2012年1月31日

イエスの生涯

まず最初に書いておくが、俺はクリスチャンではない。
イエスと、その周囲にいたペテロやイスカリオテのユダといった弟子たち、それからキリスト教そのものにわりと関心があるだけだ。そもそもは、マタイ受難曲の中の一曲である『主よ、憐れみたまえ』に魅せられて、ペテロという人に対しての興味が湧いたことから始まった。

なぜペテロに興味を持ったのかというと、彼がイエスを裏切ったからである。イスカリオテのユダがイエスを売ったことは非常に有名だが、ペテロを含めた他の弟子たちも裏切ったということは、世間的にはあまり知られていないのではないだろうか。ちなみに、ペテロは烈しくイエスを裏切りながらも、カトリック教会では初代教皇とみなされている。

「イスカリオテのユダこそが、弟子の中でイエスの最上の理解者であった」
キリスト教に関して調べていて、そんな一文をネットのどこかで見かけたことがある。そこには詳しい理由は書いておらず、ただその一文だけだったと記憶している。自分なりになぜだろうと考えた末の空想として、
「イエスは、自らが処刑されることこそが、神の教えを本格的に広める始まりとなりうると考え、ユダはそのイエスの考えを理解していたが故に、敢えてイエスを殉教に追い込むようなことをした」
そんなことを思ったが、この『イエスの生涯』を読む限りでは、実際には(事実は知りようがないにしても)、もっと深い憤りや苦悩があったようだ。



文中で、何度も何度も繰り返されるのが、イエスが現実に対して、「無力の人」であり、「役に立たぬ人」であり、「何もできぬ人」だったということと、ペテロをはじめとした弟子たちは決してイエスの理解者ではなかったし、「弱虫」で「ぐうたら」で「臆病」で「卑怯者」で「駄目人間」だった、ということである。そして、イエスは死して神格化され、弟子たちはイエスの死後、自らの命さえかえりみずにイエスの教えを広める心強き人間となる。

著者は言う。
私たちがもし聖書をイエス中心という普通の読み方をせず、弟子たちを主人公にして読むと、そのテーマはただ一つ------弱虫、卑怯者、駄目人間が、どのようにして強い信仰の人たりえたかということになるのだ。
これはあくまでも、クリスチャンであった遠藤周作が自身の研究に基づいて創りあげた本である。内容が正しいのか間違っているのか、そんなことを考えても仕方がない。ただ、クリスチャンでもない俺が、イエスやペテロやキリスト教への興味がもとで読み始めて、最初は歴史や人名や地名に苦手意識を感じつつ、読み進めるにつれて、無力で役立たずだったイエスの苦悩や、弱虫で卑怯者で駄目人間な弟子たちの心理に、徐々に引き込まれ、魂を揺さぶられる思いがしたことは確かである。

2012年1月26日

コメントをありがとうございます

多くの励ましや慰め、お悔やみのコメントをありがとうございます。

祖父の葬儀から一週間が過ぎ、気持ちも多少は落ち着いてきました。人間の生死と、それにまつわる運命的で不思議な出来事を通じて、いろいろなことを考えました。とても一言では表せませんが、人にはやはり運命というようなものがあるんでしょう。俺が祖父の初孫として生まれたのも運命、俺が36歳になるまで祖父が生きていて、そして祖父が87歳で潔く生涯を閉じたのも、やはり運命だったのだろうと思います。「晩節を汚さない」とは、まさにあんな生き方だろうと、我が祖父ながら感心しました。

俺は無宗教なのですが、宗教そのものやその教えにはもともと興味がありました。それで、いつか読もうと購入して放置していた宗教関連の本を読み始めました。といっても、吉川英治の『親鸞』や遠藤周作の『キリストの誕生』、『沈黙』、『ダ・ヴィンチ・コード』、『クムラン』、『小説・新約聖書』といった本で、宗教書ではありません。宗教に入る予定も一切ありません。後回しにしていた本を読むというだけです。

本来であればコメントを下さった皆さんお一人お一人にお返事を書くべきところなのですが、いかんせん内容が内容なもので、明るく返すというのも憚られてしまい、こういう形ではありますが、お礼を述べさせていただきます。本当にありがとうございます。


さて、祖父に関するブログは、あと少しで終了の予定です。だいぶ気持ちも落ち着いてきましたし、ブログ書いていて良かったなぁと思います。祖父の思い出を残すということで、細やかながら慰めを感じることができました。また、思いのままに書くことで自分の感情を見つめ、そうすることで、漠然とした心の中の動揺に「哀しみ」というラベルをつけて整理することができました。そういうわけで、読み専の方にはぜひブログを始めることを勧めます。

2012年1月16日

それぞれの

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アンティーク小物

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2012年1月15日

笑顔と真顔、タイミングの難しさを考える

笑顔と真顔を比べた場合、適切なタイミングをつかむのは笑顔のほうが難しそうだ。

真顔は時と場合をあまり選ばない。たとえば相手の冗談を分からずに笑わなかったとしても、
「なんだ、コイツ、つまんねぇ」
というくらいで済む。それで周囲から避けられても、自分一人が傷つくだけだ。

ところが笑顔は、タイミングが難しい。不適切な場面で笑顔を見せると、相手を傷つけたり、怒らせたりする。

「空気を読めない」という人たちをかなり大雑把に、明るいタイプと暗いタイプに分けるなら、暗いタイプの人の方が社会適応は良いのかもしれない。

Lucky Catch for 57 Dollars !

兄のダンが働いて稼いだ125ドルのお札をばらまき、弟のジャックが空中でキャッチできた分だけあげる、という素敵な企画。

結末がw ダンのリアクションが良いお兄ちゃんというのを物語っているw まぁ、こんな企画を思いつく時点で、かなり素敵なお兄ちゃんだよね。


タイトル通り、57ドル、つかめちゃったみたい。

2012年1月14日

患者から夢について相談されることが多いが……

精神科医の中には、夢を熱心に分析する人もいるようだが、自分はまったく興味がないし、あまり信憑性もないと思っている。ところが、精神科の診察室では、よく患者さんから夢の相談をされる。

たいていの場合、
「毎晩、同じ夢を見るんですが、これはなんですかね?」
「一晩中、夢を見るんですが、どうしてでしょうか?」
という質問が多い。

時には、
「人が死ぬ夢を毎日見るんですが」
「家の鍵を締めてまわるのに、どれも壊れているという夢を毎日見るんですけど」
といった具体的な夢の内容を相談されることもある。

まず「毎晩同じ夢を見る」ことについてだが、理由はよく分からない。実際に毎回同じ夢を見ているのだとしたら、それはそのことが気がかりだからだろう。しかし、本当のところは、『自分にとってインパクトのある夢を覚えている』ということだと思う。だから、毎日ではなくで数日おきくらいに似たような夢を見ていたとしても、インパクトのない夢は忘れてしまうから、結果として毎回同じ夢を見ているという記憶になる。

「一晩中夢を見る」というのはどうか。夢は、周期的にくる浅い眠りのときに見るもので、しかも基本的には目覚める直前に見たものだけを覚えているそうだ。しかも、本人は長い夢を見たような気がしていても、実際のところはほんの数秒からせいぜい数分程度の夢しか覚えていないものだという。だから「一晩中夢を見る」ということはありえなくて、「一晩中夢を見たような気がする」というのが正確なところなのだろう。一晩中夢を見るという人は、同時に「眠りが浅い」と訴えることが多い。そして、こういう人たちの多くが長時間の昼寝をしている。だから、夢のことはともかくとして、まずは生活改善を、とアドバイスをすることが多い。

