあと、自殺したらしい。この歌は放送禁止歌らしい。臭いものにふたをして無かったことにする日本文化がよく表れていると思う。
『手紙』 岡林信康 1969年

私の好きな みつるさんは
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの

私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人はいっしょに なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だからすべて 彼にあげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても

もしも差別が無かったら 
好きな人とお店が持てた
ブラクに生まれたそのことの  
何処が悪い何が違 う
くらい手紙になりました 
だけど私は書きたかった
だけども私は書きたかった
放送禁止歌

さて、この歌、結論から言えば実は放送禁止ではない。ではなぜ、この歌が放送禁止歌と言われるのか。また、その他の放送禁止歌はなぜ禁止されているのか。誰がどうやって禁止しているのか。

まず、そもそも「放送禁止歌」という規制は存在しないのだ。テレビ局のスタッフでさえ、放送禁止歌というのが存在していて、民放連(日本民間放送連盟)から厳しく規制を受けていると思い込んでいる。そして、なぜ規制されているのかといった理由などは考えようともしない。それが筆者・森達也の危ぶむ「マスコミの思考停止状態」だ。

いわゆる放送禁止歌は、正式には「要注意歌謡曲」という。これは民放連が1959年に発足させた「要注意歌謡曲指定制度」というシステムに由来するのだが、この趣旨はあくまでもガイドラインに過ぎない。それぞれの放送局が放送するかしないかを判断する性質のもので、決して放送禁止と規制されているわけではない。そして何より、このガイドライン自体1983年度以降は刷新されておらず、効力は1988年に切れている。つまり、「放送禁止歌」というものは存在しないということだ。

差別用語、放送禁止用語についても触れられているが、これはまた別の本を読む予定なので、今回は本書の中で興味深かった部分を引用する。
某局のバラエティ番組で、スイカ割りをタレントたちにやらせる企画が、収録直前にプロデューサーの一喝で中止になった。その理由をプロデューサーはこう説明した。
「考えてもみろ。目の見えない人たちを傷つけるだろう」
バカバカしいと思う、けれどこれが皆の好きなテレビを創る業界なのだ。俺は最近はテレビを観るということをほぼ完全に放棄しているけれど。

大好きだった「8時だよ!全員集合」に小人レスラーが登場したことがあったらしい。
その頃、試合数を減らされる傾向にあった彼らにしてみれば、プロレス以外に名をあげる大きなチャンスと張り切ったのだが、1クールの約束は、ほんの数週間で打ち切られた。視聴者からの電話が理由だった。「どうしてあんなかわいそうな人たちをテレビに出すのか」と、電話をかけてきた何人かの主婦たちは、口をそろえて抗議をしたという。
これを読んで、バカな主婦たちめ、と思うだろうか。しかし、今でも「24時間テレビ」で障害者を登場させることに対して、「障害者を食いものにしている」といった揶揄がネット上に飛び交う。この主婦らと同じく、誰も彼らの気持ちなんて分からないはずなのに。

一瞬なんのことだか分からない逸話もあった。
某テレビ局のバラエティ番組で、フロアディレクターがカメラの横でキュー出しをする動作が放送された。5、4、3、と数えながら指を順番に折っていくそのディレクターの指先に、4の瞬間、突然モザイクがかけられたという。
分かるだろうか? 親指を折って4本指が表すのが部落差別にあたるのだとか。しかし、数字を数える4をそのように解釈して抗議するバカがどこにいるのだ。

昭和30年代、川を隔てた場所にあった被差別部落では、その川の堤防の部落側が一段低くなっていた。要するに、増水したときには溢れた水はすべて部落内に流れ込むように造られていたのだ。そんな差別は未だに残っているらしい。これは今まで部落差別をあまり感じてこなかった俺は知らなったのだが、企業によって身元調査がなされたり、部落地名総鑑というものがあったりするそうだ。そして就職差別、結婚差別もあり、最近ではインターネットを使った差別的書き込みもあるとのこと。本書の初版が2000年なのだが、この時点で同和対策事業未実施の部落が、全国に1000ヶ所も残存しているらしい。

mixiの日記やコメントで見かけた「下女や外人は差別用語だから使ってはいけない」という指摘に、俺は多大な違和感があったのだが、この本の中でなぎら健壱はこう言う。
「……、結局、言葉に罪はないんだよね。使う人の意識の問題なんですよ」
また、部落解放同盟の役員も同様のことを言う。
「大切なことは一つ一つの言葉に条件反射で反応することではなく、その文脈を正しく捉えることです」
ちなみに、上記の「下女」は、ある人の日記で「解錠」をゲジョウと読んだ人がいるという話題の流れでぽっと出ただけ。また「外人」は、日本での外国人看護師採用の話題についての日記で、「外人なんぞに何が分かる」といった書かれ方をされていた。それぞれ「差別用語なので使わないほうが良い」という指摘が入ったのだが、前者の文脈に差別的な意味合いなど一切ないし、後者はむしろ言葉そのものよりも文脈にこそ問題がある。共通点は、「差別用語」という言葉だけが独り歩きをしたせいで、本質からズレまくって条件反射的な反応になってしまっているところだ。

本書は中身が濃くてお勧めである。差別問題に関してはとりあえずあと2冊読む予定。

久しぶり太郎

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2012年4月22日

イタイやりとり

ツイッターをやっていると、けっこう変な人を見かける。変なだけなら良いけれど、誤解や偏見をまき散らしている人もたくさんいて、今日はそんな人とのやり取りを紹介。

きっかけは、
日本の医者だけかもしれませんが、患者が病状を告げても「そんな事ありえない」と言う人多いです。「痛い」→「あり得ない」会話が成り立ちません。
泣いて痛がる母にありえないと言った整形外科今でも腹立つ怒鳴れば良かった
というツイートに対して、rikuoharuo氏(プロフィール:フランスのMBA、アメリカのLLM。(仏・独)銀行、(米)航空会社などを経て、現在は、ハワイで法律事務所とゴルフプロショップとスナックを経営するための、準備中。いちおう米国NY州弁護士でもある)の、
殴りたいね。こーゆー医者が日本に多い。
という返信を読んだこと。ちょっとツッコミを入れたくなり、
日本だけじゃなく、海外も同様の傾向はある。アメリカの医療が良いと思うなら、医療費を数倍払えば済む話。日本の医療と医療従事者が世界でどう評価されているかを知らずに批判話に花咲かす人が多すぎる。
とコメントしてみた。返事はすぐ来た。
だから日本でも同様に医者を訴えればいい。
すでに議論が迷走している……。でも一応つっつく。
そこの認識がおかしい。訴訟が多いからアメリカ医療が進んでいるというのなら正しいが、少なくともアメリカ医療が素晴らしいという事実がまずない。
すると一言。
君の認識がおかしい。
これにはちょっと笑ってしまって、
バカいうお前がバカじゃ、みたいな返し。議論になんら発展性がない。
とからかってみたところ、やはり一言。
議論してもいいけど?
では、遠慮なく聞いてみよう。
まず世界、まぁどこの国でも構いませんが、優れているところを挙げてみませんか? あ、その前に、日本の医療水準が世界でどう評価されているかを知っているかどうか、教えてください。
これに対しての答え。
あなたの議論はその辺の学生と同じレベルだからさようなら。
なんじゃこりゃ……。NY州の弁護士ってこのレベルなの? 議論するには、お互いの知識・情報の共有が必要だし、相手の認識がどのレベルかを知ることも大切だ。だから確認しようとしただけなのに……。

rikuoharuo氏の発言は続く。
医療過誤訴訟によって医者の質が上がることに間違いはない。日本は患者が泣き寝入りするケースが多すぎる。これは悲劇。
これは誤解であり、そういうデマをまき散らすことこそ悲劇。あるデータによると、医療紛争は全国で年間に4000件生じる。そして、そのうち9割はいわゆる訴訟前示談で解決し、提訴にまで至らない。残り1割が医療訴訟に発展するが、そのうちでも相当数が裁判所の調停で和解になる。それをこの人は知っているのかどうか。知っていたら、こんな発言は出なさそうなものだが……。そこでさらに突っ込んでみる。
日本の医療訴訟のうち、何割が和解になって実質患者側勝利になっているか、知っていて発言しています? まさか調べてない? いやまさかね……。
どういう答えが返ってくるか楽しみにしていたのに、
そんなの小学生でもぐぐれば1分でわかる。「調べる」とか、そんな大げさなもんじゃないだろ?
こ……、答えになっていない……。
知っているかをお答えください。なんか国会答弁みたいだな……

こんな発言もある。
病院を守るためには金がいる→だから病院は繁盛しなければならない→評判を高めなければならない→優秀な医者が必要→医療サービス向上。
本当にアメリカ医療の現状を知っていたら、こんなこと言わないと思うのだが……。この発言に対して、訴訟が増えれば医師は現場から黙って逃散していくしかないといった意見を述べたところ、
訴訟社会のアメリカで医師が逃げ出しているかい?w
彼は本当に知らないのだろうか? と心配になって、リンク先を教えてあげたけれどスルー。アメリカのある州では訴訟が増えすぎて、産科医小児科医が他の州へ移り深刻な医師不足に陥っている。それくらい、ネットで調べればすぐ分かるのだ、本当に。

こんなやり取りの末、rikuoharuo氏の矛先が一転。俺がプロフィールで精神科医であることを公表しているせいで、今度はrikuoharuo氏の発言は精神科医療叩きに変化し出した。
精神科医にはもともと変なのが多いって聞いたことがある。
本当に自称NY州弁護士って頭悪い。結局、上記で質問した時の受け答えを見ても分かるように、あまり知らないことについて語っているだけなのだ。
聞いたことがある……のレベルの話なんだよね、結局はさ。世の中の風説も偏見も差別も、こういう人が広めていく。
と、そこでrikuoharuo氏、医療水準の話を思い出したのか、
「日本の医療水準」って、レベルの低い精神科も入るのか?www
またちょっと斜め上をいく発言。あぁ、とても「学生レベル」に達しているとも思えない。

