2012年8月31日

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谷一生という小説家をご存知ですか?

谷一生、と書いて「タニ カズオ」と読む。小説家、といっても新人で、刊行された本は一冊のみ。ただし、この一冊が結構面白い。本については、以前にもレビューを書いている。

『富士子 島の怪談』のレビュー

最近、また谷さんとツイッターでやり取りをして、ちょっと驚くような話があったので書いておく。

まず驚いたのが谷さんの年齢。なんと56歳、俺より20歳も上ではないか!! 若手か、あるいは俺と同年代くらいかと思っていたのでかなり驚いた。

次は、驚いたというか呆れたというか、谷さんが小説を書いた理由が凄い。谷さんは、諸事情から勤めていた仕事を辞めていた時期がある。その時に「人間はなりたいものになれるんだ」と娘さんに伝えたくて、「お父ちゃん、小説家になってみせる」と約束をしたそうで、それから直近の文学賞を検索して、仕事はないから暇なんで実際に小説を書いて応募して受賞……。おいおい、そんなんアリかよ。

ただ、谷さんは言う。

「小説家になるよりも、小説家であり続けることのほうがはるかに難しい」

なるほど……。やっぱり俺は、このブログで片手間小説をしょぼしょぼと発表していくくらいがちょうど良さそうである。

個人的に応援している『遅れてきた新人作家』。どうか皆さんへの認知度が高まりますように。

富士子 島の怪談

2012年8月30日

農具たち

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2012年8月29日

デニム

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デニム生地の、タフっぽさ(実際に頑丈かどうかはよく分からない)が好きだ。

新明解国語辞典シリーズ

いや、実際にはシリーズじゃないんだけど。

ずいぶん前に読んだ、赤瀬川原平の、
新解さんの謎

これは非常に面白かった。それで、最近新たに、
新解さんの読み方
この二冊を入手して読んでみたのだが、ちょっと読み疲れてしまってザザザッと流す感じになってしまった。作者が赤瀬川原平でないことは承知していたのだが、やはり一作目のインパクトと面白さには敵わないということか。

『新解さんの謎』は非常にお勧めなので、興味のある人はぜひご一読を。

2012年8月28日

「愛されたい」を拒絶される子どもたち―虐待ケアへの挑戦

「愛されたい」を拒絶される子どもたち―虐待ケアへの挑戦

子ども虐待が起こると、社会の目は傷ついた子どもに向かう。子どもに視点を置くと、養育者を許し難くなる。虐待を起こした人を厳しく罰するべきだという意見は、ここから出てくるのだろう。
しかし、さまざまな事例に関わってみると、うまく子育てできない理由を養育者が抱えているのを経験する。我が子が社会に出て恥ずかしくないように、と厳しくしつけたことが、結果的に虐待となってしまったケースもある。それを知る人たちは、養育者には罰よりも支援が必要であり、課題や問題に取り組むことで家庭を良い方向に向かわせようと考える。
罰か、支援か、あるいはその折衷案を見つけるか。議論は今も続いている。
イジメの問題に関する議論でも、まったく同じような状況を目の当たりにした。被害者と加害者がいるような事案では、周囲の人間は常に自分の視点の置き所を意識しておかないとただの巻き込まれになってしまう。

この本は、虐待の現場そのものではなく、そこからいかにして立ち直っていったか、それをどう援助していったかということについて、主に2例のケースレポートである。虐待現場の生々しさより、虐待後にあらわれる子どもの心理的発達の障害とその治療に焦点が当てられている。

<関連>
殺さないで―児童虐待という犯罪
「自己責任」の使い方に絶句した話
オッパイとドパミンと産後うつ

からみつく

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2012年8月27日

MM9―invasion―

MM9―invasion―
前作に比べると、面白さが半減している。二番煎じな感を否めない。続編が出そうではあるが、敢えて買おうという気にまではなれない。

ポストカード

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2012年8月26日

MM9

MM9
怪獣災害を防ぐため、気象庁特殊生物対策部の職員らが奮闘する物語。この世界では、怪獣が台風のようにその年に現れた順番で「怪獣3号」などと呼ばれ、怪獣の大きさは地震のように「MM(モンスター・マグニチュード)」であらわされる。

我々が生きる現実世界の関東大震災や阪神大震災、オウムの地下鉄サリン事件などは、この世界では怪獣によって引き起こされた災害や事件という扱いになっている。その置き換え方も巧みだし、語り口も軽妙で読みやすい。そして、いずれも現実社会をちょっと皮肉ったような部分が垣間見えて考えさせられる。

あまり期待せずに買ったのだが、面白かったので続編も購入してしまった。

夜の自販機

Willway_ER

2012年8月25日

恋の軽自動車

最初は、純粋に試乗目的だった。大学卒業を目前に控え、ペーパードライバーを卒業するべく、車を買おうと思ったのだ。もちろん、目当ては軽自動車だ。

午後三時。担当してくれた上原さんは、僕より少し年上っぽくて、外見は美人でも可愛い感じでもなかったけれど、物腰が凄く柔らかで、笑うと右の頬にエクボができて、左の目じりのホクロが妙に色っぽい人だった。僕は、そんな上原さんに、一目惚れしてしまったのだ。ショールームのイスに座ると、上原さんがパンフレットを広げる。上原さんから色々な説明を聞きながら、僕の視線の八割は上原さんに向けられていた。彼女の言葉は、どこかの訛りが混じっているようで、そこがまた可愛らしかった。