具体的な夢について解釈を求められても、「さぁ」としか答えようがない。それだとあんまりなので、せめて「そのことが気になっているんでしょうねぇ」と言うくらいはする。でも、これだけで患者さんは結構満足してくれるようで、
「あぁ、身近で不幸が続いたので」
とか、
「そうなんですよ、うちは家が広いのに一人暮らしだから、戸締りが気になって」
とかいう具合に納得している。

夢なんかにあまりこだわらないほうが良いと思うが、「自殺する夢」を見たという人に関しては、ちょっと気をつけるほうが良いのかもしれない。精神科医・中井久夫先生は著書の中で、
「現実での問題を夢の中で処理・解決しようとし、解決できなかったものを起床時に覚えている」
といったことを書かれていた。これが正しいとすれば、自殺する夢は、現実での問題解決策として、一瞬とはいえ自殺の選択肢を考慮したということかもしれない。これはあくまでも中井先生の本を読んだうえでの私見であって、自殺する夢を見たら精神科を受診しろということではない。家族や友人が「自殺する夢を見た」と言っていたら、いつもより少し気をかけてあげるくらいで良いのかもしれない。

レトロ

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たくましさ

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植物というのはたくましいねぇ。

2012年1月13日

君が代で起立は当然、しかし、起立しない自由がない世の中はイヤだ

橋下大阪市長が、君が代斉唱時に教職員への起立を義務づける条例案を提出するらしい。国歌を斉唱するときに起立をするのは当然だ。が、しかし、同時に「起立しない自由」が認められていない世の中はイヤだなと思う。

小学校4年生のころ、日教組の先生が「君が代」について、
「あれは天皇を崇め奉る歌なんだから、あんなもの歌わなくても良い」
というようなことを言っていた。

中学校のときには、やはり日教組の先生が、
「君が代も国旗もくだらない、蛍の光も軍歌だ、仰げば尊しなんて要らない」
と息巻いていた。

小中学生に対してああいう教育は良くない。教師が自分の信じる意見を述べるのは決して悪いことではない。ただ、教室内に大人が一人だけという絶対的な強者の立場で、そんな発言をすることが間違っている。それは洗脳、押しつけと言われても仕方がない行為である。持論を展開したいのなら、全校集会などを利用して、校長や教頭と公開討論するべきなのだ。そうすることで、子どもらは大人のいろいろな見方を知ることができる。こんな考え方もあるんだよと「教」え、そのうえで子どもたちの考える力を「育」む。これが「教育」であって、教室で一方的に教えるのは断じて教育ではない。

今回の橋下市長の条例案に話を戻す。起立しない自由がなく、強制的に起立させられる大人たちを見て、果たして子どもたちの中に真の愛国心は育つのだろうか。自由というものについては、ガンジーのこんな言葉を思い出す。
間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。

俺は橋下市長は好きだが、この条例には反対だ。
橋下大阪市長、君が代起立条例を提案へ  2012/1/13
大阪市の橋下徹市長は13日、学校の入学式や卒業式の君が代斉唱時に教職員の起立を義務付ける条例案を2月議会に提出する方針を明らかにした。君が代起立条例を巡っては市長が代表を務める地域政党「大阪維新の会」が昨年の府議会に提案し、維新の賛成で可決・成立しており、同様の内容になるとみられる。

府の同条例は、府教育委員会が任命・処分権を持たない政令市の大阪市、堺市の教職員も対象に含めているが、罰則規定などは設けていない。

維新府議は提案の背景について「市で再提出することで条例の実効性を高める狙いがあるのではないか」と指摘する。

橋下市長は同日、大阪都構想を念頭に「(都の実現で導入される)選挙で選ばれる区長のもとでは起立して歌わなくていい区があってもいいが、今は僕が選挙を受けている唯一の立場として、条例を出す」と語った。

旅行先で子どもに携帯ゲーム機を持たせる親たち

DSやPSPが手軽に入手できるようになったせいか、旅先でゲームしている子どもをよく見かける。駅の構内、電車の中、空港、飛行機の中、レストラン、そしてまさかのディズニーランドでも。

ディズニーランドでゲームしている子どもらを見たときにはかなり驚いた。確かに、長蛇の列に並んで退屈なのは分かるけれど……。そこでふと周りを見渡すと、ゲームを持っていない子どもの親は、子どもたちの退屈しのぎの相手をするので大変そうだったのだが、ゲーム機を持たせた親は、子どもが静かだから余裕の表情でボーっとしていた。なるほど、これは親が楽をするためのツールなんだな。

そう考えると、駅でも空港でも、電車でも飛行機でも、子どもを黙らせようと思ったらゲーム機を持たせるのが一番楽だ。ただ、そんな風にして育った子どもたちは、成長してから「何もせず静かに待つ」ということができるのだろうか。

と、ここまで書いて、しかし俺だって携帯を扱ったり本を読んだりするじゃないか、と思い至った。それは単に時間つぶしの種類が違うというだけで、本質的には同じことなのかもしれない。まぁさすがにディズニーランドで本は読まないが。

今のところ、生まれてくる子どもが成長しても、携帯ゲームは買わないつもりだ。


参考 「ファミコンが日本を駄目にした」論 について


ちなみに、ディズニーランドで並んでいるときに、PSPのモンスターハンターを黙々とやっているカップルがいた。数十分の待ち時間の間、その二人には会話が一切なかった。そんなところで本気出して狩るなよw

電柱

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無題

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みかんの抜けがら

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まつぼっくり

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手はチタロウ氏。

女性の喫煙がアウトな理由

俺は、知っている女性がタバコを吸っていて、その人にまだ子どもがいなかったら、「タバコはやめたほうが良いよ」と言う。もう子どもがいて、新たに妊娠するつもりもないようなら、なにも言わない。

子どもができたらやめるよ、という女性も結構いた。まぁ、たいていの場合はやめきれない。彼女の喫煙は、もちろん胎児に影響を及ぼす。だから、喫煙は良くない……、という話ではない。喫煙は、妊娠前の卵子に悪影響を及ぼすからやめたほうが良いのだ。ある不妊症治療関係のサイトには、こう書いてある。
調査によると、タバコは卵巣に有害で、そのダメージは、これまでの喫煙の期間によります。喫煙は卵子の老化や生殖機能低下を早め、閉経を数年も早めます。タバコの煙の成分は、卵巣の女性ホルモン分泌能力を低下させ、遺伝子異常を誘発するリスクを高めるのです。
これを信じる信じないは個々人の自由だが、何かあった時に「タバコのせいかな?」と思いたくなければやめるにこしたことはない。ちなみに、精子が毎日どんどん造られるのと違って、卵子は女性が赤ちゃんの時に造られたのを排卵していくだけだ。だから、大切にしてあげたほうが良い。

こうやって説明しても、結局、みんなやめないんだよなぁ。だから、タバコを吸い続ける女性の中の卵子ちゃんたちには、こう言うしかないのだ。


君たちも、大変だね。


ペアベア

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2012年1月12日

入試問題が“的中”するとはどういうことか

普段、あまり真剣に人のブログを読むことはない。まぁたいていの人がそうだろうけれど。だが、これは非常に読み応えのある素晴らしいブログで、ほぼきちんと読んだ。医学部や精神科領域に進みたいと思いながら、このブログをつらつら眺めている人がいたら、ぜひとも以下のブログを読んでみることをお勧めする。なにか一つだけでも、勉強のヒントになるかもしれない。

入試問題が“的中”するとはどういうことか
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/matsubara/201201/523106.html