その後は、もう黙って見守ることにした。
日本の精神科医には無能が多い。

ある人の「精神科では臨床研究が難しく経験に頼る面が大きいから差が出る。EBMがやりにくい」という発言に対して、
それなのにセラピストのようなことをする。何も知らないくせに平気で薬を出す。
アメリカにはプロのセラピストがいる。精神科医とは分野が違う。しかし日本では、精神科医がその分野をカバーする。何もわからんくせに、わかったような診断をして、どんどん薬を出す。今の日本に必要なのは、臨床心理学のレベルの高い専門家による、増え続ける鬱病患者へのケアだ。
日本の精神科医は薬をどんどん処方して患者を薬漬けにするが、アメリカではあまり薬に頼らず精神分析やセラピーで治す、という誤解があるのかもしれないが、2005年にはアメリカで実に2700万人が抗うつ薬を飲んでいたというデータがある。アメリカの人口が3億人だから、10人に1人くらいだ。いくらなんでも飲み過ぎだと思うのだが……。
日本は精神疾患治療において後進国です。
こういう人の攻撃パターンはたいてい決まっていて、やはり予想通りの次の一手がきた。
あきれるほどにタコだね~。精神病院に行った方がいい。
精神科医という職業を選んだ人の多くは、精神科医であることをバカにされてもそんなに怒らない。笑って流す。しかし、精神科患者に関わることで相手が蔑んだようなことを言うと黙っておれない。上記のような発言がそれにあたる。そしてこういう発言は、本当にアメリカで鍛えられた人ならかなり忌み嫌われるタイプのものだと知っていそうなものだのだが……。rikuoharuo氏の発言は続く。
君にいい精神科医を紹介しようか?
ちょっと乗ってみることにした。先の展開は読めているのだが。
紹介してください。
彼はだいたい予想通りに答える。
英語は大丈夫か?
俺もどんどん釣り針を落とす。
いくらでも!! USMLE受かってるし!!
USMLEなんて、この人知らないだろうなぁと思いつつイジワルしてみた。
ニューヨークに行く予定はあるかい?
きたきた。良い精神科医を紹介してやると言っておきながら、教えてくれるのは日本の医師ではない。まったくもって想定内。しばらく間が開いて、次の発言。
ニューヨークで紹介してあげる。もしかして知り合いかな?ところで米国の医師免許はいつ取得したの?
その後、彼は心変わりしてしまう。
機会があれば善意で紹介してあげようと思ったが、君への興味が失せたから、有料なら紹介してあげる。英語の診療だけど大丈夫かな?
最初は興味あったんかいw でもまぁ有料でも優秀な先輩を紹介していただけるのならありがたい。それはぜひともお願いしたいので、振込口座を聞いてみた。
まず金額を聞くのが普通だろ?とうとう狂っちまったか?オレのせいかもな、悪かったな。
じゃ、いくらですか?
「じゃ、いくらですか?」、なんて、小学生かい?治療しても見込みなし。紹介は却下。早く入院して休んでくれ。
一休さんみたいな人だw とんちはあまり利いていないが、のらりくらりと論点をかわし、具体的なことには一切触れず、相手のパンチに合わせて自分も拳を出す、ボクシングで言うならカウンター・スタイルなのだが、如何せん切れ味が悪い。
君の浅はかな人間性がせっかくのチャンスをダメにしちゃったんだよ。

このへんで眺めるのをやめたが、退屈しなかった。
痛おもしろい人なので、興味のある人はフォローもありかも。時どきはまともなことも言っていて、だからこそ余計に厄介だなぁとは思うのだが……。

ツイッターよ、今日もネタをありがとう!!

ここ最近のサクラ

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あと10日したら再会、そして同居開始!!

天切り松 闇がたり3 初湯千両

天切り松 闇がたり3 初湯千両

面白かった。この小説の登場人物は、鳥打帽とかボルサリーノとかインバネスコートとかを身に着けているのだが、それがどんなものか分からないまま、だいたいの想像で読んでいたが、やはりそれだと雰囲気が掴めないのでググってみた。

鳥打帽は、いわゆるハンチングのことみたいだ。どうでも良いが、ハンチングの似合う中高年に憧れる。俺は頭がデカいからかあまり帽子が似合わないので、人生の小目標の一つとしてハンチングを被りこなすしたい。

ボルサリーノは、いわゆるハットのようだ。ブランドの名前でもあるらしい。これもカッコいい。今のところデニムのハットを持っているが、ちょっと若い感じで、果たして何歳まで許されるのか……。

インバネスコートは、シャーロック・ホームズが着そうなコート。これはさすがに着こなせない。着てみたいとも思わない……。

まったく内容に触れなかったが、このシリーズは面白いのでぜひご一読を。

2012年4月21日

人は成長する、たとえどんなに歳をとっても

24歳のショウタ(仮名)から病院に電話。

「先生、俺、またリストカットしちゃった」

「あらら」

「で、切る場所が、前は二の腕だったのに、どんどん手首に近づいてるんすよ」

「ふんふん、それで?」

「いつかこれ、手首に行って死ぬんじゃないすかね?」

「うーん、まぁ、手首切って死ぬ人って少ないから大丈夫だよ」

「でも俺、なんか死にたいって気持ちがあるんすよねぇ」

「ふーん」

「おふくろに言っても、あんまり真に受けてくんねぇし」

「それはお母さんなりに、ショウタ君の自立を願ってるからだよ」

「そうかなぁ」

「うん、そう」

「でも俺、自分が怖くなっちゃって」

「怖い?」

「本当に死んだらどうしようって」

「おぉ、それで?」

「恐くなって、だから作業所に来て所長さんに相談してみた」

「そしたら?」

「いちは先生に相談してみろって」

「なるほど、それで?」

「入院したほうが良いんじゃねぇかなと思って」

「入院したいの?」

「入院したくはないけど、強制入院しろって言われたら仕方ないす」

「いや、強制はしないよ」

「入院はしたくないし、でもいつ死ぬか分かんないし」

「入院しても良いけどさ、死ぬの怖いなら一生入院するかい?」

「えーっ、一生はないすよ」

「だけど、退院したらまた死にたくなる時がくるかもしれないよ」

「はぁ、そうすねぇ……、俺どうしたらいいんだろ……」

「前も言ったように、これからショウタ君自身が成長していくしかないんだよ」

「はぁ」

「それも、病院の外でね」

「うん」

「病院の中だけでうまく生きられるようになってもねぇ」

「まぁ、そうっすね、でも、どうやったら良いか分かんないし……」

「ショウタ君、俺と出会って一年くらいでしょ」

「はい」

「最初と比べたら、だいぶ成長してるじゃん」

「えー、そっすかぁ!?」

「だってさ、出会ったころのショウタ君、自暴自棄だったじゃん」

「はぁ、まぁ」

「死にたいって思って、別に死んでも良いやって感じで」

「うん」

「死んだら怖いなんて思わなかったでしょ」

「うん、思わなかったっすね」

「でも今は、怖いから誰かに相談しようと思ったんでしょ」

「はい」

「それ、凄い成長じゃん。ストレス対処の技が一つ身についてるってことだよ」

「あぁ確かに……、でもまだ無意識に切っていることもあるし」

「その前にどんな気持ちがあったの?」

「それも覚えてないんす」

「じゃ、今度はそこ気づくのを目標にしてみよう」

「ていっても、ストレス思い当たらないしなぁ」

「いや、ストレスなんて探しても見つからないさ、小さなことの積み重ねだもん」

「あぁ確かに」

「原因探しじゃなくて、直前の気持ちね。なんかモヤモヤするとか、イライラするとか」

「死にたいって思う前の段階っすか?」

「そうそう」

「だけど、死にたいっていきなり思うんだもんなぁ」

「じゃ、一生入院するか?(笑)」

「いやっす(笑)」

「だね(笑) 前より絶対に成長しているし、きっとまたなにか見つかるよ」

「んー、そっすね。もうちょっと頑張って、自分なりに様子みてみます」


人は成長する。10代20代は当然のこと、50歳でも60歳でも成長する。1年前に悩んでいたことが、1年後には、「なんであんなに思いつめたのかなぁ」と首を傾げることなんてざらにある。だから俺は、どんな患者にも「大丈夫」と言う。
「いま目の前にいるあなたが大丈夫だとは思わない。でも、1年後のあなたならこれくらい大丈夫。10年後のあなたなら気にもかけない。悩みなんてそんなもの。一生懸命に生きていれば、絶対に成長するんだから」
実際に言うこともあるし、口に出さなくても根底にこの想いがある。

蛇足ではあるが、成長するための絶対条件は、上記したように一生懸命に生きることである。もし手抜きしながら成長する方法をご存じなら、これはぜひともコッソリ教えて欲しい。


<関連>
リストカッターに対する友人や家族、治療者のあり方
『境界性人格障害のすべて』から (1)
『境界性人格障害のすべて』から (3)
『境界性人格障害のすべて』から (4)
リストカッター考察

じいちゃんの墓参り

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前回の帰省では従弟と、今回は母と甥と一緒に墓参り。



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じいちゃんの墓の前に立つと見える景色。

2012年4月20日

忌むべきてんかん患者、それが私です

私はてんかん患者だ。なんで自分がてんかんになったのか、そんなこと分からない。生まれてから何のトラブルもなかったのにてんかんになる人もいれば、高熱、外傷などでてんかんになってしまう人もいるらしいし、大人になってからいきなり発作が起こる人もいるそうだ。では自分のてんかんは何が原因なのか。そんなこと考えても意味がない。私は知っている。世間の目から見て、自分がただの「忌まわしいてんかん患者」であるということを。