僕たちは、車の話以外でも盛り上がった。年齢が近かったからだろうか。上原さんは入社して三年目で、ようやく接客を一人で任されるようになったらしい。僕は、彼女が最初から最後まで一人で接客する初めての客ということだった。この時点で、僕は上原さんのために、ここで新車を買おうと決めていた。軽自動車なんて、どこで買っても同じだろう。そんな気持ちもあった。

結局、ショールームへ行った初日は試乗しなかった。上原さんから試乗しませんかと勧められたけれど、
「また、次回に」
そう言って、僕はショールームを出た。ペーパードライバーの僕にとって試乗は壁が高かったというのもある。それ以上に、また上原さんと会う機会をつくる、そんなやましい理由もあった。時間は、夕方五時を少しまわっていた。結局、二時間近く上原さんと話していたことになる。

僕は、何度も何度もショールームに足を運んだ。正直なところ、上原さんに会いに。少し長めに話をすることもあったし、ほんの少し立ち寄るだけのこともあった。車を見るだけのふりをしながら、横目で上原さんを見ていた。いつ見ても、上原さんのスーツ姿は新鮮だった。

ある日のこと。上司のような井川さんという男性と三人で話すことになった。僕が足しげく通うわりに、試乗もせず、上原さんと話してばかりいたからだろうか。井川さんは押しつけがましくなく、むしろ優しい大人の男という感じだった。とはいえ、僕はちょっと戸惑った。なんとなく、すぐに決めなくてはいけないというプレッシャーを受けたのだ。そんな僕の緊張を察してくれたのか、上原さんが、
「今日こそ、試乗しませんか」
そう言ってくれた。僕はその言葉に救われた気がした。
「あ、お願いします」
そう答えると、井川さんが立ち上がって、
「では、準備いたします」
と言って足早に立ち去った。上原さんは僕を見て、小声で、
「大丈夫ですか?」
とささやいた。そういえば上原さんは、僕がペーパードライバーということを知っていたのだ。

準備された車に乗りこんだ僕は、きっと不安げな顔をしていたのだと思う。井川さんと一緒に見送りに来た上原さんだったが、井川さんが、
「一緒に乗っといで」
と言ったので、上原さんが助手席に乗ってくれた。僕は、安心するような、緊張するような、嬉しいような、妙な気持ちだった。

ギアをドライブに入れて、僕は車を発進させた。最初はぎこちなかった運転も、徐々にスムーズになった。上原さんは、最初のうちは細かく指示を出してくれて、それからだんだんと、普通の会話になっていった。僕は、二人きりの空間が楽しくて、もっと一緒にいたいと思った。とはいえ、これはあくまでも試乗。決して、楽しいドライブではない。そう思うと、寂しい気がした。上原さんと、個人的に遊びに行きたかった。

ショールームが近づくにつれて、上原さんも僕も口数が減っていった。僕は、上原さんに何か気のきいたことを言って、なんとか二人で遊びに行く機会を作りたかった。そんなこと、できるだろうか。
ショールーム近くの信号は赤。上原さんは、もうほとんど無言だった。僕は、ギアをパーキングに入れた。もう、今しかないと思った。信号が青になった。
「上原さん」
そう呼んだ僕の声は、もしかしたら、少し大きかったかもしれない。上原さんが、驚いたように僕を見た。僕は前を向いたまま、ギアをドライブに入れた。それから、
「上原さんへの気持ちも、“D”にして良いですか」
我ながら、ベタベタというか、意味不明というか。告白にしてもキザというよりアホのレベル、もう顔から火が出る感じ。横目で上原さんを見ると、彼女の顔も赤かった。あとは、二人ともなにも言わなかった。

「どうでした」
笑顔で話しかける井川さんに、僕は作り笑いで、
「良かったです」
そう答えるのが精一杯だった。とにかく、この気まずい空間から早く逃れたかった。僕は足早にショールームを出た。歩道を歩いて少しすると、後ろから呼び止められた。振り向くと、上原さんが立っていた。上原さんは真剣な顔で、
「あの……、私、オートマ苦手で……」
それから、続けて少し小さな声で、
「一速からでも良いですか」
顔を耳まで真っ赤に染めた上原さんを見て、僕のブレーキはぶっ壊れた。

ショールームの入り口に立った井川さんが、笑顔でワイパーのように両手を振っていた。

夜の階段

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オルゴォル

オルゴォル

読者層としてどのあたりを意識して書いているのかサッパリ分からない。子ども向けなら充分に面白いのかもしれないが……。レビューでの評価がやたら高いので買ったのだが、この作者の他の本と比べたらそこまで面白いとも思えなかった。

2012年8月24日

レインボーブリッジ

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飼い喰い――三匹の豚とわたし

飼い喰い――三匹の豚とわたし

半年間かけて豚を三匹飼って、それを実際に屠殺する様子まで見て、そして最後は食べようと思い立った著者のエッセイ。もともと世界各地の屠殺に関する本も出している人で、この企画はわりと細かい知識を持ってスタートしている。その点で、『豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日』の行き当たりばったりで思いつきだけの豚飼育とは一線を画す。