なにげなくビーグル動画を検索してみたら


こんな頭のいいビーグルもいるんだなぁ。
太郎は、俺が手を放して1分も待てないぞ。

でも、うちの太郎がやっぱり一番カワイイなw

非専門家が買っても、あまり得した感のない本だと思うが、時どき琴線に触れる名フレーズの多い本 『精神療法面接のコツ』


難しかったので時間がかかり、ようやく読み終えた。印象に残った部分をいくつか引用。
溺れる者を救助するときの責任ある選択とは、まず、救助者自身がしがみつかれて溺れてしまうことを防ぐことである。
親子関係で「自立」するためのもっとも有効な方法は親孝行であり、最も効果の薄い方法は家出である。
精神科の治療は、はじめ、「浅く」「狭く」 『短く」「軽く」を目指すほうが良い。
精神科医の患者への関わりは、はじめ薄味にしつらえて、必要に応じてやむなく濃い味へと進むのが良い。その逆がほとんど不可能である点は、料理に似ている。
合奏は、精神療法家にとって良いトレーニングになる。相手の出す音を聴きながら自分も音を出し、それも聴きながら両者を調和させようと努める。しかも、その三つを同時進行させるのだから。
患者が読む本に書いてある情報の中には、患者が勉強すると患者自身の治療に役立つ情報もあれば、役に立たない情報もある、中にはかえって治療を妨げる情報もある。
子どもは親の教えるようにはならず、親のようになる。
精神療法にかよっている間には生活上の重大な決定を延期するように、と勧める治療者は多い。だが、生活上の重大な決定を延期することは、それ自体、人生にとって重大な決定であることが多いから、むしろ、生活上の重大な決定の前後には精神療法をお休みしなさい、あるいは生活に影響の及ばない程度の精神療法に止めましょう、と勧めるのを定石にすべきである。
相手が「分かりません」と答えたら、その瞬間、結果として相手を粗末にする関係を造ったわけである。この呼吸は、相手が幼児であろうと老人であろうと変わらない。ことに、痴呆老人に対するさいは、答えに窮させる状態を引き起こさないように配慮しながら対話してゆくと、思いもかけぬ歴史の証言を聞き出すことがしばしばあり、そうした確かな記憶が再現したことが老人自身にも確認されることで、人としての自信が回復し、自己制御の機能が瞬時に向上するものである。これが痴呆という状態への精神療法である。
理想像とは、旅人にとっての北極星のようなものである。旅人はそれを目指して歩いてゆくことで、方向を間違えることなく北へ進むことができるが、その結果、北極星に到達するわけではなく、ほとんど近づいてさえいない。
家庭内暴力は、暴力の快感への嗜癖ではない。一見怒りや攻撃のように見えるものは、悲しみの変形物もしくは悲しみへの慰撫工作である。家庭内暴力に限らず、一般に、悲しみに支えられていない怒りは持続性をもたない。
非専門家が買っても、あまり得した感のない本だと思うが、時どき琴線に触れる名フレーズの多い本でもある。

花たち

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すすき

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2012年1月11日

朽ちる

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何年前からこの状態なんだ?

熟睡ネコ

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近づくとイビキまで聞こえてきたw





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ものほし

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統合失調症と癌の告知

現在、統合失調症の告知は今はする方が一般的になってるが、これは精神科医の保身や免罪符的なもの、医療裁判なども微妙に関係している。僕の世代の精神科医、特に僕の大学医局では告知はしないのが普通だった。そのスピリッツは医局同門に連綿と流れていた。

かつて研修医の時、教授がある患者さんの症例検討会の際に、統合失調症の告知の事に関して、医局員の前で、こんな風に話した。

統合失調症の告知?
本人や家族が聞いたら、どんな風に感じると思うかね?そんなことを言わなくても、治療がうまくいけばそれで良い。昔の精神科医は、涙を流して「統合失調症」と診断書に書いたものだ。

全くその通りである。この「涙を流して・・」と言う下りは、「この人は自分が一生、面倒を見る」覚悟の意味合いがある。やはり統合失調症は大変な精神疾患なのである。その流れを汲む自分は、ロスト・ワールドな精神科医なのかもしれない。ラミクタールやトピナを使っていても、クラシックな精神科医なのである。

本来、統合失調症の告知に限らず、医療場面では同じような状況にしばしば遭遇する。

癌や統合失調症の告知は、ある種の暴力なのか?
統合失調症やアスペルガー症候群の告知は残酷。

そういう気持ちがあるから、告知は避けるのである。これは長年、そのスタンスだけは変わっていない。これはあの症例検討会の時の言葉がずっと頭に残っているからだと思う。
時間がある時にはけっこう読んで参考にもしているブログ。
統合失調症の告知と予後より引用。

俺はこの考えには賛同できない。確かに、古い時期、まだ抗精神病薬がなかったころは、不治の病いだったかもしれない。しかし、いまや統合失調症の多くは抗精神病薬の内服継続でかなり良好な経過をとる。

癌の告知と並べてあるが、その並列は本当に正しいのだろうか。きちんと治療を受ければ治る癌もある。しかし、告知が残酷な暴力だからといって告知をしなかったがために、患者が油断して治療を中断して病院に来なくなり悪化するということもありうる。

精神科医は、希望も処方しなければいけない。癌を告知する場合、単に癌だと告げるだけでなく、それがどんたタイプの癌であるのか、どのような治療方法があるのか、その治療はどれくらい続けるのか、どれくらいの頻度で通院するのか、どんな副作用があるのか、良くなる見込みはどれくらいか、どういう生活を心がけるのが良いのか、その他、たとえば費用や他の治療施設についてなど、いろいろと伝えるはずだ。それは決して訴訟対策としての防衛的なものではない。「訴訟になってもこちらに非がない」というのは、一生懸命にやった結果であって、非がないように保身や免罪符として告知をすることが防衛的だというのは少し違っている。

医師の告知に対するスタンスはさまざまで、正しい言葉や方法があるわけではない。もしもそういうことをガイドライン化したら、それこそ防衛医療である。正解がないから悩むし、答えがないから試行錯誤する。「自分は告知しない」というスタンスは、いろいろなものを引き受ける覚悟の顕われであると同時に、いつ、どうやって、どんな雰囲気で告知したらいいのかについての苦悩を放棄していないだろうか。

雰囲気というのはなかなか言語化できないし、言葉にしたとしてもうまく伝わらないことが多いので、上に紹介したブログの先生がどのような雰囲気で診療されているかは分からない。あくまでも、ブログの内容を媒介として自分の考えをまとめようとしただけなので、ここで俺が述べたことについても、一言一句の言葉尻をつかまえるのではなく、こういうスタンスもあるんだというくらいの大雑把なニュアンスだけ掴んでもらえたら良いと思う。

2012年1月10日

ヤナリ対策

ヤナリ、という妖怪をご存知だろうか。

家や家具が理由もなく揺れ出す現象を、昔の人は妖怪のしわさだと考えた。説明がつかないものは怖いから。

ヤナリは、漢字で書くと「家鳴り」。
家鳴り(Wikipedia)

今住んでいる家は、とにかく家鳴りが多い。原因の一つには、この島独特の強い風があると思う。他にも、家が海に近いことや、温度・湿度なんかも関係しているのだろう。引越してきてから、あまり気にしたことはなかったが、最近どうも家鳴りがすると落ちつかない。特に布団に入ってからがダメだ。気になりだしたのは、寝室を二階から一階に移したあとだ。寝室を変えたのは、チタロウ氏のお腹が大きくなってきたのと、それに伴って夜間のトイレが多くなって階段を昇り降りさせるのが怖かったから。12月末にチタロウ氏が里帰り出産で帰省してからは、さらに家鳴りが気になりだした。もはや怖くておちおち眠っていられないレベル(俺はビビリなのだ)。