私は主治医を信頼していて、もうずいぶん長いこと通院している。薬を欠かしたこともない。発作を起こすのが怖いというのもあるし、もはや習慣化したからというのもある。内服が一日一回で済む薬を主治医が選んでくれたし、寝酒する人と同じ感覚とまではいかないが、一日の終わりに薬を飲んで安心して眠りにつく、そんな毎日だ。

私は運転免許を持っていない。発作はもう十年以上起きていないが、敢えて運転免許を取る気にもならない。電車やバスを乗り継いで、ちょっと不便ながらも通院できる。自分が車なしで生活できることをつくづく恵まれていると思う。多くの患者がそうでないことは、情報のやり取りがしやすくなった今だからよく分かる。

先日、求職のためハローワークに行った。応対に出た職員はぞんざいな口調で、
「アンタ、何で免許持ってないの?」
と言った。私は自分の持病にてんかんがあること、発作はもう何年も起こっておらず、薬の内服も欠かしていないので免許の取得はできること、ただ自分自身の判断で免許を取っていないことを、なるべく分かりやすく簡潔に話した。

そのつもりだった。

しかし、相手にはそんなこと関係なかった。

「え!? てんかん!? 俺、責任取りたくないなぁ」

フロア中に響き渡るような大声で、彼はそう言って他の職員らを見渡し、そして苦笑いした。私はただただじっと、その場に座ってうつむいていた。

それでも幸いにして、そんなハローワーク経由の障害者枠で就職できた。自分がてんかんであることを承知して、それでも雇用しようという会社に感謝の念が止まらなかった。てんかんの発作にはストレスが影響するらしいが、自分の負担になりすぎない程度に一生懸命に働いて恩返しをしたいと思った。最初の出勤日、私は胸を高鳴らせて出社した。

「あんたは、席に座っているだけでいいよ」

業務説明はほとんどなかった。とにかく私が座っているだけで会社の利益になるそうだ。それが嫌なら辞めても良いよ、と。替わりはたくさんいるんだよ、と。だって障害者雇用枠でしょ、と。ぜいたく言いなさんな、と。

働きたい。社会貢献したい。そして何より、自分の力でお金が欲しい。親に養ってもらうか、年金か、生活保護だって考えたけれど、やっぱり自分が働いて得たお金で生きたかった。その思いだけにしがみついて、私はただただイスに座り続けた。

2年間、仕事は一つもなかった。口もきいてもらえない。家で愚痴ることもあった。ただ、家族には「お前は辛抱が足りない」と責められた。そしてとうとう胃潰瘍にもなり、私は会社を辞めた。

実は、その会社は障害者枠で人を採ってはいびり出す常習だった。それは、たまたま検査入院先で出会った患者家族から教えてもらった。

私はてんかん患者だ。なんでてんかんになったのか、そんなこと分からない。知ったところでどうしようもない。発作なんてもうずいぶん前に起きただけだが、それでも私はてんかん患者だ。薬を欠かさず飲んで発作が起きないてんかん患者だ。クレーン車で事故した人もてんかん患者だ。京都で事故した人もてんかん患者だ。そして私もてんかん患者だ。

なりたくてなったわけじゃない。親だって、私をてんかん患者にしたかったわけじゃない。私は私で、てんかん患者の親になってしまった父母が不憫だ。てんかん患者で、ごめんなさい。

誰か教えて欲しい。てんかん患者はハローワークで苦笑されないといけないのだろうか。てんかん患者には、イスに座る以外に仕事がないのだろうか。てんかん患者と口をきくとうつるのだろうか。

あなたはてんかんにならないのだろうか。あたなの恋人はてんかんにならないのだろうか。あなたの子どもはてんかんにならないのだろうか。

てんかんは病気で、原因はいろいろあって、それを知ったところで私はこれからもてんかん患者で、忌避されなくてはならない。それが、絆大好きで、心のバリアフリーを目指す、ガンバロウ日本の社会なのだ。


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てんかん患者が引き起こした交通事故が話題になって、「てんかん患者に免許を持たせるな」という意見が出てきて、それに対して「疾患差別だ」という反論があがった。しかし、「疾患差別だ」という反論は的外れだ。

発作によるかどうかはともかくとして、てんかん患者が交通事故を起こして多数の人が亡くなったのだから、「てんかん患者に車を運転させるな」と思うのは普通の感覚である。ただし、その判断の前提となる知識が皆無なだけで、無知からくる偏見ではあるけれど、それは差別ではない。

疾患差別の一例を、ブログにコメントしてくださった方の実体験をもとに書いた。俺なりに小説風に書いたので、語り手を「私」と表記した。当然、心情などはこちらが想像して書いている部分が多い。とにかくポイントは、差別という事実そのものである。

 <関連>
てんかん患者には運転免許を持たせるな!?
心のバリアフリーとは何か

太郎、なぜかこんなことに……

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2012年4月19日

あなたの何げない一言が人を変える

俺は小さいころからよく笑う子どもだったそうだ。もともとの顔が笑顔に近いのだろう。母からは、からかい半分に「仏さん顔」と言われ続けていたし、笑顔でいるのは良いことだとずっと思っていたのだが、小学校のある日を境にして自分の笑顔に対する感覚が変わってしまった。

経緯は忘れたが、5年生のときに担任の女教師から、
「いちは君、ニコニコとニヤニヤは違うのよ」
ピシャリとそう言われたのだ。11歳の俺にこれは衝撃的な一言だった。なぜなら、そのときの俺は自分では笑っているつもりなどまったくなかったからだ。むしろ真顔をしていたと思う。多感な年ごろにとって、ニヤニヤというのはイヤらしい、不快な響きがある。だから「俺の顔ってニヤニヤしているのか……」と落ち込んだ。

それ以来、どうも笑顔、というか真顔に自信が持てなくなった。どんなに真剣は顔をしていても、「ニヤニヤしていると思われているんじゃないだろうか」という不安がつきまとうのだ。思春期の青少年にとって、これはキツい。こうして俺は、真顔になろうとするときには、恐る恐る丁寧に真剣に気合を入れてちょっと睨むくらいの心構えで真顔をつくるようになってしまった。

そんな俺に次の転機が訪れたのは20歳のときだ。飲み会の席で、
「小学校の時、こんなこと言われたんだよねぇ、ニヤニヤしてるかなぁやっぱり」
と言ったところ、ある人から、
「怒った顔してるより全然いいじゃん」
と返されたのだ。「ニヤニヤなんかしてないよ」と否定するのではなく、「ニヤニヤしていても怒った顔より全然いい」というポジティブな意見は、俺にとっては大いなる救いであった。それからは、「ニヤニヤしていても良いんだ!」という強い思いをもって生きている。そのせいか、よく人に道を尋ねられる。旅行先でも聞かれる。病院の中でも呼び止められる。患者や患者家族、施設スタッフからの評判が良いのは、この表情の貢献がかなりあると思う。

小学校の教師も、大学時代の友人も、どちらも何げなく言ったことだろうと思うが、それが俺の人生を大きく変えたことを二人とも知らないだろう。これは俺自身が誰かに言葉をかけるときにも同じことが言える。願わくば、相手を良いほうに変える言葉を多く発していきたい。

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朝から太郎が……

先日、朝から太郎がうるさかった。起きて行ってみると……

グロい画像がありますので、苦手な人はここでストップ!!



2012年4月18日

俺は普通の精神科医、そしてなにより一般人だ

精神科医と名乗ってブログを書いたり、ツイッターやmixiをやったりしていると、その肩書きに釣られてくるのか、あるいは俺の書き込み内容に魅かれてくるのか、やたらと理想化した精神科医像、または俺の人物像を胸に抱いて接近してくる人がいる。

俺のブログで長い付き合いの方ならご存知と思うが、俺は結構いい加減だ。自分の理想の精神科医像は持ってはいるが、自分が理想的だなんて思っていない。良心の塊りのような人間でもないし、ごくごく普通の感覚をもったネット・ジャンキーだし、ちょっと変態でもある。

しかし、幻想を抱いて近づいてくる人たちは、俺の素っ気ない態度や彼らの意にそぐわない意見に過敏に反応して、今度は一転して俺を蔑み攻撃してくる。現象だけ見れば、いわゆる「理想化とこき下ろし」であり、境界型人格障害の特徴でもある。

俺は個人的に楽しむためにネットをやっている。同時に、精神科疾患に対する誤解が減ることに少しでも貢献できれば良いなとは思っている。だが、それ以上でもそれ以下でもない。だから、無視もするし、拒絶もする。ネットなんだもの、そういうものさ。

「退職を促してください」という手紙

以前、ある患者に関して、彼が勤務する大企業の産業医から手紙が来た。彼は統合失調症だったが、主治医である俺から「退職を促して欲しい」という内容の手紙だった。さすがにちょっとムッとした。それは精神科医の仕事ではなく、企業が行なうべき役目だから。診療情報提供書(意見書)を作成して欲しいということも書いてあったので、

「統合失調症という疾患の性質上、今後再発再燃しないと断言はできない。ただ、現在のまま、定期的通院・服薬を続ければ、再発・再燃の可能性は低い。業務内容に制限が設けられるのは致し方ないが、充分に就労できると考える」

という主旨のことを書いた。主治医として、復職させたいわけではない。むしろ、退職するほうが良いとさえ思う。それは、本人・家族にも十二分に告げてある。それでもなお、本人・家族が復職を望むのならば、医療的視点から、現時点で復職可能かどうかの判断をするだけだ。

統合失調症患者の社会復帰成功は、4人に1人くらいとのこと。症状が再発・再燃して、業務にちょっとした支障が出る程度でも企業は嫌がるだろうが、例えば機械運転をしたり、危険物を扱ったりする場合には、患者自身や周囲の人間を危険に巻き込む恐れがある。そんな色々な理由から、「できれば退職して欲しい」という企業側感覚は理解できる。

しかし、患者に退職を勧める役目を精神科医に任せるのは間違っている。現在、症状は落ち着いていて、通院・服薬している限り大丈夫と思われる人に、「退職したほうが良い」なんて促すことなどできない。もちろん、アドバイスはする。本人・家族に対して、統合失調症の特徴や予後、今後必要な治療、生活上で気をつけなければいけないこと。そういったことを一通り厳しく伝える。希望的な側面も述べるが、甘い展望は抱かせないよう気をつける。ストレスフルな職場であれば、よりストレスの少ない職業にかえるべきだとも言う。また、患者が実家から離れて単身生活をしているのであれば、仕事を辞めて、実家で家族と暮らす方が再発リスクが低く、長い目で見れば、その方が良い人生が送れるかもしれない、といったことも告げる。しかし、それらはあくまでもアドバイスであって、そういったことを納得したうえで、患者・家族が将来を選択するのだ。

患者に退職して欲しければ、企業側から本人に明言するべきだ。あるいは、疾患を理由に解雇するか(不当解雇になるのではなかろうか)。それで患者本人はショックを受けるかもしれないが、かといって、精神科医が説得して退職させて万事丸く収まるわけでもない。

サクラ、生誕50日!!