著者の内澤は豚にそれぞれ名前をつける。それを畜産の仕事に就いていて内澤にいろいろと指導をしてくれる男性が知り、「なんで名前をつけたんだよ……」と言われる。若い畜産農家の男性も、昔はつぶす(殺す)時は隣の農家の豚と取り替えてつぶして食べていましたよ、と言われる。もっともな話だと、俺は思う。

生き物を食べる、ペットを食べる、食べると決めて生き物を飼って実際に食べる、ペットに限らず飼っていた生き物を食べる。どれも「肉を食べる」という行為は同じだけれど、自分を主語に置いて考えるとなんとなく違ってくる。

屠殺はYoutubeで観れるみたいだし、興味のある人は調べてみると良いかもしれない。

2012年8月23日

神様のカルテ

神様のカルテ
評判が良いので買っていたのだが、なんとなく後回しにしていた。いい加減に読もうと思って読み始めたら、あれまぁ、けっこう面白い。でも、面白いんだけど、うーん、なんなんだろう、この感じ……。主人公の言葉遣いに違和感があるのかな。現実にこういう言葉を喋る人がいたら、まず間違いなくかなりの変人扱いを受けると思う。amazonレビューも賛否分かれている。読みやすいし嫌いではないけれど、次に読むなら違う主人公の話を希望。

2012年8月22日

いい奴じゃん

いい奴じゃん
久しぶりに清水義範の本を買ってみた。読後感は可もなく不可もなく、超お気楽でライトテイストなテレビドラマを観終わったという感じ。

2012年8月21日

夜の交差点

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2012年8月20日

赤ちゃんの車内放置死亡をなくすために

毎年、夏になるとパチンコ店の駐車場で車内に放置された赤ちゃんが死亡するというニュースが何件もある。わりと大きく報道されるし、身近でも何度となく「赤ちゃんから目を離すな」と聞くにもかかわらず、この事故(もはや事件か)は一向に減らない。

そして、このてのニュースがあると、「なぜ……」という疑問の声が大きく上がり、親の意識向上やパチンコ店での対策などが話題になる。しかし、毎年繰り返されるこの事件事故は、親を責めたり教育指導したり広報に努めたりするだけでは絶対になくならないことが、すでに証明されていると思う。

そこで、技術的に防ぐ方法がないかも考えたい。

といっても、そう大層な開発は必要とせず、例えば、車内に人がいて車内温度が一定以上で数分続いたらクラクションが鳴り続ける、というような機能は、現存する簡単な技術の組み合わせで可能だ。このように、車の設計段階で「車内放置による死亡」を防ぐことができるのではないだろうか。

こういう設計を『フール・プルーフ』という。フールプルーフとは、間違った操作方法でも事故が起こらないようにする安全設計のことで、言い方は悪いが「バカが使っても事故を起こさないように」という考え方。

ツイッターで上記のような対策案を出したところ、「バカ親のためにそこまでする必要があるのか」という意見が数多く出た。その気持ちも分かるが、しかし、これは「バカ親のため」ではなく、「バカ親に放置される子どものため」に皆で考えてみようという話である。感情的になって目的を見失ってはいけない。

建設的な案もたくさん寄せられた。特に印象的だったのが、車本体に放置防止機能をつけるのではなく、チャイルドシートにつけるというもの。こうすれば受益者負担が実現できる。また中古車でも問題ない。このようなアイデアの集積で、最終的に赤ちゃんの放置死亡事故が減るかなくなれば、それが一番良い。

インテリジェンス人間論

インテリジェンス人間論

ざっと読んだ。特に前半が面白かった。

よりそう

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散歩写真

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2012年8月19日

今日を楽しむための100の言葉

今日を楽しむための100の言葉

あっという間に読み終わる本。いくつか好きなものを引用。
感情をえこひいきしない。悲しみが喜びより、偉いわけではない。
子どもはあるとき、嘘泣きを覚える。大人はいつしか、嘘笑いを覚える。
「いい悪い」に分けなければ、すべての体験に価値がある。
うまくいっている人は、うまくいくパターンを使っている。うまくいっていない人は、うまくいかないパターンを使っている。それだけのこと。
同じことを繰り返していながら、違う成果を望むことを、狂気という。
問題の原因を探している間は、問題から離れられない。
一貫性なんていらない。状況に応じて、どんな人間にもなれるのが健全。
相手に勝ちたいのか? それとも、相手に自分のことを好きになってもらいたいのか?
あなたがいい人やっていると、周りがつらい。

2012年8月18日

涙と、ショッキングと、そして恐怖 『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』

墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便

昭和60年8月12日、小学4年生だった俺は生まれて初めて飛行機に乗って東京へ行った。埼玉に住む叔父の家に着き、テレビを見ていると、飛行機が墜落したという臨時ニュースがあった。その直後に、俺が無事かどうか親戚中から叔父の家に電話がかかってきた。冷静に考えれば、行き先がまったく違う飛行機だから大丈夫に決まっているのだが、今になってみると親族の心配もよく分かる。

亡くなった方は520名、ご遺族は数千名にのぼる。当時の俺と同じ10歳の男の子が乗っていたというニュースが数年前にあっていた。俺と一緒で初めての一人旅行、甲子園を見に行く途中だったそうだ。俺が羽田に着いて数時間後に、墜落した日航機は離陸している。もしかしたら、空港で彼とすれ違ったのかもしれない。小学4年生のリュックを背負った自分の姿と重ねて、哀しさとも切なさとも言えないような感情が胸に湧く。