でも、一階と二階とで、家鳴りがそんなに変わるとも思えない。なにが違うんだろう、と考えて、一つの理由に思い至った。寝る前に、音楽を聴かなくなったのだ。これまでは、二階に置いているBOSE Wave Music Systemで音楽を聴きながら寝ていた。
「音楽がないから家鳴りが気になるんだ!」
と気づいて、数日前からリビングのオーディオで音楽を流しながら寝ることにした。すると、なんという快眠。

寝つき悪いという人にお勧めしたいが、俺にしか効果がないかもしれないので、うーん……。

ベビー用品

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2012年1月9日

デイブレイカー

歳もとらず、病気にもならず、それどころか癌さえも治る、そんな吸血鬼感染症。ただし、人間の血を飲み続けなければならない。そんな感染症が蔓延して、人間と吸血鬼の人口比率が逆転してしまった世界が舞台。

人間は数少なくなり、血液不足になってしまう。長い間、人間の血を飲まなかった吸血鬼は、サブサイダーという醜く凶悪な怪物になってしまう。血液不足を打開するために、吸血鬼たちが考え出したのが『人間牧場』。人間を飼う、というより、血液製造機械として活用するというイメージ。主人公は、そんな世界で代用血液を研究している血液学者で、吸血鬼。

映画の話題はひとまず置いておく。

もし、こんな感染症があったとして、感染したいかどうか。映画中、末期癌に冒された人が感染して不老不死になっていた。そして、感染したことを感謝している風だった。その気持ち、分かる。たとえ他人の血を飲まないと生きていけなくなるとしても、いま目の前にある死の恐怖のほうが勝るに決まっている。俺なんて、中学生くらいから石仮面願望(ジョジョ)あるしUryyyyyとか。

以下、ネタバレ。

在韓日本大使館に火炎瓶 中国人拘束「靖国放火した」

在韓日本大使館に火炎瓶 中国人拘束「靖国放火した」
産経新聞 1月9日(月)7時55分配信
【ソウル=加藤達也】韓国のソウル地方警察庁によると、8日午前8時20分ごろ、ソウルの在韓日本大使館に男(37)が火炎瓶4本を投げ込んだ。建物外壁などの一部が焦げたがけが人は出ていない。男は現場で機動隊員に拘束された。警察は火炎瓶特別法違反の疑いで捜査している。

鍾路(チョンノ)署によると男は漢族の中国人。犯行動機を「母方の祖母が韓国人の従軍慰安婦で日本に恨みがあった」「野田佳彦首相の慰安婦問題に関する無責任な発言に腹が立った」と供述しており、犯行当時は胸の部分に「謝罪」と書かれたシャツを着ていた。

同署によると男は先月26日朝、東京・靖国神社の門が放火された事件についても「自分がやった」と供述。また警察当局によると、捜査の結果、男は韓国入国直後に韓国メディアに電話、靖国神社放火事件の犯人であることを打ち明けていたことが判明した。

在韓日本大使館によると、事件を受け韓国外交通商省の朴錫煥第1事務次官が武藤正敏駐韓日本大使に電話で「遺憾の意」を伝えた。武藤大使は大使館が被害を受けたことを「遺憾」とし、再発防止を求めた。

調べに、男は中国広州に居住する「心理治療」専門医と主張。昨年10月に来日し福島県で約2カ月間、被災者の心の相談に乗るボランティアに参加していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120109-00000076-san-int
容疑者が「心理治療専門医」というところで、このニュースを取り上げた。

この自称専門医、福島県で10月からの2ヶ月間ボランティアに参加したそうだが、帰国間際に靖国神社に放火するなんて、そんな奴はボランティアに来ないで欲しい。彼の貢献と、愚かな所業を天秤にかけたら、大きくマイナスに傾く。いや、そもそも何か貢献したのかすら疑わしく感じてしまう。被災地で悪意あるかき回しをしていたと思われても仕方がないだろう。

いま、頑張って読んでいる『精神療法面接のコツ』より引用する。
溺れる者を救助するときの責任ある選択とは、まず、救助者自身がしがみつかれて溺れてしまうことを防ぐことである。

夕焼けリバー

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ハラスのいた日々


ハラスのいた日々
人と犬との縁というのも、考えてみると実にふしぎなもので、ある意味では人間どうしの出会い以上にふしぎかもしれない。犬なんてみな同じようなものだと、前は思っていたが、あとになってみればその犬以外の犬ではだめだという、かけ替えのない犬になっているのだから。
これは冒頭の最初の一文である。のっけから、一気に引きこまれる本であった。

我が家の太郎との最初の出会いはペットショップで、そこには同じ母親から生まれたメスも一緒にいて、どちらかと言うまでもなく、明らかにメスのほうが美形であった。欲しかったのは男同士(?)で分かり合えそうなオスであったし、ビーグル犬を扱っている店は県内にそこしかなかったこともあって、なんだかブサイクだなぁと思いつつ、その“ブ”ーグル犬を相棒とすることに決めた。それが去年の三月のことである。

自分が先に島に引っ越して、太郎が届くのを待ちに待った。飛行機でやって来た太郎は、その後、ご飯を食べない、熱は出す、極度の貧血になりバベシア疑いとなるなど、とにかく肝を冷やすことが多かった。それも乗り越えると、めきめきと元気になり、走り回り、飛び跳ね、食べ、吠え、笑い、まさに、「あとになってみればその犬以外の犬ではだめだという、かけ替えのない犬」になったのである。

美談や感動話ではなく、本当に犬とのささいな日常生活が綴ってある。犬が好きな人なら、読んでぜったいに損はなし。

2012年1月8日

ネクタイ

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福島の子ども医療無料化検討の考え

野田総理大臣は、訪問先の福島県で記者団に対し、佐藤知事らが求めている、福島県内の18歳以下のすべての子どもの医療費を無料化することについて、検討する考えを示しました。
この中で野田総理大臣は、福島県内の18歳以下のすべての子どもの医療費を無料化することについて、「知事のみならず、何人かの方から協議会の中で指摘をいただいた。大変重要な課題であると受け止め、政府内でしっかり検討していきたい」と述べました。また、双葉郡内への設置を求めている中間貯蔵施設について「改めてお願いさせていただいたが、平成27年の供用開始に向け、細野大臣を中心に関係する県や町村にしっかりと説明をし、理解をいただくようにしていきたい」と述べました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120108/k10015133671000.html
なぜ無料化にするのだろう? あれほど「安全」 と言い切っていたのだから、無料にする必要などないではないか。

俺個人の考えとしては、無料化には賛成だ。それは、原発事故の影響は少なからずあるだろうと思うから。だから、政府が無料化の理由として、「原発の影響が無視できない」というのなら納得できる。しかし、もし、「安全」「影響はない」と繰り返しながら無料化を進めようとしたら、そういう政府のどっちつかずで行き当たりばったりの方針に猛反対だ。

ところで、自民党。おそらく、次期政権は自民党になるだろう。これだけ民主党や原発を責めておいて、いざ政権を奪回したときに、「原発事故は調査の結果、やはり安全と認識」なんて脳みそ空っぽなこと言わないだろうな(いや、きっと言うだろうなという反語表現)。

