2012年5月31日

きちんと謝りましょう

日本テレビ:女性占師が出演かのようなテロップで謝罪
毎日新聞 2012年05月30日

日本テレビは4日に放送したバラエティー番組「芸能★BANG+」特別版で、お笑いコンビ「オセロ」の中島知子さんと同居していた女性占師が出演するかのようなテロップを流したとして同局の公式サイト内で謝罪していたことが30日、分かった。

日テレによると、番組では「オセロ中島騒動 同居占い師 まもなくスタジオ登場」などとテロップで表示。だが、実際は女性占師の知人である別の占師が登場。視聴者から批判が寄せられていた。同局は7日から19日にかけ「一部誤解を招きかねない表現があったことをお詫(わ)びします」と公式サイトで謝罪した。

放送倫理・番組向上機構(BPO)にも放送直後から批判する意見が多数寄せられていたといい、6月8日の放送倫理検証委員会で討議する予定。
http://mainichi.jp/select/news/20120530k0000e040220000c.html
どうでも良いようなテレビネタなのだが、どうしても気になったので書いておく。このテロップ、「誤解を招きかねない表現」ではなく、明らかに虚偽である。「オセロ中島騒動 同居占い師 まもなくスタジオ登場」という文章を素直に読んで、同居占い師ではない別人が出演すると考える人はいないだろう。

だが、今回の謝罪は、「視聴者に誤解させてしまったこと」に対してお詫びする内容であって、嘘をついたことに対する謝罪ではない。「嘘をついた」ことは認めない、という姿勢だ。あくまでも、テロップを読んだ「視聴者が誤解した」というスタンス。ならば、日本テレビは、このテロップをどういうふうに「正しく」解釈すれば「同居占い師ではなく別人が出演する」と受け取れるのか、自分たちはどういう意図をもってこのテロップを制作したのか、それを説明しなければならない。

お詫び、謝罪に反省の色がまったく見られない。これは繰り返すだろうな。

ツイートまとめ

近隣で起きている児童虐待に気づいても、それをなかなか通報・通告しにくいのは、「密告」「チクリ」という感覚があるからかもしれない。江戸時代の五人組とか切支丹弾圧とか赤狩りとかの歴史から、密告やチクリは卑怯者のすることという感覚があるのかな。
イギリスでは「親権」という言葉を廃止し、「親責任」という言葉に変更したそうだ。確かに「親責任」というほうが、親という存在の意義をしっかり表しているように思える。
「虐待を受けた子どもは成長すると虐待やDVをすることが多い」というのは間違いで、「いま虐待やDVをしている大人は過去に虐待を受けていることが多い」というのが正しいと思う。この二つは似ているようで全然ちがう。
顔は人が感情を表す場所だ。その顔を叩く、殴るといった行為は、相手の自尊心を大きく傷つける。だから顔は叩いたり殴ったりしてはいけない。

2012年5月30日

永遠の仔

永遠の仔〈1〉再会
実際には単行本で読んだ。天童荒太を読むのはこれで5作目。本書の根底テーマとして児童虐待と老人介護があり、どちらも精神科医という仕事柄、わりと接する機会が多いので身につまされる部分が多かった。また、娘が生まれたことから、父としての視点で見つめたり、時には父母と自分との関係を思いながら子どもとしての立場で読み進めたりと、非常に読みごたえのある本だった。

一ヶ所だけ引用したい。
「ときどきこの世界って、親が大人とは限らないってことを、忘れるみたいね。子どものままでも、親になれるんだから。親ってだけで、子どものすべてを任せるのは、子どもに子どもを押しつけてる場合もあるのよ。子育ては競争じゃないって伝えるところが、どうしてないの。支える道も作らずに、未熟な親を責めるのは、間接的に子どもを叩いているのと同じかもしれないのに」
<関連>
「自己責任」の使い方に絶句した話
オッパイとドパミンと産後うつ
殺さないで―児童虐待という犯罪

