2012年2月8日

少年讃歌

中学時代から、暗記するだけを求められる歴史という教科がまったく好きになれなかった。ある時期を境に、歴史の「流れ」というか、偶然の積み重ねによる運命めいたものを面白いと感じるようになり、司馬遼太郎の歴史小説を好んで読むようになった(それでも興味範囲は限られてはいるが)。

天正遣欧使節というのはどこかで習って知っていたが、その年代、時代背景、彼らの素性や年齢などは何も知らなかったが、今回、この小説を読んでいろいろと勉強になった。

本作は、四人の使節の従者としてローマへ行ったコンスタンチノ・ドラードを主人公・語り手として、使節団が体験したいろいろなことが描かれている。やらた細かいので、これはなにかの歴史的資料をもとに書いているのかと思ったほどである。

彼らの旅は8年という長きにわたるが、ローマに長く滞在したのかというとそういうわけではなく、当時は完全に風頼みの航海だったので、季節風を待って港で数ヶ月以上も滞在するなど往復するだけでとんでもなく時間がかかるし、そもそも難破する船だって多かったのだ。出発時にはキリスト教が栄えかけていた日本だが、出発してすぐに織田信長が殺され、帰国したときには豊臣秀吉が切支丹追放令を出しているという、なんだか悲しい運命だ。

歴史に興味がないなりに、千々石(ちぢわ)ミゲルだけは名前をしっかり覚えていたのだが、彼は出発時に13歳、8年の旅からの帰国時には21歳になっている。そんな長くて危険な旅を終えて帰国したミゲルは、最終的には棄教する。そんなミゲルが帰国前にクリスチアーノ・ドラードに語る場面がある。
ヨーロッパではもとより、モザンビケでもゴアの都でも、マラッカでもこのマカオでも、それらしき(奴隷にされた)日本人は一人も見かけたことがなかった。ぱあでれ(ブログ主註・司祭)方が隠したのだ。ぱあでれ方は、自分たちにとって不都合なもの、醜いもの、我等に疑念を抱かせるようなものはすべてひた隠しにして、好都合なもの、自ら誇りうるもの、我等を驚かせ、感嘆させるに足る美しいもの、見事なものばかりを見せたのだ。
多感な少年時代を海外で過ごし、なにかを感じながら育った彼の素直な視点だろうと思う。

少年讃歌

ヨーロッパに着いてからは、なんだか中だるみしたような感じがあったが、往復の航海部分は冒険小説みたいで面白かった。

2 件のコメント:

  1. バニーガール2012年2月8日 16:16

    俺も同じように暗記優先の歴史の授業が苦痛で苦痛で仕方なかったよ。。。司馬遼太郎はハマったなぁ。『新史太閤記』や『関ヶ原』はとにかく夢中になって読んだ。幕末物にはあまり手をつけてないんだよなぁ。

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  2. >バニちゃん
    おー、俺は逆に幕末ものから入ったよ。あ、違った、『項羽と劉邦』から入ったんだった。あれは三回くらい読んだw 『胡蝶の夢』これも三回くらい読んだよ、そして泣いたね。

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