2012年3月19日

或る男の話

ある後輩の話をする。ここでは、男、と呼ぶ。

男は医学部一年生の頃だったか、交通事故を起こした。それは男が運転していて、男の不注意で起こした人身事故だった。被害者は軽傷ではなかった。それなりに問題にもなった。ただ、男が思っているより周囲の関心は薄かっただろう。逆に、周囲の想像以上に男の苦悩は深かったはずだ。

時は過ぎていく。

男は六年生になった。卒業試験を終えて、男は俺のところへ遊びにきた。一泊の予定が土壇場で二泊になって飲みまくる、そんな旅だった。そこで男は、国家試験に合格したら、あの事故の被害者に挨拶に行きたいと言った。当時を振り返ったのか、あるいは今も苦悩の淵から上がれていないのか、男は時おり瞳を潤ませ、鼻をすすり、涙を拭って、そして複雑な笑顔を浮かべた。

五年も前の交通事故を、いや、事故そのものではなく被害者のことを未だに気に病み、合格したら報告したいと想いを語りながら泣いてしまうような人間に、俺は今まで会ったことがない。俺は、男をバカ正直だと揶揄する気はない。逆に、男を純粋だと褒めるつもりも一切ない。ただ、そんな男の顔を見て、いい顔だと思った。

そして今日。男から合格したという連絡が入った。さらに、事故の相手方にも報告に行ったという。相手の二人のうち、一人は残念ながら今年一月に病気で亡くなったそうだが、もう一人は男の合格を、そして挨拶に来てくれたことを喜んでくれたそうだ。俺は思う。この時点で、「加害者」と「被害者」ではなくなったのだ、と。

相手に傷を負わせた交通事故を、こんな形で乗り越えた人を、俺は身近で知らない。たいていは保険会社に任せ、嵐が過ぎ去るのを身を縮めて待つだけで、五年も経って会いに行ったなどという話は、小説以外で聞いたことがない。寡聞にして、俺が知らないだけかもしれない。それは認める。だが、男の事故に対する姿勢の価値は変わらない。

男が何科の医師になるのか分からないが、俺が患者になったなら、こういう医師に診てもらいたい。そして願わくは、男が多少は興味があると言っていた精神科に来られんことを。


或る不器用な男に宛てて。


合格、おめでとう。

8 件のコメント:

  1. いい話・・・といったらダメですが、こんな人だと救われますね。


    やっぱり髄液穿刺が怖いです(涙)

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    1. >あー太
      髄液穿刺は怖いのもあるし、ちょっと体勢も恥ずかしいかな、女子には。

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    2. 恥ずかしい体勢・・・??

      普通に寝とけばいいのかと思ってましたが違うんですか?!

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    3. >あっこ
      背中から刺すし、背骨の間を広げないといけないから丸まるんだけど、
      http://kompas.hosp.keio.ac.jp/contents/000444.html
      こんな感じですよ。まぁ平気といえば平気かなぁ。

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  2. ししとう432012年3月20日 17:53

    そう言えば、私の同級生は、交通事故の相手方と結婚したなあ。

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    1. >ししとう43さん
      そんなことがあるんですね、すごい!

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  3. 男ー!!
    あいついいやつだな。なんでいいやつなんだ。どうしたらいいやつでいられるんだ・・・。

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    1. >たに
      こういうのは、きっと生まれ持ったものだよなぁ。
      でもあきらめずに精進しよう!!

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