はたらく機械

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ユンボとかブルドーザーとか、そういう重機が好きだ。
農機も好き。
機能美というのはこういうものかなと、なんとなく感じる。

精神科患者の暴力は本気だから怖い

錯乱状態にある人が暴れる時、彼らは手加減をしない。たとえば統合失調症の人なら正体不明の敵から自分や家族や世界を守るため、意識混濁している人なら自分を抑え込もうとする人から身を守ろうとして、とにかく本気で抵抗し、全力で暴れる。

人間の力は、本気を出すと非常に強い。ちょっと体格の良い女性が本気で暴れると、男性数人がかりでも抑え込むのに苦労する。取り押さえた後、ふと見ると自分の手を怪我している。周りのスタッフも傷だらけだ。

急に殴りかかられたり、蹴られたりした先生や看護師もいる。もちろん、全ての患者さんが危険人物というわけではないし、むしろ暴力を行使する人というのは患者さんの中でも少数派だ。しかし、暴力的な場面に遭遇する確率は、一般社会生活よりも精神科病棟のほうが高いのではないだろうか。

これまで当院の精神科スタッフの給与には危険手当てがついていたそうだが、少し前に廃止されてしまったらしい。理由は不明だが、できれば復活させてほしい。

続・うつで病院に行くと殺される!?

平成23年9月発売の雑誌『SAPIO』に、
『うつで病院に行くと殺される!?』
という特集が組まれていることは、先日の日記にも書いたとおり。この記事のタイトルはショッキングだが、最後に「!?」をつけるあたり、結局はあまり断定する自信のない、ただの煽りにすぎないのだ。

去年もこんなネットニュースがあった。
うつ病自殺7割が精神科を受診 「抗うつ薬」安易な服用に懸念
うつ病で自殺した人の7割が精神科を受診しており、その多くは「抗うつ薬」を服用していた。
これ自体は、まったく中身のない文章だと思う。なぜなら、
「癌で死亡した人の7割が内科を受診しており、その多くは抗がん剤を服用していた」
というのと大して変わりがないからだ。

うつ病で病院を受診するかどうか、抗うつ薬を飲むかどうかは、こういうネガティブキャンペーンを受けた患者と家族が判断すれば良いので、こちらとしては、とりあえず受診したほうが良いとは思いますよ、程度でとどめておく。とはいえ、一応書いておくが、真にうつで悩んでいる人は、
「精神科でも抗うつ薬でもなんでも良いから、この苦しみから救ってくれ」
と思うようである。ネガキャンで思いとどまれるくらいのエネルギーがあるうちは、元気がないとはいっても、もしかしたらまだ大丈夫なのかもしれない。ただ、家族が患者の受診を引きとどめて、その結果、患者が自殺しても、SAPIOを発刊している小学館はなんの責任もとってくれないことは断言できる。

なんにせよ、判断は自己責任で。

余談ではあるが、
「大量処方で患者を薬漬けにして医者が儲かろうとしている」
ということを思っている人がいまだにいることに驚く。医師は、薬一錠処方すれば○円の出来高制ではない。なにをどう解釈して、そういう考えに至ったのかが分からない。病院にかかって薬が増えても、病院への支払いは同じだ。支払いが増えるのは薬局に対してである。

<関連>
うつで病院に行くと殺される!?

かみかみ太郎

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器用につかんで、満足げ。

お地蔵さん

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2012年1月7日

音楽にも演技をさせた!! 『英国王のスピーチ』

面白かったし、ネットでの評判も良い。だが、劇中で使われた曲について、意外にも指摘が少ない。


最後のスピーチ場面。
ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章が流れるのだが、この曲を聞きなれた人には違和感があったのではないだろうか。俺は、カラヤン、クライバー、それから他の指揮者数人のものを聴いたことがあるが、冒頭の和音が2度繰り返される演奏は一度も聴いたことがない。映画を観ながら、
「あ、この曲はベートーヴェンの……」
と思ったところで、和音が2度繰り返され、
「あれ? 違ったかな……」
と混乱しかけ、でも結局やっぱりベートーヴェンだった。

なぜ和音を2回も繰り返したのだろうか。

それは、この場面で、音楽にも吃音(のようなもの)を演じさせたからだ。主人公であるジョージ6世の演説開始に合わせて、音楽にも、どもらせている。聴きなれた音楽も、最初がどもったら聴き手は一瞬だけ混乱する。しかし、その先で比較的安定していれば、きちんと音楽として聴ける。もとが名曲なら、拙い演奏であっても素晴らしいと感じることがある。たとえば結婚式で家族が弾くピアノなら、下手でも涙がこぼれる。

言葉だって同じだ。
発音や発声がすべてではない。誰が話すか、そこにどんな想いをこめるかが、いちばん重要な時がある。それが、あのときのスピーチだったのだ。ジョージ自身が吃音を克服したことも大切だが、それよりも、あの演説が国民にどう伝わるかが重要な場面。そこに流れる、吃音的に編曲されたベートーヴェン。

さらに。
この部分の映像と通常の演奏を並べてみる。
特に前半部分を聴き比べて欲しい。





サントラの方はスローテンポで、前半は音も弱い。演奏者たちがうつ向いておそるおそる演奏しているような、自信なさげな感じがある。それがだんだんと自信をつけていき、3分ころから音が太くなる。そして最後はしっかりまとまった、胸を張ったような演奏になる。さらに言えば、最後の最後の弱音部分、演奏を終えてホッとしたような雰囲気さえ出ている。ジョージ6世が演説を始めて終わるまでの心境に合わせて、音楽にさえ演技をさせている。

この音楽は、監督によるジョージ6世のメタファー(暗喩)だったのだ。

以前にも何度か書いたが、映画音楽は単に場面を盛り上げるためだけに使われるのではない。監督なりに、そこに込めたい想いがあるはずだ。それは、『シャッター・アイランド』のレビューでも書いた。

では、映画の最初のほうで、ジョージ6世がヘッドフォンをして本を朗読する場面はどうか。あそこで使用されていたのはモーツァルトの曲だ。モーツァルトは作曲のときに楽譜の書きなおしをしなかったと言われている。頭に浮かんだ音楽を、すらすらと楽譜に書き写すだけなのだ。その伝説の真偽はともかく、頭に浮かんだ言葉を発声するのが苦手なジョージ6世が、ヘッドフォンをつけて淀みなく本を朗読できる場面に、大音量で流れるモーツァルト。バッハでも、ブラームスでも、シューベルトでも良かったはずなのに、あそこで監督が選んだのはモーツァルト。

もっと言うなら、モーツァルトの時代、音楽は王侯貴族のものだった。それをベートーヴェンが大衆庶民の身近なものへと敷居を下げた。映画の前半、言語療法士であるライオネルとの初対面時点では、ジョージ6世は自らを貴族であると強く意識をしていた。ライオネルとの親交が深まっていき、最後には友人として接する。貴族音楽のモーツァルトを使った前半の重要場面、大衆音楽のベートーヴェンを流したクライマックス。そして、エンドロールで流れたのは、やはり貴族音楽のモーツァルトだ。スピーチを終え、英国王としての自覚を持ったジョージ6世を見事に表している。監督が好きな曲を適当に選んだとは思えない順番である。

最後に、ドイツとの戦争に向けて国民を鼓舞する英国王の演説という場面で、なぜドイツの作曲家ベートーヴェンの音楽が選ばれたのか。そこはさすがに疑問を感じた人もいるようで、ネットでは、音楽に国境はないし、普遍的に良いものは良いから、という人がいた。確かにそうだ。しかし、俺は少し違った風に考えている。