どうやら、4月16日が生誕50日だったみたい。そんなお祝いをするなんて聞いたことがなくて、俺の周囲の人も「え!?」と驚いていたが、たぶん妻の実家方面だけのことかもしれない。もしかしたら、妻の実家だけかも!?

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笑っているのかな、一応。



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これは昼間に送ってもらった写真かな。

初ものがたり

初ものがたり
久しぶりの宮部みゆき。面白かったんだけれども、続編がありそうなのに、現時点では発表されていない。どうやら連載していた雑誌が廃刊になったのが原因のようで、初版から10年以上が経過しても発売されないのだから、これはもう終わりってことだろう。魅力的なキャラがたくさん出てきただけに残念。

2012年4月17日

逃げられないから、隠れて生きる

ある統合失調症の若い男性患者がアルバイト面接を受けた。勇気あることに、彼は採用面接の時点で、自分が統合失調症であることを明かした。職種は販売員で、彼は見事に採用された。その後、数回の診察時には明るい表情だったのだが……。

ある診察の時に、
「仕事は順調ですか?」
と尋ねたところ、彼は少し暗い表情になって、
「やっぱり、職場の人やお客さんの中には、心ないこと言う人がいますね。病気のくせにとか、そんな感じのことです。覚悟はしていたんですが、やっぱり言われると辛いですね。都会にいたころは、大勢の中に紛れることができて良かったんですが、やっぱり田舎だとどうしても……、でも、踏ん張るしかないですからね」
そう言った。

確かに、この島の中での精神科に対する先入観・偏見は根強い。そもそも、病院内の表示でも「精神科」とは書いておらず、別の表記の仕方になっている。そんなこの島でも、精神疾患ではなく、日常の悩みごと相談で精神科を受診する人もいて、中には、
「とうとう自分も精神科を受診するくらいダメ人間になってしまった」
といったことを、精神科待合室で笑いながら大声で言ってのける人もいる。日本の精神科医療には、まだまだ社会的な課題が残されていると感じる一瞬だ。

彼は結局、せっかく手に入れた次の仕事も辞めて島を出た。仕事は、公的機関の障害者枠での募集だったが、姿勢は前向きだった。面接を受け採用されたと、診察室では嬉しそうに報告していた。しかし、次の診察の時には、表情はやや暗く落ちこんでいて、どうやら新しい職場でも偏見や嫌がらせがあるとのこと。それから数回の診察のあと、彼は、もう仕事を辞めて島を出ると言ったのだ。

新しい職場の嫌がらせは、前の職場より陰湿だった。中心人物が3人いて、取りまき連中が同調する、小中学生のイジメような構図。差別発言を投げつけられ、机の上に求人誌が置かれていたこともあった。我慢して続けるか、とも考えたが、そこまでしてやりたい仕事でもない。
「もしあなたが戦うなら、主治医として徹底的に援護射撃する」
と提案したが、穏やかな性格の彼は波風を立てたくないと退職を決意した。

彼にとっては、かつて住んだことのある都会の方が生きやすかった。もちろん、都会にだって偏見や差別があることは知っているけれど、それでも多くの人の中に紛れられた。彼はそれを「隠れて生きる」と表現した。そして、人間関係の幅の狭いこの島の中にいる限り、偏見や差別、嫌がらせからは、
「どうせ逃げられませんもんね」
そう言って、彼は寂しい笑顔を浮かべた。

その公的機関が設ける障害者雇用枠は、こうやって人を傷つけるためにあるのか? 自称「まとも」な連中が、人を蔑んで優越感を得るために存在している雇用枠なのか? 何の罪もない人に「逃げたい、でもどうせ逃げられない」と感じさせることが、いかに下劣か。障害者に限らず、自分たちと異質なものを生理的に避けたり特別視したりするのは否めないし非難できないが、多数派が一致団結して少数派を追い詰めるなど言語道断だ。そしてこれは、なにも雇用に関してだけでなく、ネットも含めた日本中いたるところで起こっていることなのである。

<関連>
忌むべきてんかん患者、それが私です

ナスビを描いた男の話

中学校時代、年老いた美術教師がいた。常勤の美術教師が研修に行っている間の代打だったので、もしかすると定年後の臨時採用だったのかもしれない。

その先生は生徒からあまり好かれてはいなかった。優しい先生だったけれど、お節介な部分があって、今の言葉でいうなら「ウザい」という感じかもしれない。先生は、生徒たちのその空気を察していたのだろうか。中学生の俺には、その先生の気持ちは分からなかったし、今でもやぱり分からない。

クラスの中でも、その先生を毛嫌いしているのがユキオだった。ユキオは先生がいる場所の近くで、わざと先生に聞こえるように、
「口くせぇ」
「口臭きつい」
「息がくさい」
と言うような男だった。それでも、先生は一度も怒らなかった。

そんなある日。
美術の授業で、果物のスケッチがあった。かごに入った果物の模型を鉛筆でスケッチするように言われた。そして、ひねくれ者のユキオは果物ではなくナスビを描いた。かご一杯に盛られたナスビ。ナスビなんて、当然かごには入っていない。

完成したその絵を先生に見せながら、ユキオは勝ち誇ったようにニヤニヤしていた。先生は絵を見ながら、眉間にシワを寄せて唸った。そして、顔を上げてこう言った。

「素晴らしい」

ユキオのニヤけた顔が固まった。状況を見ていた周りの空気も固まった。先生は続けた。

「目の前にはないナスビを、こんなに上手に描けるのは凄い。日ごろから、ユキオ君がいかに身の回りのものを観察しているか、それがよく分かるスケッチですよ、これは。果物を見て、野菜を描く、その独創性も素晴らしい。こんな素晴らしいスケッチには久しぶりに出会いました」

先生は根っからの美術好きだったのかもしれない。今思い返すと、先生の発言からそんな気がする。そしてそれ以来、ユキオは先生の悪口を言わなくなった。

わくらば日記

わくらば日記
俺は基本的に「ですます調」の小説が嫌い。そして、この小説は「ですます調」だから好きじゃないのだが、中身はなかなか面白くて、だからつい続編も買ってしまった。
そういう本なので、けっこうお勧め。

2012年4月16日

てんかんと運転免許について 『本当に減らしたいのは何か』

これまで、てんかんと自動車免許に関する記事を二つ書いた。一つ目は、『てんかん患者には運転免許を持たせるな!?』と題して、てんかん患者に限らず他者の権利に制限をかける時には冷静な議論が必要だということと、それに対する過剰なまでのネガティブ反応に驚いたということを書いた。二つ目は、『てんかん患者と運転免許』というタイトルで、てんかん患者に対する誤った知識を修正してもらうとともに、てんかん患者の運転免許を制限することのデメリットについて考えてみた。

mixiでも同じことを載せて、異論反論も多かったし、賛同する意見ももらった。ただ一つハッキリさせておきたいのだが、俺は今回の京都での事故加害者を擁護する気はさらさらないし、てんかん患者を守りたいという強い想いがあるわけでもない。病院でてんかん患者を何人も治療していて、彼らの人となりを知っていて、彼らに無用の偏見が向かうのは防がなければという気持ちはあるが、何はともあれ彼らはみな運転免許を持っていない。あるいは俺が知らないだけかもしれないが。正直な話、てんかん患者が免許制限されたからといって、俺の親族・友人にはてんかん患者はいないし、身につまされて困ったり悩んだりすることはない。しかしこれもあるいは、俺が知らないだけかもしれないが。

じゃ何をそんなにこだわって、何回もブログを書くのかというと、ただただもうひたすらに、今のこのてんかん憎しの風潮が怖くて、不気味で、擁護派も糾弾派もどこか的外れな気がして、だからそこにお粗末でも一石を投じておきたい、という気持ちがあるからだ。

いろいろ考えて行きついた疑問、それは、「みんなが本当に減らしたいのは何か」ということ。純粋に「てんかん患者の運転免許保持者を減らしたいのか」、それとも「てんかん患者が引き起こす事故を減らしたいのか」、あるいは「悲惨な交通事故を減らしたいのか」、そのあたりが曖昧になっていて、「とにかくまず、てんかん患者の運転免許を剥奪しろ」という流れになっているように見える。その理由はなんですかと問えば、二番目の「てんかん患者が引き起こす事故を減らすために決まっているだろ」と言う人もいるんだろうけれど、そこでなぜてんかんだけが槍玉に挙げられるのかが分からない。それはとりあえず置いといて、「本当に減らすべきは交通事故数」ということに反論する人は少ないと思う。