ツイートまとめ

添い乳で 娘寝かせる妻の背を われ添い父で 撫でる愛しく
「パパは生まれ変わってもママと結婚するよ」「なんで?」「また君のパパになりたいからさ」「パパ……それ間違い」「え?」「パパがムダ撃ちした精子の一つと、ママが月一排卵する卵子が運よく出会った結果が私であって、同じ私が生まれるわけないもん」「お、おぅ」「この奇跡を、大切にしてね!」
四葉のクローバーを見つけるために、三つ葉のクローバーを踏みにじってはいけない。幸せはそんな風に探すもんじゃない。だが、四葉のクローバーは若葉の時に出来た傷から四葉になるため、踏みにじって探す者がいなければ生まれてこない。(詠み人知らず)
高い壁を乗り越えた時、その壁はあなたを守る砦となる。(読み人知らず)
24歳の男性が「動悸と吐き気」で、いきなり総合病院の精神科受診を希望。普通はまず内科にかかろうと思わないのかな?一応こちかから、まず内科を受診するよう伝えたけれど……。精神科受診の敷居が下がると、色々な面での不都合も出るという一例。
保護者に監護させることが不適当であると認める児童を発見した者は、これを福祉事務所もしくは児童相談所に通告しなければならない。(児童福祉法第25条)ある調査によると、この通告義務を知らない学校は17%に上る。保育所、幼稚園、学校などで子ども相手中心の仕事をする人は知っておくべき。
生活保護は、もっと給付を少なくして、そのかわりもっと簡単に受給できるようにする方が良い。その逆だから、せっかく手に入れた生保という「特権」を手放したくないという人が出てしまう。

2012年5月29日

蚊帳にすっぽり

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本当は料理のハエ除けなんだけれど、蚊帳にちょうどいい大きさ。

『独居』死は本当に『孤独』死か

いつだったか、雨降りしきる寒い夜に自分が車にひき逃げされて、そのまま誰にも見つけてもらえず死んでしまったら、かなり寂しいだろうなと思ったことがある。こうして望みもしないのに独りで死を迎えるのはまさに『孤独』死だと思う。では、ちょっと前にニュースでやたら取り上げられていた「独居老人が部屋で一人で亡くなっていた」という場合はどうだろうか。

結論から言えば、人それぞれだろう。部屋で一人で死んだからといって、孤独死だったと考えるのはちょっと短絡的すぎるかなと思う。それがその人の好みの生き方・死に方だったかもしれないのだから。逆に、もし多くの人に囲まれて亡くなるにしても、その人たちが繰り広げる遺産相続の言い争いを聞きながら死ぬ場合、それは孤独死と言って良さそうだ。孤独だったかどうかなんて本人にしか分からないのだから、周りが『孤独死』と評価してしまうのはおかしいし、失礼でもあるのだ。

だいたい、「高齢者は人との触れ合い求めている」というのは幻想に過ぎず、「知らない人と話したり関わったりするのなんざまっぴらごめんだ」と言ってデイサービスや施設入所やヘルパーを頑なに拒否する独居老人だってたくさんいる。そういう人たちが『独居死』に至るのは至極当然のことではないか。

では『孤独死』という言葉はいったい何なのかというと、実はそれを使う人の心の中にある「自分は孤独の中で死にたくない」という気持ちや、「家族を独りで死なせるかもしれない」といった不安のあらわれである。

そこで考えてみよう。自分が「寂しくない人生」を手に入れるために、どれくらい努力する気持ちがあるかどうか。好きな人としか付き合わずに「寂しくない人生」を手に入れられる幸運な人なんてそう多くはない。煩わしい人間関係を厭わず、苦手な人ともそれなりに交際し、どうでも良いような人にも笑顔で応対してこそ、「最近あの人見かけないね」なんて気にかけてもらえるのだ。面倒くさいのはイヤだけど死ぬときは誰かに見守られたいなんてのは、ちょっとムシが良すぎやしないか。

腹をくくって独居死を受け入れるか、そんなの寂しくて孤独で嫌だから家族と親密にしたり地域のコミュニティにマメに参加したりするか、それはあなた次第なのだ。

2012年5月28日

ママと手遊び

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手を動かしてあげると喜ぶサクラ。


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毎日、いろいろと新しい表情や声を編み出して笑わせてくれる。


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なんだか分からないけれど、楽しいらしい。


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仕事から帰って家族に癒されるって、これかぁと納得。


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2012年5月27日

思いつきと行動の間にある高い壁を乗り越える 『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』

キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか デラックス (朝日文庫)

おもしろかった!!