今回読んだ本は、遺体の身元確認作業で責任者だった人が書いている。中には、『三陸海岸大津波』や、『遺体 震災、津波の果てに』と同等か、それ以上にショッキングな光景が描かれている。涙なくしては読めない箇所も多々ある。引用するので、そういうのが苦手な人にはここで読むのをやめるようお勧めする。

「礼!」検視官の号令により、検視グループ一同が手を合わせ、一礼してから検視が開始される。
「何だこれは……」
毛布の中から取りだした塊を見て、検視官がつぶやく。
――塊様のものを少しずつ伸ばしたり、土を落としたりしていくうちに、頭髪、胸部の皮膚、耳、鼻、乳首二つ、右上顎骨、下顎骨の一部、上下数本の歯が現れてきた。
――少女の身体は中央部で180度ねじれてひきちぎれ、腰椎も真っ二つに切断され、腹部の皮膚で上下がやっとつながっている。
――なかば焦げた左上肢、その中ほどに臓腑の塊が付着している。塊の中から舌と数本の歯と頭蓋骨の骨片が出てきた。それらを丹念に広げてゆくと、ちょうど折りたたんだ紙細工のお面のように、顔面の皮膚が焦げもせずに現れた。
――二歳くらいの幼児。顔の損傷が激しく、半分が欠損している。それなのに、かわいい腰部にはおむつがきちっとあてがわれている。
「こういうの弱いよなぁ」
検視官がひとりごとのようにつぶやき、幼児の遺体を見つめている。それまでバシャバシャと切られていたカメラのシャッター音と閃光が一瞬止まった。
「おい、写真どうした」
検視官が座ったままの姿勢で、顔を右にねじ曲げ、脚立の上の警察官を見上げた。
「焦点が合わないんです」
写真担当の若い巡査が、カメラを両手で持ったまま泣きべそをかいている。
検屍総数は2065体である。このうち、完全遺体(註:頭部の一部分でも胴体と繋がっている遺体)は492体となっているが、五体満足な遺体は、177体であった。ほかは、完全体でありながら、第3-4度の火傷、炭化をともない、または四肢の先端部が焼失しているもの、炭化を伴いながら、四肢のいずれかを欠損しているもの、死体が、1-数ヶ所において離断されているもの等である。
離断遺体は、1143体となっているが、身体の部位を特定できるものは、680体であった。他の893体は、身体の部位が分からない骨肉片である。すなわち、520人の身体が、2065体となって検屍されたということである。検屍もできずに飛散した肉体の部分はどのくらいあったのだろうか。見当もつかない。 
中年の男性だと思ったら、15歳の少年であった。はいているパンツの上部に名前が書いてあり、血液型も一致している。確認に立ち会った父親が、「これはうちの子ではない」という。
「うちの子はこんなデブではない。もっとスマートだ」と。
少年の顔はむくんだようになっていて、それが地面にべたっと叩きつけられたようになっている。直径10センチくらいの丸いおせんべいのように。
顔の骨もぐしゃぐしゃに粉砕している。担当の警察官が両手で顔をはさみ、粘土で型でもつくるように寄せると、
「あっ、うちの子です」
父親は息子の名前を呼びつつ、棺の中の遺体を抱き起こした。
――「僕は泣きません」
前頭部が飛び、両手の前腕部、両下肢がちぎれた黒焦げの父の遺体の側で、14歳の長男が唇をかんでいる。
妻はドライアイスで冷たく凍った夫の胸を素手のままさすっていた。
「泣いた方がいいよ。我慢するなよ」
担当の若い警察官が声をかけ、少年の肩を軽く叩く。
「僕は泣きません……」
震える声で少年は同じ言葉を必死にしぼりだした。
「泣けよ」といった警察官の目からボロボロと涙がこぼれ落ちている。
生前の父親から「男の子は泣くもんじゃない」と言われていたのだろうか。父の無残な遺体を前にして涙をこらえる少年の姿を思い浮かべると胸が詰まる。

こういう凄惨な状況下で現場は必死になって作業をしているにもかかわらず、遠く東京で構えている本庁ときたらまったく……、というエピソードがある。
伝令の長谷川も次々と本庁の指示を私に報告してくる。体育館の面積、構造は。資料室はどうなっているか。遺体の保存方法は。電話回線は……等々、長谷川がほとんど窓口になっていた。
こんなこともあった。いらいらしている長谷川に、本庁の補佐は「伝令は君一人か」と聞く。「そうです」と答えたら、「班長にいってもっと増やせ」と命令された。むっときた長谷川が「検討しときます」と大声で答えると、「君の階級は何か」ときた。
こんな場面で階級を聞かれるとは思ってもみなかった。巡査と即答したら何か言われるような気がする。なんとなく巡査と言いにくい雰囲気にもなっている。
いささか返答に窮しているところに、私が戻ってきた。
「本庁で、私の階級を言えといっているんですけど……」
長谷川が受話器を右手のひらで、怒り顔を私に向けて言う。
「警部とでも言っておけ」
それだけ長谷川に言い、次の棺に向かった。
「あの夏だけ警部に特別昇進させてもらいました。その後は本庁の警部も私をさん付けで呼んできたりして……そのたびに顔がポーッとほてりました」
まさに「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!!」を地で行くような話だ。