あくまでも伝聞であるが、すべての交通事故のうち、てんかん発作が原因の事故は0.01%らしい。平成21年度の交通事故は73万件強なので、そのうち73件がてんかん発作によるものということだ。これが多いか少ないかは感じる人次第だろうが、そこで気になるのが他の原因はどうなのかである。交通事故統計(平成24年2月末)でPDF版14、15ページあたりを見てみると、細かく吟味はしないにしても、最高速度違反と信号無視が多いということは分かる。二つ合わせれば7.5%、そのまま73万件に当てはめて考えれば54750件である。上記した「てんかんが原因で起きた事故」の数字が正しいとしたら、実に750倍である。本気で交通死亡事故を減らしたいと思うのなら、この二つを徹底的に敵視して取り締まるのが一番効果的ということだ。

信号無視はともかくとして、スピード違反で捕まった人が反省の弁を述べているところなんて見たことも聞いたこともない。たいていが、「運が悪かった」という嘆きか「警察の点数稼ぎ」に対する憤りだ。しかし、言い逃れはできない、スピードを出したのは自分自身なのだから。一般に「制限速度の10kmオーバーまでは大丈夫」という暗黙の了解のようなものがあるが、これはあくまでも各人が勝手に思い込んでいるもので、警察がそう発表したわけではない。あくまでも制限速度は制限速度で、運転している人の多くがそれを自己判断で破っているし、厳密に守らなくても良いものだと確信しているし、だから時速50km制限の道路を55kmで取り締まられたら誰も納得しない。それどころか、時速62kmで取り締まられても腹が立つ。これくらいでは捕まらないだろう、このスピードなら危なくないだろう、自分が事故など起こすわけがない。この心理と、てんかんがあると分かっていて運転する人の心理、そこにどれほどの違いがあると言うのだろう。

「いや、スピード違反はきちんと罰金も払っていて、責任を自分でとっている。それに対して、てんかん患者は発作を理由に免責されているじゃないか」
そういう誤解ももの凄く広まっている。誰が広めたものか知らないが、詳しい人に教えてもらったところによると、判例として「てんかんであること」を理由に罪が減刑されたことはないそうだ。ただし、意識が消失した事による心神喪失状態が認められたものが一件、意識が朦朧となった事を自覚した上で停止すべきだったが、停止の判断前に意識を失った可能性ありとされ、運転中止義務違反の過失なしというものが一件ある。いずれも死亡事故であるが無罪になっている。しかし、これ以降の死亡事故に関しては全て有罪判決が下されており、近年の判決の方向性としては、運転を控える義務や薬の服用の義務が重視され、先の2例のように心神喪失といった通常考慮される免責理由は採用されなくなっているのだ。

車という凶器を扱う以上、年齢性別、運転の上手下手、病気の有無、体調不良、寝不足、そんな言い訳は通用せず、とにかく責任はすべて持たないといけない。運転免許という国家資格とはそういうものなのだと俺は思うし、これは誰も反対しないだろう。ところで、今これを読んでいる人の中で、任意保険の補償額が最大のものに入っている人はどれくらいいるのだろうか。もし最大補償に入っていないとしたら、それはなぜだろう。万が一、複数の人を巻き込む人身事故を起こしたとして、命や障害に対しての償いはできないにしても、可能な限り金銭的に責任をもった対応ができる保険に入らない理由はなんだろう。補償が間に合わないような保険に入っている人と、てんかんと分かっていて運転する人の違いはどこだろう。違法と分かっていて速度違反する人や、信号をギリギリですり抜ける人たちと、てんかんドライバーとの差はなんだろう。決して煽っているわけではなく、本当に分からないのだ。「そんなことも分からないのかバカ」と言うことなく、分かっているなら分かるように教えて欲しい。毎日、自己判断による速度違反をしているあなたと、てんかんドライバーの違いとは、いったい何なのだろうか。

話を巻き戻す。てんかん患者の運転免許を規制しろと訴えるとき、その人の目指すゴール、目線の先、見据えるところはどこなのだろう。ただ単に車社会からてんかん患者を排除したいのか、てんかん患者の交通事故をなくしたいのか、交通事故そのものを減らしたいのか。改めて、目標をしっかり見定めながら考えてみて欲しい。

そして改めて書いておく。俺はてんかん患者の絶対的な味方ではない。むしろ、言い訳は良いからしっかり補償しろという立場だ。ただ、今のこの風潮、つまり、てんかんがどういうものかを知らないまま弾劾する人たちが多数いる魔女狩り的流れが怖いし気持ち悪い。多くの人と意見を交わすうちに、ほとんどの人が本当の目的、減らしたいのは何なのかを見失って熱くなっているのを感じた。さらに言えば、ツイッターでもmixiニュースの反応でも、すでにこのテーマが過去のものとなりつつあるのも恐ろしい。あれほど口角泡を飛ばさんばかりにてんかん患者を罵っていた人たちは、いったいどこへ行ったのだ。ただ憂さ晴らしがしたかっただけに過ぎないのではないのか。本当にてんかん患者から運転免許を取り上げたかったら、今トーンダウンしてどうする。これからどうするかが一番大切じゃないのか。

しつこくもう一回だけ繰り返す。
本当に減らしたいのは、何なのだろう?

裁判長! ここは懲役4年でどうすか


裁判長! ここは懲役4年でどうすか (文春文庫)

おもしろかった!!

『裏モノJAPAN』という雑誌に連載されたものを加筆修正して文庫化。第1幕は、なんとなく面白さも鈍かったのだが、以後はどんどん引き込まれる。殺人やレイプの裁判に対する感想などが、パッと見では野次馬的に感じられて、不愉快に思う人もいるだろうと予想されるが、いやはや、そんなんじゃないね、これは。精神科では、病院に来るまでもなさそうな人から、こちらで縄かけてでも連れて来たくなる人まで、いろいろな人がいて、それぞれにいろいろな事情があって、診察室に遊びに来る人はほとんどいない(たまに、そういう人もいるけれど……)。それと同じような雰囲気を、この本に描かれる裁判所から感じた。読者が手軽に面白く読めるように書いてあるからといって、作者もお手軽な気持ちで書いているというわけではなかろう。

いろいろな裁判の被告や証人、原告、裁判官や検察、弁護士に対するツッコミも面白い。読んでいて、思わず吹きだすことも何度となくあった。そして、同時に、自分は原告にも被告にも、加害者にも被害者にもなりたくないなぁ、なんて、そんなことを思わせる人生ドラマ(北尾氏の空想も入る)が描かれている。これは良い一冊。

差別用語って何だ!?

「外人」という言葉に反応して「差別用語だ」と言っている人がいた。俺の中で「外人」が差別用語だという意識はなかったが、はたして本当に差別用語なのだろうか。

Wikipedia:外人
日本語が堪能な者のなかには自分を指して「外人」という表現を使う者もいて、単に非日本人を指す言葉であり、一般人の会話における「外人」が差別用語ではないと認識している。しかし一部の欧米人の間では外人は英語のJapと同種のものであると主張するなど、あきらかに日本語に対する理解の不足からくる誤った主張をする者がいる。これとあいまって外人を差別用語とするのは欧米人の身勝手な主張であるという認識も存在する。「外人」は語義・成り立ちの上で明らかに差別用語でないので、これを差別用語とするのは言葉狩りであると主張される。これは欧米とくに英語圏での生活を経験し語学が堪能で欧米の言語においても「外国人」という単語が日本語と同じ用法で使われていることを知っている者のあいだでとくに指摘される。
「外人」は 差別用語ではない、というのが俺の認識だ。

そもそも差別用語って何だ?
これは昔から考えていて、未だによく分からない。「えた」「ひにん」という言葉を使っていたら差別用語だと注意されたことがある。俺はこの言葉でいったい誰を差別しているというのだろう。先祖が「えた」「ひにん」であるという人が不快に思うのだろうか。

「下女」という言葉も差別用語らしい。これもよく分からない。「下男」はどうやらオッケーらしい。ますます分からない。「下女」と言われて不快になる人がいるから? でも、今どき「下女」っているのかな。その言葉を使われて不快になる人はいるのかな。

百歩譲って、不快に思う人がいるとしよう。では、そういう言葉を差別用語だと指弾する人たちに逆に聞きたい。「ハゲ」とか「チビ」とかは差別用語になりませんか。というか、むしろ、これらの言葉のほうが断然相手を傷つけるんじゃないかと思うが、あまり取りざたされない。

差別用語に目くじら立てる人たちって、どこかズレている。

2012年4月15日

4月14日のサクラ

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ブックオフ副店長だった頃のクソガキ退治

埼玉の所沢店で働いていた。

当時、平日であるにもかかわらず、店に遊びに来る中学生軍団がいた。連中はマナーも最悪で、店の中に自転車で入ろうとしたこともあった。当然、追い返したが。

こんなこともあった。バッグ一杯に詰まった本を売りに来たクソガキ。その本の査定を済ませて、呼びに行った。レジにやって来たそいつがバッグを下ろした時、「ドン」と、空っぽのはずのバッグがすでに重そうになっていた。

なめとんか。

そんな奴らは、どこで仕入れてくるのか、連日のように真新しい本やビデオを売りに来ていた。一番驚いたのは、SPEEDの写真集が発売されたその日に、グループの各人が数冊ずつ写真集を売りに来たことだった。クソガキどもは明らかに、どこかで万引きしたものを売りに来ていたのだ。しかし、証拠がない。他店の損失などどうでも良いが、こんなバカなガキどもを放っておくのが悔しい。

そこで、店長には内緒で、ちょっとした独断作戦に出た。

ある平日、学校が休みなのか、それとも休んだのか、バカガキの一人が大量のビデオ(恐らく盗品だろう)を売りに来た。そいつは、ニヤニヤしながら、「オヤジのビデオで、いらないらしいから」と言っていた。クソガキ、笑っていられるのも今のうちだ。買い取り表に名前や連絡先を書かせた。そして「少々お待ちください」といつものように立ち去らせた後、俺はそこに書かれた番号に電話した。