日常生活の中で、
「やってみたいけど、ちょっと勇気がいるよな」
とためらってしまう、そんなことを思い切ってやってみる企画。思い切って、とはいうものの、実際に行動に移すに際しては、やはりためらいがある。悶々と悩む北尾氏、それでもエイヤッとばかりにやってみる姿が清々しい。

各企画にはタイトルがあり、文章はいくつかのサブタイトルで分けられている。それを眺めるだけでも面白く、ニヤニヤ笑ってしまった。以下に、ついニヤけてしまうタイトルと、サブタイトルを抜粋。


『電車で知らないオヤジに話しかけ飲みに誘う』
そのオヤジはおびえたようにぼくを見つめた

『ゴールデンウィークのお台場で孤独な男たちと人生を語り合う』
ホモのナンパと勘違いされている

『クリスマスに、暗い目をした男たちと人生を語り合う』
イブの夜、ポルノ映画館で男を待つ

『子どもと遊びたいと思うのは犯罪なのだろうか』
なぜキミたちは逃げるんだ

『激マズ蕎麦屋で味の悪さを指摘する』
言え、言ってしまうのだ

『知人に貸した2千円の返済をセマる』
同情するなら金を返せ!

『町でいちばんの“言い子”に声をかける』
ナンパじゃないんだ!
意識過剰で怪しい行動に
「急ぎますので」彼女は足早に去っていった

『「42歳フリーライター」の値打ちを就職試験に問う』
職業を聞くなり相談員は沈黙した

以上は、あくまでもタイトルとサブタイトルで笑えたものだけ。他にもたくさんの企画があり、もちろん表題の、『キミはちょい知りの他人に「鼻毛が出てますよ」と面と向かって言えるか』も入っていて、これもかなり面白い。

これはぜひとも読んでみて欲しい本。


ところで、『知人に貸した2千円の返済をセマる』を読んで思い出したことがある。あれはまだ俺が20歳のころ。当時の友人に、下の名前は忘れたが、モリワキという奴がいた。このモリワキ、とにかくセコかった。そのセコさは、笑えるレベルではなく、卑劣さに怒りがこみ上げるほどだった。

セコい、というと曖昧だが、要するに金払いが悪かったということだ。たとえば皆でレストランに行く。モリワキが「金がない」というので誰かが貸す。しかし、モリワキは絶対に自分からは返さない。返してくれ、と言っても、その時も「ちょっと今は金がない」と言って返さない。そんなことが続いたので、モリワキ以外の友人たちと、「もうモリワキに金を貸すのはやめよう」という話になった。

ある日。モリワキを含めた皆で、1000円の焼き肉食べ放題店に行った。いざ支払いの時になると、やはりモリワキが「金がない」と言い出す。しかし、俺たちも事前に打ち合わせ済み。
「俺もない」
「あ、俺もピッタリ1000円しか持ってきてない」
「お前もか、俺もそうなんだよ」
そんな感じで、自分たちの分だけをレジの前に出した。モリワキは、
「誰か持ってないの? 今日は、財布を忘れたんよ」
と言った。それでも誰もなにも言わない。しばしの沈黙。とうとう誰も金を貸す気がないことが分かると、なんとモリワキは、舌打ちして、それから、
「しょうがねぇな……」
と言って、おもむろに自分の財布を出した。さらに、その財布の中から一万円札を出したのだ。金がないだけでなく、財布がないとまで言っておきながら……。全員、唖然として言葉も出なかった。以後、一緒に食事に行くことはほとんどなくなった。

グラサン!!

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2012年5月26日

今日で生後3ヶ月!!

今日で、生後3ヶ月!!

これまで笑顔はあっても、ちゃんとした笑い声というのはなかったのだが……。ついさっき、俺の後ろで妻がサクラをあやしていたら、サクラの口から「キャキャハフン」と笑い声が!! 驚いて振り返って、それから何度も笑い声を聴くことができた。

良い3ヶ月記念日になった。

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カメラ目線。



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ママに遊んでもらっているところ。

車の運転は団体スポーツ

「車庫入れ上手」とか、「細い道でもスイスイ走れる」とか、そういうのは、サッカーでいうところのリフティングが上手いくらいの話。リフティングを100回くらいできても、試合でいい仕事をするかというと別問題。自分の動きが仲間に伝わらない、仲間の動きを読み切れない、個人プレーで自己満足に浸る。そういう人は、ただ迷惑になるだけ。

仲間の動きを読み切るのは難しいから、せめて自分の動きを周りに伝えることは徹底して欲しい。車でいうなら、ウインカーや夕暮れ早目のライト点灯。ウインカーをなんのために出すのか、ライトはなぜ点けるのか。そのあたりをいまいち分かっていない人は、曲がる直前にブレーキを踏んでからウインカーを出し、「だってまだ見えるし」などと言いながらライトを点けない。