甲子園を応援に行った少年は10歳より先の自分を知らないままだ。当時10歳だった俺は結婚し、37歳になり、娘ができた。今ある自分の命も、自分の周りの人たちも、ともすれば当たり前のもの・存在だと錯覚してしまうが、時どきこういう本を読むと、その大切さ、素晴らしさが身に沁みる。


同時に購入した本についても書いておく。

墜落の夏―日航123便事故全記録
読みやすさは前者のほうが圧倒的に勝るが、事故原因や遺族の背景などに迫ったノンフィクションとしてはこちらのほうが厚い。ただし、読み疲れることは確かである。

本書の中に、背筋がヒヤリとするような話があった。この123便に乗る予定だった男性が、友人らとの食事が長引いたせいで乗りそこなって、新幹線で大阪に帰った。夜遅くに大阪に着いた男性は、ニュースで自分が乗るはずだった飛行機の墜落を知り、妻とともに驚きながらも偶然の無事を喜んだ。そして酒を飲んだ。夜中になって風呂に入り、そこで彼は転倒して、頭を強く打ち……、救急車で病院に運ばれて亡くなったそうだ。

<関連>
日本航空123便墜落事故の命日に  

白い人・黄色い人

白い人・黄色い人

夏休み1週間で読んだのはこの一冊だけ。遠藤周作の初期作品らしく、とりたてて面白いとは思わなかった。というより、むしろちょっと退屈だった。そして、暗い。

夏休みで帰省していました

じぃちゃんの初盆でもあり、非常に良い一週間でしたが、疲れました。実家にはパソコンがなく、一週間も更新しなかったのはいつ以来だろうってくらいで……。ツイッターだけはちょこちょこ書いていて、このブログの右下にツイッターの更新情報があるので、生存確認だけはやろうと思えばそこでやれるんですが……、ま、そこまで気にする人はいませんねって話でw

そんなわけで、またほぼ毎日更新ブログとして再開します。

2012年8月11日

父と子

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2012年8月10日

「イジメは犯罪」「大人と同じに厳罰を」の限界

暴行・恐喝系のイジメがやたらクローズ・アップされて、「犯罪だからやめよう」「大人と同じ厳罰が必要」とかそういう議論が多いけれど、「シカト」というイジメがあるのをみんな知らない? それで自殺に至る人もいるが、シカトは犯罪ではない。

ならば、シカトも法律で取り締まるか? 何回、あるいは何日、それとも何人で無視したらシカトとして裁かれるんだろう? 俺も学生時代にほとんど無視していた人がいるし、今でもあまり関わりたくないので接点を持とうとしない人がいるが、そのシカトはイジメになるのか? 相手が俺から「イジメられた」と感じたら、やっぱりイジメ? そこまで考えると、イジメに対する厳罰指導にも限界があると分かる。

それに、もし子どもに大人と同じ厳罰を科すのなら、その逆、大人も子どもと同じに厳罰に処されないといけない。DV、虐待、風評被害、会社内イジメなんてものを大人が持て余しているのに、子どもにだけ厳罰をなんて、大人の身勝手。

犯罪・厳罰という指導の効果は否定しないし、大切なことだと思うが、限界があることはしっかり分かっておかないといけない。だから、そういう指導方法と同時に、他者の痛みを知る、知ろうとする、思いをはせる、想像する、立場を置き換えてみる、といった教育・訓練も大切にして欲しい。もちろん、そんな甘い方法だけで上手くいくとも思わないし、他にももっといろいろやるべきこと、やれることがあるはずだ。

そして、大切なことは、こういう指導や教育を学校や教師に丸投げしないこと。では、誰が関わるべきなのか。

家族?

違う。



あなた、だ。

涙が出そうになるP&GのCM


父にとっても、だね。

2012年8月9日

太郎、裏山で遊ぶ

たろー!!

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「ヘイヘーイ!!」

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「あ、なんだ、エサはないんすか」

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「じゃ、おいらはこれで失礼してっと」

それじゃ、エサ抜くぞっ!!

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「すんません、冗談っすよ、ヘヘッ」

時砂の王

時砂の王
『タイム・リープ―あしたはきのう』や『アイの物語』を読んで、SFもなかなか面白いじゃないかと検索していて見つけた本で、評判が非常に良かったので買ってみた。

結果としては、大正解。

最後は鳥肌と、それから思わず涙までこぼれそうな展開で、読後感も良いし、もっと有名になっても良さそうな本だと思う。難点を挙げれば、主舞台である邪馬台国での官職名や人名、地名が読みにくい、覚えにくいということか。

SF、それもタイムトラベルものが好きな人にお勧め。

2012年8月8日

つり人たち

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アイの物語

アイの物語

SF作家の山本弘のブログがなかなか良いので、どんな本を書いているのだろうと検索してみたら、なんだかやたらに評価の高い本書を見つけた。ものは試しと買ってみたところ、これが非常に面白かった。

メイン舞台はだいぶ先の未来ではあるが、実際には7つの短編のほとんどが現代か、現代より少しだけ未来の物語である。人工知能とかバーチャル・リアリティとか、そういうものに興味がある人には凄くオススメ。