電話には母親らしき女性が出た。俺は、もの凄く善人ぶった声で、
「○○さんがもの凄く大量のビデオを売りに来られたんですが、未成年の方には保護者に連絡を取ることにしていまして(大嘘)」
そう言うと、母親は「え?」と言ったまま絶句した。俺は、あくまでも善人声で続ける。
「あれ? あ……、お父様のビデオを売りに来られたっていうことだったんですが……」
母親は無言のままだ。俺は笑いを噛み殺しながら言った。
「あの……、もしかして……、ご存じじゃないんですか……?」
母親は、
「今から、そちらに行きます」
とだけ言って電話を切った。

俺はもう、どうしようもないくらいに笑いたかったけれど、神妙な顔をしてクソガキの所へ行き、
「すいませーん、ちょっと良いですかぁ」
これまた善人口調。
「あのぅ、今、お母さんに連絡を取ったんですよね。あ、別に疑ったとかじゃなくてね。未成年の場合には、そういう風に確認を取ることに決まったんですよ(大嘘)。そしたら、お母さん、なんていうか……、その……、今からこっちに来るって!!」
あの時の、クソガキ、いや、少年の青ざめた顔。

その後、奴らはめっきり店に来なくなった。10年以上たった今ごろ、大したことのない人間になっているんだと思う。あぁ、頭悪いのに俺俺サギとかやっていそうだな。

2012年4月14日

獄窓記

元衆議院議員・山本譲司は、公設秘書の名義貸しなどで起訴されて実刑判決を受けて服役した。そこで体験したり考えたりしたことをもとに書かれた『累犯障害者』(ブログ内レビュー)が、非常に読みごたえのあるインパクト充分な内容だったので、今回あらためて彼の本を読むことにした。

本書は『累犯障害者』よりは前に書かれた彼の物書きデビュー作。まだ慣れていないせいか、句読点の打ち方などから文章のぎこちなさが感じられた。また、やたら小難しい言葉を使いたがるのは、デビュー作という気負いからだろうか。
獄窓記
前半部分では彼が刑務所に入ることになるまでが語られる。この部分はあまり要らないと感じた。書かれたことを真に受けるなら潔い男に感じられるが、こういうことは後からなら何とでも言えるのだ。しかし、中盤以降、彼が目にした刑務所内での光景は、これまであまり語られてこなかったことなだけに必読に値する。
味噌汁とみかんと麦飯とを混ぜ合わせて、それにソースをたんまりと掛けて、口に運んでいる者、おかずを胸ポケットに詰め込んでいる者、飯粒をテーブルに並べて、その数を必死になって数えているものなど、常軌を逸した行動をとる同囚が数多くいた。
彼が配属されたのは、知的障害、身体障害、聾唖、認知症といった囚人たちが作業をする工場だったのだ。そこでは、紐の結び目をほどく作業と、ごちゃ混ぜになった6色のロウソクの破片を色ごとに仕分けする作業がある。筆者はそれを見て、紐は紙袋に使われるのだろうし、ロウソクは溶かして固めて再利用するのだろうと思うのだが……。
「ほどかれた紐は、この部屋に持ってきて、こうやって、私たち指導補助が結び直すんです。そしたら、それをまた、彼らの作業に回します。その繰り返しです。紐を渡す人によって、結び方を強くしたり、弱くしたりします。ロウソクにしても同じです。彼らが色分けしたものは、まったく使いものにならないんです。赤の中に白が混じったりしていて、まあ、いい加減なもんです。結局、色分けしてもらったロウソクは、また自分らがごちゃごちゃにかきまぜて、それを次の日の作業に回すんです。言ってみりゃー、彼らに、時間つぶしをさせてあげてるようなもんです」

ところで、刑務所での作業ではどれくらいの賃金が出るのだろうか。
私の最初の作業賞与金は、500円ちょうどだった。これは、時給ではない。一ヶ月分の給料だ。週休2日、1日8時間労働ということからすれば、時給は3円弱ということになる。
非常に 安いとは思うが、これは徐々に増える仕組みになっている。
毎月10%から20%の割合でベースアップしていくのだそうだ。それが2年間続いた後、頭打ちになるらしい。収容者全体の平均月収は、3千円くらいだという。
これでは 、たとえば2年間服役したとしても、出所時に渡される総額は7万円程度にしかならない。自宅も身内もない人間だと、1週間ほどで使い切ってしまう。すぐに刑務所に逆戻りという出所者があとを絶たない原因は、作業賞与金お安さにもよるのではないかと思う。
山本はこう考えるが、しかしジレンマも感じている。
ただ賞与金を高くすればいいというような単純な話ではないだろう。刑務所の中で、それなりの給料をもらえるということになれば、金を稼ぐため、わざわざ刑務所に入ってくる者も出てくるのではないか。これでは、本末転倒である。
ドイツの例を挙げてあり、なかなか興味深かった。
ドイツでは、刑務所を出所した者に対して、しばらくの間、受刑前に得ていた賃金の65%の額が失業保険として支払われるそうだ。それは再犯を防ぐうえでかなり有効な手立てとなっているらしい。再犯者が減った結果、刑務所の運用コストも大幅に削減することができたという。 
しかしこれは、日本の「犯罪者憎し」という空気のもとではなかなか実現しにくい方策だろうなと思う。

山本と障害者のやり取りには考えさせられる。
「山本さん、俺ね、いつも考えるんだけど、俺たち障害者は、生まれながらに罰を受けてるようなもんだってね。だから、罰を受ける場所は、どこだっていいのさ。また刑務所の中で過ごしたっていいんだ」
「馬鹿なこと言うなよ。ここには、自由がないじゃないか」
「確かに、自由はない。でも、不自由もないよ。俺さ、これまでの人生の中で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ。誕生会やクリスマス会もあるし、バレンタインデーにはチョコレートももらえる。それに、黙ってたって、山本さんみたいな人たちが面倒をみてくれるしね。着替えも手伝ってくれるし、入浴の時は体を洗ってくれて、タオルも絞ってくれる。こんな恵まれた生活は、生まれて以来、初めてだよ。ここは、俺たち障害者、いや、障害者だけじゃなくて、恵まれない人生を送ってきた人間にとっちゃー天国そのものだよ」
「うーん」
自由はない、けれど不自由もない。なんだかブルーハーツの歌みたいだ。

また、山本の同囚には殺人犯もいる。
Hの息子は30歳を過ぎても定職に就かず、毎日、酒を飲んでは家の中で暴れまわっていたらしい。特に母親に対する暴力は目に余るものがあったという。
「このままだと、女房が殺されると思いました。木刀を取り出すと、あとは何かに憑りつかれたように体が動いていました。息子の頭から血が噴き出すのをみて、やっと意識が覚めたんです。取り返しがつかないことをやってしまいました」
Hの舎房からは、毎晩お経を唱える声が聞こえてくる。
こういう殺人犯がいる一方で、以下のような者もいる。
Kという知的障害者は母親を殺害していた。彼は私より3歳年上だったが、知能は小学校低学年ほどのレベルしかなかった。
「あのね、僕がね、おうちの中でサッカーごっこしてる時、お母さんがね、お部屋で横になってたの。お母さんが僕に、うるさいって言ったんで、お母さんの頭を蹴っちゃったんだ。そしたら、お母さん、死んじゃった。僕、びっくりしちゃったよ」
Kは懲役3年の刑を受けていたが、もうすぐ満期を迎えるらしい。
「僕、ここから出ても、山本さんとお友だちでいたいなー」
「Kさんは、友だちはいないの」
「うん、いないよ。お母さんに、恥ずかしいから外に出るなって言われてたから。僕、話をするのはお母さんだけだったよ」
いずれも、どこかで何か小さな援助があるだけで 痛ましい事件にまでは至らなかったんじゃないだろうか、と思ってしまう。

辻元清美に関する記述も結構ふんだんにあって、元から彼女のことは好きじゃなかったのだが、この本を読んでますます嫌いになった。とはいえ、本書のテーマからするとそれは枝葉かな。

最後に、受刑者が詠んだ短歌が紹介されていて、その中でもダントツに母を想うものが多く、そしてそれが目頭熱くなるようなものだったので紹介する。
面会時 老いたる母の 頬つたい 流れる涙 拭いてもやれず
難聴の 母には遠し 面会の 厚きガラスに 言葉届かず
ハハキトク たった五文字の 電報を 何度も眺める われは無期囚
面会に また行きますよ ガンバレの 文を最後に 母は逝きたり
次の世が あると言うなら 母よ母 ふたたびわれを 身ごもりたまえ

サクラ

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2012年4月13日

てんかん患者と運転免許

てんかん患者には運転免許を一律に発行せず、またすでに発行しているものでも全て剥奪せよ、という極端な意見があり、これは明らかに無知が原因なのだが、言っている本人らは無知を認めず、またてんかんについて知ろうともしない。それに対して、てんかん患者から運転免許を剥奪するのは疾患差別だという反論もあって、これはこれでちょっとピントはずれである。

まず結論から先に書くと、てんかん患者の運転免許に関しては本人の自主返上に任せ、そのうえで起きた事故に関しててんかん発作(初発以外)は免責の要件とならない、とするのが最も良いと思われる。当初は条件次第で剥奪やむなしと考えていたが、いろいろ考えているうちにこの結論に達した。以下、最初にてんかんに関する一般的な誤解と、それを修正するための知識を『現代臨床精神医学』と『専門医をめざす人の精神医学』を参考にしながら述べて、最後になぜ上記のような自主返上という結論に達したかを書きたい。