見通しの悪い信号のない交差点で、「一旦停止」と書かれたラインがあるが、それを無視してちょっと先まで進める人に「危ないよ」と注意したら、
「だって、あそこで停止しても左右が見えないじゃん」
なるほど、言われてみたらその通り……、ってなるかい!!
「こちらからは見えなくても、左右の車がこちらの存在を確認できるでしょ、それが大事なんだよ」

周りに伝える運転、心がけましょう。


2012年5月25日

ゆったりとした姿勢

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凄くくつろいだ姿勢だったので撮った。



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抱っこひもから降ろされた直後である。

チャンバラ 『真説宮本武蔵』

子どものころ、チャンバラが好きだった。小さいころから祖父の家で過ごすことが多く、月曜の8時からは水戸黄門を必ず観ていた。そんな俺にとって、チャンバラは日常だった。

新聞紙を丸め剣に見たてて祖父に斬りかかる。子どもとはいえ、5歳くらいともなると棒を振り回されたら怖い。それでも、祖父は怖じ気る様子もなく、俺の剣を受けていた。そういえば、チャンバラといい相撲といい、祖父と戦って痛かった記憶がない。さりとて受け身に徹していては、子どもの遊び欲求は満たされない。どうやったら、手加減のない孫相手に、痛がらせずに面白がらせられるのだろう。

ところで、剣には鞘が必要だ。しかし、どうしても新聞紙では鞘が作れなかった。だから、つねに抜き身の剣を引っさげていたことになる。よくよく考えると、危険な少年剣士だ。

小学校に入って剣道をやらされたが、すぐやめた。あれはチャンバラではない。武士道とかなんとか、そういうのとも違う。根性のある子とない子をふるい分ける装置みたいなもので、やめた俺には当然、根性なんてない。

剣道は続かなかった俺でも、水戸黄門は小学校を卒業するまで観続けた。マンネリなんだけれども、観ていて落ちついた。悪者はいつか絶対に、例外なく退治される。退治されるべきなのだ。そんな勧善懲悪思考に染まっていた。

少し余裕をもって世間を眺められるようになったのは、本当につい最近。精神科医をしていると、いろいろな人に出会う。話していて、どうしようもない人だ、と思うこともあるが、しばらく接していると意外な一面に気づくことがあって、世の中に完全な善人悪人や強者弱者などいないとつくづく感じる。

そんな俺の心の成長に合わせて、ということもないだろうが、水戸黄門が放送中止となった。俺が子どものころスケさんだった里見浩太朗は、黄門さまにまで出世した。でも、違和感ありまくりだった。よれよれっとした御隠居さまと、キャラ豊富な仲間たちだからこそ、町人に溶けこむにしても、武家に入るにしても無理がなかったのに、里見の御隠居さまはあまりに恰幅が良すぎて、どこぞの偉い人という感が出まくっているのだ。

チャンバラ。いまもやっている子どもたちいるのかなぁ。自分の子どもにはチャンバラをやらせたいなぁ。

新装版 真説宮本武蔵 (講談社文庫)

宮本武蔵をはじめ、千葉周作など剣豪の話。昔は真剣で斬りあっていたんだよなぁ、と考えると怖い。いや、真剣でなくても、木刀で頭をかち割ったとかいう話も出てくるし、剣士たちは命をかけて果たし合いなどをしていたんだよなぁ、やっぱり怖い。短編小説集で、文字も多くなく、わりとすぐに読み終える。

2012年5月24日

甲子園の想い出

野球はプロも甲子園もまったく興味のない俺だが、生中継で見て記憶に残ったシーンというのが二つだけある。今日は、そんな話である。

一つは、松井秀樹の5打席連続敬遠の試合。1992年8月16日、俺は17歳の夏休みを祖父母の家で過ごしていたと思う。松井のいる星稜高校(石川)と明徳義塾高校(高知)の試合だった。松井が大物だという話はそれまでもニュースで取り上げられていたから、いったいどういう試合になるのかという興味はあったが、わざわざテレビで観ようとも思わなかった。ただ、高校野球好きな祖父がテレビをつけていたので、だらだらと眺めていたという感じ。