面白かったので、この作家の本の中で評判の良いものを数冊注文した。

2012年8月7日

音楽バンドと医療

医学生時代、ほんの一時期だが軽音楽部に所属していた。そして、そこで初めて素人バンドの音楽を間近で聴く体験をした。素人バンドなりに心地良いバンドと、聴くのが苦痛なバンドがある。どのバンドも、それぞれの楽器担当の人たちは、それなりに上手かった。それなのに、バンドとして組むと、明らかに差が出てしまう。この違いはどこからくるのだろうかと、そのとき自分なりに考えた。

結論は、バランス、だった。

それぞれのパートは、皆、一生懸命に楽器を練習して上達する。初心者から始めた人だと、少しずつ弾けるようになるのが嬉しい。そして、演奏会。せっかく上手くなったのだから、演奏時には目立ちたい、大きな音を出したい。各人がそう思って自己主張しすぎると、なんとも騒々しい音楽になってしまうのだ。ボーカルがいるバンドの場合、やはりボーカルを引き立てるのが一番バランスが良い。そしてそれは、決してボーカルのためではなく、聴く人のためなのだ。

これらを医療に置き換えると、ボーカルはなにに当たるだろうか。医師、と答えると何を偉そうにと怒られそうだが、プロのバンドでは、上手いと褒められるのも下手だとダメ出しされるのも、たいていはボーカルが矢面に立たされるということを考えたら、そう的はずれでもなかろう(ボーカルにはナルシストが多そうで、そういう面でも当たっているかもしれない)。さて、患者はどこにいるのかというと、それは聴衆である。

相手に満足してもらえるよう、各パートが自己満足やナルシシズムに陥ることなく、バランスをとりながら医療というバンド活動を行なう。ものすごく当たり前のことではあるが、ふと軽音楽時代を思い出したので書いてみた。

2012年8月6日

本当に「医は算術に成り下がった」のか!?

医療問題がマスコミで取り沙汰されると、よく「赤ひげのような医者はいなくなったのか」とか「医は算術に成り下がったのか」とか、そういうことを言い出す人が出てくる。きっと彼らはこの本を読んでいない。もし読んでいたら、そんなことは言わない。そもそも「赤ひげ」自体、一応モデルとなった人はいるもののあくまでも架空の人物なので、いなくなったというより、そんな医者はそもそもいないのだ。


本書を読んだことのない人が「赤ひげのような医者」と言う時、いったいどういう医者をイメージしているのか知らないが、赤ひげこと新出去定(にいで きょじょう)は、疲れてくると怒りっぽくなるし、イライラしている時には言葉遣いも荒くなるような男だ。全体として憎めないキャラではあるが、そういう医者が現代にいたら、強いバッシングを受けること必至である。

また、赤ひげは金を持っている患者からは多めに礼金を取り、貧しい者には無料で医療を施す。この「貧しい者」というのは、現代で言えば最低賃金で働いているような人たちで、今の日本では、大多数の人たちが「赤ひげからボッタくられる」側に入る。それで貧しい人たちが無料で医療を受けられるわけだが、考えてみるとこれは生活保護制度と同じである。生活保護がこれだけ批難の的になっている状況で、赤ひげ的医療が称賛されることはあり得ないと思う。

「医は算術に成り下がった」などと言う人は、実際の医療の現状を知らなさすぎる。むしろ江戸時代から近現代までの医療のほうがよほど貧乏人に厳しい算術医療だったわけで、それは年金世代の人たちに若い頃どうだったかを聞いてみたら分かるんじゃないだろうか。

それはともかく、この本は面白かった。

子どもたちを売春宿に売り払って、その金で酒びたりの生活をする40歳女に対して、主人公の保本登は憤る。そこへ現れた赤ひげこと新出去定がこの女を「犬畜生にも劣る、臭いから出ていけ」など散々に罵り、女は捨て台詞を残して去っていく。(以下、省略引用)
「どうもいけない、あんなに怒鳴ったり卑しめたりすることはなかった、あの女は無知で愚かというだけだ、それもあの女の罪ではなく、貧しさと境遇のためなんだから」
「私はそう思いません」と登が言った。「貧富や境遇の善し悪しは、人間の本質には関係がないと思います。私は先生の外診のお伴をして、いろいろの人間に接してきました。不自由なく育ち、充分に学問もしながら、賎民にも劣るような者がいましたし、貧しいうえに耐えがたいくらい悪い環境に育ち、仮名文字を読むことさえできないのに、人間としては頭の下がるほど立派な者に幾人も会ったことがございます」
「毒草はどう培っても毒草というわけか、ふん」と去定は言った。「だが保本、人間は毒草から効力の高い薬を作りだしているぞ、あの女は悪い親だが、怒鳴りつけたり卑しめたりすればいっそう悪くするばかりだ。毒草から薬を作りだしたように、悪い人間の中からも善きものを引き出す努力をしなければならない。人間は人間なんだ」
赤ひげのこの人間愛には胸打たれる。そして、そんな愛ある赤ひげでさえ、やっぱり怒鳴ったり卑しめたりしてしまうものなのだ。そんな赤ひげに師事して一年の主人公・保本登が医術について語ろうとして、赤ひげにたしなめられる。
「私もまたここの生活で、医が仁術であるということを」
「なにを言うか」と去定がいきなり、烈しい声で遮った。「医が仁術などというのは、金儲け目当ての藪医者、門戸を飾って薬礼稼ぎを専門にする、エセ医者どものたわ言だ。 彼らが不当に儲けることを隠ぺいするために使うたわ言だ」
これは「医は算術に成り下がった」などという人にも当てはまる。つまり、自分自身の健康に対する責任をあまり自覚せず、それを医療従事者に押し付け、結果が望み通りに行かないと訴訟を起こし、しかしそれに見合った報酬を医療者へ与えることには不満がある人ようなたちのことだ。そういう人たちには、赤ひげ先生は唾を吐いて顔をしかめるだろうな(実際に、本書の中にそういう話もある)。