ネットでのやり取りを通じて明らかになった「てんかんに関する誤解」には以下のようなものがある。
(1)てんかん患者は、すべて意識消失して痙攣する。
(2)てんかんは、薬を飲んでも治らない。
(3)てんかん患者は、すべて小児・思春期に起こり、大人になってから起こるものはない。

最も多くて根深い誤解が、(1)の「てんかんはすべて意識消失や痙攣を伴う」というものである。てんかんの分類は非常にややこしく、専門家の間でももっとシンプルにすべきだという議論がある。ここでは一般の人を対象にするので、ごく大雑把に説明する。意識障害を伴うものを全般発作というが、これに対して部分発作というものがある。中でも意識消失のないものを単純部分発作という。単純部分発作には例えば、聴覚発作や嗅覚発作といったものや、急に声が出せなくなったり、逆に意志に反して声が出たりする音声発作というものもある。単純部分発作に対して、複雑部分発作というのもあるが、こちらは意識障害がある。発作型の頻度に関しては調べても載っていないが、少なくとも(1)が間違っていることは確かである。これで誤解が一つとけたはずだ。

次に、薬を飲んでも治らないというのは、誤解というより「治るとはなにか」というところの認識のずれがあると思う。薬を飲んでいれば発作が起こらないというのを「治る」と考えて良いと思うが、人によっては「薬を飲み続けている限り、発作が起きなくても治ったことにならない」とやや厳しく評価する人もいる。大切なのは運転中に発作が起こるかどうかのはずで、薬を飲んで発作が起きなければそれで良いじゃないかと思うのだが、てんかん患者からは一律に全員から運転免許を剥奪すべしという極論者の中にはこの部分にこだわる人が結構いる。そこにこだわってしまうと、例えば不整脈がある人は意識消失する危険性があるが運転免許はどうするのか、といった話にまで広がってしまうのだが、極論者にそれを尋ねても答えてもらったことはない。内服治療による発作完全消失率は、発作型によっても違い、予後の良いタイプは70%~80%に達する。「病気が治る」というのはどういうことなのか、そういうことを各人で考えてみるのも良いと思う。

「てんかん患者は、すべて小児・思春期に起こり、大人になってから起こるものはない」という誤解についてだが、これはまったくの誤りで、成人してからてんかんになる人はたくさんいる。実際、今回の京都で起きた事故の加害者は数年前に交通事故に遭ってからてんかん発作が起こるようになったそうだ。てんかんの頻度は1000人に8人くらいと言われていて、日本の人口を1億2千万人とすると、100万人弱のてんかん患者がいることになる。発病年齢について2000人に対して行なわれた調査では、18歳までに85%が発病しているとしている。残りの15%はそれ以降の発病で、15万人くらいいる。つまり、明日、あなたや、あなたの恋人や、あなたの家族や友人が、突然てんかん発作を起こして、てんかん患者になることだってあり得るということだ。


以上を読んで、それでもなお誤解が解けないとしたら、それはもう妄想の域に達していると思われる。妄想とは訂正不可能なものなので、根底に妄想のある人と議論をしてもあまり意味がない。


てんかん患者の免許を制限するのではなく、患者が免許を自主的に返上し、もし運転するのなら発作(初発以外)を理由にした免責は一切しないという制度が一番良い、という結論に達した理由を述べる。初発以外と書いているのは、初めての発作など誰にも予測できないからだ。

もともと俺は、てんかん患者全員の免許に一律に制限をかけることに反対だった。上記したように、意識消失のない発作もあるからだ。では例えば「5年以上にわたって意識消失発作がない」などの条件をつければ良いのかと考えたら、それだと診察室で患者が症状を過小申告することが増えるんじゃないのかという危惧を抱いた。それは結局、病気そのものにとっても良くないし、社会安全上も問題がある。医師に嘘をつくことを禁じる法律でもできれば良いが、それはたぶん無理だろう。

もし、てんかん患者は発作の種類に関わらず運転免許を取得できず、またてんかんと診断されたら免許取り消しになるという制度ができたらどうなるだろうか。どうしても免許を取りたい、あるいは手放したくない人は、そんな診断を受けては困ると病院に来ないかもしれない。それで病気が悪くなる。また、保険記録が残らないようネットで抗てんかん薬の闇取引きが行なわれるかもしれない。気分安定薬(安定剤ではない)とてんかんの薬は同じものを使うことが多く、生保患者が横流ししようと思えばいくらでもできそうだ。睡眠薬などの嗜癖と違い、運転免許を死守するという切実な目的なだけに高値で売り買いされそうである。

結局、免許発行停止、剥奪という方法だと、運転免許がどうしても欲しいてんかん患者が地下に潜ってしまって、適切な医療や助言を受けないまま運転を続けるという危険性だけが増えることになりそうだ。それで事故が起きたとしても、病院で診断を受けていなければ「てんかんの診断は受けていない」ということになってしまう。悪質といえば悪質なのだが、てんかん発作と思われる症状が起きたら強制的に病院を受診させる、というわけにもいかない。

そういうわけで、てんかん患者と運転免許については、
『患者が自主的に返上する。返上せずに運転する場合には、発作は一切免責要因とならない』
というのが一番良いと考える。

以上、てんかんの専門家ではないし、法律に詳しいわけでもないが、臨床精神科医として、そして一般市民として、てんかん患者と運転免許について考えた結果である。疲れ果てたので、議論に応じる気力はない。

<追記>
運転免許を返上するかわりに、身分証として通用するような写真入りのものを発行するなどのフォローは非常に大切だと思う。運転免許証は身分証として使われることが結構多いから。

さらにいろいろ考えていると、どうにも気になることが出てきた。
てんかんと運転免許について 『本当に減らしたいのは何か』

ちなみに、昨日までの考えは下記エントリ参照。
てんかん患者には運転免許を持たせるな!?

かぁちゃんと神様と真夏の温泉

高校には行かない、と恭一が母親に告げると、
「かぁちゃん、天国のとうちゃんに叱られちまうよ」
母親はそう言って、ため息をついた。早く働いて金を稼いで、それで母親に楽をさせてやろう、などと殊勝なことを考えたわけではない。恭一は単純に、もうこれ以上、勉強することが嫌だったのだ。

小学校に入学して足し算引き算までは良かったが、掛け算になると九九の暗記が苦手で、割り算では頭が混乱し、分数になると意味不明、中学に入って算数が数学になると、今度は式の中にローマ字が入ってきて、英語まで一緒にやらされているような気がした。作文もダメ、理科も社会も覚える気になれず、体育はまぁまぁ、図工はそこそこ器用にこなせて、道徳の時間に時どき聞かされる話にこっそり涙ぐみながらも、俺には関係ないなどと強がってみせる、そんな学校生活だった。放課後には、恭一と同じようなデキの悪い友人たちとつるんで、時には他校の生徒とケンカもした。母親は、恭一の生活態度にあまり口出しはしなかったが、一度、相手に大怪我をさせた時、母親は大声で怒り、恭一は初めてビンタを張られた。
「なにすんだ、クソババァ」
思わずそう叫んで、ちょっとだけ後悔して、しかしそれ以後、恭一は母親のことを「クソババァ」と呼ぶようになってしまった。

働き始めた当初は、十分に一回くらいのペースで、
「やってらんねぇ」
と言っていた。作業がきつかったわけではないし、職場の仲間ともうまくやれていた。ただただ、なんとなく「やってらんねぇ」という言葉が口から出てくるのだった。「やってらんねぇ」と言わなくなったのは、職場の先輩であるコウヘイの一言がきっかけだった。コウヘイは、恭一より五つ年上だった。兄のいない恭一にとって、仕事を手取り足取り教えてくれるコウヘイは、もし兄がいるとしたら、こんな人が良いなと思えるような先輩であり、恭一は「コウさん」と呼んで慕った。ある日、「やってらんねぇ」とぼやいた恭一に、コウヘイは、
「まぁ、そのわりに、お前しっかりやってるよ」
と言って笑った。小学校時代からあまり褒められたことがなかった恭一にとって、コウヘイからそう言われたことはすごく嬉しかった。恭一は、
「うす」
とだけ答えて、それ以来、「やってらんねぇ」とは言わなくなった。怒られたり褒められたりしながら一生懸命に働いて、初めての給料をもらった日。恭一が小学校三年生の時から、ずっと一人で育ててくれた母親の苦労が、なんとなくでしかないけれど、少しだけ分かったような気がした。

働き始めて五ヶ月目になる八月。恭一の通帳には五万円が貯まっていた。恩返しとか親孝行とか、そこまでの気持ちではなかったが、恭一は母親を温泉旅行に連れて行くことに決めていた。旅行代理店を何軒かまわって、土日に二人で一泊二日、交通費込みで四万二千円というプランを予約した。宿は古そうだったが、夕食に母親の好きな刺身が出るのが決め手になった。温泉旅行の件をコウヘイに話すと、
「八月に温泉はねぇだろよ」
と言われ、恭一はそういうものかとちょっと恥ずかしく思ったが、今さら旅行代理店に金を返せとも言えないので、
「うちのクソババァ、すんげぇ温泉好きなんすよ」
と言って誤魔化した。
「でも絶対、おふくろさん、喜ぶよ」
コウヘイは恭一の肩を叩きながらそう言った。残高が八千円に減った通帳を眺めるのは、不思議と五万円入っていた時よりも心が浮いた。母親と一緒の部屋で布団を並べて眠るのかと思うと、みぞおちのあたりがモゾモゾと、恥ずかしいような、落ち着かないような、そんな気持ちになった。刺身を前にして満面の笑顔で喜ぶ母親を想像しては、
「なんでもねぇよ、これくらい」
そう言ってすまし顔をする自分をイメージしながら眠りについた。