この試合の何が俺を熱くしたのかというと、それは相手ピッチャーの精神力の強さ。俺と1歳違うか違わないかの人が、観客席からのブーイングを受けながら、それでも松井に5打席連続でボール球を投げ続けたのは、並大抵の胆力ではできないことだ。俺なら半ベソかくか、キレて観客席に向かって石か泥か投げかねない。今Wikipediaで調べてみると、相手ピッチャーは河野和洋。監督の指示に従って、淡々と敬遠し続けたのは凄い。勝敗にこだわったからこその展開で、これを無気力試合と評価するとしたら、俺はそういう考えの方が嫌いだ。

河野投手がその後どういう人生を歩んだのかが気になった。詳しくは分からなかったが、現在は日本橋学館大学で硬式野球部のコーチをされているようだ

記憶に残るもう一つのシーンは、いつの甲子園だか定かではないし、選手名も分からなかった。そこで調べてみて分かった(ネットって凄い)。1996年の松山商と熊本工の試合で、3対3で迎えた10回裏のことである。1アウト満塁、一打サヨナラの場面。松山商の攻撃で、守る熊本工はそれまでベンチにいた矢野選手を、ライトの選手と交代出場させた。そして数十秒後、打球は大きく弧を描いてライト方向へ飛んだ。まず間違いなく犠牲フライとなる当たりだったが、それをキャッチした矢野選手がホームベースに向かって放ったボールはみごとにキャッチャーミットに突き刺さり、タッチアップしてきた3塁走者を仕留めた。少し荒いが、その時の映像を見つけた。


当時大学の3年生だった俺は衝撃を受けた。なんてすごい選手なのだ。この一打サヨナラの超がつくほど大切な場面で、それまでベンチに控えていて、「じゃお前ライト行け」と命じられて、それでこのプレーである。この矢野選手、これまでに大暴投が頻発している選手だったようで、ノーバウンドでの返球を禁止されていたらしいが、この場面で矢野選手はそれでは間に合わないと判断して思いきり投げたそうだ。それがまさにドンピシャで決まったわけで、この映像は15年以上たった今観ても鳥肌が立つ。

矢野選手はその後、「最後に出てきて、いいところだけ持っていった」と、未だに当時のメンバーから冷やかされるそうで、高校卒業後は松山大でプレーした後、地元の愛媛朝日テレビに入社したようだ。今どうしているかまでは分からない。

この二つの甲子園名場面から、俺はいろいろなことを学んだが、それは敢えて書かない。読んだ人、観る人がそれぞれにいろいろなことを感じてくれれば良い。

抱っこひもで抱かれて

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顔が見えない……。



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隙間から。



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上から。



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妻の胸に顔を埋めて、すやすや。



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全体で見るとこんな感じ。



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もう一回、アップで。

2012年5月23日

赤ちゃん体操!!

赤ちゃん体操というものがあって、首が座りはじめたらうつ伏せ寝をさせてみるらしい。そして、実際にやってみるとサクラがやたら嬉しそうに笑っていたのが印象的だった。
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写真の推敲はほとんどせず、ほぼ全部載せてしまう親バカ。



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新しい視点にちょっと興奮気味のサクラ。



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笑い声を出したり。



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うなったり。



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そのたびに歓声をあげる妻と俺。



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ずっと見ていても飽きない。



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背中をさすってあげると、



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喜ぶ。



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ニッコリ。



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カメラ目線。



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「ヨイショヨイショ」



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「ウーン、ウーン」



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「疲れてきたよ~」



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「むぎゅぅ」



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「ふぅ……」



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「はぁ……」



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「もうダメ」



akebono
ほぼ一致。 (曙です)

あやかし

あやかし (上) 
長かった……。序盤から中盤まで非常に面白かったのだが、後半ちょっと間延びした感は否めない。また、視点がめまぐるしく動くので、ちょっとした視点酔いとでもいうような状態になる。「あれ、これは誰視点なの?」みたいな。ほぼ全てを主人公・青垣視点にしても良かったんじゃないかとも思えるのだが……。

それはともかくとして、この主人公・青垣がかっこいい。冷静な判断力とやたら座った肝っ玉、そして急場で見せる茶目っけ。こういう人がリーダーにいると、周りは相当安心できそうな気がする。

内容は、いわゆる伝奇小説。俺は結構そういうのが好きなので楽しめたが、興味がない人にはつまらないかもしれない。高橋克彦作品を5冊追加購入してしまった……。

2012年5月22日

まつ毛と眉毛

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生えてきた、伸びてきた!!



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