2012年8月5日

母の財布から金を盗んだ話

小学生のころ、母の財布から2千円か3千円かを抜き取ったことがある。財布の中には千円札が7、8枚は入っていたのでバレないと思ったのだ。実際、そのことを母から問い詰められることはなかった。

実は、母は気づいていた、というのは大人になってから知った。

盗った俺は後味が悪い。後ろめたさが付きまとい、母とうまく話せない。もう二度とこんな思いをするのは嫌だと後悔して、それ以来、二度と親の財布から金を盗むなんてことはしなくなった。

俺が20歳を過ぎて、ずいぶん昔に財布から金を盗んだということを告解し、後ろめたくて仕方がなかった、だからこうやって白状するよと話したとき、母はこう言った。
「知ってたよ。でも、あんたの性格なら、注意しなくても、というか、注意しない方がかえって効果的だと思った。今あんたの話を聞いて、やっぱり間違っていなかったと分かった」

「子どもを見て育てる」って、きっとこういうことじゃないのかなと、我が親ながらそう思う。

富士子 島の怪談

富士子 島の怪談

この本は、第4回『幽』怪談文学賞で短編部門大賞をとった短編『富士子』を含む短編集。いずれの話も読みやすく、しかし骨子はしっかりしていて読みごたえはある。

泣ける怪談、との紹介を本屋で見かけてネットで購入。amazonでの紹介をもとに、各話のストーリーに軽く触れると、

『友造の里帰り』
愛人の朱美と二人で、互いの同郷である小豆島に不倫旅行することにした友蔵。50歳を超えた社長である友蔵は、故郷を切り捨てきたと言っても良い。そんな友蔵が見た故郷の姿とは……。

『富士子』
器量も性格も悪い中年女・富士子。旅行で訪れた沖縄で衝動的に民宿を購入し、夫と手伝いの兼子との三人暮らしが始まった。忙しい毎日を送るうちに、富士子は徐々に毒気を抜かれて性格が良くなっていく。しかし、そんな自分に違和感をおぼえて抗う富士子。この民宿に隠された秘密とは……。

『浜沈丁』
『富士子』の続編。富士子の民宿「浜沈丁」を訪ねてきた金髪男性・フレッドとダニエル。用地買収の交渉に来たのだ。前作とのつながりが面白い作品。

『あまびえ』
「あまびえ」という言葉は、読み終えたあとにググるべし。決して「あまえび」の誤植ではない。魚大好きな(ここ、非常に共感w)政治家が地方に演説会に出かける。その真の目的は、幻の魚を食することだった。幻の魚とは、いったいなにか。

『雪の虹』
取り込み詐欺紛いで資金繰りに失敗し、妻と離婚して夜逃げする主人公。あれやこれやと考えて、どんどん変な方向に転がり落ちてしまう。その情けなさが滑稽であり、もの悲しくもあるストーリー。ラストは少し弱い。

『恋骸』
自殺した元恋人のお葬式をするために、生まれ故郷の島に戻る「わたし」。婚約者へ遺した手紙には、元恋人との出会いから別れまでを赤裸々に書ききった。島についたわたしは、思い出の展望台へ行き、断崖絶壁を見下ろす。そして……。ゾッとするラスト。これは、怪談として秀逸。



以上、どれも島を舞台にした話。この本は面白かった。

ツイッターで作家本人とやり取りをしたのだが、今は東北で肉体労働をしているらしい。職業に貴賤はないことは重々承知で言うけれど、勿体ない。これだけのものが書けるのに、兼業作家、それも作家業がかなり少なめ。恒川光太郎、朱川湊人といった同世代(?)の作家が、同じホラー&ハートウォーミング系で売れているのに……、と思うと、作家世界は運不運もあるのかなという気になる。

ほんと、本書はお勧め!!

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2012年8月4日

赤々煉恋

赤々煉恋

ちょっとライトな読書がしたくて、朱川湊人を立て続けに読んだ。短編が5つ、いずれもちょっとダークである。読みやすさという意味ではライトだが、中身に描かれる話はちょっとヘビーだ。

2012年8月3日

いじめ問題を考える 『十字架』

イジメについて考え発言する時、みんなはどこの視点に立っているのだろう。おそらく、多くは被害者か被害者の両親の立ち位置だろうと思う。でも、被害者がいるということは、加害者もいるわけで、加害者にも両親がいる。被害者・加害者双方に友人がいるだろうし、共通の知人も当然いるはずだ。それから担任、校長、教育長といった学校関係者もいる。この中の誰の目を通してイジメを見るかで、その様相は違ってくる。

自分の子どもが中学生になって、もしクラスでイジメがあっていたとしたら、子どもにはどの役割について欲しいだろうか。被害者になって欲しい親なんていないだろう。加害者にもなって欲しくない。「人を自殺に追いやるほどの加害者になるくらいなら、いっそ我が子が被害者になれば……」なんて思える親なんていない。理想で言えば、イジメをやめるように子ども同士で話し合いを呼びかけたり、あるいは大人に対して上手く働きかけたり、そんな子どもになって欲しいが、いささか高望みが過ぎるだろう。