「クソババァ、明日っからの土日、あけとけよ」
金曜日の出勤前、母親の弁当を受け取りながらそう言うと、
「はいはい、ったく、口の悪さはとうちゃんゆずりだね」
そう言いながら母親は頷いた。その日は、今年一番の暑さだった。湿度が高く、雲ひとつなく、風も吹かず、蝉が鳴きじゃくり、道路には蜃気楼が見えた。そんな炎天下の午後二時五分。恭一の頭の上に鉄骨が落ちてきた。痛みはなかった。小学校や中学校の時みたいに、誰かがふざけて飛び掛ってきた、そんな感覚だった。気づくと、目の前にアスファルトがあって、アスファルトは思っていたほど熱くはなかった。ただ少しべたつく気がした。目を上に向けると、コウヘイが何か叫びながら走ってくるのが見えた。コウヘイは、怒っているような、泣いているような、変な顔をして、一人じゃ持ち上がるはずのない鉄骨を必死に動かそうとしていた。その姿がおかしくて、恭一は笑ったつもりだったが、咳しか出なかった。ようやく、自分が鉄骨の下敷きになったのだと気づいたが、痛みがなくて、だからまったく実感がわかなかった。
今日はもう、仕事にならないな。
怪我したの見たら、クソババァ驚くかな。
今日の弁当の玉子焼き、ちょっと塩辛かったな。
ウインナー二個じゃなくて、三個にしろっていつも言ってんのに。
帰ったらまた文句言っちまうな。
温泉は、キャンセルして仕切り直しだ。
そんなことを考えながらも、恭一はもう母親には会えない気がした。会えない寂しさよりも、母親を一人にすることが辛かった。また一人、家族を失って泣く母親の姿を思い浮かべ、恭一はつぶやいた。
「かぁちゃん、ごめん」

恭一は自分の涙で目が覚めた。見慣れた部屋の、万年床の上。全てが夢だったことに気づき、夢で泣いたことが恥ずかしくなった。洗面所へ行って顔を念入りに洗ったが、相当に泣いたのか、目は赤いままだった。出勤前、いつものように母親から弁当を受け取る時、
「クソバ……、いや……、かぁちゃん、土日あけといてくれよ」
恭一がそう言うと、母親は、
「なんだい気持ち悪いねぇ」
そう言いながら、少し嬉しそうな顔をしていた。迎えのバンに乗ってコウヘイたちに挨拶をしながら、今日からまたかぁちゃんと呼ぶようになるかもしれないと考えると、恭一はくすぐったい気持ちになった。

それからおよそ六時間十五分後、恭一の夢が正夢になることを、この時の恭一は想像だにしていない。

神様なんて、いないのだ。







しかし、作者が作品に及ぼせる神の力によって、恭一を救うことにした。作者の傲慢かもしれないが、女手一つで六年以上も頑張ってきた母親と、不器用ながらも母を大切にする恭一には、小さな幸せを感じながら静かに生涯を閉じる、そんな舞台を用意してあげたいと思ったのだ。







八月の温泉を、母親はとても喜んでくれた。浴衣姿の母親は、刺身を一切れ食べては美味しいと笑い、天ぷらを頬張ってはありがとうと涙を浮かべた。
「なんでもねぇよ、これくらい」
とは言えなかった。照れくさくって、こっぱずかしくて、そしてやっぱり嬉しくて。恭一は母親が何か言うたびに「おう」と相槌をうち、「いいから食えよ」と苦笑した。

それから三十五年後、母親は病室のベッドの上で、恭一夫婦と三人の孫たちに囲まれていた。母親は「恭一、恭一」と呼んだ後、「真夏の温泉は良かったねぇ」と静かに笑い、そのまま息をひき取った。「おう」と言った恭一は、それから肩を震わせて、かぁちゃん、かぁちゃん、かぁちゃんと、何度もそう呼びかけてはおいおいと大泣きした。

さらに三十五年後、恭一は妻と息子二人、娘一人、八人の孫、ひ孫一人に囲まれて、自分は笑顔で、皆は泣き笑いをしている中で世を去った。あの正夢から救われて七十年の間に、一体どんなことがあったのか。小さな不幸、ささやかな幸せ、ちょっとした悔しさ、ふとした喜び。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、たくさんの思い出を積み重ねて幸せな最期を迎えるまでの恭一の人生は、読者の想像力という神の力に委ねたい。

天切り松 闇がたり 2 残侠

天切り松 闇がたり 2 残侠
これもまた面白かった。1巻と比べると難読文字も少なく読みやすかった。泣き所は1巻のほうが多かったように思うが、これはこれで良い。素敵な本に出会ったと思う。

2012年4月12日

てんかん患者には運転免許を持たせるな!?

今日、京都で死傷者多数の交通事故があり、運転手がてんかん患者だったという情報があって、 案の定、あちらこちらで香ばしい意見が溢れかえっているので、以前の日記を追記訂正して載せる。

クレーン車が児童の列に突っ込み、6人もの小学生が亡くなった事故は記憶に新しい。運転手はてんかん患者で、薬を服用していなかった。その後、前日に飲み忘れた分まで朝から一気に飲んだという情報も出た。この運転手の罪は自己管理の甘さなどいろいろとあるだろうが、少なくとも、てんかんという病気であることそのものに罪はない。

てんかん発作の種類は、人によって非常に多岐にわたる。失神して全身がけいれんして泡まで吹くといった派手なものから、片手が無意識的に動いてしまうとか、あくびしてボーっとなるとか、一見しただけではてんかん発作とは分からないようなものまである。クレーン車事故はどうやらてんかん発作のせいだったようだが、今回の運転手の発作がどういったものかは分からない。運転手が死亡している以上、てんかん発作のせいだったかどうかも明らかではない。

ここで問題にしたいのは、
「てんかん患者には、運転免許を与えるべきではない」
といった意見が非常にたくさん見られることである。発作の種類さえ知らないような人たちが、さしたる根拠もなく、てんかん患者から自動車を運転する権利を奪うべきだと発言している。これは怖い。

クレーン車事故の時には、医師限定の掲示板でさえ中間議論をすっ飛ばして、てんかん患者への一律の免許制限論が出ていることに呆れた。この医師たちがてんかんの診断治療に携わっていないのは明らかだ。少し勉強すれば、こんな一律論は出てこない。
「他者から権利を奪う際には、慎重に議論を重ねたうえで為されるべきだ」
これを掲示板に書き込んだところ、どのような反応があったか。掲示板では、賛成、反対、不適切のボタンがあって、それぞれに人数が分かる仕組みになっている。それによると、賛成ゼロ、反対と不適切がともに票数を上げた。自分の書き込みは、
「てんかん患者から自動車を運転する権利を奪うべきではない」
というような権利はく奪に対する強い反対論ではなく、
「他者から権利を剥奪するかどうかの議論は慎重になされるべきだ」
という、慎重な議論を求めるだけのものだったので、この過剰反応には驚いた。

クレーン車事故の加害者がてんかん患者で、かつ自己管理が甘かったのは確かだが、だからといって、てんかん患者から自動車免許をはく奪せよというのは暴論だ。その暴論が許されるのならば、酒を飲む者にも免許を与えるなという主張も通る。「いや、それは酒を飲む者の心がけの問題だ」というのなら、てんかん患者も同じで、症状、発作頻度、自己管理を問題にすべきだ。

また、てんかん発作以外にも、意識が低下あるいは消失する病気はたくさんある。ちょっと前には低血糖発作で交通事故を起こしたというニュースもあったし、狭心症や心筋梗塞の既往のある人だって次にいつどうなるか分からない。目の網膜動脈塞栓は、いきなり片方の目が見えなくなる。いろいろ考えてみると、病気に限らず、誰だって意識消失する危険性は持っているのだ。

とはいえ、どこかで線引きは必要かもしれない。どんなに薬を飲んでも発作を抑えられない難治性てんかんもあるのは確かだ。自動車は致命的な凶器になりうる以上、難治性てんかん患者の自動車運転には、何らかの制限が設けられても仕方がないことだとは思う。しかし、個々人の症状や発作頻度に違いがあることや、それぞれの事故状況などを無視して、てんかん患者を一括りにし、中間議論もなく、車を運転させるなと結論づけるのは、あまりにも軽率だし、そういう姿勢の人が多いというのは非常に怖い。

結論は繰り返しになるが、てんかん患者の運転免許に関しては、感情的にならずに、もっと慎重に議論を進めるべきである。

<関連>
さらにいろいろ考えた結果。
てんかん患者と運転免許


しつこくいろいろ考えていると、どうにも気になることが出てきた。
てんかんと運転免許について 『本当に減らしたいのは何か』


運転の男にてんかんの症状…祇園8人死亡事故
京都市東山区大和大路通四条の交差点付近で12日午後、軽ワゴン車が歩行者の列に突っ込み18人が死傷した事故で、運転していた同市西京区、会社員藤崎晋吾容疑者(30)にはてんかんの症状があったことが、家族への取材でわかった。

家族は、藤崎容疑者が運転を控えるように話し合っていたという。

京都府警によると、藤崎容疑者は現場近くの勤務先から商品の配達に出た直後だったといい、自動車運転過失致死傷容疑で調べている。

京都市消防局によると、事故では18人がはねられて搬送され、40歳代から60歳代の男女計7人(男2人、女5人)が死亡。藤崎容疑者も病院搬送後、死亡が確認された。

(2012年4月12日 読売新聞)

4月11日のサクラ

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ぼくのエリ

評判に偽りなし。

これはもう、ネタバレせずには語れないっ!!

初めてのスウェーデン映画。面白そうではあったけれど、不安でもあった。だって、スウェーデンで映画作ってるなんて知らなかったし(失礼)。しかし、観てみると想像以上に面白かった。

というわけで、お勧め映画。

以下、ネタバレ。

“職業釣り師”になるための10の条件

“職業釣り師”になるための10の条件

これは面白かった!!
俺はなれそうにないなぁw

2012年4月11日

4月10日のサクラ

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春ですね

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春に赤く色づくモミジがあるんだよねぇ。



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