ポイントは二つ。
まず一つは、56歳で亡くなったベートーヴェンは、その生涯のうち35年間をオーストリアで生活したということ。
もう一つは、ベートーヴェンが、ドイツ諸邦が争うことで国民の自由がないことを嘆き、ナポレオンを「自由の英雄」として讃えていたということ(最終的にはナポレオンを見限るが)。ただ、ここらへんになると俺の大の苦手である歴史的な知識も必要になってくるので、歴史に詳しくて、この映画に感動して、かつクラシックも好きだという人が考察する方が良いだろう。


一度鑑賞した人も、今度は音楽に着目(着耳?)して再鑑賞してみると、ここに書いた以外のいろいろなことに気がつくかもしれない。そのときには、ぜひ教えて欲しい。

オススメの映画である。


<追記>
後輩が本作で『皇帝』が使われたことについて考察していたので、ほぼそのまま引用しておく。
楽曲にベートーベンが選ばれたのはベートーベンの孤独と王の孤独が重なっているのかなぁ……と。場面的には「皇帝」ではなく「英雄」でも良かったと思うのです。どちらも変ホ長調ですから雰囲気は同じかと。
しかし、皇帝。
この曲がチョイスされた理由は、ピアノ協奏曲第5番が作曲された時代にあるのではと考えました。この曲が作曲されたのは1808〜1810。ウィーンがフランス軍によって攻撃され、ウィーンから貴族が逃げ出していく。そんな中、自身の病、師匠であるハイドンの死…戦いつつも音楽と向き合っていく……。ベートーベンは孤独だったのではないでしょうか。
なので、映画の中で孤独を感じていた王とベートーベンを重ね、あえてのベートーベン、しかも「皇帝」チョイスなのかなぁ……。

家族が突然に興奮して暴れ出したら、救急車よりも先に警察へ通報をするべきだ

「子どもが暴れている」とか、「女房が刃物を持ち出して」とか、そういうことで精神科に連絡してきたり、救急車要請したりする人は案外に多い。しかし、そういう状況では、まず警察に連絡して欲しい。消防隊員は、刃物を持った相手と戦う手段を持っていない。まして精神科に連絡をされても手の打ちようがない。せいぜい「警察に連絡しませんか」とアドバイスするくらいしかできない。警察は銃も警棒も持っているので、手がつけられないくらい暴れていたら警察の出番である。

家族から保健所に通報があって、駆けつけた保健師が玄関に入るなり、待ちかまえていた患者から包丁で刺されて死亡したケースもあるらしい。だから、緊急時に往診する場合、家に入る前にまず「患者がどこにいるか」を家族に確認するのが重要だと教わった。家族が通報した後に避難して家にいない場合、非常に危険なので家に入ってはいけない。

改めて書くが、仮に精神科通院歴があったとしても、暴れて手がつけられない場合には、救急車ではなく、まずは警察に連絡するべきである。
6日午後10時25分頃、大阪府大阪狭山市消防本部に「別居している息子の様子がおかしい」と父親から通報があった。
救急隊員3人が救急車で同市西山台の府営住宅に駆け付け、うち1人が部屋を訪ねたところ、住人の男(46)が突然、玄関先で隊員を蹴るなど暴れ出した。男はギターを振り回して路上まで隊員を追い掛け、救急車の後部ドアのガラスをギターでたたき割るなどし、隊員らが車を離れたすきに運転席に乗り込んで救急車を奪った。
さらに、同市内で信号待ちをしていた乗用車に追突する事故を起こしながら、和歌山方面へ逃走。府警などのパトカーが追跡、約1時間20分後、約60キロ離れた和歌山県広川町内で停車させた。救急隊員2人が軽傷の模様。同県警は、男を強盗致傷容疑で緊急逮捕した。
(2012年1月7日03時04分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120107-OYT1T00110.htm

被災地への医療派遣を振り返る(2) ~ センスを問う ~

医療者に限らず、見る人のセンスを問うような写真がある。

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三枚とも、俺が被災地支援に行ったときに撮った写真だ。自画自賛になるが、ネット上にアップされている中で、これほど有意義な被災地の写真はそう多くないはずだ。

上記三枚は、震災の怖さを物語るものではない。震災後の混乱がひしひしと伝わってくるわけでもない。だからこそ、見る側にもセンスが問われる。そして、この三枚から何かを感じた人たちこそが、本当に災害対策に携わるべき人たちなのだろうと確信している。

些細なことで良い。いや、むしろ些細なほうが良い。大きく構えると実現が難しくなる。

例えば3枚目の写真を見て欲しい。これは、全国から集まった雑多な医薬品を、派遣された人たちがまとめたものだ。分野別、臓器別に分かれているのが、かろうじて読み取れるかと思う。

この小さい文字を見て、どう思うか。俺は、被災地への第一派遣グループには、凄く大きなスケッチブックが有用だと思った。この診療所は老人ホームだったので、このスケッチブックはたぶん入所者のものだ。おそらく絵を描くためで、そんなに大きくはなかった。これがもう少し大きければ、もっと作業効率は良かったはずだ。スケッチブックはいろいろな場面で使える(「待ち合い場所」「問診」「診察」といった患者整理に役立つ表示など)。

もの凄く些細だ。だけど、だからこそ実現可能であり、実際の現場では役に立つ。

もっと分かりやすいところでいけば、2枚目の写真の薬を入れた段ボール。一番大きな段ボールに、「救助用毛布」と書いてある。そんなものまで使わないと物資の仕分けができなかったのだ。これを見て、どう思うか。コンビニなどで働いた人なら分かると思うが、パタパタとたためるプラスチックの箱がある。そういうのが実はすごく便利なのだが、もう少し小さいほうが良い。



こういう会社は、ここぞとばかりにシェア拡大に乗り出すべきなのだ。軽くて、災害時にさっと持ち出せて、小分けの箱が何個もできるようなもの。決して民間の防災グッズにはなりえないけれど、災害救援時にはすごく役立つ。平時の需要は少ないけれど、多少高額でも各病院に売り込む。それだけでは商売として成り立たないので、そこからどう応用していくかが大事だけれど。少なくとも、ビジネスチャンスの一つではある。

もっと気づくところがありそう(写真の看護師が若くなさそうだゾとか※)だが、このへんでやめておく。

※写真の看護師は60歳を超えていて、実は退職後のパート職員である。当院のマンパワーのなさから、バリバリ働き手の看護師は派遣できなかったのだ。しかし、もし余震などで災害があった場合、彼女は被支援者になる可能性が高い。彼女には申し訳ないけれど、現実問題としてそうなのだ。俺が派遣されたのだって、まず内科や外科の医師は忙しくて抜けられず、当院には精神科医が3人いて、下っ端の俺が抜けても大丈夫だという判断からだ。決して俺が優秀だからではない。そういう人を被災地へ派遣したことから分かるように、支援だ援助だと言ったって、各県、各病院がどこまで本気だったのか分かったもんじゃない。これが現実である。ただし、実際に行った人たちがみな本気であったことは付言しておく。

<関連>
被災地への医療派遣を振り返る(1)

破壊神TARO

太古の昔より破壊の神として畏怖されていたTARO。
時代や地域によって、ターロ、あるいはタロと称されてきたこの神のことを、ここでは、現代のこの場所において一般的であるタロウと呼ぶことにする。善なる神の島に封じられて以来、タロウの牙は仔犬ほどに小さく、爪もできそこないの真珠のように鈍く輝くのみであったが、徐々に内なるちからを研ぎ澄まし、遂に解き放たれる時がきた。