テレビのイジメ特集を見ていて加害者に対する激しい怒りが沸くのは当然なのだが、そこで一歩だけ思考をわき道にそらして、自分の子どもが加害者に、あるいは傍観者になるかもしれない、と想像してみる。もっと先の将来、自分の子どもが教師になるなんてこともありうる。担任しているクラスでイジメがあって、我が子はそれに気づかずに、被害者は自殺してしまう、なんてこともないとは言い切れない。つまり、最近報道されているイジメ自殺に直接関わる人たちほぼ全ての立場に、もしかすると自分や家族が立たされるかもしれないということだ。

だから、加害者の立場とか人権とかを守ろうなんて、そういうことを言いたいわけでは決してない。ただ、当事者以外の我々はもっと想像力を逞しくしても良いんじゃないだろうか、ということを言いたいのだ。少し冷めた目で観察しなければ、イジメが起こるメカニズムはどうなっているのか、イジメられて自殺に追い込まれる状況とはどういう場合か、自殺しないで済むようなシステムはどういうものか、そういったものが見えてこない。

底なしの泥沼にかかる細い橋を皆で渡っているとしよう。イジメっ子たちが誰かを追い詰めた結果、その誰かは橋から落ちて溺れ死んでしまった。非当事者の我々が取り組むべきは、顔も声も知らないその加害者を天誅とばかりに泥沼に突き落とすことではない。それはもっと身近な人たちがやることだ。それより我々は、どこかで泥沼に落ちようとしている人たちがどうすれば落ちないで済むのか、あるいは仮に落ちたり落とされたりしても溺れ死なずに済むためには何が必要なのか、そういうことを考えることじゃないだろうか。

十字架

イジメが社会問題として沸点に達している今、自分なりに色々考えてツイッターやブログで受信・発信してきた。その流れというか勢いというか、買ったまま待機していた本書を手にとった。重松清さんの本はほとんど全て読んでいるが、これも良かった。多くの人に読んでもらいたい一冊。

帰り支度

Willway_ER

2012年8月2日

さよならの空

さよならの空

朱川湊人の長編小説で、今よりちょっとだけ未来の話。オゾンホールを修復する化学薬品にまつわる話だが、薄く「終末世界」の要素が入っている。世界が終わりかける時の話は、自分でも小説を書いてみたくらいで、けっこう好きだ。この手の話では、伊坂幸太郎の『終末のフール』や、有川浩の『塩の街』があって、どちらも凄く面白くてお勧め。で、本書であるが、あと一歩の惜しさを感じてしまった。

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シェルターの夜
宇宙人襲来!!

戦争する脳―破局への病理

戦争する脳―破局への病理 
ざざっとしか読まなかった……。相当に興味ある人以外、あまりお勧めしない。

2012年8月1日

死者に雨を、生者に傘を

原爆忌の今日、天気予報は晴れだった。
だが、十一時を過ぎた頃から雲行きが怪しくなり、やがて土砂降りになった。
大学の講義室前の階段に、老人が独り座って雨を眺めていた。
私は講義室に入って、置き去りの傘を二本拝借した。
老人に「どうぞ」と声をかけて気づいた。
雨を見ながら、彼は泣いていた。

原爆に遭った人たちは、喉をカラカラにして亡くなったと聞く。
この雨は、渇いた魂たちに対する慰霊の雨なのかもしれない。
そういえば、近くの公園では慰霊祭があっているはずだ。
きっと参加者はずぶ濡れだろう。
慰霊の雨を喜んでいる参加者も多いんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら大学内を歩いた。
傘を叩いて零れ落ちる雨は滝のようだった。
慰霊の雨とはいえ、自分が濡れるのはいやだった。

黒い服を着た人たちと擦れ違った。
きっと慰霊祭に参加したのだろう。
みんな、コンビニの傘をさしていた。
びしょ濡れの人はいなかった。
慰霊祭を抜け出して傘を買いに行ったのか。
いくら慰霊の雨とはいえ、誰だって我が身が濡れるのはいやなんだ。

目の前の問題に四苦八苦すること。
それが、生きている、ということなのかもしれない。
コンビニの傘の群れを見ながら、とりとめもなく考えた。

ふと見やれば、離れたところを、先ほどの老人が傘をさして歩いていた。

死者に雨を、生者に傘を。

(2005年8月9日)

はたらく人

Willway_ER

残虐記

残虐記
桐野の本は何冊か読んだが、俺にとっては当たりハズレがあって、一番の当たりは『魂萌え!』だった。この本は当たりのほうに入るが、読後感はあまり良くない。まぁ内容が内容なだけに、そりゃそうだ。
本書のamazonの宣伝文句を引用しておく。
自分は少女誘拐監禁事件の被害者だったという驚くべき手記を残して、作家が消えた。黒く汚れた男の爪、饐えた臭い、含んだ水の鉄錆の味。性と暴力の気配が満ちる密室で、少女が夜毎に育てた毒の夢と男の欲望とが交錯する。誰にも明かされない真実をめぐって少女に注がれた隠微な視線、幾重にも重なり合った虚構と現実の姿を、独創的なリアリズムを駆使して描出した傑作長編。柴田錬三郎賞受賞作。