タロウが最初に矛先を向けたのが、封印の要めであるアミードであった。人間によってこしらえられたアミードは、幾重にも張り巡らされた細い糸でもって、タロウが神殿に入ることを阻むという憎々しいものである。アミード封印の向こう側には、さまざまな壊しがいのある物々が横たわっており、タロウが存在し始めた時から持ち合わせた破壊の衝動性を刺激する。昂ぶる精神を一点に集中し、ついにタロウはその眠れる力を爆発させた。

そして、アミードは打ち破られた。
引っかき、噛みつき、また引っかく。
タロウは単調な行動の一つ一つに、燃えたぎる魂を込めた。どこからか、アミードを祭る者(飼主とも称される)の絶叫とも嘆息ともとれる声が聞こえてくる。その声は、タロウのうちに充満した燃料のような情熱に火をつけた。戦いが終わり、アミードは屍となり、それを虚(うろ)のような目で眺めていた祭者は、溜め息とともにアミードを神殿奥にしまった。

この島での最初の戦いに、タロウは勝った。
だがしかし、決してこれで終わりではない。この神殿には三ヶ所のアミードがあり、残り二つはいずれも無傷のままだ。そして、小封印であるアミードを破ったとしても、大封印のマードがある。マードは、タロウがいかに爪や牙を剥こうとも、なめらかな表面に傷一つつけられない。それでもマードへの攻撃をやめないのは、破壊神としての誇りと意地だ。

ともあれ、タロウは一つの戦いに、勝利をもってして終止符を打った。破壊神の勝利は、タロウと同族である数多の破壊神、そして破壊神を畏怖する人間たちから、いつの時代でも、いかなる地域であっても、次のように呼ばれてきた。


イタズラ。


次なるイタズラに破壊の想いを馳せながら、タロウはゆっくりと眠りにつくのであった。


ちび年輪

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2012年1月6日

「手配犯名乗る者追い返すな」 そんなことして大丈夫!?

今回の指名手配犯を追い返した事件を受けて、警察庁から、

「手配犯名乗るものは追い返すな」

というお達しが出た。
その気持ち、分からないでもない。

しかし、ひねくれ思考からか、変な危惧もわいてくる。
今後、もし仮に麻原彰晃なみにトンデモない大量殺戮犯が出たとする。仮に、コイズミとでもしよう。そのコイズミが麻原みたいに狂信的な信者を多く集めて大量殺戮を指示して、実際に大勢の人が亡くなって、それから捕まることなく潜伏。ようやく警察の手がコイズミに近づいたと思ったら、各警察署に、

「すいません、コイズミなんですが……」

と名乗るヒゲの男が殺到。上からは、そういう連中はとりあえず追い返すなとの指示。追い返さなかったら、取り調べが必要。そいつが言うことが本当かどうか、実際に人を動員して裏をとらないといけない。捜査かく乱として、これほど良いかく乱方法はない。

たしかに、今回の警察の失態は否めない。しかし、現実問題として、指名手配犯の全員を、顔と名前一致させて暗記するのは不可能。そもそも、そんなことができる能力があれば、警察官なんてやっていないって。決して警察官を卑下しているわけでもないし、かばっているわけでもないけれど。

ふと思ったのだが、顔と名前が一致するくらいに暗記したとしても、逃亡者ならリンゼイさん殺害の市橋みたいに整形するくらいはやるだろうし、これだけ不法入国者がいるのだから身分証偽造だって簡単なんだろう。顔や身分証だけでは、簡単に特定できないんじゃないだろうか。

かといって、追い返したのはやっぱりまずかった。一晩泊めるべきだったかもしれないが……、いや、待てよ。それだと、指名手配犯ですと嘘ついて警察署に泊まる連中が増えたりするかも……。

どういう方法が一番いいのかは分からない。でも、失態だ無能だと叫んだって解決しないし、かえって悪い方向に進む危険性だって大いにある。何ごとにつけ、ある特異な一例を根拠に、極端な方向付けをするのは危ないのだ。


<追記>
元機動隊員のブログ
機動隊の事情と平田の自首

うちの病棟の公衆電話からもよく110番しているし、実際、それで警察業務に支障が出ているようだ。だから電話の制限をしてくれ、と警察からお願いがくるのだが、現実問題ちょっと難しい。

警視庁の機動隊員が先月31日、出頭しようと警視庁本部を訪れた平田容疑者を門前払いしていたことを受け、警察庁は6日、重要事件の指名手配犯の特徴を全警察官・警察職員に確認させるように全国の警察本部に指示した。
庁舎警戒や受け付けの職員には、指名手配犯を名乗る者は独自の判断で追い返さないように求めた。
一連のオウム事件後に採用された職員が増えていることから、高橋克也(53)、菊地直子(40)両容疑者が関与した地下鉄サリン事件の概要などを改めて周知することも要請。国外逃亡や死亡と思い込まず、「必ず国内のどこかに潜伏している」との意識で業務に当たるよう呼びかけている。
(2012年1月6日19時27分 読売新聞) 

被災地への医療派遣を振り返る(1)

先日、被災地へ派遣されたときに一緒に仕事をした現地の看護師から贈り物が届いた。チームのコーディネーターであったOさんあてに、たくさんのカマボコと、一冊の本。

今日、カマボコで一杯やりながら、この記事を書いている。

なにから書こうかと思ったが、うん、まずこのカマボコが美味い!!

それはともかく、その看護師の体験談はこんな感じ。
夕方からの準夜勤務に行くための準備をしていたら大きな揺れがあった。津波を警戒し、荷物をまとめようとしたが、部屋中が散乱していてそれどころではなった。かろうじて車のキーだけを見つけ、志津川病院に向かった。

志津川病院近辺は、海に面した平地が広がり、走って遠くの高台に逃げるのはほぼ不可能だ。彼女は避難先として、車で3分の志津川病院を選んだが、結果的にこれが大正解な選択だった。

彼女が病院に着くと、付近の人たちも病院に集まってきていた。3階まで避難すれば大丈夫だと言われ、住民や外来・入院患者らを3階に避難させた。

テレビではジワジワと水位が上がっているように見えるが、現場で目撃した感覚では、一気に水がかぶさってきたらしい。志津川病院を実際に見てみると、4階の窓も一部割れている。3階までの避難では不十分だったのだ。

辛うじて助かった人たちは、4階や5階にある会議室などで過ごした。津波が引いたあと、下に救助に向かった。入院患者の中には、エアマットが浮かんで助かった人もいた。しかし、そういう人たちも全身濡れてしまって、中には低体温で亡くなってしまう人もいた。物資もなく、ただただ見守るしかできなかった。

彼女が穏やかに語る被災体験は、壮絶だった。
そんな彼女から送られてきた本は、写真集だった。


南三陸から 2011.3.11~2011.9.11

ちょっと詳しいホームページ。
「南三陸から 2011.3.11~2011.9.11」佐藤信一 写真集


医局で手渡されて、自分の机で読んだ。津波前、俺の知らない南三陸町、それから志津川が写っていた。涙がにじんだ。いま思い返しても、ふと泣きそうになる。


俺は派遣から戻ってきて、一週間ほど不眠を体験した。被災地にいるときには毎晩のように酒を飲んで熟睡していたのに、帰宅してからは酒を飲んでも眠れなくなってしまったのだ。目を閉じて寝ようとすると、脳裏に瓦礫が浮かんだ。叫び声が聞こえたような気がした。俺の身近な人が溺れている、そんな錯覚にとらわれた。自分が水の中でもがいているような恐怖感が襲ってきた。それは、生まれて初めての、「精神の不調」というものだった。

あのとき不眠症になった俺を、いまの俺は誇りに思っている。理由はうまく言えないが、被災地から帰ってきて眠れなくなる、そんな精神科医なんだよ、俺は。

ところで、カマボコを送ってくれた看護師は、自分の家も流されていた。家族は全員無事だったが、俺たちが派遣されたときにはジャージ姿で、内陸にある実家から車で一時間以上かけて通ってきていた。
「服も全部流されたから」
そう言って、彼女は笑っていた。当然、と言っていいのか分からないが、彼女は無給であった。仕事そのものは、彼女自身のためではなかった。新しい働き口を探して、自分の生活を立て直しても良かったのだ。それでも彼女は、俺たちの診療所へ来てくれた。彼女のおかげで、土地勘のない俺たちも往診をこなすことができた。

そんな彼女が、俺たちにカマボコを送る義理があるのだろうか。俺たちが助けたのは、決して彼女ではない。彼女の家族でもないし、彼女の知人もいなかった。正直なところ、俺たちは行けと言われたから行ったのだ。本音では怖くて行きたくなかったけれど、半ば仕方なく行ったのだ。もちろん、それだけではない。

不謹慎かもしれないが、好奇心だってあった。被災地派遣に選ばれた自尊心もあった。逆に、俺が10日間いなくても当院は大丈夫なんだよねという切なさもあったけれど。そもそも、ボランティアで行ったのではない。その間の給与も出たし、居酒屋で打ち上げする程度の余分なお金ももらえた。そんな俺たちに、彼女からカマボコをもらう権利があるのだろうか。

しばらく考えに考えた。
そして。
いま、ふと気づいた。

そうか。
彼女のほうにこそ、俺たちにカマボコを送る権利があったのだ。
生きていたから。
逃げ延びて、だけど踏みとどまって、地域のために戦ったから。
だから、彼女には、俺たちにカマボコを送る権利があるのだ。
「どうだ、こっちのカマボコ美味いだろう」と。
「写真集が出たんだよ」と。
「南三陸町、忘れるなよ」と。
権利を奪われた多くの人たちに代わって、彼女は自分の権利を出し惜しみせずに行使しているのだ。

そして、俺は、彼女が代表して送ってくれた権利を胃袋に落とす。酒を飲みながら、ネットを見ながら、音楽を聴きながら。
美味い。
美味いんだよ、これが。
歯ごたえも、味わいも、喉ごしも。
そして、それらを堪能するこの空間が美味い。
そう。
そうなんだよ、この最高ともいえる環境。
これが当たり前じゃないと気づくところから再スタート。
あの不眠症の俺からやり直す。
ゴールはない。
俺は俺なりに、精一杯やる。

被災地応援とか、頑張ろう日本とか、そういうの好きじゃない。

じゃ、俺はなにをするのか。


俺は、忘れない。


俺は。


忘れないから。


<関連>
被災地への医療派遣を振り返る(2) ~ センスを問う ~

イノシシに襲われて男性死亡

イノシシに襲われ男性が亡くなったというニュース。これが他人事じゃないから怖い。太郎の散歩でも何度となく見かけているし、今日も道路わきの森からガサゴソと音がしていた。小動物のたてる音じゃなく、もっとデカい動物の動く気配だからイノシシだろうと思う。残念ながら、太郎はまったく何の役にも立ちそうにない。イノシシの成獣は70-80kgになるものもいるとか。太郎は10kgそこそこ。体重差が7倍の相手……、俺が横綱白鵬と戦うよりも分が悪い。だから、遭遇したら太郎を抱えて逃げるしかない。
イノシシに襲われ?男性死亡=農作業中、脚に牙の傷-熊本
3日午前11時20分ごろ、熊本県人吉市赤池水無町の水田で男性が太ももから血を流して倒れているのを通行人が見つけ、119番した。男性は同市上漆田町の農業東喜吉さん(68)で、病院に運ばれたが間もなく死亡した。
県警人吉署によると、死因は失血死。現場の水田にイノシシの足跡が多数あり、東さんの左太ももにイノシシの牙が刺さったとみられる傷があったことから、同署は東さんがイノシシに襲われたとみて調べている。(2012/01/03-19:33)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012010300244

『救急薬剤師養成へ -災害現場で活動』 というニュースを読んで

実際に医療派遣されて、薬関係で困ったことは、誰にどの薬をどう処方するか、ではない。

震災から一ヶ月半後、俺は南三陸町へ派遣された。赴任した診療所は、各県から交代でチームが派遣されていて、それぞれに自分の病院で採用されている薬を持ち寄っていた。同じ薬でも名前が違うものもあるし、ジェネリックも多かった。大混乱、とまではいかないまでも、俺より前のチームの混乱が感じられた。薬の名前は調べれば分かるが、新しいジェネリックはちょっと古い本には載っていない。

大量の薬は大雑把に分類されていたが、完璧とは言い難く、俺たちは薬を整理しながら診療した。この薬調べと整理にはけっこう時間がかかってしまい、それがストレスになった。ある日、他チームの薬剤師が合流したら、薬の整理がとっても早かった。その姿を見て、単に薬の知識があれば良いというわけではないと感じた。うまく言えないが、その人の持つ「整理力」というものだろうか。

薬局には、薬を分類するための棚もラベルも、箱も袋もある。災害の現場には、それらがないか、極端に不足している。そういう状況で、かろうじて残っているものを利用して整理していく。災害現場での整理力には、かなりの臨機応変さが求められる。あの混乱した場で、全国から送られた大量の薬を分類していった薬剤師らの活躍には頭が下がる。

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派遣された医師は専門分野以外の薬を処方する機会が多すぎる。こちらはかなり気をつけているつもりでも、用量が多め、あるいは少なめの処方をしてしまうことがある。そういうのを厳密にチェックして指摘してくれた薬剤師らにも、感謝の念を禁じえない。もともと、薬剤師は貴族に毒が盛られていないかをチェックするために生まれた職業と聞く。薬の最終チェック段階に目を光らせるガードマンとしての仕事が本業に近いと思う。

災害現場で活躍することを目的とする薬剤師は、薬の知識はもちろんのことだけれど、持ち寄られた大量の薬の整理とか、誤処方のチェックとかをガッチリ固めてもらうほうがありがたい。薬の知識はバッチリあります、でも整理が下手、チェックが苦手、というのでは連携できない。

こういう一見すると当たり前で些細にすら思えるようなことこそ、あの現場からのフィードバックをもっと活かすべきだと思うのだが、今のところ、派遣を命じた県からそういうオファーは一切ない。

岡山大薬学部は、「救急薬学分野」の研究室を2月にも新設し、災害現場で医師とともに救急医療に携わる薬剤師の養成に全国で初めて乗り出す。
災害時には多くの患者の薬剤を素早く選ばねばならないほか、東日本大震災の際にはカルテを失った慢性疾患患者への投薬についての判断も求められた。今後、こうしたケースに対応できる薬剤師を育て、東海、東南海、南海地震などに備える。
岡山大学病院は、大震災後、岩手県陸前高田市などに医師や看護師を派遣。薬剤師も同行した。被災地では、カルテや薬手帳を津波で流された患者が多かったことから、薬の飲み合わせなどに高度な知識を持ち、医師に的確に助言できる薬剤師を育てることにした。
同病院が、重症患者を受け入れるために昨年10月に開いた「3次救急センター」で、救急薬学分野を学ぶ学生や大学院生の実習を行う。将来は、病院や薬局で働く薬剤師の再教育もする。